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92. 問題児の腕の中

大変お待たせいたしました。申し訳ございません。

 6歳。


 私に残されたもっとも古い記憶です。

 それ以前の事は何も覚えていません。


 ですが過去、厳密に言えば経歴はあります。

 最初の()()()()()に与えられました。


 テルラ・ヴァイロット。


 それが私に刷り込まれた過去。押し付けられた『私』でした。


 奴隷として中流貴族に買われた私。

 最初の存在理由は亡き一人娘の代替品です。


 幸い衣食住は保証されていました。

 当然です。娘に似せた人形なのですから。

 しかしそのせいで、私は大きな勘違いをしてしまいました。


 自分は奴隷じゃないのかもしれない。本当に「テルラ」なのかもしれない。

 あの頃は自分の立場を理解できておらず、奴隷であることを次第に忘れて行ったのです。


 やがて身の程をわきまえず、ご主人さまに逆らった私は捨てられました。

 そう、生まれ故郷である奴隷市場に。


 でもすぐに買い手はつきました。健康状態が良かったからでしょう。

 あの瞬間、安堵したのを今でも覚えています。


 こんな汚い場所から抜け出せる。また美味しいものが食べられる。

 間抜けにも、私はまた勘違いしていたのです。立場を分かっていませんでした。




 そして迎えた買われる日。


 次のご主人さまは私をひたすら使い潰しました。

 殴られて犯され、蹴られて犯され、薬で壊されまた犯されて。


 もちろん最初は抵抗しました。何度も抵抗し、反抗しました。


 でもそれは叶いませんでした。


 ただの性処理道具。奴隷らしい姿の一つ。

 それが二回目の存在理由です。

 三回目だって同じです。私を使う()()()()()が変わっただけ。


 もうこの頃になると、「考える」というものが何なのか、ほとんど分からなくなっていました。


 好き、嫌い。楽しい、辛い。

 欲しい、要らない。

 痛い、気持ちいい、痛い、気持ちいい。


 そして生きたい、死にたい。



 私に残された「考える」は、立っているとか座っているだとか。

 あとは寝ている、でしょうか。そういったものだけです。




 そんな日々に変化が訪れたのは四回目。

 新しい()()()()()はこれまでとは大きく違いました。


 見知らぬ場所に連れられ、最初に告げられた言葉。


「お前は何を望む?」


 私は答えました。「分からない」と。

 正しい答え、求められている答えが分からなかったのです。

 ですが()()()()()は、私の返答に満足したのか殴って来ませんでした。犯されませんでした。



 それから4年間。


 私は常識、魔法、礼儀作法。

 そして人の殺し方、あらゆる環境下での生存方法、身の振り方を刷り込まれました。薬や魔法による強化も施されました。


 言われた事をこなし、食べて寝る。

 毎日毎日その繰り返し。




 次に命じられた事も、毎日のひとつに過ぎない。

 そんなことを考えながら、王立シトリス魔法学院に訪れたのです。


「お待ちしておりました、ご主人さま」


 命令はひとつ。

 シトリス魔法学院の学生寮。そのメイドとして「普通」に過ごし、次の命令を待つこと。


 難しい事はなにもなく、これまでに刷り込まれた「普通」をなぞって生活するだけ。


「いや要らんわ!」


 簡単な命令だと、そう考えていたのです。


 レイシス・ロズウィリア。

 彼がシャワーに向かった際、私はお背中を流すつもりでした。

 それが常識であり、学んだ知識。


 でも強い言葉で拒否されたのです。意味が分かりません。



 この時初めて、私の「普通」にヒビが入りました。

 もう不安でいっぱいです。


 そう、不安です。


 私はこの日、不安という「考える」を思い出しました。

 氷像を見て、凄いという「考える」を思い出しました。



 その後も彼は振り回してきました。考えることを強要してきました。


 何をしたいのか、どこに行きたいのか。


 当然そんなものは分かりません。でも()()()()()の命令のため、頭の中身を総動員して何とかする他なかったのです。


 やがて私は少しずつ、とても少しずつですが、思い出し始めました。

 あぁ、これが「考える」なんだ、と。


 もちろん追加の命令もちゃんとこなします。


 騎士団から奪い取れ。

 レイシス・ロズウィリアを探れ。

 越境えっきょうの手配をしろ。


 どれも言われた通りにやりました。

 そしてまた、私の元に届いた次の命令。


「レイシス・ロズウィリアを、人目の付かない場所に連れ出せ」


 

 最初はいつも通り、命令に忠実であろうとしました。


 でも逆らってしまった。


 彼が一人になってしまわないよう、私と行動を共にしないよう……。

 命令の意味を()()、気付いてしまったから。


 ですが私の反意は見透かされていたのです。結局彼は撃たれてしまった。

 かと思えば、元気そうに生きている。まるであの凄惨せいさんな光景が嘘だったかのように。


 あれは夢だった。

 混乱した私には、そう結論付けることしか出来ませんでした。


 すると()()()()()は奴隷刻印を使い、行動の強制をして来ました。逆らったからでしょう。


 でもそれはおかしい。

 だって逆らったのは夢のはず。

 なのにそれが原因で苦しめられた。


 もう訳が分かりません。頭の中はグチャグチャです。



 気付いた時、私は彼を刺してしまっていた。

 両手は血に染まり、視界は黒に染まり、全身の痛みのせいで何も分からない。

 

 そして私の口からは、唱えてはいけない異端の魔法。


 もう何も考えたくない、理解したくない。

 疲れてしまった。


 そんな事を考えていると、私は自然に短剣を拾い上げていました。


 ここで死んでしまえば、彼を刺すことはありません。殺すこともありません。考える必要だってなくなります。


 もう考えなくていい。昔のように、考えなくても……。


 瞬間、今までの自分が頭をよぎり、手が震えました。

 なぜなら私は、「考える」を取り戻してしまっていたのだから。


 死にたくない。でも生きたくない。


 そんな矛盾する気持ちに挟まれて、声を張り上げて――。



 ――気付けば彼の腕の中。


 初めて他者に受け入れられ、理解され、認められた言葉の数々。

 その一つ一つが救いのようです。


 もう私には泣きじゃくることしか出来ません。

 ただ突き動かされるように、泣くことしか出来ません。


 ひたすらに泣きました。




 そして。


 沸き上がって来た、初めての感情。

 知識としてしか知らなかった、初めての気持ち。






 ()()()()()()


 私は今日、好きという「考える」を知りました。


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