3-2. あなたには私の望みを叶える義務がある
グラーティ要塞を後にした俺たちは、一路ジグランス公爵の城のある大都市、ハルヴェルンに向かった。しかし、その道中は生易しいものではなかった。
いま俺たちがいるのは、ハルヴェルンの手前にあるボーラの街だ。いや、正確には、ボーラの街だった場所だ。
「これって、やっぱりおかしいでしょ」
弓を空打ちして、ミシェが舌打ちする。
ハルヴェルンに到着するまでの補給を得ようとした都市が二つに一つは機能不全を起こしていた。住人いわく、突如空から火球が落ちてきて、都市を吹き飛ばしたのだという。
「まるで私たちの動きを知っているかのようですね」
「知ってるというか予想してるって感じじゃない?」
ハイエラールとミシェの会話を聞きながら、俺は周囲に気を配る。何が襲ってくるかわからない。街の周囲には鬼人どもが見える。隙あらば住民を攫おうと考えているに違いない。
火球が落ちたのは朝方だったと言うから、鬼人どもは今夜動き始めることだろう。
「掃除していきますか?」
「無理だな」
ハイエラールの言葉に俺は首を振る。
「さっき見てきた限りでは、数百からいる。さすがにどうにもできん」
「そうかな……」
ファイランがぼそっと言った。
「全部やっつける必要はないんじゃないかな」
「しかし、一匹狙えば何百に狙われるんだぞ」
「そこは、その」
ファイランは腕を組む。深い空の色の瞳が俺を見上げている。真昼の太陽が俺たちをジリジリと焼いている。ミシェが「あちぃ」と辟易した顔をしながら、また弓を空打ちした。いわく、筋トレの一貫らしい。
「少しでも倒しておくのは悪いことじゃないかな」
「珍しいな」
「何がさ、ギャレス」
「普段そんなに好戦的な発言をしないだろう?」
「弱ってる奴を襲う火事場泥棒みたいなやつって、アタシ、許せないのさ」
ミシェは心外だなという顔でそう言うと、鋭く振り返った。
「どうした?」
「騒ぎだ。避難民が暴れてるみたいな。ギャレス、聞こえない?」
「何かざわついているな」
俺たちは避難所となっている寺院の庭を覗き込んだ。
そこには夥しい数の負傷者が寝かされていて、僧侶たちがせわしなく動き回っている。屋外だというのに、そこには凄まじい血と肉の焼ける臭いが充満していた。
寺院の建物の中から、怒声が聞こえてきた。
「娘が連れ去られたんだ。騎士たちは見当たらないし、お前たち僧侶どもも!」
「私たちは負傷者の対応で手一杯なんですよ!」
若い僧侶が怒鳴り返す。
「ならばお前たちは敬虔な信徒である娘を見殺しにするというのか!」
「本当に連れ去られたのですか?」
老僧が穏やかな口調で割り込んだ。
「間違いない。俺の家族はみな怪我をして、俺が助けを呼びに行っている間に娘を除いて全員が殺されていた!」
男は泣きながら訴えていた。ミシェが俺にこっそりと囁く。
「鬼人の仕業かな」
「だとしたら死体を残しておくというのはちょっとな」
「鬼人の仕業に見せかけた何か?」
「かもな」
いずれにせよ事態を確定できる材料はない。そんな俺の右肘あたりをファイランが突っついた。
「ギャレス、これって」
「うん?」
「なんか私たちを誘っているような」
ふむ……。
俺は腕を組んで遠く四方を囲う山々を見た。この地方は盆地だ。夏を前にしてすでに暑い。
「すみません」
俺が止める暇もなく、ファイランがその男に話しかけた。
「よかったら私たちが」
「本当か!」
顔を上げた男と俺の視線が合った。男はぎょっとしたような表情を見せたが、すぐに俺の前まで駆け寄ってきて、手を握った。
「頼む、角狼人! 娘を助けてくれ!」
「助けられる保証はない」
あるいはすでに死んでいるだろう。
だが、ファイランが俺のつま先を踏みつけたので、その言葉は飲み込んだ。
