小指の約束が薬指の約束へと変わった悪役令嬢の物語
死の表現があります。
ご注意ください。
その大陸では魔法を使う者が少数しかおらず、敬うべき貴種とされていた。
大陸の片隅にある王家の祖は月の神だと言う伝承があり、直系王族は銀髪銀目であった。
故に、銀髪銀目の王族は月が輝く夜のみ強力な魔法が使えた。直系の王族ではなく、血筋の枝葉の家系に生まれる銀髪の者あるいは銀目の者にも弱いが魔力を所有していた。
王国で魔力を有するのは銀の色を纏う者だけである。
それだけに銀髪銀目の者は王国に対して強大な支配力を有して、国王を選ぶ資格を持つ強力な政治力や権限すらあった。
これは銀の魔法騎士と悪役令嬢の物語である。
春を呼ぶ鳥の鈴のような鳴き声が響く。
屋敷の庭園の木にとまる小さな鳥が、淡い色の嘴を大きく開いて啼くさまは花のように愛らしい。
鳥の声を遠くに聴きながら、マリアンジェラは、ハッ、ハッ、と息をはずませていた。
背中から裾まで流れる繊細な刺繍の施されたリボントレーンを風のように靡かせて、マリアンジェラは貴族の令嬢にあるまじき速度で走っていた。
極上のレースを贅沢にあしらったドレスの裾が蝶の羽ばたきの如く広がる。小さな靴に配された真珠が、花びらのようなリボンの結び目の中央でやわらかな光を放つ。急ぐ靴音が、天空に御座す神々の絵画の連作が飾られた長い回廊に残響を響かせた。
タッ、タッ、タッ。
自分以外の足音が耳に届き、走りながらマリアンジェラが後ろを振り返る。
「マリアンジェラ様っ!」
護衛のキリアスが駆け寄ってきた。
マリアンジェラは足をとめ、キリアスへと手を伸ばす。キリアスのひらかれた腕の中へマリアンジェラは飛びこんだ。今日は特別だ。今まで適切な距離を保ってきたが、今日が成功すれば二人は自由、失敗しても逃亡を計画しているのだから。
マリアンジェラの緑色の瞳とキリアスの銀色の瞳がお互いをとらえる。
「私、キリアスが心配で門まで様子を見に行こうと思っていたの。あぁ、無事で良かった。王宮での役目は終わったのね?」
「万事つつがなく成功いたしました、マリアンジェラ様」
今日は、マリアンジェラの18歳の誕生日を祝うパーティーの予定だった。
パーティーは夜からであったが昼頃から、父親の派閥に属する貴族家の当主たちが続々と到着して、使用人も遠のけ密談を重ねていた。
明らかにマリアンジェラのパーティーは父親たちの密談の隠れ蓑であった。
マリアンジェラの父親は、由緒があるだけの可もなく不可もない伯爵家の当主だった。しかし、至宝のごとき美貌で国王の寵臣となり筆頭侯爵まで上り詰めた人物であった。
国王の絶対的権力のもとで筆頭侯爵が栄燿栄華に驕ろうと、それは国王の寵愛があってこそ。
老いた国王が病の床にある今、筆頭侯爵の立場は微妙なものとなっていた。椿が咲いた花ごと地面に落ちるように、筆頭侯爵も臣下の頂点から饐えゆく果実の如く墜ちる寸前であった。
現国王の息子である王太子は次代の国王であるが、王国に寄生して腐れたる毒花のように花開いた美貌の筆頭侯爵を王国の膿と嫌悪している。王太子は、銀髪銀目の王族のみが尊く敬われるべきという判断基準であったので、お互いに相手に暗殺者を差し向けるほどに敵対していた。
筆頭侯爵としても、おめおめと旧勢力として一掃され下手をすれば処刑台の階段を登る状況に陥るなど御免であった。
かくして筆頭侯爵の派閥は、次代の国王を亡き者として政権を奪おうとクーデターを企てていた。
その旗頭として筆頭侯爵は秘中の秘の、現国王の落とし胤を利用することを計画していたのだった。
落とし胤―――マリアンジェラの異父弟フレデリクを。
そも筆頭侯爵の出世のきっかけは彼の妻であった。
王国最高値の魔力を誇る現国王は代々の過去の国王と同じく賢王と名高いが大きな欠点も持っていた、好色なのだ。王妃を亡くして以来、王妃に似た女性に次々と食指を動かしていたのである。
10年前のことであった。
筆頭侯爵は、現国王が密かに屋敷に訪れる度に嫌がる妻を差し出したのである。妻は死した王妃の従姉妹であったため、容姿が似ていたのだ。そうして現国王の寵愛を一身にあつめ権勢を誇ったのであった。
だが、王家の直系の証である銀の瞳と銀の髪のフレデリクが生まれた時。筆頭侯爵の妻は死んだ。事故か自殺かは不明であった。
夏になれば色とりどり蓮の花が咲く、蜻蛉の羽のような薄い氷がうっすら張った侯爵邸の庭園にある冬の池で。人の姿を持ち水中を優雅に泳ぐ人魚の長い尾のようにドレスを水で揺らめかせて、水底に沈みかけつつ浮かんでいたのだ。
池のそばに咲く垂れ枝の、滴のような花房の花を摘もうとしたのか、周囲には白い花々が散らばっていた。
発見したのは8歳のマリアンジェラであった。
マリアンジェラの母は王家の血を継ぐ高位貴族に生まれた白に近い淡い銀髪の、白百合の花のような優美な貴婦人だった。棘を持たず色も持たない、気品ある純白の花。外国語に堪能で、詩を詠み、巧みに刺繍をし、優雅に踊り、政治や経済の実務の教育は排除され、相手にあわせて使いわける礼儀と挨拶と会話を教えられて、夫となる者に従順に抵抗しない美しい令嬢として育てられた。
マリアンジェラには、その慎ましく大人しい母がフレデリクを産んだことによって死という抵抗の最大の手段をとったのだ、と思えた。
それほどに目を閉じた母の顔は、妊娠中の怯えたみたいな顔とは違い、死の冷たい抱擁への恐怖や不安は微塵もなく笑みを浮かべ安らかだった。天使のように愛らしく、妖精のように無垢であった。まさに白百合の化身の如く清浄だった。
