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魔物と旅人

魔物と旅人11: 消えた魔物

作者: 河辺 螢

 今年も麦刈りに何人か人が雇われていた。

 期間は5日間。

 この期間にできるだけ多くの畑を刈り取る。

 近くの村から来ている人や、普段は店をやっている人、中には旅の人もいた。

 仕事の間、家から通えない者は、農家が部屋を貸してくれる。

 素泊まりで、屋根裏や馬小屋の上があてがわれる場合もあったが、無料なので利用する者は多かった。


 その中の1人、旅の人は小さなバッグを持っていて、畑の近くにある木の枝に掛け、休憩時間になると、時々様子を見に行っていた。

 1日目の仕事を終え、バッグを取りに行った旅の人は、中にあった物がなくなっていたようで、辺りを探し回っていた。

 暗くなるまで探し続けていたが、見つからなかったようだった。

 明日からの仕事をキャンセルしたい、と言ってきたが、雇い主が

「それは困る。あと4日は働いてもらう契約だ」

と言うと、うなだれながらも了承した。

 今回雇われた中でもよく働いてくれる人だったので、いなくなるとこっちも困る。

 何人かの娘は、男の働く姿に見惚れていたようだった。

 独り身のようだったので、このまま村の娘でも気に入って定住してくれてもいいんだが。




 大人達は麦刈りで大忙しだった。

 僕らも畑の周りで、刈り取られた麦藁を結んで広げたり、落ち穂を拾ったりしていた。

 そんな中、木の枝にバッグが掛かっているのが見えた。

 麦刈りに雇われた若いお兄さんが掛けていたもので、時々様子を見に来ていた。

 何が入っているんだろう、と3人で見に行くと、そのバッグをかけた枝に丸っこい黒くてもしゃっとした生き物がいた。

 さっきお兄さんが持ってきていた木の実をおいしそうに食べながら、枝の上に座って、遠くで働くお兄さんを見ていた。

「わあ、魔物だ」

 トニオが言った。

 すると、ジョゼフが石を拾うと、止める間もなく魔物に投げた。

 石は魔物に当たって、魔物は木から落ちた。

 落ちた魔物を拾ったジョセフは

「はん、どんなもんだ!」

と自慢げに狩った「獲物」を見せびらかした。

 魔物は気を失ったのか、ぐったりとしていた。

 当たり所が悪くて、死んでいるかもしれない。

「あの旅のお兄さんのペットかもしれないよ。殺したらきっと追っかけられて…」

「まずい。捨ててしまえ」

 そう言うと、ジョセフは、周りを見渡してこそこそと草むらの方に行き、黒い魔物を森の奥の方へと放り投げた。

 マチルダが近寄ってきていたけど、みんな知らんぷりをして、その場を離れた。




 またあの男の子達が集まってる。

 あの子達が集まると、ろくなことがないんだから。

 今日は麦の収穫で忙しいって言うのに、すぐにサボっちゃう。

 お父様に言いつけてやろうかしら。

 男の子達が集まっていた木には、小さなバッグが掛かっていた。

 誰かの忘れ物なのかしら。

 触っていた様子はなかったし、勝手に触らない方がいいわね。

「きゅ…、…きゅ…」

 草むらの方で、何か声がした。

 虫かしら? 鳥の雛?

 声のする方に行くと、黒くて丸くて小さな生き物が、倒れていた。

 大変。

 拾い上げると、まだ息はある。

 こんなところにいたら、獣に食べられてしまうわ。

 急いで家に連れて帰り、小さな鳥籠にハンカチを敷いて、小鳥の餌と水を一緒に入れておいた。

 まだ畑のお手伝いもしなきゃいけないから、すぐに畑に戻った。


 次の日、餌は減っていなかったけれど、起き上がって

「きゅ」

と鳴いていた。

 朝食で出たブドウをあげると、少し食べていた。

 これなら大丈夫ね。

 今日も畑に行かなければいけないから、また戻ってきてからお世話しましょ。




 お嬢様の部屋に掃除に入ると、鳥籠の中に変な生き物がいた。

 いつの間にこんな物を…。昨日は確かになかったのに。

 お嬢様のハンカチが敷いてある。と言うことは、お嬢様がまた拾ってきたんだわ。

 すぐにこういう変なのを拾ってくるんだから。

 しかも、これ、魔物じゃない!

