1-3. 魔導師ハイエラール
まぁまぁ、落ち着きましょう、角狼人の騎士さん――。
銀髪赤瞳の男は、掴みどころのない表情を見せていた。
こいつは、ただものじゃない……!
魔導師の知り合いは何人もいたが、こいつはバルゼグート師にも匹敵するのではないか。俺は魔法に詳しいわけではないが、この男の持つ圧倒的な余裕と、そして何より俺の容赦のない一撃をあっさりと防御してしまった事実が、この男の実力を物語っていた。
「お前は何者だ」
「少なくとも、そうですね、あなたとの利害関係はありませんね。今のところは」
「この街をやったのはお前ではないのか」
「まさか。私じゃありませんよ。私はむしろ、救援に駆けつけた正義の魔導師です」
信用していいのかどうか、今の俺には判断ができない。
「女王陛下が王都を追われてからこっち、ジグランス領もずいぶんと物騒になりましてね。しかし私が見てきた中でも、このゼンダリオの被害は最大です」
男は防御の魔法を解いて、俺の剣を自由にする。俺はファイランを見てから剣を収め、腕を組んだ。どのみち今の状況では、俺はこの男に勝てないだろう。
「心当たりは」
「なくはないですが。それはそうと、シエルグリタ女王陛下にはあなたのような角狼人が付き従っていたと言いますが」
女王はどこです? 男は言外にそう尋ねてくる。俺は沈黙で応じた。
「まぁ、私たちに角狼人の区別はつきませんからね。他人の空似かもしれませんし」
「お前は何者なんだ」
俺は油断することなく男を睨みつける。しかし男は全く萎縮しない。お前なんて相手にならないんだぞと言わんばかりの余裕に、俺は確かに苛立った。
「私は王国筆頭宮廷魔導師バルゼグートの三男、ハイエラールと申します」
「なんだと」
バルゼグート師の息子だというのか。そういえば五十を過ぎて授かった子どもがいるという話は聞いたことがあった。俺にはこの男の外見から年齢を推し量ることはできないが、まだ若い……だろう。話と合致すると考えても良さそうだった。もっとも、バルゼグート師とはそこまで親しかったわけでもない。俺はこれ以上の記憶は持ち合わせていなかった。
「ゼンダリオのこのありさまは、何者かによる焦土作戦です。女王陛下の一行がこちらに逃げてくることを見越して、補給を得られなくするための。……と、私は考えています。じゃなければここまで徹底的にはやらないでしょう」
生存者もそこの女性が一名きり――ハイエラールは目を細める。
俺は「そうだ」とファイランを振り返る。
「ファイラン、ここを襲った奴らはどんな奴らだ?」
「わ、わからない。ずっと家に隠れていたから」
「そういえばどうしてお前の家だけ残っていたんだ」
「お母さんが魔法で隠していたから……」
なるほど。
「襲撃自体は隷魔に任せていたようですね。さもなくば一般の魔導師程度では隠れていることはできなかったでしょう」
「ウ、ウンブラファムルス?」
「使い魔のようなものです。魔導師と契約関係にある悪魔、と言いましょうか」
「お前も?」
「高位魔導師の条件ですからね、隷魔を従えることは」
ハイエラールはこともなげに言い、少し得意げに指を鳴らした。
夜闇の中からふわりと現れたのは、トカゲのような長い尻尾を持つ、六脚の巨大な黒い馬だった。頭には捻じくれた二本の角が生えている。目は二対あったが、眼球はなく、眼窩の奥に緑色の炎が揺れていた。見るからに禍々しい。
「ガレッサという悪魔です。とはいえこの子の戦闘力はおまけみたいなものなので、ほとんど移動手段でしかないのですけどね」
ハイエラールはそう言うと、「ん?」と空を見上げた。
俺も何かチリチリとした頭痛を覚えて顔を顰める。
「主犯格がまだ近くにいたようです。好都合ですね」
「ちょっと待て」
俺はファイランを振り返る。
「都市をこうも簡単に全滅させるような奴をお前と俺だけで相手にするつもりか」
「あなたの目的と合致するとは思いますが?」
「俺の目的?」
「王国を脅かす勢力を一掃したいのでしょう」
ハイエラールは全てお見通しだと言わんばかりに言った。
「それは……しかし」
「将軍アレンゴル。彼の裏切りさえなければ王都は陥ちることはなかった。私の父も死ぬことはなかったでしょう」
「こんなところまで、もうその情報が」
「魔導師たちの情報網を甘く見てはいけませんよ。王都が陥落したその瞬間に、私たちはその情報を得ていましたから」
となれば、シエルが行方不明となったこともとっくに知られているというわけか。
「女王陛下の護衛隊長ギャレス。あなたのことでしょう」
「……」
その時、西の空が激しく光った。続く轟音と突風に、俺たちは顔を背ける。
「魔法か」
「ですね」
こりゃかなりの魔導師だ――ハイエラールは笑ってさえいた。なんなんだ、この男のこの余裕は。
「あの魔導師の狙いはそもそもが女王陛下御一行です。いずれにせよ戦うことになる」
「しかし、こっちには一人素人がいる。置いてはいくわけにもいかない」
「戦いの中で得られるものもあるでしょう」
「ひっ……」
ファイランの息を飲む音が聞こえてくる。
だが、ハイエラールの言うことはもっともだった。
……というより、他に選択肢がない。
「ファイラン、覚悟を決めろ」
「む、無理! だって剣なんて」
「生きているうちに諦めるな」
「逃げたほうがいいに決まってる!」
ファイランは叫んだ。
「せっかく生き延びたのに、どうしてわざわざ死にに行かなきゃならないの! にげようよ!」
「逃げたところで奴は襲ってくるだろう」
「そんなのわからないじゃない。でも今行ったら絶対に殺されちゃう!」
「やれやれ」
ハイエラールはガレッサを撫でながら首を振った。
「魔導師を倒せばゆっくり眠れます。倒さなければ殺される時まで眠れません。そもそもあなたのご家族や友人を殺した相手をこのまま放っておいていいんですか」
「だって、私、何も……」
「ギャレスはあなたを必要としているんですよ」
この男ッ!
心でも読まれたか!?
「ギャレスの目的のその是非はともかくとして、私たちはあの魔導師を狩らなくてはなりません。そしてあなたを置いておくこともできません。であるなら、あなたも共に行くしかありません。いいですね」
強引な説得だ。だが、俺よりは弁が立つ。それについて俺はかなり苛立ちもした。
「さて、ガレッサ。彼らのための下僕を呼んでください」
『承知した』
六脚の馬が喋った! 俺はファイランと顔を見合わせる。ファイランは目を丸くして口を開けていた。ガレッサの声は男とも女ともつかぬ不思議な、そして嗄れた声だった。
ガレッサが召喚したのは二頭の馬だった。いや、馬に見えるが全身は青い鱗で覆われていたし、目はガレッサと同様にえぐりぬかれたかのようになっていた。その奥でやはり緑の炎が揺れている。
その鱗馬たちは俺達の前にやってくると、「乗れ」と言わんばかりに首を振った。その瞬間、鞍が彼らの背に現れる。至れり尽くせりだ。
「ファイラン、馬は乗れるか」
「隣町に行くくらいは」
「十分だ」
俺たちは鱗馬に乗った。その時、また空が光った。
「ファイラン、あっちには何がある」
「森。小さい森」
「なるほど」
逃げ込んだ先で襲われているというところか。
「ガレッサ、全員の速度を合わせて突入してください」
『承知した。あの辺りからは強大な魔紋を感じる。気をつけろよ、主よ』
空が立て続けに光る。闇色の森が燃えている――。