幼いマリアンジェラは、白い花々に囲まれ水に漂う母の夢みるように微笑む清らかな姿に、ひたすら泣いた。弦の切れた楽器のような静寂の中、マリアンジェラのか細い泣き声だけが響く。マリアンジェラの泣き声を聞きつけた使用人たちが走って駆けつけてきて、大騒動となったが泣き続けた。
この日が、マリアンジェラが父親を憎む始まりとなったのであった。
夫に逆らうことなく貞節であれ、と教えこまれた母親にとって銀の瞳と銀の髪のフレデリクの出産は自身を崩壊させるほどの衝撃だったのだ、と。
妻を亡くした筆頭侯爵は、自身が侍ることによって現国王の寵愛を継続させた。筆頭侯爵の地位は揺るがず、絢爛たる政治の中心に居続けたのである。
そして、筆頭侯爵は現国王の命令という形で、王太子の婚約者にマリアンジェラを据えたのであった。
王太子は反発したが国王に逆らうことはできない。
鬱屈した王太子の不満は、幼いマリアンジェラに向けられることとなったのだった。
「子守り婚約」
と言って16歳の王太子は、8歳のマリアンジェラをあからさまに冷遇したのである。
最初からマリアンジェラの言葉は正しく伝わらなかった。マリアンジェラの言葉は、王太子の独断と偏見による正しさにそって解釈されて曲解された。
挨拶をすれば、
「見ただけで気分が悪くなる顔だ。本当にうとましい!」
と罵られ。
他者と会話すれば、
「子どものくせに媚を売るなんて! 恥ずかしくないのか!」
と王太子は、悪臣である侯爵の娘は悪女であるという自分の考える根拠のない正しさだけでマリアンジェラを傷つけていった。
誰も咎めなかった。
わずか8歳の婚約者を虐げる王太子を。
傲慢な性格をしているものの、王太子が魔力に秀でて頭脳も明晰で誉れ高き銀髪銀目の容姿をしていたから。
王太子を窘める立場の教師も側近も王国の重臣たちも、父親である国王さえも咎めようとはしなかったのだ。
フレデリクが公表されることなく秘匿されている現在、信仰にも似た銀髪銀目の持ち主は、国王と王太子、国王の弟であり臣籍降下した辺境伯とその息子と娘、たった5人しか王国にはいない故になおさら王太子は重要な存在であった。
そんな王太子の態度は、周囲にも影響する。
王太子におもねり追従するように使用人はもちろん周りの貴族たちも、飛べないまま凍った冬の小鳥のように泣くだけの8歳児のマリアンジェラには何もできないと虐げたのだが。
母親の死を経験しフレデリクの姉として、赤子を母親のように養育するマリアンジェラは強く賢くなっていた。
「身分制度を理解していないの?」
と次々に使用人も貴族も罰していったのだ。
マリアンジェラは権勢のある筆頭侯爵家の令嬢である。しかも婚約者に忌まれているとはいえ、王太子と正式に婚約を結んでいる準王族の地位にいる令嬢なのだ。高位貴族の年上の令嬢であろうと夫人であろうと、筆頭侯爵家の力を使えば負けることはなかった。ましてや下位貴族や使用人など相手にもならない。
そんなマリアンジェラを、自分は立場を利用して尊大に振る舞うくせに王太子は地位を利用した悪辣な行為だと誹謗した。
「おまえのような悪しき女が私の婚約者などと! 人生最大の汚点だ!」
と言い放ったのである。
ぶつけられる悪意の塊にマリアンジェラの手が震える。震えをおさえるためにギュッと両手を握り込み、顎を決して下げなかった。前を向き毅然とした態度をとるマリアンジェラに王太子はさらに激昂して口汚く罵る。
「生意気なッ!!」
疎ましくてたまらないと不快感にひび割れた感情を剥き出しにした王太子は、マリアンジェラに花瓶を投げた。中身の花が叩きつけられ、水がマリアンジェラを濡らす。ガシャン、と床で花瓶が砕けた。
それでもマリアンジェラは、忍耐強く一輪で咲く花のように立っていた。意識が揺れて身体がよろけかけてもじっと耐える。王太子に歯向かうことは不敬罪となる故に。
心ある者もいたが気の毒そうに傍観しているだけであった。
しかし大事な駒であるマリアンジェラを父親の侯爵が守る形をとったので、ますます王太子と侯爵の対立に拍車がかかる切っ掛けとなったのだった。
くわえてこの出来事の後、マリアンジェラ的には正当な反撃であっても、その行為は悪逆非道と囁かれて後ろ指をさされることになってしまったのだ。加害者が被害者顔をして、被害者のマリアンジェラが加害者とされたのである。
権勢を笠に着た人の道に外れた邪な行いと、8歳なのに恐ろしいと、筆頭侯爵家の権力を前にして面と向かって言えない言葉を人々は噂として流した。
悪女、と。
「悪女ねぇ? 大人がよってたかって8歳の悪女をいたぶるのは正しいの? いびられたままだと力が無いと思われ、さらに加速して虐待されるのに反撃するなと?」
石を投げた者と投げられた者。投げられた石に打たれて血を流して弱いままで泣いていろ、と言うのか。
マリアンジェラは顔を歪めた。誰だって、踏みつけられれば痛いし虐げられれば辛いのだ。貶められれば水の中に沈むように苦しいのに。
「お母様のように抵抗もせず最後には追いつめられて死ね、と?」
マリアンジェラは赤子のフレデリクを抱きしめながら、
「私は悪女と世界中から呼ばれても強くなる。婚約者からも社交界からも悪役を押しつけられようとも、フレデリクを絶対に守るからね」
と自分を奮い立たせるようにフレデリクに小さな花のごとく微笑んだ。
フレデリクはあたたかい。心地よい温もりが抱く手に伝わる。あたたかく優しい温もりは波のように途切れることがない。
