森からの手紙
王都に来てしばらくして、あの日の騒ぎは嘘のような平穏な日々をレオンは送っていた。
騎士の入団試験は無事に合格して、王都の治安部隊に配属された。
王都の治安部隊は街の治安を守るのが仕事。住まいも王都から動くことはなかったので、レオンは賃貸を借りて一人暮らしをしていた。
そんな賃貸に1匹の来客が訪れる。
カリカリと扉をひっかく音で察知したレオンは扉をゆっくりとあける。玄関には誰もいないが、誰かがいる気配はする。家の主を確認した来客は念話のペンダントを通して話かける。
【こんばんは、レオン殿。主の命により手紙を届けに参りました。あと、ちょっとお使いも頼まれて欲しいそうです。お金はこちらに......】
不可視化の魔法がかかったシーフは魔法を解き、真っ白で美しい毛を現した。腰に着けているウエストバッグを視線で指して取るように促す。
レオンはバッグから手紙とお金......そして自分宛の包みをとり出す。
「シーフ、ありがとう。お使いの件は了解した。今度の休みに買ってくるよ」
【かしこまりました。それまで王都周辺に滞在するので、準備が出来たら声掛けお願いします。後、こちら主からの就職祝いというものだそうで、贈り物を預かりました。お納めください】
チェック柄の模様がプリントされた綺麗な包装紙に包まれた包みを解く。すると......。
「......なんだろう?......黒魔石のペンダント?......あと、脱皮した皮?」
【なんでも、貴重な魔石で作った「一度だけ現実的に叶えられる範囲で願いを叶える」ペンダントだそうです。俺も詳細はわかりません。そちらはファフニール様の脱皮した皮らしいです。魔素がこもっており、大変ご利益があるものなのだとか。運を引き寄せる力があるそうです】
エミリアとファフニールらしい贈り物だと思うと、レオンはくすりと笑みが零れる。
「その曖昧さ......姉さんらしいや。ファフニール様のも......ありがとう、大切にすると伝えておいてくれ」
【しかと。荷物は馬車で引いて帰るので、その分も購入しておいてくれると助かります】
「わかった。王都滞在中はこの部屋を好きに使ってくれてもいい」
【ありがとうございます。では、寝床として貸していただければ】
シーフは大型犬のサイズへと擬態する。レオンはいつものようにベッドの下からクッションを取り出してベッドの足元にクッションを敷いてやる。
シーフはお礼を言うと迷いなくクッションの上で丸くなった。
「姉さんは元気?」
【はい、ファフニール様たちと仲良く暮らしております。最近は魔獣の研究に勤しんでいるようです】
「ああ、なるほど。君たちが従魔契約をしたからか」
【ええ、最初にファフニール様に通訳していただいたことをきっかけに興味を持たれまして。今では魔法なしで我らと会話できるほどに、魔獣について理解を深めてらっしゃいます】
「さすが。姉さんの好奇心には頭が上がらないよ」
【ははは。俺も従魔として鼻が高い――】
レオンたちは会話に花を咲かせる。彼がが会えるのは、手紙を送り届ける月に1回、2回程度しか会えない。話したいことが山々なのだろう。
だからこそ、外にいる人間の気配に気づけなかった。
――コンコン
扉をノックする音で、シーフはテレパシーを使うのをやめる。外にいる誰かに伝わりでもしたら大変だと、犬らしく振舞うことに徹する。ここで騒ぎを起こせば困るのはエミリアだ。
第一に主人のことを考え、警戒はしつつも、無害な犬のように振舞った。
「誰だろう、こんな時間に......」
「......ワン」
レオンも警戒半分で扉を開ける。中に人がいる気配が明かにあるのに、居留守を使えば余計に怪しまれる。
......すると、見慣れたマント、裾から除く薄い紫のドレス。そしてフードから鮮やかなブロンドヘアを覗かせた麗しい容姿をした女性が、護衛1人を後ろに引き連れて現れた。
「レオン久しぶり!元気だった?最近仕事は順調かしら?」
「......あなたは、王女様。......どうも、あなたとは......入団試験振りです」
「冷たいわ。あなたには特別気にかけているのよ?もうちょっと愛想よく振舞ってくれてもいいのに」
アースガルド王国、第二王女アイリス・F・アースガルド。以前、騎士入団前のレオンが宿の一件で世話になった女性だった。
あの後、宿屋での暴力事件の聴取に呼び出され、あやうく罪を着せられそうになり、入団取り消しになるところだったが。このアイリスのおかげで最悪の事態を免れた。
その時に彼女の正体を知り、入団式では彼女直々に祝辞の挨拶を頂いたほどだった。
