婚約者に「真実の愛を見つけたから」と婚約破棄されましたが、わたしも初恋相手と真実の愛で結ばれました。
「≪アンリー・アザルト≫公爵令嬢ッ! 僕は貴方との婚約を破棄します!」
今宵は貴族魔法学院の卒業パーティー。
そんな記念すべきパーティーでわたしの婚約者である、≪ヘルド・ザイナ≫公爵令息はそれはそれは大きな声で叫びました。
「アンリー、君には悪いと思っている。しかし! 僕は"真実の愛"を知ってしまったのだっ、これを知ってしまっては、もう、君との婚約は僕には耐えがたいものとなってしまったっ」
そう目を閉じ、眉を歪めいかにも苦しそうに語るヘルド様。あ、もう婚約破棄を言い渡されたのですからこんな親しい呼び方はいけませんわね。これからはザイナ様と呼ばなければですわね。
そんなザイナ様の隣には髪をくるっくるに巻きツインテールにした背の低い、可愛らしいご令嬢が…、ん? わたしの方を見てほくそ笑んでいる? なんで?! なんでそんな見下し目線なの!?
「はあ、わたくしとの婚約が耐え難いもの…ですか…」
ていうかザイナ様…、わたしに対して悪いと思っているのらなば『君との婚約は僕には耐えがたいものとなってしまったっ』なんて言わないでもらえます? なんだかムカつきますわっ!
「ああそうだっ! だから、僕はこの≪ルナ・キルア≫男爵令嬢と婚約をすることにしたのだっ」
「はぅぅ♡ ヘルド様ぁぁ~♡」
あ、へー。そーですかぁーお幸せにー。
てかなんですの? その…「はぅぅ♡」って? 溜め息のようでしたけれど…、初めて聞きましたわ。しかもご令嬢の口から…。
「僕に思いを寄せていた君には辛いだろうが、どうか、受け入れて欲しい」
ザイナ様はわざとらしく眉を寄せて目を閉じ、演技っぽくそうわたくしに言い放った。それにわたしは__
「分かりましたわ。わたくし、≪アンリー・アザルト≫はその婚約破棄を受け入れましょう」
と。
もう、即答です。
Let's go!婚約破棄.です。
「へ?」「ふぇ?!」
あら? 何です? その阿呆らしいお顔は? あら、ザイナ様だけではなくキルア嬢まで。
ああ、そうですの。わたしがこの申し出、泣いて断ると思ってらしたのね?
ザイナ様、『僕に思いを寄せていた君には辛いだろうが』なぁんておっしゃっていましたものねぇ。
そんなことは無いのに…。嗚呼、お可哀想な勘違い…。
だってわたしは貴方様ではなく________
いえ、なんでもありませんわ。
***
婚約破棄から三日後。ザイナ家からの使者が我がアザルト家へやって来ました。
どうやらザイナ様、用意周到にしっかりと彼のご両親とわたしの両親との相談の上で書類まで作ってわたしへの婚約破棄を申し出たそうです。
え? 何故わたしに一報も入ってないの? なんて思っていたらなんとビックリ。ザイナ様が「彼女には僕から話したい」なんて言い出したそうで…。その結果が一昨日の"見世物"のようです。
「では、≪アンリー・アザルト≫様、サイン等の書類を」
ザイナ家からの使者にこちら側のサイン諸々を書いた書類を渡し、これで正式に婚約は破棄されました。
因みに。
ザイナ様のご両親、ザイナ公爵&夫人は自身の息子が先日のような行為をしたことに対し大層お怒りになったとか。しかも事前では婚約破棄理由の内容は「貴族魔法学院卒業後に自分が魔法大学院へ行く為、婚約者としての務めが出来なくなる可能性を考慮して」とのことだったそう。
いや、そんな理由で婚約破棄が有り得るのかと思わないでもないのですが、幸か不幸か。婚約破棄決定に至ったそうな。まあ、ザイナ公爵&夫人はまさか「男爵令嬢と婚約する為の婚約破棄」だったなんて思いもしなかったのでしょうね。
そんな理由から彼は卒業後は家には帰らずに、大学院の寮で平民と共に生活することを強制されたとか。
男爵令嬢の方は……知らない、そうです。知る価値もないとか。
この情報はわたしの専属侍女&執事等から聞いたことです。
たった三日でこの情報を集めたのね。………凄いわね?!