マリアンジェラの目尻にじわりと涙が浮かぶ。
父親の子とされているが明らかに王家の血を受け継ぐ弟のフレデリク。
王太子に愛されない婚約者としての地位。
何より、人間だけが持っている泥土のような毒を、人の形とした美貌の父親の血を引いて生まれたことにこそマリアンジェラの厄災があった。
マリアンジェラを取り巻く環境は苛酷だった。マリアンジェラが子どもではいられないほどに。子どもではなく大人となり、賢く強くならねばならないほどに。
「お父様は貴方の利用価値があるうちは大事にしてくれる、でも用済みになれば……。だから、私がフレデリクを守る、守ってあげるから」
自分に誓うように、マリアンジェラは言葉を繰り返した。銀髪銀目の国王と銀髪の母親の間に誕生したフレデリクは、王国でもっとも魔力が高い可能性があった。そう、王太子よりも。
「私がフレデリクの盾にも剣にもなるから。貴方が寂しくないように、貴方が傷つくことのないように、貴方が笑えるように、私はフレデリクを独りにはしないわ。貴方は綺麗なものをたくさん見て色々なことを経験して健やかに成長をするのよ。だって世界は美しいのだから」
願う。健やかであれ、幸福であれ、と。
自分を鼓舞するようにマリアンジェラは言葉を続ける。
「春はね、雪が溶けたあとの黒く濡れた大地に綿毛のような柔らかな新緑の草の芽が萌え出るの。霞が立ち、花が咲き、鳥が啼いて。一面に散る花の花吹雪は絢爛と美しく、雪解けの水が流れ込んだ川には落花が浮かび、花筏が水を花色に染めるのよ」
涙が一粒こぼれる。透明な雫が頬を伝った。まだ8歳のマリアンジェラは未来の前に立ち竦む自分を叱咤した。
「夏はね、赤いガーベラのような太陽がまばゆくて日差しが光の棘を羽織ったみたいに強いの。青い空の青さに満ちた昼の空は太陽をのみこんだ白い雲が天使の羽根のように輝き、ゆっくりと色を変化させて暮れゆく夜の空は流れ星が金砂のごとく鮮やかなの。宝石の橋みたいな虹が多く見られる季節も夏だし、風も光に染まったように煌めくのよ」
マリアンジェラの頬からフレデリクの頬へと涙が落ちる。大きな瞳は世の濁りを知らず澄み切って、小鳥の雛のように柔らかいフレデリクがきゃっきゃっと笑う。
「秋はね、夜空の満天の星が月のように明るい星月夜に、萩の声、虫の声、鹿の声、静かに色々な声が奏でられるの。清らかに射す月の船も雲の波が立つ天空の海をわたって行くわ。鮮やかな紅葉に埋まる山々。紅葉した木や草の葉が日光に照り映える姿は絵のように美しいの。木と草の葉の彩りは自身を飾るように染まるのよ」
涙が止まらない。
泣きながら笑う。
「ごめんね、フレデリク。上手に笑えない。明日からはきちんと背筋を伸ばすから今日だけは許してね。でも、……でも、ちょっとだけ明日がくることが辛いの……」
フレデリクにしがみつき、背を丸めてマリアンジェラは声を上げて泣く。
「ふ、冬はね、」
「冬は雪が綺麗だと思います」
バッとマリアンジェラが顔をあげる。
目の前には少し年上の少年がいて、片膝をついてマリアンジェラにハンカチを差し出していた。
「驚かせてしまい申し訳ありません、お嬢様。僕は侯爵家で騎士の見習いをしておりますキリアスと申します。お嬢様にお声をかけることを許可されている身分ではないのですが……」
侯爵家の庭園の片隅に立つ太い木の陰にマリアンジェラはフレデリクを抱いて座っていた。角度的に普通では見えにくい死角に近い場所で、ひとりになりたい時は隠れ家としてマリアンジェラが使用している場所だった。
「あ……」
びっくりしたマリアンジェラは、守るようにフレデリクをきつく抱き込む。
けれども。
「……銀色……」
髪の色は黒いが目の色は銀色のキリアスにマリアンジェラは目を見張って呟いた。
「はい。生家は末端の男爵家なのですが遠い系図に王家の血が入っているらしく、僕は先祖返りと言われています。事情があって、父親の古い友人で侯爵家の騎士団の隊長をしている騎士の下で先月から見習いを務めています」
キリアスは11歳。
母親は亡く、父親も重い病床にあった。おそらく父親が亡き後、キリアスを後継とする遺言があっても年齢を理由に父親の弟が爵位を根回しをして継承するだろうと考えたキリアスの父親は、キリアスの将来のために人格者の友人に託したのだ。あるいは銀目であるキリアスが道具のように駆使されることを心配して、野心家の弟から切り離したとも言えた。
「お嬢様の語る言の葉が美しくて思わず声をかけてしまいました。どうかお許しください」
本当は泣いているマリアンジェラに心が痛んで声をかけたのだが、観察眼の鋭いキリアスはマリアンジェラの警戒する姿に忖度して障りのない無難な言葉を選んだ。
「お邪魔をして途切れてしまいましたことを謝罪いたします。申し訳ありません。どうか、ぜひ冬もお聞かせください。お願いいたします」
「……冬、を?」
「はい。身分をわきまえない図々しいお願いですが、ぜひ」
「あの……、あの、ね。冬を話したら私とお喋りをしてくれる? 私、お友達がいなくて……。ううん、私とお友達になってほしいの。私にハンカチを差し出してくれた人なんて今までいなかった、私、キリアスとお友達になりたい」
8歳と11歳、どちらも子どもである。親しい友人のいないマリアンジェラにとってはキリアスは同じような子どもの年齢範囲内に思えたのだ。
「お嬢様、身分差があります。それに僕が危険人物だったらどうするのですか。初対面の者には用心をしないとダメです」
「でもキリアスはフレデリクと同じ銀の瞳だもの。きっと悪い人ではないわ」
