96. 異端の翼は正体を明かす 1
対象の意志、能力を制限し、時には強要する定点設置型の魔法。
通称「奴隷刻印」。
知識さえあれば、取り除くことは十分に可能な魔法だ。
とはいえそれが出来る人間は少ない。
なぜならこの魔法は、異端書である穢魂の書を用いるからだ。
つまり知識を持つ人間であればあるほど、思想や倫理観が歪んでいる傾向にある。
穢魂の書を知る者のうち、奴隷を辞めさせるより、奴隷を生み出す人間の方が多いのも仕方のないことだった。
異端書を用いる点。人が人を道具とする異常性。
そういった理由から奴隷の作成、所持は表向き禁止されている。
そう、表向きは。
残念ながら刻印を植え付けられた人間は今もいる。
いや、増え続けているとまで言われている。
都市部において、奴隷であることを強制された存在は珍しくもない。
それが今の現実だった。
「テルラ、体の調子はどうだ?」
「問題ありません」
帰って早々、俺はテルラの元に急いだ。
彼女はベッドで横になりながら、目を開けて天井を眺めていた。
眠そうにしていた所を見るに起きたばかりなのだろう。
「本当に何もないか? 遠慮は要らないぞ」
「いえ、怖いくらい何もありません。こんなの初めての感覚です」
念のためもう一度聞いてみたが、正直まだ安心はできない。
なにせ彼女に使われた奴隷刻印は特別製だ。
「実は伝えなきゃいけない事がある」
「ご主人さま?」
テルラは目を細める。
切り出した俺の顔が強張ったせいで、不安にさせてしまったかもしれない。
だからと言って適当に話せる内容でもない。
「昨日は自信満々に『奴隷刻印? そんなもん消せばいい』なんて言ったわけだが……」
本当は屋上での出来事から薄々気付いていた。
彼女の奴隷刻印は普通の物とは違う。
取り除くのは不可能だ。
「大変申し訳ないんだが、結論から言うと無理だった」
「……そうですか」
テルラの表情は変わらない。
が、落ち込んでいることくらい声音で分かる。
「あーすまない。言い方が悪かったな」
順を追って説明するべきだった。
「確かに消せはしなかったんだが、もう心配は要らない」
「……? それはつまり、どういうことでしょうか?」
彼女に付与された奴隷刻印はあらゆる臓器を介し、相互に繋がることで機能している。
取り除くにはそれら全てを同時に消し去るしか方法はない。
少しでもズレれば残りの刻印、つまり臓器を道づれにしていく。
しかも厄介なことに、この奴隷刻印は付与の仕方もかなり特殊だ。
最初から刻印が埋め込まれた臓器と取り換えることで、対象を奴隷に作り変える。
つまりどれだけ戻しても奴隷刻印は消せない。
回帰の書による荒業も使えないという事だ。
ハッキリ言ってお手上げだった。
よって唯一の対処法、それは。
「『主』として登録されている部分を書き換えた」
奴隷刻印を残しつつ、その効果を実質的に無力化する。
それが俺の選択だった。
「そんな方法聞いたことがありません。無理です」
言ってることが信じられないのか、テルラは目を見て抗議してくる。
「俺は異端書に詳しくてな。まったく同じ奴隷刻印を見たことだってある。試しに違反行動でも取ってみたらどうだ?」
つまり『ご主人さま』とやらに禁止された事をしてみろ、ということだ。
口にしてから気付いたが、かなり無茶な提案だ。
「ですが……」
「気持ちは分かる。試すのはテルラが落ち着いてからで構わない」
違反行動の代償は壮絶だ。でないと奴隷刻印の意味がない。
全身の強烈な痛みや倦怠感、さらには断続的な恐怖のフラッシュバック。
どれも耐えがたい苦痛だ。彼女が渋るのも当然だろう。
「悪いな、失言だった。今の話は置いといてくれ」
彼女は昨日まで奴隷だった身だ。
急に「命令に背け」なんて言われても無理に決まっている。
だと言うのに。
「いえ、やってみます」
「……本当にいいのか?」
「はい」
提案したのは俺だったにもかかわらず、つい聞き返してしまった。
それほどまでに彼女の判断の速さは凄まじかった。
「では始めます」
「あ、あぁ」
テルラはそう口にするや否や、体を起こすと服に手を掛けた。
「……は?」
彼女は戸惑いながらも手を動かしていき、どんどん衣服を崩していく。
俺はあまりに突拍子の無さすぎる行動に、ただ茫然と眺めることしか出来なかった。
気付けばテルラは上半身裸、メイド服の上側はベッドに落ちていた。
「凄い……。本当に脱げてしまいました……」
心底驚いた、といった表情で自身を見下ろすテルラ。
「いや待て。意味が分からん」
「ご主人さまは『違反行動』を取れと、そう仰っておりましたが」
上半身裸が禁止された行動だと?
昨日現れた壮年の男がテルラの所有者のはずだが――。
――女性の裸に何かトラウマが? それとも衣服に対して並々ならぬ想い、つまり着衣フェチ。
なわけあるかアホ。
「なぜ禁止されてたんだ……」
「『傷跡を見られれば不審に思われる』。だから人前では脱ぐなと、そう命令されていました」
言われて彼女の体をもう一度見る。
大小さまざまな傷の痕やシミ。これは鞭打ちに刃物、火による拷問、それに注射痕までもか。
どれも虐待による物だろうか。見ているだけでも辛い。
俺は一言も発することが出来なかった。
エリオラ機関が回帰の書を持っていないとは考えにくい。
にも関わらず見られて困る物を消さなかったという事は、これらの傷跡は古くに付けられた物なのだろう。
回帰の書にも限界がある。
巻き戻せるのは十二時間程度までだ。
「テルラ、少し触れてもいいか?」
「わざわざ聞く必要などありません。あなたはわたしのご主人さま、つまり所有者なのですから」
彼女の物言いは正したいのだが、今はそれよりも先にやるべきことがある。
「悪いな。失礼するぞ」
重ねてもう一度断り、彼女の肩にそっと触れた。
「んっ……」
回帰の書に課された制限時間。
だがそれは、あくまで常識に限った話だ。
「回帰の書、第六章、第二節より引用――」
「ま、待って下さい。回帰の書の第六章……ですか?」
「大丈夫だ。安心してくれ」
俺が保有する回帰の書にのみ記録された魔法。
そこに制限は存在しない。
「――《"根源回帰"》」
詠唱を経て生み出された光は、瞬く間にテルラの傷跡を戻していく。
およそ三秒。
彼女の傷跡が全て無くなるまでに掛かった時間だ。
傷だらけで見るに堪えなかったテルラの肌は、陶器を思わせる美しい白に塗り替えられていた。
「これが……このような奇跡が魔法による物だと? あり得ません……」
「さっきも言っただろ? 俺は異端書に詳しいんだ」
軽い口調で答える。
すると彼女は目を逸らし、小さな声で叫んだ。
「詳しいなんてレベルではありません――! この魔法は! 魔法の限界を優に越えています――! ご主人さま、あなたは一体……」
突然固まり言葉を詰まらせたテルラ。
だが何かに気付いたのか、彼女は小さく肩を震わせ――。
「…………異端の……翼」
そう確かめる様に零し、もう一度俺の顔を覗き込んで来た。