ああ、あと。わたしのお父様とお母様も激怒しておりました。それはもう、物語の中に出てくる闇落ちした魔王の如く。この二人の怒りを抑えるのにはそれはもうとても苦労しましたわ。
***
わたしの部屋にて。
「「「「「お嬢様! 婚約破棄、おめでとうございますっ!!!!!!!!!!!!!」」」」」
おおよそ婚約を破棄された令嬢にかけるような言葉ではない。
それを満面の笑みで割れんばかりの歓声を上げながら言い放ったのは、わたしの専属の侍女&執事達。
わたしはそれに「ありがとう」と微笑む。
おおよそ婚約を破棄された令嬢の反応ではない。
「も~! やっとですねお嬢様! 嗚呼、やっと我らが主はあのクッソ憎たらしい公爵令息から解放されたのですっ!」
そう、わたしの専属侍女であるメリーが他の者達を代表としてその感動を語ってくれた。
彼女は肩までかかっているブロンズ色の髪を靡かせて、両手を控え目な胸のところに持ってきて祈りのようなポーズをとって大仰に言ってのける。
周りの侍女&執事達もそれにうんうんと深く頷いていて…涙ぐんでいる者までチラホラと。
わたしはその各々の反応に「ふふっ」と思わず笑ってしまった。
「あー! お嬢様、何を笑っておられるのですか! まあ、そうして笑っておられる姿も大層美しいですが!」
そしてそれを見たメリーから怒られてしまいました。
「っふふ、だって、貴方達っ大袈裟すぎなのよっ」
口元に手を持ってきて何とか笑いを堪える。
「大袈裟なものですかっ! 昔からあの令息は気に入りませんでした! なんていうか…謎に自分に自身が有り過ぎなんですよ…ナルシストっていうか~」
メリーがザイナ様のことをグチグチと語り出した。
確かに、謎に自身満々でしたね、あの方。婚約破棄された時もわたしが自身に想いを寄せていると思ってらした様ですし…。本当に謎なお方。
「お嬢様は別にあの方のこと、好きでもなかったのに何故か『君は僕の事が好きだろう!』なんて言ってましたしね~変な方」
メリーはわたくしと同じことを考えていたようね。
「こらメリー、あまりそのようなことを言うのは控えなさい」
「あ。申し訳ございません、お嬢様」
メリーはとても良い子なのだけれど、気を許す親しい者の前ではこんな風にグチグチ語ってしまう癖があるみたいで、こうして時々わたしは彼女に注意を促すのです。まあ、彼女に気を許してもらえていると思うととても嬉しいのですがね。それに彼女、とても素直で良い子なのです。ほら、今もちゃんと誠実に頭を下げて。
「ふふ、仕方のない侍女ですね」
「お嬢様ぁ! 本当に申し訳ありませんッ! どうかっどうか見捨てないでくださぁーいいいい!」
必死の形相でわたしに謝罪してくる彼女は見ていてととても可愛い。妹みたいで。憎めないんですよね。わたしの事もとても慕ってくれているのがヒシヒシと伝わってきます。
「大丈夫よ、わたしが可愛くて優しい貴方を見捨てるなんて有り得ないわよ」
泣いているメリーにハンカチを渡しながら宥める。
「お、お嬢様ぁ~!」
のだけれど…。
私、お嬢様の元を絶対に離れません!! と何故か逆にまたメリーの瞳には涙が溢れかえってしまう。ど、どうすればいいの…。
すっかり困り果ててしまいました。
「こら、メリー。アンリーお嬢様が困っているだろう、もうその辺で涙を引っ込めなさい」
するとメリーの後ろで控えていた他の者達の中から出て来て彼女の肩に白手袋を付けた手を置く者が。
わたしの専属執事のバルトです。
彼は使用人の中でも年長者でとても面倒見が良いのです。
今回も彼はメリーの暴走を止めてくれることでしょう。
「あ、バルトさん…うう、ごめんなじゃいぃ」
「ふむ。取り敢えずそのぐちゃぐちゃになった顔を綺麗にしてきなさい。お嬢様にそのような姿を見せるのはアザルト家の使用人として良いものではない」
バルトは顎に手を当てて困ったようにメリーに言う。
その言葉にメリーはハッ! とし急に顔をわたくしから隠し「お嬢様! お見苦しいものをお見せしました!! 直ぐに直してきますので! 失礼いたしますっ!」とわたくしの部屋から俊足で去っていった。
その姿を見送ってバルトは「はぁ」と溜め息一つ。
「ふふ、お疲れ様ですバルト。可愛いですねメリーは」
そんな彼に労いの言葉をかけつつメリーの走り去った方を見る。
「メリーが侍女としてやっていけているのも全てはお嬢様のお陰でございます。アレはもっとお嬢様に感謝すべきですよ」
「あら、わたしに?」
「ええ。他の方の侍女としてやっていたのならば今頃は追い出され途方に暮れているでしょう」
「まあ…」
途方に暮れているメリーを想像してみる。街の端っこでしゃがんで、瞳をうるうるとさせて…庇護欲をそそられるわね。
「もしそうなっていたらわたしはあの子を拾いますね」
「お嬢様は本当にお優しいのですね」
バルトはにこやかに笑って「やはりアレはもっとお嬢様に感謝せねばな」と言う。
バルトの後ろに控えている使用人達もほんわかと微笑んでこの会話を聞いている。
ガチャっと。
部屋のドアが開いて「お待たせ致しました!」とメリーが入ってきた。
「お帰りメリー。早いのね?」
「はい! 早くお嬢様にお会いしたくて!」
「え? 会いたいって…数十秒前まで一緒に居たじゃない」
「いえ! 確かにそうですが! 私はず~っと愛おしいお嬢様と一緒が良いのです!」
「ふふっそれは嬉しいわ。わたしもずっと貴女と一緒に居たいわよ?」
わたしの言葉を聞いたメリーは、ぱあああ! っと顔を輝かせて正に幸せの絶頂に居る、といった感じだ。
その様子を微笑ましく思い、彼女の後ろに控えているバルト含む他の侍女&執事達に「貴方達もよ」と話しかける。
すると、「お嬢様ぁぁぁぁぁぁぁ!」と全員が瞳を潤ませた。
あ、あら……。
わたしは困ったように微笑んだ。
「いやしかし、本当に良かったですな。お嬢様があのザイナ様と婚約破棄されて」
一頻り楽しいお話をした後、バルトが感慨深いといった感じで言う。
「そうですね」「本当に良かった」と他の者達も彼の意見に賛同する。
ザルト様は先程の会話からも分かるように斜め方向に自信に溢れた少し困った方だった。それから生まれる数々の言動に困らされた事もしばしばあり、今回の婚約破棄の騒動のように身勝手な部分も結構あり、ハッキリ言って……面倒くさい方でした。
だからまあ、わたくしは今回の婚約破棄を受け入れられたし寧ろ喜ばしい事だと思っているのですが。
「それにしても、やっとですね! お嬢様っ」
と。
急にメリーが大声を上げてわたくしに瞳をキラキラさせて期待のような眼差しを注ぐ。
「え…? やっとって?」
急な話題転換に訳が分からず首を傾げると。
「もー! お嬢様ったらっ! きょとんとしちゃって!」
メリーが拗ねたように唇を突き出す。
「こら、メリー。お嬢様にそのような言動は控えなさい」
隣に立ったバルトに叱られているがメリーはそんなことより! とガン無視。
ば、バルト…普段は物腰柔らかいのに、額に血管が浮きだってますよ…。
「ま、まあまあ」
わたしはバルトとメリー、両者を同時に宥める。
「そ、それで…一体、本当に何の話?」
「もぅー本気で言ってるんですかぁ?」
じーっとメリーはわたしを見つめる。
そうして。
「そぉれぇはぁ~」
と勿体ぶって。
「あのお方に! アタック出来るチャンスが到来しましたよっ!」
またまた大声でそう言い放つ。
「「「「「…………………………………」」」」」
部屋内がシーーーンとなる。
「え、ええーっと……」
わたしは必至に表情を取り繕う。引き締める。表情筋に全ての気力を注ぐ。
「あ、あのお方って…?」
平常心。平常心。こんな沢山の使様人達の前で、醜態を晒してはいけないわっ!
