正体――
帰るタイミングを失くしたエミリアは、レオンの家に泊まることになった。アイリスがいる手前、こんな夜更けに帰るのであれば不信に思うだろうと思ったからだ。
姉弟とはいえ、血のつながっていない男女が同じ屋根の下で寝泊りするのは不憫……それよりもっとエミリアと話したいと思ったアイリスは、レオンに頼みこんで泊まることになった。
アイリスとエミリアは同じベッドの上で。バルスはソファに。レオンは床に布団を敷き、シーフと寝ることにした。
「エミリアさん……小さい頃のレオンってどうだったんですか?」
話をしたことで、仲が深まったと感じたアイリスはよりフランクな口調でエミリアに聞く。エミリアはその距離感に戸惑ったが、いちいち気にしてもらちが明かないと、そこには突っ込まないで、質問に答える。
「弟妹思いで、素直でまっすぐで、勉強熱心な子だった。たまーにちょっと抜けているとこがあるけど、そこを含めて自慢できる弟よ。なによりも、誰かの為に自分を犠牲にする子……たまに心配になる」
「それは……わかります。レオンは頼もしいし、強いけど……こちらが依頼する危ないことに躊躇なく協力してくれるんです。暗部殲滅の時も、奴隷商殲滅の時もそうだった。私たちは彼の強さを当てにして、彼はそれになんの疑問を持たずに、ただ正義の為だと頷いてくれる。でも、その頭のおかしさに私たちは救われているんです」
「それ、本人の前で言うか……?」
「これくらいいいでしょ。いっつも私の目の届かないところで怪我するんだから。……ファフくんの時の鍛錬もそうだし、弟たちと森の木の実狩りをする時も。……それに、私が拾った時もそうだった。率先して自分が犠牲になろうとした。もう少し自分の命は大切になさい。……人の命なんて脆いんだから」
エミリアは天井に顔を向けて、昔の出来事に思いを馳せ、今のレオンと重ねる。まったく変わってない。変わったのは強さと、生きる意味の中に夢が生まれたくらい。それに人生を重ねてちょっと知識がついただけ。
足元にいる大きな子供に向けて苦笑を漏らした。
「エミリアさんはレオンを大切に育てられたんですね」
「大切……そうね。時間と感情を犠牲にして過ごしたのだから、大切に思わないことはないわ。……だから、王女様、レオンをこれからもよろしくね。私はもう傍にいてあげられないけど。これから長い時間を共にするのはあなたたちだから。レオンが無駄な死に方をしないようにしてあげて」
「死なないように……ではないんですね」
「騎士になった以上、ロクな死に方はしないでしょう。もしかしたら次の戦争で死ぬかもしれない。ちょっとした拍子に死ぬかも。……だから、死なないようになんて無責任な言葉は言わない。それはこの道を選んだレオンに取って失礼だから」
成長していく我が子にして弟。その成長の度に喜び、死に近づいていく度に悲しくもある。もう彼女の手からは離れてしまった。だから、この王女にレオンのことを任せるしかないのだ。
そこまで知って、アイリスは強くうなずいた。
「目的達成の為に。夢を叶えるために、レオンを無駄に死なせないことを約束します。……それで、あの、エミリア様」
「……なに、どうしたのかしら」
アイリスはおずおずと口を開く。ずっとなにか聞きたいことがあったようで、もじもじとしている。エミリアは遠慮せずに言ってと促すと、意を決したように口を開いた。
「ずっと悩んでいたのですが……失礼を承知でお聞きします。あなたは隣国、カーバル王国の聖女……いいえ、元聖女のエミリア様ではないでしょうか」
アイリスは逃げられないように視線を合わせる。彼女の方向に向いたエミリアはその視線に釘付けになり、サファイアブルーの瞳を大きく瞬かせた。
まさか、過去を知る人間が……こんな異国の王族にいるとは思いもしなかったから。
★
「……いやだわ。なにを言っているのかしら。聖女ってあの、魔素を浄化させる聖女のこと?私がそんな高尚な職に就けるわけ……」
「……聖女の言葉には複数の意味がありますが、魔素を浄化させるのを役割としていることを知るのは多くありません。民間では国に溜まった瘴気を払うことを聖女の役割と認識しているものが多いので。それに、その特徴的な白髪……サファイアのような鮮やかな宝石の瞳。……見間違えるはずありません。私は、幼い頃、カーバル皇国のパーティーに招かれたことがあるんですもの」
ぽつり、と呟いたアイリス。自分の好奇心を満たすことしか考えていなかったのか、この後の展開をどうすべきがあぐねいた。そして、レオンはというと、エミリアが聖女だということすら知らなかった。
エミリアは自分の過去を語ろうとしない。そういった話になるとはぐらかすし、ファフニールが介入してうやむやになってしまう。レオンもレオンで、エミリアの過去には興味があった。