あれ以来だが、レオンはアイリスの顔は忘れなかった。
家も教えていないのに、彼女がどうして今日、ここに来たのかがわからなかった。レオンはここに来た理由を問う。
「その前に家の中に入ってもいい?バルスも一緒に」
「どうぞ。手狭ですが」
「そう......ありがと。ほら、バルス、入りましょう」
「......はい、王女様」
王女が入りやすいように入口からどいたレオン。王女、続いて護衛の人間が入る。だが、家に上がる前に一度制止をかける。
「ああ、うちでは靴を脱いで頂いてもよろしいですか?実家では上履きか裸足で生活する家だったので、どうも落ち着かないのです。スリッパを出しますので、そちらに履き替えてください」
「貴様、王女に向かってなんという無礼な口の聞き方か!ここは王都だ。極東にある蛮族の風習でもあるまいに、土足でも構わんだろう」
護衛のバルスという者は尊大な態度でレオンを一瞥した。他人の家であれば従うのはしきたりかもしれないが、ここは自分の家だ。彼に偉そうに自分の生活スタイルを否定されるいわれはこれっぽっちもない。
「郷に入っては郷に従えという言葉を知りませんか?たしかに王国であれば王国のルールに従うのは道理。しかし、ここは俺の家で、この家の中では俺がルールです。従えないならかえって下さって結構です」
「ガルルルルルル......」
バルスに言い返すレオン。それに応戦するシーフにたじろいでしまうバルス。すかさず、アイリスは「ごめんなさい。うちの護衛が失礼なことをいいました」と頭を下げた。
権力を振りかざすのではなく、下々の者相手に簡単を頭を下げる姿に、レオンは飽きれつつも度量が広い人なのかと嘆息した。
気の弱い人間なら、そういう人間かと思うが、宿屋の一件でそれはないと断言できる相手。レオンは「こちらも王女相手に失礼しました。お詫びにうちで秘蔵のドリンクを提供しましょう」と怒りを内に収める。
シーフも敵意をしまうと定位置に戻ってしまう。その姿を見て「賢い犬を飼っているのね。よく躾けられてる」と知性ある行動に感心した。
レオンはドリンクを準備しながらすぐにそれを否定する。
「姉さんが旅行に行ってて......しばらくは俺が面倒を見ているんです。なので、その犬は姉さんの犬なんですよ」
「ではお姉さんが育て上手なのね。羨ましいわ。私も飼うならこういう忠実なわんちゃんがいいな。私、何故か魔獣とか動物に嫌われてしまうから......」
王女がシーフの毛並みに触ろうとすると、シーフは触られるのが嫌そうに、王女と反対方向に向く。
王女は「ごめんね」と申し訳なさそうに謝ると、シーフは構わないというようにくつろぎ始めた。
そのころ、丁度レオンがエミリアから送られてきたオレンジジュースをコップに3人分注いで戻ってくる。
2人に配るすると彼女たちがここにきた用件を促した。
「あなたが入団して1年......あなたの同行をちょくちょく探らせてもらったわ。治安部隊としての街の治安を守り、罪人には適正な取り締まり。賄賂に屈することなく、目の前の正義の為に行動した。私はあなたの行動に敬意を示します。そしてお礼を言うわ。あなたのような強者が正義であることに。世界を創造せし10人の神の祝福に感謝します」
「......話が見えてきません。本題を言ってもらえませんか?」
素直すぎる質問に、バルスは片眉をあげるが、アイリスはこら、と一声掛けると怒りは収まる。そして、咳払いひとつ分の間をおいて本題を話した。
「あなた、出世に興味ない?まずは治安部隊長。ゆくゆくは王国騎士団長になってもらうつもりです」
「......冗談を。そもそも王国はどんな身分でも騎士にはなれますが、部隊、ひいては騎士を統率する身分は貴族でないとできない習わしです」
「法律のうえでは誰でもなれる。けど、騎士の採用、人事は貴族が担っている。それに昔ながらの考えの人がいるから、今日まで平民から高位騎士だけ。......今の騎士はね。腐りきってるのよ。腐った玉ねぎみたいにドロドロ。ねずみの死骸臭みたいに腐ったやつらが権力を笠に権威を振るっている」
確かに、王国の騎士は腐りきっていた。罪人を取り締まり、街の治安を守る騎士たちは賄賂で罪を見逃し、時には自ら罪に手を染める。例えば未成年売春、例えば暴力、恐喝、酷い時には殺人まで起こっている。
1年前の宿屋の件はまだ生ぬるい方だった。さらに高位の騎士になると、関所を守っているのをいいことに奴隷売買、麻薬の密輸に加担している。
この世界では奴隷自体は違法ではない。しかし罪のない人間や、正式な手続きを踏まないで奴隷を仕入れることは禁止されていた。