メリーはこんなわたしの心境を知ってか知らずか。
「もぅ~! ホントは分かってるんですよねお嬢様。昔、お嬢様が慕っておられたあのお方ですよ!」
興奮気味に声高らかに。「あのお方」というところをしっかりと強調して。
「お嬢様、時は来ました!」
なんて言って。
「う、う~ん……」
わたしの頬に徐々に熱が集まってくるのを感じる。でも、あくまで微笑むだけ。たとえ、信頼している人達の前だとしても、醜態は晒せない。……まあ、ちょっとだけ表情が引きつっている気がするけれど。
「こら、メリー。お嬢様をあまり困らせるな」「え? あ、ご、ごめんなさいお嬢様! お、お顔が真っ赤です!!」「こ、こらメリー! それは今言ってはいけないだろう」「え? あ、あ! ご、ごめんなさいい!」
メリーとバルトの会話でわたしが今どんな表情をしているのかが伝わってくる。
わたし、そんなにお顔真っ赤にしているの…?
はっ恥ずかしいっ。思わず顔を両手で覆ってしまう。
う~!
「お嬢様っなんてお可愛らしいの!」なんて声が二人の背後からも聞こえてきて羞恥に悶えることしか出来なくなってしまいます。もうっ!
「う~。だ、だって…もう八年も前のことなのに…」
「八年が何ですか! まだお慕いしていらしているのでしょう?」
「で、でも…わたしには婚約者が居たから…」
「そんなの、もう過去のことではないですか! 進めるのです!お嬢様の八年間隠し続けてきた恋を!」
「こ、恋だなんてっわ、わたしは、別にあの方が好きとかそういうんじゃぁ…」
ごにょごにょと言葉を濁すわたしを皆微笑ましそうに見やるだけ。
「も、もうっ! 別に、もういいのよ。ザイナ様との婚約が決まった時にあの恋心は捨てたのだから。…それに婚約をしてから一度もちゃんと話していないし…」
「お嬢様」
珍しく、真面目な声のメリー。目も、真剣。
「お嬢様、いいですか。今のままだとお嬢様は必ず後悔する事になりますよ? いいのですか? 折角、引きずられていた初恋を叶えられるかもしれないチャンスが直ぐそこにあるのに。掴まなくて。」
「え、で、でも…相手もわたしのことを覚えているかどうか…」
目を伏せ、自信なさげに言うわたしに今度はバルトが言った。
「お相手様も覚えていらっしゃるに決まっています。お嬢様。なんせ、幼馴染なのですから。それに、話をしなかったと言っても共に同じ学び舎に通っていたのですし」
「そうですよ! お嬢様。先ずはお話だけでもしてみては?」
他の使用人たちも皆、優しい眼差しで、優しい口調で、優しい言葉で、わたしの背中を押してくれる。
こんな優しい人達が応援してくれているのに、わたしは、自分の気持ちに嘘をついて、このチャンスを踏みにじるような事をするの…? そんなことが、わたしに出来る…?