助け船を出してやりたかったが、レオンもエミリアの過去は知りたかったことなのだ。
エミリアは静かに状態を起こす。まるで生気が宿ってない表情で王女とレオンを見下ろした。――瞬間。
「シーフ。出入り口を封鎖して」
指示に機敏に反応した、シーフは犬化を解いて、フェンリルの姿に戻る。周りの人間に気づかれない程度に吠えると玄関の扉口に立ちふさがった。
異様な変わりように護衛のバルスも起き上がり、帯刀しようとした。しかし、シーフが先回りをして麻痺を掛けたので、動きが鈍った。
「別に殺したりしないから安心して。……まさか、私のことを知っているなんて思いもしなかった。……ううん。私がもっと警戒するべきだった。ちょっと考えれば、王族が私を知っている可能性があるのに。弟会いたさでのこのことこの国にやってきてしまったのだから」
エミリアはバルスを一瞥して、安心するよう促し、自分のうかつさに嘲笑した。こういうことを避けたくてずっと森暮らしだったのに。感情を優先して、正体がバレてしまった。
「で。あなたは虎の尾を踏んだのだけど、これからどうするの?ずっと黙っておけば、こうなることはなかったのに。ねぇ……」
「あなたは国家反逆者として……聖女殺しの未遂の犯罪者として知られています。私は、レオンから森の話を聞いて、見た目と魔素に対しての異様な知識に不思議に思っていました。だから、今日、あなたに出会って正体は確信に変わった。あなたはあの時からなにも変わらないからこそ、気づけた。私はこの国を守るものとして、ここにいるあなたが、レオンの育ての親のあなたが悪でないことを確かめたかったのです」
「で、私はあなたのお眼鏡に叶った?」
「……ええ。それはもう。だって、あなたはこんな簡単なことに気づけないくらい、【人に興味がない】のですもの。そんなあなたが聖女ミーユを殺そうと……ましてや国家叛逆などするはずがない」
人の感情の機微。相手の行動原理。エミリアはそれを理解するつもりはなかった。というか、興味を抱くことはなかった。
エミリアは転移されてからは、生き抜くために精一杯だったこと。魔素や魔力研究で好奇心がすべてそちらに向いてしまっていたということもあるが。
元々、人にはあまり興味を抱いたことが、前の世界でも少なかった。人並みの愛着、終着はあるだろう。しかし、彼女の場合は「この人はどういう人間なのか」という興味より、自分の自己中心的な考えの末に関係を持ち、築き上げることが多かった。
だからこそ。周りの人間に興味を抱けなかったからこそ、最終的に国に追われてしまった。
実際、聖女に対する殺人未遂の罪はついているだろうなと感じたが、後付けに国家反逆罪の罪状がついていることに内心驚いていた。
「あなたは私という人間がどういう人間なのか興味がない。彼からあなたに関して伝わっている情報に興味がない。……でも、だからこそ、人間ではなく個を見る貴女が、偽りのないまっすぐな人間なのだとわかりました。興味がないからこそ、無害な人間でいられるあなたが……皇国に仇為す人間に見えない。だから、私はあなたに敵意はありません。それに友好的な態度をみせた方が利益が大きいじゃありませんか!」
エミリアは目を伏せて、賞賛するように手を叩いた。その歪さに、口が開けないバルスは恐ろしさを覚えた。
「……さすがの洞察、恐れ入りました。あなたのような賢き人間が第二王女だなんて。男子であれば王位を継承できたでしょうに」
「あら!私は王位は諦めてませんよ。私が継げなくても、私が選んだ賢い婿がその座に座れば解決なのです!上の馬鹿兄では王国を円滑に収められないでしょうし」
アイリスは恐れ知らずか、がばっと勢いよく起き上がり、鼻息を鳴らした。まるで昔の子供たちを見ているようで、微笑ましかった。
「逞しいのですね。……わかりました。あなたが私や森に敵意を向けない限りはこのことは不問にします。ただ、面倒なので、情報開示に関しての制約は掛けさせていただきますね」
「それくらい、してもらわないと困ります。私、レオンいわくお喋りっぽいので」
この事件の発端の一人であるレオンにもけん制の意味で、睨んだ。叱られた子供の用にびくりと肩を震わせたレオン。
「……レオン、口の軽いあなたもよ。本当は記憶の一部を封印したいくらいだけど、王女様が面白かったから多めに見る」
「わかった……ごめん。姉さん」
「それと、このことは他の子供たちにも秘密。カールとアールは特によ。皇国の奴ら、私が生きているって知ったらどうするかわからないから。人に興味がなくても、恐ろしいことになるくらいは想像できるもの」




