5. 異端の翼は殲滅する
俺たちは屋敷が見える場所までたどり着いていた。
あんだけ苦労したイデア大樹海を、まるで散歩するかのごとくである。
だが屋敷が近づいて来るにつれ、フレイヤの表情は険しい物になっていた。
「どうかしたか?」
「その……。いえ、なんでもありません」
そうは言うがやはり表情は優れない。
「いいから教えてくれ」
やや強引に促すと、彼女はしぶしぶ口を開いた。
「お姉ちゃんの魔力がまったく伝わってこないんです」
『レイシスさんはどうですか?』なんて聞かれるが、こんな魔力まみれの樹海の中から分かるはずがない。
――いや、そうだったな。
「気付いているか知らんが俺は人族だぞ?」
俺は自分の耳を指さしながらフレイヤに伝える。
「――あっ」
次の瞬間、間抜けな声を出したかと思えば彼女は俺から距離を取って行った。
いやまあ気持ちは分かるが……。
「言っても信じてもらえんだろうが、別にエルフに興味はない」
なおも彼女はジリジリと後ずさり――。
「そもそもエルフなんて珍しくもないしな。前は一緒に寝てたくらいだ」
「ね、寝たっ――!?」
彼女は素っとんきょうな声を上げながらその場で立ち止まった。
そりゃ俺だっておかしいとは思うが、下士官より下は相部屋なんだから仕方ない。
フィリアがどう思っていたかは知らん。
「あーもう、とにかく少しで良いから信じてくれって言いたいんだ」
俺は屋敷に視線を戻しながら続ける。
「こんなところで争って、手遅れにでもなったら目も当てられないだろ」
「そ、その通りですね。失礼しました」
人族がエルフにしてきたことを考えれば、別に珍しい反応ではない。
が、それでもこれは異常だ。
あの表情を見るに、『賊』とやらはエルフ狩りに来た人族といったところだろうか。
もしくは過去にエルフ狩りに巻き込まれたか、だが。
亜人領で生活している人族はかなり少ないが、エルフはさらに少数と聞く。
その上彼らは人族と違って魔法に対する適性・感応性が高く、見た目もいいと来たものだ。
金だけが取り柄の貴族が実に好みそうな種族である。
俺にはエルフが持つ同種族同士の魔力感知能力は当然ない。
だが樹海を抜けかけているここまでくれば問題ないだろう。
「《"高次探知"》」
俺の体から発せられた微弱な魔力の波が拡散していく。
やがて波は接触した人間すべての魔力情報を抜き取り、跳ね返って俺の元へ。
非常に発生の早い、実用性重視の便利な軍用魔法だ。
「女性の猫耳族が3、エルフが男女ひとりずつ、あとは人族の男が10か――」
「猫耳族と男性のエルフは使用人の方です。女性はお姉ちゃんですが……。一瞬でそこまで分かる物なのですか?」
「まあな。……となると敵は10人か」
敵も人質も、想定していた数よりずっと多い。
「フレイヤはここで隠れていてくれるか? ふたりで行くのはちょっと厳しいかもしれない」
「わ、分かりました。みなさんをどうかよろしくお願いします!」
俺は「終わったら合図する」と伝えて返すと、フレイヤを置いて屋敷の裏手側へと向かった。
一応彼女には"目印"を付けてあるし、一人にしても大丈夫だろう。
----
ひとつだけ気がかりなことがある。
先ほどから頭の中にマップを作るため、各種探知魔法を一定間隔で使っている。だがフレイヤの姉らしき人物の反応がどうも弱い。
救出に影響はないだろうが、頭の片隅には入れておこう。
それよりも出来上がったマップだ。
「1階に見張りが2人、2階と3階を巡回しているのが5人――」
あとの3人は人質全員と一緒に地下室か。
それに《"魔導通信"》の痕跡もある。
各個撃破をしてしまえば人質に危害が及ぶだろう。
となると見つからないよう地下まで、一気に進んで人質を確保するのが最良のはず。
「――さて、作戦開始だ」
一通りのルートを決めた俺は守りの手薄な三階ベランダへと跳躍。
そのまま音もなく着地すると、頭の中のマップを動かしながら凍結魔法の準備を済ませる。
「3、2、1――」
巡回している敵が全員3階から居なくなるタイミングを計り……。
……鍵を凍結させ、軽くたたき割った。
あとは扉を開けて中へと体を滑り込ませるだけ。第一段階成功だ。
次は見つからずに地下まで行く方法だが、これはもう正攻法しかない。
こちらを認識できないようにする方が遥かに楽だが……。
さすがにこんな場所で穢魂の書は使えない。
「っと、もう見回りにくる時間か」
適当な部屋に入り、扉の隙間から廊下を覗いて機会をうかがう。
もうそろそろだろう。
――来た。
「――《"付与探知"》」
右手から打ち出された極小の魔力が、通り過ぎていく敵に吸収される。
あとはこの作業を巡回している残りの奴らにも繰り返すのみ。
ここまでくれば第二段階も問題無い。
やがて2階と3階の見張り全員に魔法を付与し終えた俺は、頭の中のマップを更新する。
予測しながら動かしていた敵のシルエットを、常時送られてくる位置情報に置き換える作業だ。
パターンがあるとはいえ、やはり敵の巡回ルートに穴がある。
少なくとも軍人の動きではない。
「……よし、あとは下の処理だな」
ここまでくれば1階まで向かうのは簡単だ。
なんせ2階より上の状況は丸分かりなのだから。
廊下を進み、階段を抜け。
難なく1階までたどり着いた俺は次のタスクへ。