いいえ。出来なませんね。
わたしは、こんなに応援してくれている皆のために、そして何よりも、八年間初恋に耐えてきたわたし自身のために。
「……っそ、そうね。折角婚約破棄されたんだもの。わたし、頑張ってみようかしら…?」
おずおずと顔を上げ、使用人達に小さく宣言してみせる。
すると。
「「「「「うおおおおおおおお!!!!」」」」」
と雄叫びが部屋を飛び交った。
「?!」
思わず肩をビクっと震わせる。
「ど、どうしたの!?」
「お、お嬢様が、やっと、やっと!」「やりましたね皆!」「ええ。やっとお嬢様がご自身の恋にっ!」「今日は素晴らしい日になったなぁ」「ええ、控え目に言って最高です」「お嬢様、バンザーイ」
わたしの事は置いてけぼりで拍手喝采の嵐。
「えええ~?」とわたしは困惑するしかなかったのです。
***
わたしには幼馴染が居ます。
それは≪エルド・スピナー≫という、わたしと同じ歳の公爵令息です。
わたし達が出会ったのは互いに三歳の頃で記憶が曖昧な頃からとても仲良く交流していました。
家督が同じで父親同士が旧知の仲という事もあり、家同士でもかなり仲良くさせて頂いていました。
最初は数少ないお友達、という認識だったのですが、いつからか…多分、十歳の頃だと思うのだけれど、わたしには彼に対して恋愛感情が芽生えてしまったのです。
恋心を自覚してから一年くらいは例年通り彼の隣に居られていたのですが、十一歳の時、ザイナ様と婚約をしてからは、全く話をしなくなってしまったのです。
ザイナ様と婚約をしてからは、もう彼のことは忘れよう、と。婚約者が居るのに他の男性に好意を寄せているなんて、有り得ない、早くこの気持ちを忘れなければと。躍起になって彼への恋心を忘れようとしていました。
でも、やっとそんな生活にも慣れた婚約七年目に、こうして婚約破棄されて。
「あんなこと言ったけど、わたしはまだ彼のことが好きなのかしら…?」
頑張ってみようかななんて言ったけれどわたしはもう彼とここ七年は全く話していないのです。わたしが好意を寄せていたあの頃のエルドと今のエルドは違う。つまり、わたしはエルドのことがまだ好きなのか、分からない。
これは…彼に会って確かめるしかないわね。
という訳で。
一連のことをメリーとバルトに話をして何かアドバイスを貰おうと思ったのですが…。
「
お嬢様は変なことを考えますね~。エルド様のことを考えただけであんなにお顔を真っ赤にされていて、よく『好きじゃないかも』なんて…」
とメリーからとても呆れられてしまった。
「で、でもあれは何というか、不意打ちでっ」
「不意打ちも何も。結局は赤くなってるんですから!」
「そ、そうだけれど~」
メリーの強めの主張にう~っとなってしまう。
「こら、メリー。やめなさい」
バルトがそんなメリーを一旦沈めてくれた。
「バルトさん…。だって、お嬢様、このままじゃ恋どころではないですよ! 私はお嬢様には幸せになってもらいたいんです!」
「まあまあ、落ち着きたまえ。私だって、お嬢様には幸せになって頂きたいのだ」
「ならバルトさん、何か良案でもあるんですか?」
メリーの問いにバルトはふむ、と唸り顎に手を当てて考えるポーズ。
「そうですな、茶会に誘われては如何ですかな? お嬢様」
「え、茶会ですか?」
「そうでございます。丁度明日、旦那様が交流なされている諸外国から特産品の茶や菓子が届く予定がございます。是非、スピナー家御一同を誘われては如何かと。奥様もスピナー夫人とお会いしたいと仰っておりましたし」
「! な、成程! それは良案ね!」
わたしは思わず目を輝かせる。
「流石ですねバルトさん!」とメリーも尊敬の眼差しを彼に向けている。
「では、私から旦那様にご提案させて頂きましょう」
「え、いいのですか? バルト」
「ええ、勿論でございます」
バルトはそう微笑んで「早速行ってまいります」と部屋を出てお父様のところへ向かったのでした。
「良かったですねお嬢様! これでエルド様にお会いできますね!」
「そ、そうね、何だかドキドキしてきちゃったわ…どうしましょう…?」
引きずっている__かもしれない初恋相手に会うんだから、ドキドキしない人は居るんでしょうか?
「もうお嬢様ったら、お可愛らしいですね!」
***
バルトからの提案を受けたお父様は直ぐにでも茶会を開こう! と張り切って準備を始めたのだった。お父様はお父様で実のところ、最近はスピナー公爵とは昔のように親しくお話が出来ていなかったようでこの機会を逃す手はないと色々予定をこじ開けたのだそう。
お母様も大の仲良しのスピナー夫人との久々のお茶会だと聞いてとても楽しみにしていたみたい。
それは向こうも同じなようで毎日「茶会、楽しみですね!」という手紙が送られてきていた程。
いや、仲良すぎでしょう…。
そんな感じで一週間が過ぎて。今日。アザルト家とスピナー家のお茶会の日に至ったのです。晴天で、お庭の花も咲き乱れて。とても素敵な茶会になりそうね、とお母様が言うのを聞き流しながら、思いました。
え!? お茶会って一週間で準備出来ちゃうんですか!? しかも結構家柄も高い公爵一家同士のお茶会ですよ?!