「それならば王太子殿下も銀目ですが、王太子殿下は良い方ですか?」
王太子がマリアンジェラを冷遇していることは有名であった。貴族どころか平民ですら知っていることだ。
マリアンジェラはしょぼんと口を噤んだ。ちらっとキリアスを見て、諦めきれずに再び口を開く。
「じゃあ、キリアスが正式な騎士になった時、私の護衛騎士になって。護衛騎士は私に忠誠を誓うことになるから危なくないわ。私、命を狙われたことが何度もあるからお父様も強い護衛騎士を専任とすることを反対はしないわ。だって私は王太子殿下の婚約者という、お父様にとっての大事な駒だもの」
これがマリアンジェラとキリアスの初めての出会いであった。
翌年。武術の才と魔法の才があったキリアスは12歳で希少な魔法騎士に叙任されて騎士爵となり、マリアンジェラの専任護衛騎士となった。
「うふ、お父様におねだりしたの。嬉しい。キリアスとこれからはずっと一緒ね」
父親の侯爵はマリアンジェラの意見を聞いてくれない。聞こうともしてくれないが、王太子から酷遇されて社交界から嬲られるマリアンジェラの護衛の必要性は認めていた。親世代は侯爵の権力によって団結をしていたが、派閥の子ども世代はマリアンジェラの盾にはならなかった。かえって王太子にへつらう者もいるぐらいであった。
歩き始めたフレデリクの手を引いてマリアンジェラが花が咲くように笑う。つられて幼いフレデリクも天使のように笑った。
キリアスも微笑んでマリアンジェラの前に跪いた。
今日はハンカチではなく自分の剣をマリアンジェラに差し出す。
受け取ったマリアンジェラは剣の刃をキリアスの肩に置いた。
「汝、名は?」
「キリアス・ローデシアと申します」
「キリアス・ローデシア。私に忠誠を誓いますか?」
「誓います。大地が割れて天空が裂けるともマリアンジェラ様を守り、命つきるまでマリアンジェラ様に忠節を誓い臣従いたします。裏切りには死を、愛と誠の誓いは永遠に」
「汝の誓いは永遠に私とともに」
真面目な顔をしていたマリアンジェラがぷぷっと吹き出す。マリアンジェラの自室である。高位貴族の部屋にふさわしく天井も壁も一流の画家や建具師や細工師や塗師などの熟練した技の粋を集めて装飾されており芸術的であった。が、広い部屋には3人しかいない。作法や形式を重んじる必要もない。
「何だか格式ばって変なの。私、証を立てる誓いの儀式だったらコッチがいいな」
マリアンジェラが小指を差し出した。貴族教育は厳しく受けているが、友だちがいないマリアンジェラは指切約束というものに憧れていたのだ。
頷いてキリアスが小指を差し出す。
「いつもいっしょにいてね」
「はい、マリアンジェラ様。誓います」
厳かにマリアンジェラとキリアスの小指が絡まる。
こうしてキリアスはマリアンジェラの護衛騎士となったのであった。
そして。
マリアンジェラの言葉のように美しい季節の。
春の。
白い花の、花提灯を灯すように咲くモクレンや甘い香りを放つカラタチを3人で見て。
ウサギのしっぽのような球状の花のクローバーや紅色の絨毯を敷いたように一面に咲くレンゲソウの茎をからめて3人で花冠を作り贈りあって。
夏の。
朝に咲いて夕に萎れるムクゲや同じく夜明けとともに咲き昼には花びらを閉じはじめるスイレンに3人で歓声を上げ。
花も葉も実も食べることのできる鮮やかな花色のナスタチュームを辛子のかわりに挟んでサンドイッチを3人で作ってピクニックに行ったり。
「ピクニック、楽しい! 見て、見て、姉様。手の影で鳥を作ったよ」
日差しを受けてフレデリクが手影絵で遊ぶ。
「まぁ、上手ね。じゃあ、姉様は手きつねさん。コン、コン」
「僕も手きつね作るから姉様はそのままでね」
フレデリクが自分の手きつねの口先とマリアンジェラの手きつねの口先をコツンとあわせる。
ちゅっ。
「えへへ、姉様とちゅっしちゃった。キリアスも手きつねを作って」
フレデリクの手きつねがキリアスの手きつねと、ちゅっ。
「キリアス、次は姉様とも!」
「え!?」
「僕は護衛ですので、令嬢であるマリアンジェラ様とは適切な距離が必要なのです」
「そんなぁ! 姉様を仲間外れするの? ダメ、ダメ!」
フレデリクがキリアスの背中を押す。幼いフレデリクの力は微々たるものだが、キリアスは逆らわず進みマリアンジェラの前に立った。
あ、とか、う、とか言って、身長差があるので自然と上目遣いとなるマリアンジェラの視線がぎこちない。
苦笑しつつもキリアスは、自分の胸の辺りがむずかゆいことを自覚した。
キリアスとマリアンジェラはお互いに少しもじもじして、
「では……」
「はい……」
と手きつねの先端を初々しく重ねる。
ちゅっ。
それをフレデリクがニンマリと笑って見ていたのであった。
秋の。
舞うように散る紅葉の落葉を追いかけて。
「やった、姉様! 黄色の魚を捕まえたよ」
「フレデリク。私は赤い魚を捕まえたわ。ねぇ、キリアスもひらひら落ちる落葉の魚取りをしましょうよ」
「僕は護衛なので。そういえば結局、僕はマリアンジェラ様の冬の言葉を聞けていませんでしたね。今は秋ですので、ぜひ冬を聞かせていただけませんか?」
「え? 今さら?」
「はい、今さらですが。思い出した時が聞き時かと思いまして」
「えー、なになに? キリアスとだけの秘密なんて反対だよ、僕にも聞かせてよ」
「キリアスとフレデリクがそう言うのならば……」