騎士たちは自分たちのお小遣い稼ぎのために、王国の騎士が目に届かない小さな村などを定期的に遅い、奴隷にしては売り飛ばす事件が多発している。
なにより、レオンはその被害者のひとりだった。
レオン自身、目の前の悪を断罪することは可能だが、いかんせん今の地位では目の前の人間に手を指し伸ばすだけで手が一杯だ。
悪を断罪するという点では、出世して悪を正すのに容易な地位に就くことは選択肢のひとつであった。けれど絶対ではない、自分と同じように同じ志が持つものが地位につけば、目的は達成されると思った。......だが、アイリスは考えを見透かすようにそれはない、と
断言した。
「王国貴族は自分の地位、権力を守ることしか考えていない。民を守る立場なのに、その肝心な民を守らず、自分の身ばかりを気にしている。......そんな貴族が入れば今ごろ、騎士団内部は本来あるべき姿になっているし。......だから、速い話、上を挿げ替えるしかないのよ。......今日はその話をするためにここにきた。......お願いします。私に力を貸してください!」
「......俺は悪が嫌いだ。自己中心的な欲を満たすために、他人の幸せを壊すやつらが憎い。そんなやつらに一泡吹かせられるなら喜んで力を貸す。けど、君は?なんの為に俺をその地位につかせようとする?体のいい男を見つけて、思い通りにならない騎士を排除し、騎士団長についた俺を操る魂胆なのか?」
アイリスはレオンの試すような言葉に、つい怒りで机の表面を叩きつける。まだ口をつけていないオレンジジュースは波打ち、勢いよく立ち上がったせいで椅子は横に倒れた。
「それを本気で言ってるなら怒るわよ!――もちろん、この国の民のため!国を存続させる為よ!今はかろうじて騎士というシステムが稼働して、国が運営できている状態だけれど!この異様な状態は長くは続かない!内から崩壊していき、最後には騎士の暴挙に耐えかねた民たちが内乱を起こす未来が目に見えている。無辜の民が殺されるとわかっていて黙って見過ごせるものかッ!」
鋭く、錘のように重々しく、ダイヤより固い意思が込められた瞳をレオンに向けた。薄青色の瞳は怒りでギラりと光る。声が反響し、木造の建物が軋むような気がした。
それほどまでに、この国の行く末を案じているのだと、レオンはその態度ひとつで悟った。だから、レオンはそれ以上挑発することはなかった。
深々と自分の態度に頭を下げ、さらに、心を決めたように即座に返事を返した。
「......わかりました。あなたが本当に正義のためになさるのならば、微力ながら僕も協力します。それで悪を打ち倒せるのなら......喜んであなたを信じ、忠誠を誓いましょう」
「いいの......?」
「はい。あなたは自分のことではなく、この国の民のことを案じられた。だから、俺はその心を信じようと思います」
「......ありがとう、レオン!はぁ......緊張した。緊張したら喉渇いたわ。これ飲んでもいい?」
「はい、どうぞ。そのためにお出ししましたから」
アイリスはブロンドのロングヘアを耳にかけて、そのコップに口をつける。
くぴりと可愛らしく喉を鳴らした。
「――なに、これッ......!あまい、けれどすっきりとした爽やかさ......!これ、オレンジよね?あれめちゃくちゃ苦いし酸っぱい実じゃないの!?」
「そうですね。平民でも手に入りやすい実なので、よくジュースとかにして飲まれるものですが......俺もそのオレンジジュースじゃないと飲めません」
「これ、どこで手に入れたの!?」
「ええっと......実家からとしか。実家が農作物を色々と育てているので。たまに果物とか野菜を食べやすいように加工して送ってくれるんです」
アイリスのことは別に口止めされていなかったけど、あの森にひっそりと暮らしているのでばわけがあるのだろうと、大人になったレオンは考えた。なので、その辺は濁してそのまま本当のことだけを伝えた。
王女は私にも融通して送って頂戴!とおねだりをしてみるが、レオンはエミリアの負担になることを考慮して「姉さん、今は一人で住んでいるので量はそんなに生産できません」と断る。
「そう......、女手ひとつで大変ね。ならまた飲みに来ていい?」
「そうですね。あなたと会う機会はありますし。こんなボロ家で良ければ来ていただいても構いませんよ」
「わかったわ!ありがとう、レオン!」
王女はそのまま1時間くらいレオンの家にいると、護衛を引き連れて住まいである王城に戻っていった。
こちらに大きく手を振る姿はお使いに行く子供のように無邪気で、レオンには微笑ましく思い、笑みを零した。