お父様とスピナー公爵の本気度が伺えますわね。
わたしはもう身支度が終わって今は庭の奥にあるコンサバトリーで新しく仕入れた小説を読んでいる。
今日のわたしはメリーに選んでもらったワンピースに身を包んでいる。
スカイブルーのシンプルな胸元フリルのレースドッキングマキシ丈ワンピース。メリーが言うには「白髪ロングヘアーの美人なお嬢様にはこの色がとてもお似合いです!!」らしい。
まあ、似合っているのならいいのだけれど、と勧められるままに着たのです。お母様にもお父様にも似合っている、可愛い、と褒めてもらえましたし、メリーは凄いな、と感心したものです。
小説のページをぺらっと捲っていると、お母様がわたしを呼びにコンサバトリーに来ました。
「アンちゃん、そろそろスピナー家の皆様が着く頃よ、戻りましょう」
「はい、お母様」
わたしは本を閉じ、お母様の元へ急ぐ。
わたしが婚約をする前にはかなり頻繁にお茶会を行っていたのだけれど。久々のお茶会…。何だか緊張してきました。
「スピナー家の皆様、ご到着いたしました」
バルトがわたし達が揃っているグーイトルームに報告に来た。
「では、行こうか二人共」
そう言ってお父様はお母様の手を取ってわたしの方を見て歩き出す。
わたしはその後ろに付いて行く。
わたし達が家を出た時、丁度スピナー公爵が夫人の手を取り馬車から降りてきた。
「やあ、ミストア。久々だな」「ああ、テイナー、久しぶりだな」
≪ミストア・アザルト≫と≪テイナー・スピナー≫が軽く挨拶を交わす。
「アナリア! 会いたかったわ!」「エカステア! わたしもよ~!!」
≪アナリア・アザルト≫と≪エカステア・スピナー≫は熱烈に挨拶を交わす。
わたしはそれを見て凄いな、仲いいな…とちょっぴり引き気味に微笑む。
わたしもこんなに仲の良い友人が出来ればな。
その後ろから顔を出した人物が一人。
それは勿論、スピナー公爵家の一人息子である≪エルド・スピナー≫令息その人なのだが。
最後に会ったのが学院の卒業パーティー。その時よりも何だか大人っぽく見えるのは…気のせいでしょうか? あれから全然時間が経っていないのに…。
これはただ単にわたしが彼を意識し過ぎている所為?
ああ、ダメです。分からないです。でも分かってもきっとわたしにはどうも出来ないのよね…。
「あら~、アンちゃんもこんなに美人になっちゃって。アナにそっくりじゃなぁい!」
一人で悶々としていると、エカステア夫人から話しかけられた。
因みに、わたしと親しい間柄の者はわたしのことを「アン」の愛称で呼ぶ。
まあ、ザイナ様には呼ばれなかったけれど。それが悲しいなんて思いもしなかったですしね。本当に婚約破棄して良かったです。
…………って、はッ?!
「エカステア様、お久しゅうございます」
急いで夫人へとカーテンシーを優雅に披露&挨拶の言葉をかける。
「まあ! 素敵になっちゃって! カーテンシーも綺麗だわ~」
夫人はキャッキャとわたしのことを褒めてくれる。
夫人はスピナー家には女の子が居ないから昔から仲の良いお母様の娘であるわたしのことを実の娘のように可愛がってくれていたんです。
「お褒めの言葉、とても嬉しゅうございますわ」
わたしは彼女のにっこりと微笑んでみせる。
昔はもっと砕けた口調で話せたのですがね…、もうわたしも十八です。流石に公爵令嬢として、一淑女として醜態は晒せません。
なんて考えていると夫人は眉尻を下げて右手を頬に持ってきて憂いのある面持ちで言う。
「アンちゃん、とっても淑女らしく素敵になったけれど、わたくしは昔のようにお話したいわ~? 今日ははわたくし達だけなのだし」
…え。
え、っとぉ、そ、ソレは…? 一体なんて答えればいいのでしょう?
チラリ、とお母様を見る。
「良いんじゃないのアンちゃん、今日くらい、ねえ? 貴方」
とお父様に話を振るお母様。
「ああ、良いんじゃないか? 堅苦しいものは今日はお預けだ。それで良いなテイナー」
「ああ勿論だとも。アンちゃん、今日くらいは昔のように楽しもうじゃないか」
ああ…。皆様、久しぶりの両家だけのお茶会に感化されている…。
どうしましょう。でも、お父様や公爵様__テイナー様がそう仰っているのなら良いのでしょうか…?
おずおずと大人四名を見やる。
皆ニコニコしてて怖い…。
「アン、何をそんなに怖がっているんだ?」
急に少し低い、聞き覚えのある声がわたしの名前を呼んでビクっとしてしまう。
「?」
ェ、エルドっ!?
「あ、え、エルド…や、だって…」
「大人が良いって言ってんだから」
「え、ええ……そうね、分かりました…」
不意打ちに現れた彼の言葉に思わずコクリと頷いてしまう。
わたしがそう言うとスピナー夫人__エカステア様は、ぱぁぁ! っと顔を輝かせて手をパンっと合わせて「まあ! なんて嬉しい!」と喜んでいます。
お母様もお父様もニコニコ笑顔をキープしたまま。
わたしは「あはは…」と控えめに笑うだけ。
会話が一頻り終了して、わたし達はアザルト家御自慢のお庭へ。そこにはお茶会用のお茶や美味しそうなお菓子達が並べられている。
「ほお、相変わらず凄いなミストア。この庭も茶菓子の多種さも」
テイナー様がお父様にその感動を語る。
「そうだろうテイナー」とお父様も自慢げだ。
「まあ、このお菓子。今西洋で人気のものじゃないの!」
エカステア様も珍しい外国のお菓子にとても嬉しそうにお母様に話しかける。
お母様も「ええ、ステアが好きそうなお菓子だったからあの人に頼んだのよ」と少女のような笑みを浮かべて楽しそう。「もうっアナったら!」と少女の様にはしゃぐ二人を見ていると本当に仲が良いな~と微笑ましくなってしまいます。
エカステア様が気になるお菓子を早速手に取りお母様がそれに合うお茶を選び口に運ぶ。
「とても美味しいわ~それにアナの選んだお茶がとても合うわ! 流石ね」「ふふっこのクッキーにはこのお茶が合うのよ~」
女性達が楽しくキャッキャしているのを片目にお父様達は昔話に花を咲かせています。
「あの時のテイナーはよく無茶をしていたな~」「ははっよくそんなことを覚えているなミストア。君はいつも私のことを止めてくれたなぁ」とヤンチャな時代の事を語り合っています。一体過去に何があったのでしょうね…地味に気になりますわ。
わたしはというと…。
「……………」
「……………」
気付いたらエルドと二人、取り残され自動的に同じ席に着いていたのです。
彼は黒髪に合う紺色のベストをクールに着こなしている。元々クールな性格で知られていて令嬢達に格好良いと人気なのけれど今日はより一層格好良く見える。
お茶を飲む姿が様になっていてとても素敵です。
「? どうした?」
じっと見過ぎていたのか、エルドが不思議そうな顔をしてこちらを見た。
「いいえ、何でも。お茶、どう? お口に合うかしら?」
内面のちょっとした焦りはおくびにも出さずに問う。
「ああ、美味しい」
目を伏せてエルドは言う。
「そう、良かったわ」
その言葉にホッとして笑みをこぼす。
そうしてわたしもお茶を口に運ぶ。
うん…美味しい。流石はお母様選出のものね。
緊張が落ち着き、少しるんるんとした気分でお茶やお菓子に手を付けていると。
ふと視線を感じて顔を上げる。
「?」
首を傾げる。何故ならエルドがこちらを注視していたから。
「えっと…エルド? どうかしたの?」
このお菓子が食べたいのかしら? でも、これはテーブルの中央に置いてあるケーキスタンドにあるものだし、もう食べたければ自分で取ればいい。ということは…? どういうこと…?