「冬は、冬はね、夜が伸びていき昼が短くなって北から大気が凍りつきそうな風が吹くの。冬の雪、秋の月、春の花の雪月花。花と鳥とそれを取り巻く風や月の情景が美しい花鳥風月。四季はそれぞれ多彩で綺麗だけれども、冬の雪は全てを覆って閉すように真っ白にするのよ。朝日に輝き、夕日に染まり、月光に淡く照らされた雪は夜闇を飛ぶ蛍の光みたいに儚くほの白さを帯びるの」
「わぁ、姉様って口の中に香りがあるみたいに言葉を紡ぐんだね」
フレデリクが頬を紅潮させる。
「フレデリク様。これらはマリアンジェラ様は赤子であったフレデリク様のために語っていたのですよ。優しく微笑みながら、まるで花の妖精のようでした」
キリアスが過去を思い出すように顔をほころばせた。
ここは赤子のフレデリクを抱いてマリアンジェラが泣いていた大樹の陰である。
雨の中で泣くように、水の底で泣くように、マリアンジェラは涙を隠す性格であった。だからキリアスはマリアンジェラが泣いていたことを胸の奥深くに秘したのだった。
「この世に生まれたフレデリクに、私の持っている言葉の中で一番美しい言葉を聞かせてあげたかったの。私にできる表情の中で一番優しい笑顔を見せてあげたかったのよ」
いつものように優しく笑みを零すマリアンジェラにフレデリクが抱きつく。
「姉様、大好き!」
「私もフレデリクを愛しているわ。フレデリクに好きと言ってもらえるだけで、姉様は強くなれるの」
秋の風にのって低いちぎれ雲が地上に影を落としながら流れていく。ゆっくりとたわむように進む雲を追いかけるみたいに鳥の群れが飛ぶ。
キリアスは空を仰いで銀色の目を閉じ、開いた時にはひとつの決心をした。
抱きあうマリアンジェラとフレデリクを守るように見つめて、キリアスが静かに言った。自分の黒髪に触れる。
「マリアンジェラ様、フレデリク様。僕の秘密をお教えいたしましょうか?」
3人の間には強固な信頼がある。不安はなかった。フレデリクも幼いが世に稀なほどに聡明で口が堅い。
「え?」
「キリアスの秘密?」
「はい。亡くなった父と母だけが知っている僕の秘密です」
キリアスが17歳、マリアンジェラが14歳、フレデリクが6歳、冬隣の秋の日に3人は大きな秘密を共有することとなったのであった。
そしてキリアスの秘密を知ったこの日、幸せへの活路を見いだそうと3人は協力して足掻くことを決意したのである。
その1年後、マリアンジェラ15歳。
この夜は王宮の夜会であった。
マリアンジェラは王太子の婚約者であったが、一度として王太子にエスコートされたことがなかった。今夜もキリアスを伴ってバルコニー近くの壁の片隅に立っていた。
「キリアス、首尾はどう?」
ひそやかな声をマリアンジェラは小さく漏らす。
「はい。僕の亡き父は王宮の馬車管理責任者でした。母のこともあって父は秘密裏に仕事を有効に活かして色々と調査していたらしく、日記に……。それをもとに調べたところ、とある子爵家に貴族籍の登録をされていない16歳の令嬢を発見しました」
背後からキリアスが低く返事をする。
「まさか虐待されて……?」
「いいえ、とても大切にされて厳重に隠されておりました。辺境伯閣下と連絡をして子爵家ごと辺境領に移住することに。子爵家も王都で令嬢を隠匿することに限界を感じていたらしく非常に喜んでいましたよ。もともと子爵家は領地のない法服貴族でしたので、王宮官吏を辞職して辺境伯閣下の補佐官に就くことになりました」
「そう、良かった。やっぱり辺境伯様に内々に連絡をとったのは正解だったわね」
「辺境伯閣下も王都での事態を深く憂慮されておられました。マリアンジェラ様の提案をかなり前向きに考えていらっしゃるご様子でした。特にご子息のライムハルト様が熱心で、辺境伯閣下を説得なさっておられます」
「ライムハルト様が?」
「どうやら子爵令嬢に一目惚れされたらしく、また子爵令嬢も……。しかし、このままでは正式な結婚となったとしても障害が多く、晴れて夫婦となるためにも」
ピタリ、とキリアスが語尾を濁す。
近づいてくる王太子たちを感知したのだ。夜はキリアスの領域である。キリアスは見えない蜘蛛の巣のように、薄く薄く魔法をパーティー会場中に張り巡らせていた。
才があっても努力も鍛錬もしない王太子には探知できない魔法であった。
「おや、こんな片隅にみすぼらしい花がポツンと。私の周りに咲く麗しい花々と比べて品性もなくみっともない容姿だな」
王太子と周りにはべる4人の令嬢たちがマリアンジェラを貶めて嘲笑する。
動揺もせずマリアンジェラは軽く受け流す。マリアンジェラの新緑のように生き生きとした緑の瞳は王太子を捉え、冷静沈着であった。
王太子が眉を歪める。
思うような反応をしないマリアンジェラを腹だたしげに睨んで、
「ふん。今夜の私は機嫌がよい。貧弱な花にも杯をやろう」
と傍らにいた使用人の持つトレーからグラスをふたつ取った。ひとつを手に持ち、ひとつをマリアンジェラに渡す。
王太子の手ずからのグラスを拒絶することはできない。
毒の針を含んだようなニヤニヤ嗤いを浮かべる王太子と令嬢たち。愉快げにマリアンジェラを眺めて見下す。優越感を滲ませて令嬢たちはこれみよがしに王太子に身をすり寄せていた。
「さぁ、飲め。私の杯が飲めぬとは言わぬよな?」
マリアンジェラの肌が粟立つ。
おそらく、ただの酒ではない。透明な酒だが確実に何かが混入されている。しかし、露骨な策略であってもマリアンジェラには拒否することは許されない。王太子はマリアンジェラに瑕疵をつけ、それによって父親の侯爵の足を引っ張る何かを企んでいるのだろう。マリアンジェラの背筋に冷たい汗の粒がつらなる。
バンッ!!
