9. 問題児は絡まれる
「Bランク……。ねぇフレイヤ、これBって書いてあるわよね?」
「Bって書かれていますね」
ふたりは食い入るように用紙を睨んでいる。
今なら気づかれないだろう。
俺はそーっと歩いてこの場を離れようとする。
が、背後から右肩を思いっきり掴まれる。
おい、ちょっと爪食い込んでんぞ。
「ねぇレイ、これってどういうこと?」
「そりゃそういうことだろ。これで俺も安心して入学できるな」
振り返らず適当に返し、また一歩前へと踏み出す。
「じゃあ俺は飯屋の下見してくるからまた後で――」
しかし俺の足はもう動かない。
いや、動かす気が起こらないと言った方が正しいか。
今度は左肩を優しく掴まれていたからだ。
なにこれめっちゃ心地いい。
「測定ミスかなにかでしょうし、再試験をお願いしたほうがいいと思うのですが……」
ごめんな、それ測定ミスじゃないんだ。
全部俺のせいなんだ。
彼女が優しすぎて罪悪感すら湧いてきたな。
見てるかー? ミーリヤー?
「おい、なんか指の締め付け強くなってないか?」
「よく分からないのだけれど、なんか凄くムカついたのよね」
この勘、戦場でも十分やっていけるレベルだな。
あ、今骨が軋んだ。
「お姉ちゃん! それ以上は流石に!」
「――っと、ちょっとやり過ぎたわ。ごめんなさい」
フレイヤに声を掛けられて我に返ったのか、ミーリヤは俺の肩からパっと手を離す。
こりゃヒビ入ってるな。
「い、痛くないんですか!?」
「いや別に?」
ヒビの大きさ的に痛いとは思うが、特に痛みは感じない。
それに折れてる訳でも無いし、あとで戻せばいい。
「ちょっと待っててください」
彼女は俺の目を真剣に見てくる。
そう、恐ろしく真剣にだ。
「豊穣の書、第二章、第一節より引用――」
右肩に添えられるフレイヤの手。
「――《"癒しの灯"》」
骨に入ったヒビが繋がっていく感覚。
対象の治癒能力を加速させる回復魔法だ。
完治した肩をグルグルと回してみる。
違和感は一切ない。
だいたい関節あたりがぎこちなくなるものだが、これは魔法の精度が高いためだ。
フレイヤの認識を改める必要があるな。
「どうですか? 治りましたか?」
「あぁ大丈夫だ。ありがとう」
彼女にお礼を言いながらミーリヤへと視線を移す。
珍しく落ち込んでいるらしい。
「そんな気にすんなよ」
「だとしても……」
「あーうるさいうるさーい。それよりさっさとメシでも食いに行こうぜ」
悪いがこういう重い空気は嫌いなんだ。
「ってちょっと待って」
ミーリヤは突然俺の手を掴んでくる。
流石に今度は力を入れていないようだが。
てか意外と頑固だな。
「いくら謝っても全部無視すんぞ」
「いやもうそれは我慢するわよ」
ん? じゃあ何が言いたいんだ?
「これからご飯食べに行くのよね?」
「そうだが、それがどうかしたのか?」
なおもミーリヤは不思議そうに俺の顔を見る。
「お店の場所とか知ってるの?」
「あ、それわたしも思ってました」
「う゛……」
思わず喉から変な声が漏れる。
そういえば彼女達と違って俺には土地勘が無かったな。
考えればすぐ分かることだというのに、なぜ気づけなかったのだろうか。
「……いやー、俺今日疲れてるっぽいなぁー」
「今日って歩いただけですよね……?」
「久しぶりにいっぱい歩いたから、とか?」
「なんで疑問形なのよ……」
となるとだ。
結局俺は彼女達から逃げたところで何もできないという事だ。
めんどくせぇ……。
「てかミーリヤ、そろそろ手を放してくれないか?」
そう指摘すると彼女は慌てた様子でさらに力を込めてくる。
パニックで動きが逆になってんぞ。
「あ、あれ!? ごめんなさい!」
「いやまぁ急がなくても――」
言いかけた瞬間だった。
横合いから腕が伸ばされてくる気配を感じ、空いている手で受け止める。
視線を向けてみれば、黒髪の男がなぜか俺を睨んでいた。
「なんだお前、俺に用か?」
「彼女から手を離せ!」
耐えられなかったとでも言わんばかりの怒気。
あれか、ミーリヤの彼氏か?