「エルド?」
反応がなかったのでもう一度呼んでみる。
「え、あ。悪い…」
珍しく、妙に歯切れが悪い。それになんだかぼーっとしていたようだし。どうしたのかしら?
「大丈夫?」
「ああ。大丈夫だ、気にするな」
そう言うけれどわたしの気のせいか、顔が赤い気がするのよね…。
でも「気にするな」って言われましたし、ここはスルーした方が良いのかしら、ね…?
不思議に思いながらもわたしはエルドの言った通りに気にしないようにすることにしたのです。
***
お茶やお菓子を気になったものを一通り手を付けた後、エルドと一緒に林の中へと歩くことにした。
家は敷地が広くて、__というかこの国の公爵家は大体__屋敷の裏の方に林があったり、その中に綺麗な澄んだ小川が流れていたりするのです。
「そういえばアン、卒業パーティーの時…」
と、急にエルドが話題を振ってきた。
「?」
「その…婚約破棄されていただろう…」
「え? あ、ああ。ええそうね?」
本当に急な話題だったから驚いた。急にどうしたんでしょう?
「もう、大丈夫なのか?」
え? 大丈夫って、何が…?
「??」
「お前は、その…ヘルドの事が、好きだったんだろう?」
「………………え?」
思わず変な間を開けてしまった。
でも、でもでもでも。何で!? 一体何故彼はわたしがザイナ様のことを好きって誤解して…? わたし、そんな素振りは一度も見せたこと無いし…ザイナ様も……ザイナ様…………ア。
ザイナ様、確かわたしに婚約破棄した時に『僕に思いを寄せていた君には辛いだろうが、どうか、受け入れて欲しい』って言って_________あああ! コレだわっ! え?! 嘘。コレ、本当のことって思われて…?! 嘘っ!?
バッと口を両手で覆う。
いや、え? 嘘…。いや確かにわたしもあの時は呆れすぎて否定も何もしなかったけれど…それもしかして間違いでした?? 否定、しておいた方が良かったの?
「アン」
「! は、はい」
背中に冷や汗がダラダラと流れている気がする。
だって、引きずっていた初恋相手がわたしの好きな人のこちを誤解しているのよ? どうしましょう…?
と、取り敢えず、早く誤解を解かないと…。
「急に好きな相手に振られて、大丈夫なのか?」
ええ、そこは大丈夫です。何故なら好きではないから。そんなことよりもわたしは急に好きな相手に好きな相手を誤解されていることに少しショックを受けています。現在進行形で。
「ええ、大丈夫よ…? でも、何でエルドがそんなこと…」
色恋沙汰にはまるで興味のない彼が。本当に珍しい。わたしと毎日一緒に居た時もそんな話一度もしたことがなかったのに。
「え、あ、いや…その、心配になってなこの茶会も急だったからミストア様がアンの心配をして開いたのかと…」
成程。確かに急だったものね。お茶会。これは…まあ事の発端はわたしなのだけれどお父様もお母様もそのことは知らない筈だし、ただ単にお茶会をしたかっただけだと思う。だから…。
「ん~、そんな事はないと思うわよ? それにわたし、別にショックなんて受けて無いし」
そう言ってお茶を口に含む。
「? でも好きだったんだろう?」
「いいえ?」
次こそ即答した。彼の誤解を解くために。わたしはあんな方のこと、好きでは無いですよ、と伝えるために。
「は?」
エルドから低い声が漏れる。
「え…? エルド?」
彼の雰囲気が変わった。彼は、低い声を一言漏らしてから俯いている。
「じゃあ、何だ? 何でアイツはお前が自分のことを好きだとか言っていたんだ?」
「え? あ~、それは…正直言って変な方だったから…勘違いをしていたんじゃないかしら?」
「ならお前はアイツのことが好きな訳ではないのか?」
「え、ええ。そうよ?」
「ずっと?」
「ええ、ずっと…」
またまた急な質問攻め。
「…………………」
「…………………」
かと思えば最初のような沈黙。
…分からない。彼が何を考えているのか、分からないわ。
ふと、エルドが顔を上げた。
「?」
首を傾げる。今度はどうしたのかしら?じっと見ていると。
彼は男らしく前髪を片手で掻き揚げた。そして溜め息を吐く。
「!?」
その仕草にときめいてしまう。か、格好良い…。
「えっと…エルド?」
今日の彼は何だか思考が読みづらい…。
「なあ、アン」
「は、はい? 何でしょう…」
エルドは髪を掻き揚げたかと思うと、わたしの方を見てかしこまった。な、何でしょう…。
「俺と婚約してくれ」
「…………………………………はい??」
エルドからの思いもよらなかった不意打ちの言葉に思わず訊き返してしまいました。
「え、今、何て……」
「ヘルドのことは好きではないんだろう? なら、俺と婚約してくれ。アイツとはもう婚約破棄したし流石にこんな短期間で他のヤツからの婚約打診もないだろ? 何も問題ない筈だ」
「え、ええそうね。で、でも。こ、婚約? わたしが? え、エルド、とですか?」
驚きすぎて彼相手に敬語になってしまった。
「そうだが? 他に誰が居るんだ?」
「あ、いえ…え? な、どう、して…?」
「好きだからだ」
「へあ!?」
へあ?! 変な声出た!