バルコニーの扉が勢いよく開く。風がねじれ。唸りをあげて吹き込んだ。
「うわっ! 突風か!」
王太子が鬱陶しそうに吐き捨てる。
王太子が窓に注意を向けたのは一瞬だったが、キリアスにはそれで十分であった。魔法騎士と言ってもキリアスが使える魔法は剣の強化のみだと王太子も他の人々も思っていた。黒髪銀目なのだから魔力そのものが少ない、と。
正解であるが同時にそれは不正解でもあった。
キリアスは剣の強化を使えるだけだと偽装しているのだ。手の内を晒さず、切り札を明かさず。他者の目を欺くために。マリアンジェラとフレデリクを守るために。キリアスは自身の能力を巧妙に細工しているのである。
あわてて窓を閉める使用人たちを横目にしてマリアンジェラがグラスに口をつける。マリアンジェラのグラスが空になったことを確認して、王太子が笑いながら自分のグラスを飲み干した。
強い酒だったらしく喉が焼ける。
ふらっと身体を揺らし気分の悪そうなマリアンジェラに満足して、王太子が権力欲と自己顕示欲で着飾ったかのような令嬢たちを引き連れて離れていった。
目の縁に赤みを帯びて足早に立ち去る王太子の背中にマリアンジェラがありったけの侮蔑の視線を浴びせる。
「大丈夫ですか? マリアンジェラ様」
「ええ。火酒だったみたいでアルコールが強くて……。でも、キリアスのおかげで難を逃れることができたわ、ありがとう。魔法で窓を開けて注意をそらした瞬間に中身を交換してくれたのでしょう?」
「はい。たぶんマリアンジェラ様の酒には強力な媚薬が混入されていました。ほんのわずかに媚薬の甘い香りが漂っていましたから」
キリアスは魔法で五感も強化できるので、嗅覚は野生の獣並みであった。くわえてキリアスは夜だけではなく日中も魔法が使える銀目の異端である。
「あら、大変。だから王太子殿下は私にネチネチと嫌みも言わずそそくさと去っていったのね。うふ、王太子殿下ったら今夜、醜聞を量産してしまうのかしら? あの令嬢たち、同派閥の令嬢たちばかりではなかったと思うけれども」
「殿下は令嬢と遊んでも一線を超えていませんでしたから。そこは王族としての自覚はあったようです。しかし、貴族社会のパワーバランスが今夜崩れてしまうかも知れませんね」
あの4人の令嬢たちも積極的でしたし、とキリアスが付け足す。
「侯爵家が2人、伯爵家が2人だものね」
「はい。後始末が大変なことになるでしょう」
「でも自業自得よね。私に媚薬を使って誰かと間違いを犯させて、それを糾弾してお父様を失脚させることを画策したのでしょうから」
「殿下はあからさま過ぎるんですよね。先日の馬車の襲撃もお粗末でしたし。策が浅いと言うか、成功して当然と考えているのか。殿下を支えるべき側近も身分で選ぶので碌な者がおりませんし。周囲には才ある者も多くいるのに従事するのが当たり前との態度で、相応に遇することができていない。殿下は表面上は優秀と評価されていますが、王になる資質に問題があると僕は愚考しています」
王太子たちの想像を超えるキリアスの能力と強さが成功しない第一の原因なのだけれども、キリアスの言う通り傾聴力や状況把握力などの柔軟性に殿下は難ありなのよね、とマリアンジェラは思ったが声にはせず、
「キリアス、いつもありがとう」
と重ねて礼を言ったのであった。
「僕はマリアンジェラ様の護衛ですので」
とキリアスは礼儀正しく護衛として距離をとる。銀の瞳の奥底に燃えるような熱と渇望を宿して。
マリアンジェラは王太子の婚約者で。
キリアスはマリアンジェラの護衛で。
二人の間には越えることのできない壁が、越えることの許されない壁が高く聳えていた。
マリアンジェラがせつなくキリアスを見つめて、そっと手きつねを作る。
「コン」
キリアスもそっと手きつねを作った。
「コン」
手きつねの口先と口先が小鳥がついばむように重なる。
ちゅっ。
子どもの遊戯と言い訳をして、二人にできる精一杯の触れ合いであった。
そんな二人にさやけく清い月が、バルコニーの窓から祝福するかのように清い月の欠片のごとき月光を淡く降り注いでいたのだった。
翌朝。
王宮は上を下への大騒ぎとなり迷宮のような大混乱となった。どの令嬢の貴族家も面子をかけて一歩も譲らぬ喧々囂々の会議が繰り返され、王太子とマリアンジェラは婚約の破棄を希望したが、父親の侯爵が婚約の継続を求めた。国王が各貴族家の調整を図った結果、婚約は継続のまま、結婚よりも先に王太子の後宮には側室が4人も一気に入ることとなったのだった。
これ以降、王太子は多くの女性に愛を囁やき、女性も王太子の寵愛をねだって身をゆだねることが続くようになり、年々後宮は側室の数が増えていくことになるのであった。
そして3年後。マリアンジェラが18歳。
夜の帳が下り、いよいよマリアンジェラの誕生パーティーが黄金で装飾された壮麗な白い城のごとき屋敷で始まった。
常には侯爵家のパーティーに招待されても無視をする王太子だが、対立の激化により、今夜は探りを入れる目的で側室たちと出席していた。
侯爵邸は闇に沈む夜に、高価な魔法灯と水晶のシャンデリアによって昼をあざむく光が演出されて、豊かな財力を絢爛と誇示していた。まさしく侯爵家の財貨と権力を見せつけるための豪華なパーティーであった。