 こういう時、旦那様に叱られるのは私なんだから。

 魔物だもの、逃げたってことにしておけばいいわ。

 魔物を籠から出して、小さな箱に入れ替え、後で捨てに行くため休憩室に置いておいた。

 すると、同じメイドのレベッカがお菓子と間違えて箱を開け、中にいた魔物に驚いて窓から放り投げてしまったって。

 まあ、いいわ。どうせ魔物は逃げたことにするつもりだったんだから。

 みんな知らなかったことにしてしまえば。




 使用人の休憩室から何か騒ぐ声がして、窓から黒いものが投げ出された。

 あいつらはすぐに外に投げればいいと思ってる。困ったもんだ。

 見に行くと、そこにはずいぶんと弱った黒い、丸っこい生き物が転がっていた。

 まん丸で、目もどこにあるのかよく判らないが、手触りが良く、噛みついてくる様子もない。

 なんとなく興味がわいて、ポケットに突っ込み、仕事が終わるとそのまま家に連れて帰った。

 搾った果汁をスプーンに乗せて、どこか判らない顔を目指して伸ばすと、少し匂いを嗅いでから、ずずず、とすすった。

 少しでも食えるなら、元気になるだろう。

 食えるだけ食わしたら、ラタンの籠に布を敷いて、その中で寝かせておいた。

 次の日の朝には、ちゃんと寝ていたんだけど、仕事から帰るといなくなっていた。

 机の上に置いておいた果物も減ってない。

 元気になって、元の巣に帰って行ったんだろうか。




 兄ちゃんの部屋にペンを借りに行くと、机の上の籠の中に黒いふさふさしたのが入っていた。

 そっと手に取ると、柔らかくてふわふわしていた。

 兄ちゃん、いつからこんなの飼ってたんだろう。

 秘密にしてるなんて、ずるい。

 ふわふわを連れて、友達の家に行った。

 友達に自慢して、みんなでいっぱいなでていたけど、全然動かない。

 つまらなくなって、箱に入れて部屋の隅に置いておいたら、いつの間にかなくなっていた。

 誰かが間違えて持って帰ったのかなあ。

 ゴミと間違えて、かたづけられてしまったのかなあ。

 兄ちゃんに何て言おう…




 ヘンディが持ってきた黒いのは、箱の中でピクリとも動かない。

 暖かいから生き物のような気もするけど、顔もなく、手足もなく、丸いだけ。

 あの時は宝物みたいに見えたけど、持って帰るんじゃなかった。

 家に置いといても、母さんに叱られる。

 次の日の朝、通りすがりの木の下に箱ごと置いて帰った。




 畑仕事が休憩時間になるたびに、旅の人はどこかに行っていた。

 何でも、なくした物を探しているらしい。

 ろくに飯も食わずに、森の中に入って行き、時間になると戻ってくる。

 夜も、仕事が終わるとずっと出かけているらしい。

 そんな大事な物なのか、と聞いても、一緒に探そうかと言っても、何なのかさえ言おうとしない。

 どうやら、生き物っぽいんだが、もう3日は経っている。

 そんなに経っても出てこないんじゃあ、多分もう生きちゃいないだろう。




 給仕をしている店で、食事に来た旅のお兄さんは、ずいぶんやつれていた。

 麦刈りに来ているよそ者の男。

 何かなくして探しているらしい、とは聞いていたけど。

「探しているときほど出てこないものよ。縁がなかったと思って、諦めることも大事だわ」

 そう声をかけると、ものすごい目でにらみつけられ、心臓が止まりそうだった。

 すぐに普通の顔に戻ると、

「…すみません。とても大事なもので、諦めるのは…」

 そうは言っても、お兄さんもあと2日経てばここを離れ、どこかの街に行くことになるだろうに。

 それまでに出てこなかったら、どうするつもりなんだか。

「このまま探し続けるつもりなら、私のところ…」

 言いかけて、さっきの目を思い出して、言葉を止めた。

「…見つかるといいわね」

 お兄さんからは、何の返事もなかった。




 犬が木の下に置いてある箱に向かって吠えていた。

 ペトロのところの牧羊犬だった。

 見ると、その中には黒くて丸いボールのような物が入っていた。

 つつくと、ちょっと柔らかく、生き物っぽいけど、ピクリとも動かない。

 死んでいるんだろうか。

 ちょっと気味が悪いので、箱の物は放っといて、犬だけペドロのところに連れて行った。


 翌朝、気になってもう一度木の下に行くと、昨日と変わらず箱があった。

 その中の黒いのは、昨日より一回り小さくなっているように見えた。

 毛並みもつやがなく、黒と言うより、灰色に近くなっているような気がする。

 死んだのなら、野犬に食われる前にどこかに埋めてやった方がいいかもしれない。

 家からスコップを持ってきて、小さな生き物っぽいものを箱ごと持ち上げた。

 村の中より、森の方がいいだろう。

 軽くつついてみたけど、やはり動かない。

 つついたところが、銀色に光った。

 光の粒がキラキラ光りながら散らばって、消えていく。

 これは何だろう。

 もう一度つつくと、また光り、光の粒が抜け出た分、少し小さくなっているような気がした。

 その光に気がついたのか、森の方から男が走って近づいてきた。

