3年後――
「ぷえっくちょん!っは~。くしゃみなんて久々。誰かが私の噂でもしてんのかしら」
【大丈夫ですか?主……】
死海の森の奥深く。そこには一件の公爵屋敷並みに豪奢な建物と広大な庭が広がっていた。ここには森の大賢者兼、魔女兼、元カーバル皇国聖女、エミリアと、邪竜ファフニール。そしてエミリアの3匹の魔獣が住んでいる。
今日は王国に使いをやっていたシーフが帰ってきた。エミリアは報告を受けるとそれはもう喜んだ。喜びのあまり、シーフの顎やら背中やらを撫でくり回す。
【......というわけで、レオンは無事、治安部隊長になったわけです】
「騎士になって2年で部隊長なんてすごいじゃん!さすが私の弟!......でも、その王女様って人間的にとか......大丈夫な人?」
【俺が見た限りでは弱者を見棄てることをせず、自国の民に博愛の心を向けていらっしゃるよき為政者だと思います。レオンの主としては心配がないと思います。ただ、目の前もの全てに手を差し伸べる系統の人間なので、いざという時の心配は残りますね】
「......そう、それは心配ね。レオンには他人より、自分のことに集中して生きて欲しいのだけど......。でも、彼の人生だものね。私たちはそれを静観するしかないわね。……お疲れ様。様子を見に行ってくれてありがとうね。今日は休みなさい」
【はい、お言葉に甘えさせていただきます】
……シーフが小屋に帰ったのを確認すると、エミリアは座っていた長いすの腕置きに頭を預ける。窓の外から差し込む月明かりを朧げに見上げた。
その瞳には不安の色が宿っていた。
「……子供たちが心配だわ。……とくに、レオン。王族と縁をもっちゃうなんて……言い様に扱われないか心配」
★
――3年後。
レオンは第二王女、アイリスの支持もあり、数々の功績を讃えられた。その功績を考慮し、今日、王国騎士団長に就任することになった。
前王国騎士団長は王国の内部情報を隣国のカーバル皇国に横流しをしたこと。民から徴収した税の横領の罪で起訴され、その席を追われることとなった。
それが2年半前の話。それから、王国騎士団長は空席で、副団長が兼任して職務を代行していた。
団長が貴族から任命されることはそこそこ長い歴史を持つアースガルド王国では始めてのこと。元奴隷、平民のレオンが団長に就任することに関して抗議の声が上がったことはあった。
しかし、レオンの功績と、貴族側の悪事を露見したことで、反論する声はかなり少なくなった。特に、レオンはその素行から平民に慕われ、非権力者から絶大な支持を得ていた。
授与式が終り、第二王女であるアイリスから王国騎士団長の証である、聖剣カリバーを賜った。
★
その授与式の開場である王都広場から大通りへ、北へまっすぐいった辺りに、一人の髪の長い白髪の少女の影が見えた。少女は同じ真っ白な毛が美しい1匹の犬を連れていた。
人混みのある場所から少し離れた場所。群衆に紛れて「弟」の姿を遠視の魔法を使って観察する魔女は、式典が終るのを確認すると足元に控える犬に声を掛けた。
【よろしいのですか?あやつに声を掛けなくて……一声だけでも声をかけてやれば喜ぶと思うのですが】
「……それはしないって最初にいったでしょ。様子を見に来ただけだし。彼はもうこの国の地位ある人間よ。私のような目の上のたんこぶに声を掛けられたら、困るのはあの子。この距離感でいいのよ」
【主がそれでいいのなら、俺はなにも言うことはありません】
シーフはこんな間近まで会いたい人に来ているのに、挨拶すらできないレオンの気持ちを察すると尻尾を下げた。彼のことは使いを通してエミリアへの思いは理解しているつもりだ。姉のように、母のように慕うものがこんなに近くにいるのに会えない現状に同情した。
だが、第一はエミリアの意思なので、シーフは同情するだけに留めておく。
「さて、式も終ったし、帰るわよ。……あーあ。人混みってホント苦手。ふらふらするし、気持ち悪いし」
【ならば帰りは俺の背中に御乗り下さい。風の如く地を駆けて帰りましょう】
レオンが広場に設置してある舞台から降りたのを確認すると、エミリアたちは踵を翻して人混みの少ない路地へと向かう。探知魔法で人の気配がない場所を選んで移動しているので、文字通り、周りに人はいない。
「行きが転移魔法だったから、あなたが体を動かしたいだけじゃない?それ」
【否定はしません。それと、森から出ない主を乗せて走るのは他の魔獣たちへの土産話になるので】
「ふぅん……。ま、いいけど。あんまり魔獣に乗るなんて体験できなさそうだし」
【お望みであればいつでも俺の背に乗ってくださ……】
シーフと話をしていると後ろからこちらに人一人分が走ってくる音が聞こえた。シーフは喋るのを辞めて警戒の耐性を取る。エミリアはというと、この足運びには聞き覚えがあったので、特に驚くことはない。
ただ、会うべきかどうかは迷ったが、会いたいという気持ちが勝ってしまったので、転移で逃げるという真似はしなかった。存在に気づいたのならそれはそれで運命なのだろう。
「ねっ、姉さんッ……!」
エミリアは振り返る。そこには成長して、眉間の皺をさらに深めたレオンの姿があった。
プラチナブロンドの髪の毛は肩くらいまで伸び、ざんばらだった前髪はオールバックに整えられていた。お堅い騎士のような風貌になっている。
逞しい体つきをしているのに、姉離れしない、どこか弱弱しい声に、エミリアは苦笑した。
 