パーティーの主役は誕生日のマリアンジェラではなく父親の侯爵であり、注目の的は王太子だった。侯爵と王太子を中心に、人々の思惑と策謀が水面下で甘い蜜に誘われる毒蛇のように蠢く。
しかし。
「皆様」
マリアンジェラの声が会場に響いた。高らかに告げる。
「尊き月下の銀の花、王家の血を継ぐ高き方々のご入場です」
大扉から入ってきたのは総勢6人。
先頭を国王の弟である辺境伯が歩く。
子息のライムハルトが婚約者の子爵令嬢をエスコートして続き。
次に10歳のフレデリクが12歳の辺境伯令嬢をエスコートしている。
最後にキリアスが入ってきた。
6人全員が銀髪銀目であった。神々しさを帯びた荘厳美麗の集団に会場の音楽もざわめきも瞬時にして掻き消える。
崇敬する銀髪銀目の貴人に対して人々が、雷に打たれたように一斉に膝を折る。恭しく頭を下げる人々の間を6人が悠々と通り過ぎていく。王太子よりも王者の覇気がある。つまり王国流に変換すると王太子よりも魔力が高い、と言うことであった。
一瞬で人々が、侯爵でもなく王太子ですらなく6人に賛美をもって傾倒する。それは銀髪銀目に心酔する国民性であった。清廉潔白な王家など存在しない。裏側で流血と陰謀が渦巻こうとも、より美しく、より賢く、より魔力がある銀髪銀目の者が王国を繁栄させることのできる絶対の正義であり、力そのものなのだ。
王太子の全身を悪寒の槍が貫く。
自分は6人の中で一番年下の年少者にさえ勝てない、と魔力量の差を本能の警告が感じ取る。憎悪に等しい恐怖を味わって、王太子は奥歯をギリリッと噛んだ。
侯爵は蒼白だ。
もはやクーデターなど夢の夢である。万の兵士を束ねても勝率はない。圧倒的な力の差に侯爵は敗北感と屈辱感に鞭打たれた。
権力に驕った王太子と侯爵は、さらなる高みの力に戦わずして敗れたのである。
「皆の者」
辺境伯が口を開く。冷厳な声は肚に響く威圧的があった。
「今頃は各貴族家に王宮から、明日の会議の招集の使者が到着しているはずだが高位貴族が揃っている場のここで仮の宣言をしておこう」
「私に王位を譲る譲位書に署名をされて、すでに現国王は退位をなされた。新たな王太子は我が息子ライムハルトである」
息を呑む気配が会場全体に満ちる。
「専横だっ!」
王太子が怒号をあげた。
「私が王太子だっ!!」
「無能のな」
辺境伯の応えは短く、無情であった。
「筆頭侯爵の粛清には賛成だ。が、力が拮抗しているのに正面からぶつかってどうするのだ? 国内を混乱させ国力を弱めるだけだ。下策すぎる。次代の統治者が、策略も根回しも調整もできていないのだ、王太子たる資格はない。この王国では銀髪銀目の王族が、勉学は優秀であろうとも施政者として無能であることは罪なのだ」
さらに問題点を厳しく追及する。
「それにお前には側室が13人もいるが誰か子を孕んだか? 使用人や平民にも手をつけているが誰か妊娠をしたか? この3年間様子を窺ってきたが我慢の限界だ。状況は悪化するばかり。よってお前の王位継承権並びに王籍は剥奪する。魔力は封じ、監視のための兵士を生涯つけ、マリアンジェラ嬢との婚約は破棄とする。これからはお前の個人の資産で13人の妻を養うように。反論はあるか?」
王太子はガックリと膝をついた。
銀髪銀目の者は国王を選出する資格を所有する。もとより1人対6人では勝ち目のない戦だ。6人も相手となれば病気で弱った国王では対抗できない。ましてや傲慢な王太子では足元にも及ばない。
「どうして叔父上と従兄弟以外に銀髪銀目がいるのだ……」
王太子が絶望に表情を染めて悔しげに呟く。
「はじめまして、異母兄上」
フレデリクが一歩前に出る。子爵令嬢とキリアスも。
「僕たちは国王陛下に召された女性から産まれた、貴方の異母兄弟です」
出世のために妻や娘を国王に差し出した家もあるが、子爵令嬢やキリアスの母親のように無理矢理に国王に召された女性も多かった。
「でも兄弟だから味方をしろ、などと愚かなことは命令しないでくださいね。僕たちは国王陛下も貴方のことも嫌悪していますから。マリアンジェラ姉様を苦しめた貴方のことは特に憎んでいますから、うっかり物理的に消滅させてしまいそうになるのでサッサとこの場から消えて欲しいのです。目ざわりなんですよ」
ギロリ、とフレデリクが王太子を睨む。
智略と思慮の深さを併せ持つ天才児のフレデリクは魔力も膨大であった。陽炎のような魔力の揺らめきが立ち上がる。
「ヒィッ!!」
凄まじいフレデリクの魔圧に王太子が腰をぬかす。そこにキリアスの魔圧が手加減無しで加えられたものだから、王太子は震えあがって逃げ出した。
「「「殿下!? お待ちになって!」」」
側室たちか我先に王太子の後を追いかける。無様としか言いようがない退出であった。
フレデリクが侯爵を氷漬けにするような眼差しを流す。その眼。鋭い視線が冷たく突き刺さる。心臓が止まらなかったことが不思議なほどの凄絶さだった。
「父上。断頭台とアンデモス修道院、どちらがお好みですか?」
アンデモス修道院は、ほぼ牢獄に近い酷烈な修道院であった。