第三段階の開始だ。
まあここからは作戦でもなんでもない、ただのゴリ押しだが。
「《"タービュランス"》――!」
今まで抑えておいた魔力を解放、短縮詠唱で一気に魔法を起動する。
敵の目には風を纏って突っ込んでくる俺が映っているだろう。
……が、もう遅い。
1階と2階を繋ぐ階段から、吹き抜けを飛んで一直線。
意表を突くように強襲を掛けた。
「な、なんだコイツ!? うわぁぁぁあ!?」
地下室の入口を見張っていた敵が慌てて逃げていく。
もちろん構っている暇などない。
落下する勢いを利用し、木製の扉を蹴り飛ばしながら地下室へ。
残るは人質の近くにいる3人を排除するのみ。
「《"フロスト・スピ――」
そう考え、詠唱を始めた時だった。
「ふん!」
気配を察知し体を伏せる。
その数刻後には、俺の頭上を風切り音が掠めた。
不意の斬撃により詠唱を中断させられ、右手に集まりつつあった魔力が一瞬で霧散してしまった。
賊といえど、対魔術士戦の心得はあるらしい。
それも奇襲に反応できるとはなかなかだ。
「《"ライトニング――」
今度はあえて聞き取りやすいよう、別の魔法を詠唱する。
すると敵はしたり顔で距離を詰め、叫びながら剣を振りかぶって来た。
ふたたび回避動作を取ったことで掻き消える俺の魔力。
だが気にする必要はない。
とっくにもう別の魔法を起動している。
再度使用した《"タービュランス"》で加速した俺は、すでに背後に回り込んでいた。
そのまま全力で背中を蹴りつけると、声を上げながら床を転がっていく敵の姿が。
「む、無詠唱だと……!」
俺は休むことなく残りの二人も殴り飛ばし、位置を素早く入れ替える。
これで人質と賊たちの間に割り込むことが出来た。
あとは締めに入るだけ、なのだが……。
「意外と集まってくるのが速いな」
頭の中のマップから分かってはいたが、この一瞬で賊たち全員はもう目の前に集結していた。
軍人もびっくりの速さである。
「この野郎……!」
今しがた蹴り飛ばした男が俺に怒鳴りかけてきた。
かなり力を入れたはずだが、もう立てるまで回復したらしい。
仕方ない、か。
「5秒やる。今すぐ手を引け」
提案。
それは彼らに対する最後の逃げ道。
人質のこともある。
奴らがこれ以上危害を加えないというなら、穏便に済ませたい。
だが――。
「てめぇナメてんのか! お前らコイツを殺せ!」
表情からこうなることは察していた。
「案の定、というべきか」
人質を守りながらこの人数差。取れる手段はひとつだけだ。
俺は隙を見せないよう敵を睨みながら、背後にいるフレイヤと瓜二つの少女を確認する。
おそらく彼女が双子の姉、ミーリヤで間違いないはずだ。
フレイヤが魔力を感じ取れなかったのは、恐らくあの"手錠"のせいだろう。
あれは対象の魔力を押さえつける代物だ。探知魔法の反応が弱かったのも頷ける。
「――さて、掃除の時間だ」
面倒だが、警告を無視された以上仕方ない。
敵は何かを感じ取ったのか、徐々に距離を詰めていたはずの足が一斉に止まった。
俺は詠唱のために口を開く。
「ま、まて! お前も人族だろ?」
当然話を聞く気はない。
構うだけ無駄だ。
「仲間にならないか? ――そ、そうだ! エルフの女を依頼主に渡す前なら、お前が好きなように使っていい!」
……依頼主、か。
仕方ない、情報を引き出してみよう。
「依頼主がいるのか?」
「お、俺たちも詳しくは知らないが、何でも研究者の集まりらしい」
「他には?」
「それ以外は、その……」
表情からして、どうやら本当に詳しい事は知らないらしい。
時間の無駄だったな。
「悪いが交渉決裂だ」
「ま、待ってくれ! エルフの女、それも貴族とヤれる絶好の機会なんだぞ!?」
「潺の書、第五章、第四節より――」
敵の戯言を無視して詠唱を始めると、今度は後ろから慌てた様子で声を掛けられた。
「ちょっと待って! それは魔物用の魔法で――」
「心配しなくていい」
凄いな、《"ブラッド・ソリディクション"》を知ってるのか。
彼女といい、フレイヤといい、この姉妹の魔法知識は相当に高い。
若干場違い気味に関心していると、目の前の男が焦りながら魔法を連呼していることに今さら気づく。
「クソ! なんでだ! なんで《"ディスマジック"》が効かねえ!」
なんだお前、そんな高度なことが出来たのか。
いやまあ厳密には、現在進行形で失敗している訳だが……。
《"ディスマジック"》は無効化する魔法を完全に理解していないと機能しない。
そんなこと、基礎中の基礎だというに。
「潺の書、第五章、第四節より引用――」
再度詠唱を始めると、賊たちは慌てた様子でばらばらに襲い掛かって来た。
俺は攻撃を防ぎ、避けながら魔法を紡いでいく。
「第三十二項、および百八十四項を改変――」
「……え? なにそれ?」
もう彼女に反応を返している時間はない。
やがて、詠唱は完成した。
「――隔絶されし世界、祖なる種族。――《"ブラッド・ソリディクション"》」
瞬間、賊たちは一斉に体を硬直させて苦しみ出し……。
……彼らは悲鳴を上げることすら出来なくなると、次々とその場に倒れていく。
まるで寝ているかのように転がっているが、当然もう生きてはいない。
地下室にいる人族は俺を除き、ひとり残らず血液を凍らせていた。