でも。す、好きって!
「え? す、好き? エルドが? わたしのことを?」
「そうだ」
「?!」
ちょ、え? ど、どういう事?? ま、な、何で!?
「な、何で??」
「何故か? 誰かを好きになるのに理由がいるか?」
彼が眉を寄せる。
「いえ…えでも…え?」
「悪い。急にこんなことを。混乱させてしまって」
「……」
「でも、俺は本気だ。父上や母上にも許可は得ている」
「え!?」
待って!? 何で?! 許可って!? 許可って何?
え本気なの?? 本気で、わたしと婚約を結ぼうとしているの…?
「俺は本気だ」
エルドのそう言う眼差しが、本気だと語っている。
本気でわたしと婚約を結ぼうとしている。きっと、その想いも、本物……?
彼はわたしの事が、好き、なのかしら…。わたしと、同じ? わたしも、彼の事が___
「ずっと前から、昔から好きだったんだ。アンは、俺の初恋の相手なんだ。ずっと好きだった」
「っ!……」
「でも、お前がヘルドと婚約したって聞いて、諦めなければと思っていた」
あっ……。
わたしも、わたしも、そう思っていた。でも、_________
「でも、先日、婚約が破棄されて、もう、諦める必要がなくなった。結局俺はずっとアンのことが好きだった」
わたしも、諦めようとして、でも、諦められなくて、ずっと貴方のことが好きだった…。だから_________
「だから、俺はもう、諦めない。手を伸ばしたら届くところまでアンが居るのなら」
チャンスが、可能性が少しでも、あるのなら_________
「俺は手を伸ばそうと思ったんだ」
わたしも、そのチャンスに、可能性にかけてみたい、そう、思ったの。
「だから、俺と婚約をしてくれないか?」
これは、夢? わたしは、今、どうすれば良いの? 驚きすぎて、現実味が感じられない。
どうするべきなの? 嬉しい筈なのに…。だって、わたしは、わたしも、彼のことが、好き、だから…。
このわたしの想もきっと本物。わたしは彼が好き。
「はい」って、一言、言えば、わたしはきっと幸せにる筈。いえ、なる。彼の隣なら、必ず幸せになれる。でも、その一言が出てこないのは、何で?
もしかして、怖い、の? わたしは。
彼にわたしも好きだと、貴方のことが好きだったと、自分の想いを伝えることが。
「アン……」
彼が切なげにわたしを呼ぶ声がする。
ここにはわたし達二人しか、居ない。
綺麗な緑の林の中。小川の流れるサラサラという音が聞こえてくる。
「わ、たしは……」
伝えるの。伝えないとっ!
「………………っ!」
言、葉がっ出てこないっ! ああ、泣きたくなってきたわ。何で? 何で、出てこないの。わたしも貴方のことが好きだと。
「………っ!、悪い。アン、お前を傷つけるつもりは、なかったんだ」
「え……?」
傷…? わたしは傷ついてなんて…___っ!? 思って、気づいた。わたしの頬を流れる、妙に熱いものに。
これは…涙? え、わたし、泣いているの?