剣の訓練をつけ始めてからというもの、ファイランは急激に距離を近付けて来ていた。まるでシエルのような距離感に、俺は未だに戸惑っている。
「……わかった。善処する」
「ふむ」
ハイエラールが何かと話をしていた。恐らくガレッサだろう。
「誘拐犯は鬼人のようです。が、それで話は終わりませんね」
「例の魔導師どもか?」
「ええ。カネアでしょう」
「カネア……蟷螂作戦は止めたのか」
「同じ作戦で失敗はできないと思ったのでしょう」
迷惑なやつだ。それでも街を破壊するのだから。しかも一つや二つじゃない。何千人が死に、何千人が露頭に迷っているのか。
「ハイエラール、奴らはどこに?」
「ハルヴェルンのようです」
「できすぎだろ」
俺は肩を竦めた。こうまであからさまだと笑えてくる。ハイエラールは苦笑しつつ言う。
「ジグランス公爵とはちょっと話をしなくちゃならないようですねぇ」
「娘を救ってくれ。頼む」
「わかりました」
ハイエラールは言ったが、ファイランの表情が曇っている。
「でも、この街も危ない。鬼人が狙ってる」
「守備隊もあの様子ではな」
街の有志の戦士たちの姿がそこここに見える。だが、統率が取れているようには見えない。そもそもがジグランス公爵領の中心地だ。戦への備えが十分にあるとは思えない。鬼人だって普段はせいぜいが数十体。今、街を脅かしている数は桁が違う。一斉に襲われたら全滅は必至だ。
「ファイラン、決めろ。どっちを選ぶ」
「わ、私が!?」
「俺は一刻も早くハルヴェルンに向かいたい。街を守るという選択肢もあるが、そうなったら娘は厳しいかもしれない。しかも街と共に俺達が全滅する可能性もな。それは絶対に避けなくてはならないと俺は思っている。だが、ファイラン、お前が街を優先したいというのなら――」
「ど、どうして私なの!?」
「意見がないなら娘を救いに行く」
「そんな!」
ファイランの表情が強張っている。ミシェは俺を見て頷いていた。ハイエラールはガレッサを実体化させて飛び乗った。
「私はギャレスに賛成です」
「しかし、何百人もの人が」
「なら一人を見捨てますか、ファイラン」
「それは」
「あなたの正義を語りなさい、ファイラン」
ハイエラールらしからぬ厳しい口調だった。俺はミシェと顔を見合わせてから、ファイランに視線を送った。
「どっちも見捨てたくない」
「なら、どうする」
俺が尋ねるとファイランは俯いた。娘の父親は「はやくしてくれ」と何度も訴えていた。それがファイランをなお追い詰めているのがわかった。
「鬼人を全部殺す。そして娘さんを追いかける。向かった先はわかっているんです」
「全滅させるって言うけどさ」
ミシェが言った。
「その前にアタシたちが全滅する」
「やってみなくちゃわからないじゃないですか」
「やってみてだめでしたゴメーンって世界じゃないんだよ、ファイラン」
「わかってるけど、私には選べない」
ファイランの言葉に、俺は天を仰いだ。
「本当にシエルに似てきたな」
「女王に?」
「ああ」
その無茶で無謀で向こう見ずで、そのくせ鋭利でまっすぐな正義感は、本当にシエルを見ているかのようだった。
「あなたは女王の期待に応え続けてきたんだよね?」
「……ああ」
シエルの言うことは、出会ってから十年間、全て叶えてきたつもりだ。未だ叶えられていない願いは一つしかない。だが、俺は必ずこれも叶える。最後の願いを、俺は――。
「それなら、あなたは私の願いも叶えられる」
「……どういう」
「私は女王の身代わりだもの。つまり、ギャレス、あなたには私の望みを叶える義務があるの」
まっすぐに俺を見上げる深い空の色の瞳。しばらく俺たちは見つめ合う形になったが、先に折れたのは俺だ。
「わかった」
俺は溜息と共に頷いた。