「すみません、それを、」

 男は僕の返事を待たずに箱を奪い取ると、中に入っているものを両手に取り、包み込んだ手に自分の額を当てた。

 男の指の間から銀色の光の粒が少しづつ漏れていた。

 両膝をついた男は、祈るように言った。

「行くな…。僕を置いていかないでくれ…。」

 男の声は震え、目から涙がこぼれていた。

 こんな小さな生き物のためにそこまで泣く人間がいるなんて。

 男は目を閉じ、その小さな生き物を包んだ手を自分の胸に当てた。

 次第に光の粒は消え、ごくわずかに声がした。

「きゅ…」

 恐る恐る、男が自分の手を広げ、その手の中にいる生き物を見た。

 見ると、さっきまで小さく固まり、灰色に変わろうとしていた生き物が、かすかに目を開け、男を見ていた。

 男は口元を緩ませた。

「良かっ…。君が消えたら、僕はもう、生きていけない」

 そう言うと、声を殺して泣き続けた。

 僕は、そっとその場を立ち去った。

 男は、僕が立ち去るのにも気がつかず、その場に座り込んでいた。




 5日目の仕事を休む。

 そう言った旅の人に、雇い主が怒っていた。

 しかし、旅の人はずいぶん恐ろしい顔をして、4日分の給料はいらない、と言い残し、立ち去ろうとした。

 雇い主は

「なら仕方がない」

と言った。

 旅の人の足取りはふらついていて、このまま旅立つのはどう見ても難しそうだった。

 それを見ていた、一緒に働いてきた者達が、

「あんまりだ。あんなに働かせておいて、給料も払わないなんて!」

「探し物をしたいと言っても休むことを許さなかったくせに!」

と、旅の人に代わって怒りだした。

 旅の人を泊めていた農家のじいさんが

「そのままもうしばらくうちで休むといい。お前さん、今にも倒れそうだ」

と言い、飯屋のおかみも

「何か食べるもんを持ってくるよ。おとなしく寝てるんだよ!」

と言った。

 みんな、旅の人が探し物をしながらも、真面目に仕事を続けていたことを、そのために食事もおろそかにして、寝る時間も惜しんでいたことを知っていた。

 そして、その探し物が今朝ようやく見つかったことも。


 世話好きな連中に連れて行かれ、強引に休まされた旅の人は、あっという間に眠りについた。

 その枕元には、黒くて丸いものも一緒に寝かせてあって、黒いのが少しでも動くと旅の人は目を覚ましていたらしい。

 いなくなったのが、よほどつらかったんだろう。




 旅の男が休んでいた間に、黒い生き物の噂を聞いた人が男の元を訪れた。


 この辺りの地主のお嬢さんは、森で具合が悪かった生き物を誰にも知らせず屋敷に連れて行ってしまったこと、屋敷で迷子にしてしまったことを男にわびていた。

 男は助けてくれてありがとう、と言った。

 お嬢さんは、生き物を指でそっと撫でて、お見舞いのブドウを男に渡した。

 また、給料は絶対に払わせるから、と言って、自分の父のことを怒っていた。

 男は父親とけんかしないよう、やんわりと言ったが、お嬢さんの怒りと決意の方が強かった。


 地主の家で馬の世話をしている男は、屋敷の誰かが逃がしたらしい生き物を拾い、家に連れ帰ったが、弟が持ち出して行方知れずにしてしまったことを説明し、わびた。

 弟も一緒に来てわびていた。

 旅の男は静かな顔で話を聞き、世話をしてくれたことに礼を言った。

 謝りに来た男は、旅の男の近くですやすやと寝息を立てている生き物を見て、安心していた。

 弟も、無事に見つかったことを喜んでいた。


 飯屋で給仕をしている女が、おかみに頼まれたと言って、食事を持って来た。

 探し物が見つかって良かったと言ったが、探し物が小さな黒い生き物だったと知って露骨にがっかりした顔を見せた。

 男がここから去ることを決めたと知ると、あっさりと立ち去り、夜は別の男が食事を運んでいた。




 旅の人は2日間休みをとった後、まだ終わっていなかった畑の仕事を手伝った。

 さらにその翌日には泊まっていた農家のじいさんの畑仕事も手伝っていた。

 じいさんの家のがたついたところも修理していたようだ。

 旅の人は仕事の間もポケットに黒くて丸い生き物を潜ませるつもりだったようだが、仕事が始まると生き物自ら近くの木の上、それもかなり高いところにひっそりと隠れ、休憩になると、迎えに来た旅の人の元に飛んでいった。

 飛ぶ力は弱く、見ていて危なっかしかったが、3日前に見たよりは、ずいぶんと元気になっているようだった。

 周りの人も、生き物に近づくときには旅の人に先に声をかけるようにしたので、生き物も、見慣れた地主のお嬢さんや、馬番の男が来ると、警戒を解いて近寄っていた。

 つややかな毛並みで、小さな手を伸ばす姿は、少しも怖くはなく、愛嬌があった。

 とはいえ、あそこまで過保護に溺愛する気は起こらないが…。


 そして次の日、旅の人は丸い生き物と一緒にこの村を去った。

 5日分の給金と、丸い生き物への餞別を持って…


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