43. 異端の翼のとある過去 5
やっとのことで国境を越え、肩の力を抜く。
ここはもうドラグシア領内だ。
「アリシャさん、あと少し登ったら休憩にしましょう」
もう夜明けは近いが、なんとか山頂に間に合いそうだ。
ここまで来れば道のりも一気に楽なものになる。
「はぁ……はぁ……。お願い、します……」
彼女は呼吸を乱しながらなんとか返してくる。
フィリアが支えてはいるが、それでもかなり辛そうだ。
ずっと寝たきりに近い生活を送っていたわけだし、歩かせてしまったのは失敗だったかもしれない。
とはいえ他に選択肢がなかったのも事実だ。
「すみません、ここしか安全な経路がありませんでしたので……」
「いえ……。助けていただけた……だけで、わたくしは……」
彼女が言いかけた時、突然視界が開けた。
まるでこれまでの疲労が嘘だったかのように、アリシャは背筋を伸ばして景色を眺める。
「綺麗……」
どこまでも広がっていくドラグシアの街並み。
「あの一番大きな建物が王城です」
奥の方にそびえ立つ、ひと際大きな建造物が王宮の一部だ。
あの場所がまさに王都であり、これから向かう目的地でもある。
「わたしは見張り、してくる」
「任せて悪いな。しばらく休憩にしよう」
周辺の警戒をフィリアに任せていると、アリシャは一歩前に踏み出る。
「これがわたくしの新たな故郷なのですね……」
「えぇ。これから新しい人生を歩む場所、とでも言いましょうか」
おそらくガーリス公国では彼女の遺体が発見されている頃だろう。
ベイルにすべて任せたのだし、ミスの可能性はゼロに等しい。
この手の仕事はアイツの得意分野だ。
「あぁそうだ。ひとつ大事な事を忘れていました」
「なんでしょうか?」
『アリシャ・ガーリス』という少女は今日死んだ。
それは比喩だけでなく書類上でも、だ。
国の都合で振り回され続け、悲惨な過去を抱える少女はもうどこにもいない。
「名前、どうしますか?」
彼女が過去を捨てるかどうか。
本当ならそれは俺が決めるべき事じゃない。
だがいま必要ないのはたしかだろう。
「レイシス様にお願いできませんか?」
「これから背負う名前ですよ? 俺なんかでよろしいんですか?」
「だからこそ、ですわ」
振り返った彼女の目は真剣そのものだった。
優しいほほ笑みにもかかわらず、強い意志が感じられる。
つぎの瞬間、夜が明ける。
日の光に照らされるアリシャはとても凛々しく。
そしてただ、美しかった。
目の前の光景がひどく印象的だったのか、自然とひとつの言葉が思い浮かんだ。
「――ルーゲンビリア」
「……花の名前、でしょうか?」
俺はうなずく。
「砂漠で強く咲く姿と重なったんです。花言葉もいまのアリシャさんにピッタリかと」
「えっと、その……」
彼女は途端にうろたえ始める。
するとひょいと体を回し、背中を向けてしまった。
最後に見えた顔が赤かった気がするが、朝日によるものだった可能性も否定できない。
「どうかされましたか?」
「あーいえ! わたくしは構いませんが、まだ早すぎるといいますか……!」
「ん?」
言っている事がまったく分からない。
「その、先ほどレイシス様は『花言葉がピッタリ』と……」
「あぁ、『熱心』ですよね。とても前向きな様子が、まさにそれだと思いましたので」
「……はい?」
もう一度振り向いた彼女の表情はすこし間抜けだった。
いや、さすがに失礼すぎるな。
「――なるほど。すみません、いま理解しましたわ……」
かと思えば、またも元の凛々しい表情に戻った。
なんというか、こんなにも感情豊かだったんだな……。
「アリシャ・ルーゲンビリア。…………いい響きですわ」
彼女は明るくなり始めた空を一度見上げ、ゆっくりと俺に視線を戻す。
「レイシス様、今日からよろしくお願いしますね?」
「もちろんです」
彼女を救った時点で最後まで責任を取るのは当然だ。
最低でもひとりで生きていけるようになるまで。
俺はアリシャと共に過ごそう。
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「――ルーゲンビリア」
レイシス様は小さくつぶやきました。
「……花の名前、でしょうか?」
そう答えるとレイシス様はうなずきます。
ルーゲンビリア。
実物は見たことありませんが、とても赤く美しい花です。
そういえば少し前に読んだ恋愛小説。
その最後の章でも出てきましたわね。
「砂漠で強く咲く姿と重なったんです。花言葉もいまのアリシャさんにピッタリかと」
花言葉はたしか……。
――ってええ!?
「えっと、その……」
恥ずかしすぎて顔が見られません!
と、とりあえず後ろを向いて落ち着きましょう!
こういう時は深呼吸ですわ!
「どうかされましたか?」
「あーいえ! わたくしは構いませんが、まだ早すぎるといいますか……!」
「ん?」
レイシス様は思っていたよりも、ハッキリと伝える方だったようです。
まあわたくしとしては、強引に迫られるほうが好みといいますか……。
これでは前より好きになってしまいます。
強気のレイシス様もまた……。
っといけませんわ!
いまはそれどころじゃありませんの。
「その、先ほどレイシス様は『花言葉がピッタリ』と……」
わたくしは生まれた日から自分が嫌いでした。
とくに容姿です。
母親譲りの青い髪、そして父親譲りの頭の耳。
あとはこの大きすぎる胸、でしょうか。
わたくしが拒絶しても、気持ちの悪い殿方はいつも触ってきます。
亜人であるせいで、奴隷と間違われ無理やり押し倒されそうになった日も少なくありません。
ですがそれも昨日までのことです。
嫌いだったこの容姿も、レイシス様が望まれるのなら話は変わってきます。
わたくしが生まれて来たのも、この時のためだったのでしょう――。
「あぁ、『熱心』ですよね。とても前向きな様子が、まさにそれだと思いましたので」
「……はい?」
思わず変な声が出てしまいました。
あれ、だってルーゲンビリアの花言葉って『あなたしか見えない』でしたわよね?
一説によれば意中の女性に贈る花とも聞いたことがありますし……。
……いえ、たしかレイシス様は『砂漠で咲く姿』とおっしゃっていましたわ。
となると魔族領のことでしょう。
たしかあちらだと『熱心』の意味でしたわね。
「――なるほど。すみません、いま理解しましたわ……」
完全に早とちりでしたわ……。
よくよく考えればこんなに素敵な殿方ですもの。
竜の国で大きな地位を持ち、あのような禁忌の魔法まで制御下に……。
……これは忘れるべきことでしたわね。
わたくしはあの魔法を見ていないのですから、覚えていては不自然です。
とにかく、ですわ。
レイシス様が素晴らしい方なのに違いはありません。
彼は人族なのですから、亜人であるわたくしでは不釣り合いというものでしょう。
頭の中を整理して、なんとか冷静になれました。
「アリシャ・ルーゲンビリア。…………いい響きですわ」
はたしてここまで空が綺麗だと感じた事があったでしょうか。
これもすべて、貴方のおかげなのでしょう。
「レイシス様、今日からよろしくお願いしますね?」
「もちろんです」
こんなにも空虚なわたくしを救ってくださったのです。
最後までお仕えするのが、必然というものでしょう。
少なくとも、レイシス様がわたくしを不要と考えるまでは。
わたくしは貴方をお支えしますわ。
長くなりましたが、今回でレイシスの過去の一幕は終わりになります。次話から現在に戻りますので、変わらず読んでいただければ幸いです。