でもこれ別に俺が掴んでいるわけじゃないんだけどな……。
「それはコイツに言ってくれ。俺はなにもしてない」
「まさかシラを切るつもりか?」
「ちょっとあなた、突然なんなの?」
てっきりミーリヤの知り合いだと思ったのだが、どうも違うらしい。
「――これは失礼しました。私はベルデーリ・フォン・アルベルトの息子、ライエンと申します」
彼は名乗ったものの、ミーリヤは俺と同じような表情をしている。
つまり『え、お前だれ?』である。
だがフレイヤは違うらしく、どうも心当たりがあるらしい。
「もしかしてこの前のパーティーでお会いしました?」
「おぉ! 私のような者を覚えて下さったのですか!」
ライエンと名乗った男は心底嬉しそうに声を上げる。
まずいな、この光景は王宮でよく見る奴だ。
そしてこの状況、とてつもなく嫌な予感がする……。
「あぁ、そういえばいたわね。ベルデーリ卿って言うとお父様の……?」
「はっ! 私の父はエーリュスフィア騎士団の中隊長を任されております!」
うわー、しかもそっちかぁ。
てか学費の件と言い、フレイヤたちの親って一体何者なんだ。
場合によっては彼女たちと一緒に居ると、俺が動きづらくなる可能性もあるな。
あとで彼女たちに聞いてみるか。
それよりもだ。
俺は栄えあるドラグシアの女王陛下から3つの言いつけを賜っている。
一つ、民は宝である。
二つ、魔法は正しく在り続けよ。
そして三つ、貴族には出来るだけ近づくな、だ。
今回に限って言えば確実に巻き込まれるパターンだ。
こういう時は早めに退散するに限る。
「そんじゃまぁ、みんな積もる話もあるだろ。俺は先に行ってるから楽しんでくれ」
そう言い残してこの場を後にしようとする。
だがミーリヤは未だに手を放す気配が無い。
仕方ないため強引に振り払おうとすると、またもライエンなる男が殴りかかってくる。
「貴様! ミーリヤ様に対し無礼だぞ!」
流石にウザくなってきたな。
「そこで何をしている!」
叫び声にライエンの動きが止まる。
こちらへと歩いてくる赤髪の女性、声の主は恐らく彼女だ。
「お前たちは受験者か? 学園の前でずいぶん楽しそうだな」
見た目はスラっとしているが動きに無駄が無い。
体の鍛え方を知っている者の歩き方だ。
それもかなりである。
実力を持った剣士なのは明白だろう。
「べ、ベレール教官……」
「んん? あぁ、お前はライエンか。まさかこんな場所で再会するとはな」
ライエンはなにやら冷や汗を流している。
というか体も震わせている。
よほど彼女のことが怖いらしい。
「教官殿がなぜシトリスに?」
「別に本職に戻っただけだぞ。今度は教師と生徒として、また仲良くしようじゃないか」
「そ、そんな馬鹿な……」
どんどん顔から血の気が引いていってるが、はたして大丈夫だろうか。
彼は知り合いですらないが、流石に心配になってくる。
「で、見たところライエン。お前が彼を殴ろうとしていたように見えたが?」
「そうでした!」
何だコイツ、急に元気になったな。
「この男がミーリヤ様の手を掴んでいるのです!」
「いやだから違うって言ってんだろアホ」
「ア、アホだと! なんだその汚い言葉遣いは!」
彼はまた性懲りもなく拳を振り上げる。
流石に俺も我慢の限界だ。
一発カウンター入れるか。
だが次の瞬間、彼の拳は別の手によって遮られていた。
たしかベレール、だったか。
恐ろしい速度だ。
「彼は何もしていないと言っているが?」
「ごめんなさい! 掴んでいるのは私だから!」
ライエンが口を開く前に、ミーリヤが声を張り上げる。
だが俺の手は解放されない。
それどころかまた握る手が強くなったようにも感じる。
もう意味不明だ、早く解放してくれ……。
しかしライエンはまだ何か言いたげな表情だ。
「だとしてもです! 人族がミーリヤ様に触れるなど――痛でででで!?」
彼が言い切る前にベレールも握る手を強めたらしい。
よかったな、これでお前もお揃いだぞ。
剣士の握力は相当あると聞くし、この男も流石に懲りるだろう。
「この学園で差別はご法度だ。そのぐらい知っているだろう?」
「し、失礼しました……」
そう叱ったベレールは彼から手を放すと、再度言いつけながら学園の方へと戻っていく。
話には聞いていたが、亜人領の人種差別問題はいまだに残っているようだ。
「おい、腕は大丈夫か?」
「あ、あぁ。その……すまな、かった……」
なんだ、思っていたよりもまともな奴だな。
貴族社会にどっぷり浸かっていただけ、ということだろうか?
ともかく根は悪くなさそうだ。
「一応診てもらった方が良いんじゃないか? 手を抜いていただろうが、剣士に掴まれればたまったもんじゃないだろう」
剣士という生き物はどうも力に鈍感な傾向がある。
つまりあいつらが大丈夫だと思っていても、こっちからしてみれば馬鹿力であるというだ。
力に対する認識に差があり過ぎる。
「ん? ベレール教官は魔術士だが……」
「――は?」
そんなわけないだろう。
アレで魔術士だと?
「教官は私が騎士養成所にいた頃、とてもお世話になった魔導教官だ」
彼の表情からふざけている様子は全く見られない。
亜人領、恐るべし……。