「あっ」
気づいた瞬間。堪えていたものがあふれ出すような感覚。ああ、ダメだわ。
「うっうう~っ!!」
「あ、アン!」
酷いうめき声を微かに出しながら。身体の力が抜けていく。ヘナヘナと力なく倒れていくわたしをエルドは支えてくれる。男らしい、力強い腕。そうして優しく抱きしめてくれる。
「悪い、こんな、こんなつもりじゃなかったんだ、アンに泣いて欲しかった訳じゃ…」
「う、ご、ごめんな、さいっ」
「アンは、謝らないでいい。俺が、悪いんだ」
切なげに目を細める彼。
「急にこんなこと、ただの幼馴染に言われて驚くよな…、悪い、………………忘れてくれ…」
わたしの肩を優しく掴んで、優しく語りかけてくれる。
わたしを思いやっていることが伝わってくる。
とても、嬉しい。とても。…でも。でもっ、違う。わたしは、違うの、エルド。わたしは、わたしは______
「そろそろ戻ろう」
エルドがわたしの肩から手を放しもと来た道を引き返そうと踵を返す。
ここで、ここで言わなかったらきっと、いや絶対に後悔する。
今しかない。言わないと。言わないと。
手足が震える。喉が締め付けられたようで、声が出ない。泣いていたことで息が上がっている。上手く呼吸も出来ない。たった一言、言えば良い。大丈夫だから、言わないと。
「___わっわた、しは!」
エルドが振り返る。
わたしは俯いたまま。
「わたし、は…、あ、っ」
声が上ずる。でも、続ける。
「貴方の、ことがっ…エルドのことがっ好き、で、すっ」
エルドが身体ごとこちらを向く気配。わたしはキュっと目を瞑る。
二人の間に沈黙が走る。
その沈黙が、怖い。
「…アン」
エルドがわたしの名前を呼ぶ。
わたしは一瞬ビクっとしてから、少しして顔をゆっくりと上げる。流石に視線を彼に合わせる勇気は、まだ無い。
「なあ、アン」
もう一度、名前を呼ばれる。
今度は、何とか視線を合わせる。
「っ!」
視線を上げたそこには惚けているような、いないような。そんな彼の顔があった。
そんな…っ! そんな顔されたらっ。
思わず顔に熱が集まってしまうのをヒシヒシと感じながらどうにか顔を逸らそうとする。
でもエルドの右手がわたしの頬に触れてクイっと上を向かせられる。
「っ!! え、エルド…っ?」
慌てふためくことと恥ずかしがることしか出来ないわたし。
「アン、今言ったことは、本当?」
「っ! ………………ん、」
「目、逸らさないで。答えて」
「あ、…っ、ほ、本当です…」
「本当に?」
グッと、わたしの顔と自分の顔を近づけるエルド。
ち、近いですっ。
「ん。ほ、本当です!!」
「嘘じゃない?」
何なのですかこの拷問!?
「本・当・で・す!!!!」
目をキュっと閉じて叫ぶ。
エルドが少しだけ目を見開く。
そして。じゃあ、とおもむろに口を開く。
「もう一回言って」
「へ???」
「もう一回、俺のこと、好きって言って」
「え、な、何で……」
「何ででも。早く」
思ってもみなかった彼の発言に今度はわたしが目を見開く。
「早く」
わたしがそれを理解出来ず思考が飛んでいる間にもエルドはわたしを急かす。
「あ、す、………………………き、です…」
頑張って言った。
なのに「…もっとちゃんと言って」とクールな顔してクールな表情で言ってくるエルド。
も、もう一回…?!?
流石に顔が真っ赤になっている気がする。今のわたしの顔はそれはそれは真っ赤でしょうね…。
「あ、………す、すき。」
「誰のことが?」
「あ、貴方のことが」
「名前、呼んで」
「エルド……」
わたしが名前を呼ぶと彼はふっと笑って、わたしを抱きしめた。
「え!? え、エルド!?」
ち、力が強いいっ!
私は、なすすべなく彼に抱きしめられる。
ど、どういう状況ですか!?
「あ、あの。エルド?」
おずおずと名前を呼ぶ。
「何?」
「どうしたの? __何をしてっ?」
「何をって…アンを抱きしめているんだが?」
「だっ、だがじゃないわよっ。な、何でこんな事っ!?」
「何でって、したかったからだ」
「!? したっ!? へぁ!?」
変な声出た!! これじゃあキルア嬢の事を言えないじゃない。
「あ、あのっ」
何かを言おうとするけれど何を言えば良いのか分からなくて口をパクパク動かすだけ。
頭の中は未だに混乱状態です。
「なあ、アン」
「あっ、…はい」
エルドがわたしを放して、でも手はわたしの両肩に置いてわたしを見つめて言う。
「俺と婚約してくれ」
迷いのない、真っすぐな言葉。
真剣なその瞳に、声色に。
わたしは吸い込まれそうに__いや、吸い込まれて。惚けて。見入ってしまって。
「アン?」
「っ!」
「返事は?」
返事? そんなもの、決まっている。決まってるじゃないっ。
「わ、わたしで、良い、の?」
エルドが息を呑む。
「ああ、貴女が良い。アン」
「っ!!!!」
その言葉を聞いた途端にまた泣きそうになった。
「わ、わたしもっ貴方が良いわ、エルドが、良い」
そうして、わたしは応える。
「是非」
わたしは、今度は泣かない。代わりに目一杯微笑むの。
「っ!!」
するとエルドは顔を真っ赤にしてわたしをまた抱きしめた。
「幸せにする、絶対に」
「うん。楽しみにしてる」
わたし達は笑い合う。
綺麗な緑の林の中で。
わたしとわたしの初恋相手の彼の初恋はこの瞬間に叶った。
思い返せば、とても長い初恋だった。一度は彼のことが好きなのか、分からなかった瞬間もあったけれど、結局わたしは彼のことがずっと好きで。
ずっと彼を想い続けていて。
そんな恋が叶うのだから、婚約破棄されていようと、わたしは多分、きっと……いえ、絶対に世界一の幸せ者ですね。
こうして、七年来の婚約者に真実の愛を見つけたと婚約破棄されたわたしは、初恋の幼馴染令息と真実の愛で結ばれ、幸せな未来を約束されました。
これから、彼との沢山の幸せだと思えるような思い出をわたしは作るのでしょう。わたしはそれがとても待ち遠しい。楽しみでしかたがないのです。今日はその為の第一歩。わたし達はお互いに恋を叶えて。わたし達二人の物語はここから始まるのです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
是非、誤字報告や感想、評価にブクマ等よろしくお願い致します。
また、前2作も是非読んでいただけますと幸いです。