終幕
厳かでありながら絢爛、歴史的な意味でも造形深いとされている皇国は、壁に大岩をぶつけられた時の衝撃のような音の後、一瞬にして跡形もなく消え去った。
大雨の中、音にかき消されることなく、皇国中にその爆発音は響いた、ある者は家の中から、あるものは家畜の世話をしている小屋の入口から。皇国の爆発の様子を見ていた。
音と規模のわりには不思議と、爆発の範囲は皇城にのみに留められ、城勤め以外には皇国にはまったくの被害がなかった。
爆発の音に驚きながらも、市街中、突然皇城が消えたことに驚きを隠せなかった。
――――。
皇国上空。
ひとつの黒い影が皇城の跡地の上を覆った。雨雲でもなく、雷雲でもなく、ただ、それはひとつの生き物だった。
生き物は冷たい眼差しで皇城を見下ろした。城の大きさは視線の主より遥かな大きさを誇っていたが、視線の主もそれ相応の大きさ、城門の入口では入りきらないほどの大きさはしていた。
羽をはばたかせて、雨風をはじく。そっと、皇城だった瓦礫の上に降り立つ。そこは中庭だったのか、捲れ上がった芝生、なんとか爆風から逃れた花々がわずかに生き残っていた。
主は、意図していないが。地に降り立つと、その生き残りも許さないかのように、全ての花々、芝生が枯れ果てた。
それに気にも止める様子もなく、長い首を動かし、瓦礫中を見渡した。
「――エミリア!いたら返事をしろ!」
紫瞳を瞬かせて、雨を鱗ではじき、大声は強風を引き起こさんがばかりに声を張り上げた。
邪竜――ファフニールは魔法で瓦礫をどかすが、出てくるのは、人間の死体。死体。死体。エミリアらしきものはひとつも見当たらない。
彼女自身の不死の呪いのことは知っているので、死なないとわかっているが、心はそうではない。魔法の痕跡から核撃魔法のような高出力の魔力が必要な魔法を行使したのだろう。
不老不死でも、魔力切れによる不調症状、または、心に関する不調は免れない。深く傷ついた心は不老不死でも癒せないのだ。
早く、見つけなければ。安心したい。まだ、彼女は生きていると。心と体がある人間なのだと。また、笑い会えるのだと。瓦礫をどかして、壊し、粉々にする。
すると、ふたつ、蠢く影があった。
「……ッ!エミリアかッ!」
その影を魔法で拾い上げる。今の自分の形態では、爪で彼女を壊し兼ねない。大事に。スプーンでゼリーを掬うように。
しかし、それはエミリアではなく、運よく、肉の壁によって核撃魔法から逃れた、この国の皇帝と皇妃だった。
さぁっ……とファフニールの表情は温度を下げていく。
「ド……ドラゴン!しかも上位種かッ!?なんでここにッ……」
「……おい、人間。一度しか言わぬ。エミリアはどこだ」
低く、声で地ならしをするが如くの威圧した態度でファフニールはハルトにエミリアの居場所を問う。彼は文字通り、一度しか言わない。答えなければここでハルトの命は潰えるのみ。
目の前の新たな脅威に、必死に焦る心を抑え込むように生唾を飲み込んだ。
「えっ……エミリアさんなら……多分」
答えないハルトの代わりに、咄嗟にミーユが答えた。彼女の指を指した先にはひと際大きな瓦礫があった。急いで彼たちから手を話すと、その瓦礫をどかした。まるで小石をどけるかのように軽々と。
――すると。
「――ッ!おい!しっかりしろ!」
ファフニールの視線の先には確かにエミリアはいた。五体満足ある。着ている服は血で赤く染まり、ボロボロで、どころどころ、肌が見え隠れしていたが。無事であることは代わりない。
静かに寝息を立てていることを確認して、安心して目を閉じた。
「……無駄ですよ。彼女、自分の命を代償にして、核撃魔法を放ったんですから。死んでますよ」
ミーユはエミリアが死んでいると思ったのか、ふと嘲笑するように言葉を吐いた。
自分の居場所を、地位を一瞬にして奪い去った憎むべき人間。死んでせいせいする。そう言いたそうな笑いだった。
その笑いが癪に触ったファフニールはギロッと視線で殺さんばかりの勢いで睨んだ。
「黙れ。元はと言えばおまえらが欲を欠いたことが始まりであろうが。おまえがガキに手を出さなければ、エミリアに関心を持たなければこうはならなかった」
ファフニールは喉から出る怒りにきゅうっと喉を締め付ける。ここで感情のままに力を振るえば、彼女が皇城のみを範囲とした魔法を使った意味がなくなる。
彼女の怒りはあくまで、皇室に向けられたもの。怒りには皇国全域に済む人間には向けられていない。だから、その人たちにまで被害が出ないように魔法の威力を抑えた。
どこまでも、ところどころで甘さがあることに呆れるファフニール。しかし、目の前の女だけには、その優しさを向ける気はなかったようで。
「……ところで、おまえたちは何故生きている?こいつは確実におまえたちを殺すつもりで放ったはずだ」
真下で座り込むミーユとハルトを見下ろす。すると、ミーユは左手に着けている結婚指輪を掲げた。
「……私たちには皇国中の魔法士が心血を注いで作った魔法攻撃を無効化する、無効化の指輪を着けています。魔法攻撃はこれではじいたのです。……まぁ、エミリアさんの努力は全て無駄になったということですね」
あんなにも慌てていたのは、魔法攻撃は無効化できても、範囲は所持者に限られ、さらに降りしきる瓦礫やガラスの破片はどうすることも出来ない。それで死ぬ可能性があったからなのだろう。……とエミリアは思うだろう。
思考からあらかたあらましを読み取ったファフニールは、もう興味を失くしたように。
「そうか、ご丁寧に説明どうも……だな。――では、死ぬがいい」
それだけ口にした。すると、二人はどさり、と力を失くしたように地面に突っ伏した。
動かない。まるで、魂が抜けたみたいに。そうして、二度と、彼らが動くことはなかった。
「……本当に魔法攻撃を無効化するだけだったな。精神作用に該当する、高位魔法の呪言には抗えなかったようだ。……さて」
ファフニールは瓦礫に横たわるエミリアにそっと口を近づけた。牙で彼女の肌に傷をつけないように、咥えると、そっと刺激しないように立ち上がり、羽をはばたかせた。
 