「オススメはアンデモス修道院です。女子禁制の修道院ですので妖艶な父上は人気者になれると思いますよ」
ニタリ、と口角を上げるフレデリクはマリアンジェラを苦しめた張本人である侯爵を赦して無罪放免にする気はさらさらない。侯爵が断頭台を選択しても、死ぬよりも苦痛と噂のアンデモス修道院に放り込む気が満々であった。
「ああ、くれぐれも育ててやった恩などと言わないでくださいね。僕を育ててくれたのはマリアンジェラ姉様ですから。王太子同様、物理的に消滅させたくなってしまいます」
不機嫌なフレデリクに容赦なく魔圧をぶつけられて侯爵が崩れ落ちる。気絶していた。
「脆いなぁ、たかが魔圧だけで。大好きな権力で少しは歯向かってみてくださいよ」
フン、と鼻を鳴らしてフレデリクが明けの明星の堕天使のように美しく残酷に嗤う。
「フレデリク。キリアス」
辺境伯が親しみを込めてにこやかに笑った。迫力と威厳のある覇王の笑いだった。
「侯爵と愚かな甥の後始末はこちらできちんとするから安心するがいい。それからフレデリクにはこの侯爵位、キリアスには新たな爵位を授けるから二人とも明日は王宮に登城するように」
フレデリクとキリアスが姿勢をただして礼をとる。
「「御意」」
「マリアンジェラ嬢」
辺境伯がマリアンジェラをいたわるように呼ぶ。
「よく尽力してくれた。明日、フレデリクとキリアスとともに王宮に来なさい。ひとつ、マリアンジェラ嬢の望みを可能な限り叶えてあげるから考えておくように」
驚愕するマリアンジェラにキリアスとフレデリクが寄り添い、3人は揃って深く頭を下げた。
「では、王宮へ戻るぞ」
辺境伯たちが進み、護衛兵たちが侯爵を引きずって続く。
そうして華やかに始まったパーティーは、誰一人予測もしていなかった結末を迎えて静かに閉幕したのであった。
その夜。
魔法灯の明るい照明で彩られる侯爵邸の庭園のガゼボで。
頭上では銀の川のように連なる無数の星が瞬き、玲瓏な月に花の香りが漂う。
今宵開花した夜に咲く純白の花が妙なる芳香を競い合い、たおやかな風情で夜気を従えていた。
冷涼な夜の風が心地よい。
銀髪銀目のキリアスをマリアンジェラは真正面から見ることができず勝手に染まる頬に狼狽えて両手で頬を覆った。
「マリアンジェラ様?」
「う……。黒髪のキリアスもかっこよかったけど、銀髪のキリアスも素敵なんですもの……」
愛おしさに溢れているような表情でキリアスが破顔する。
はにかむマリアンジェラの手を取り、銀色の花がほころぶような蕩ける眼差しを向けた。
どくり、とマリアンジェラの心臓が高鳴る。
「僕の秘密を知る者は誰もいませんでした。出産に立ちあった老いた産婆も男爵家の父母も口を閉じたまま……。だから僕は男爵家の先祖返りとして生きていこうと思っていました」
キリアスの指先がマリアンジェラの薬指の爪を優しく撫でる。
「しかし健気に一人で頑張るマリアンジェラ様と出会って、運命に逆らうことのない自分が恥ずかしくなりました。本当は母を嘆き悲しませた国王を憎んでいたのに。男爵の父を苦しめぬいた国王を許せなかったくせに。平穏を自己弁護にして僕は心に蓋をしていました」
爪から薬指全体へとキリアスの指が伸びる。
「マリアンジェラ様が僕に勇気をくれたのです。蹲っても、そこから立ち上がるかどうかは自分次第だと教えてくれたのです」
「マリアンジェラ様、愛しています」
丁寧にマリアンジェラの薬指に冷たい感触が通された。ゆっくりと体温に馴染み、薬指の一部となったものは美しい指輪だった。
緑のエメラルドを花芯として、銀の花弁が幾重にも繊細に取り巻く眩い指輪であった。
「心から愛しています。ようやくマリアンジェラ様の薬指に触れることができました。奇跡のように嬉しくて堪らない」
マリアンジェラの白い肌が耳元まで赤く染まる。ぽろり、ぽろりと大粒の涙が緑の瞳から落ちた。
「私も嬉しくて堪らない。キリアスに愛していると言えることが……」
マリアンジェラがキリアスに抱きつく。すがりつくように背中に腕をまわした。
「キリアス、好きよ。私も心から愛しているわ」
強く。包み込むようにキリアスもマリアンジェラを掻き抱く。
キリアスの銀の目をふちどる銀の睫毛を透明な雫が濡らす。
ふたりの指と指が絡まる。薬指で指輪の光彩が月のように煌めいた。
マリアンジェラとキリアスはお互いに涙の滲んだ瞳で見つめ合い。
とびきり幸福な初めての口づけを交わしたのだった。
それを遠くから天空の月が微笑むかのようにニンマリと満足げにフレデリクが見ていた。
「僕の姉上、僕の異母兄上、これでこれからもずっと一緒にいられるね。正真正銘、僕たちは家族になるのだから。今度は姉様ではなく僕が頑張るから、ずっとずっと幸せになろうね」
願う。百年続く幸福であれ、と。
永遠に僕は姉様の幸せを祈るよ。
お読みいただきありがとうございました。
【お知らせ】
「10年後に救われるモブですが、10年間も虐げられるなんて嫌なので今すぐ逃げ出します ーバタフライエフェクトー」
メディアソフト様からコミカライズ
作画は青園かずみ先生です。
第二回目配信は9月7日です。
よろしくお願いいたします。




