ローデル先生の理論教育学ゼミ(選択必須科目)
とある大学のとあるゼミナール
「今日は、グループワークをします」
ローデル先生がそう言った時、僕は本当に嫌気がした。わかるかな、この気持ち。知らない誰かと目的を共有して、一つの事を成し遂げる。それは内向的な学生にとって地獄の刑罰にも等しい時間なんだ。そしたら他の学生が、
「グループワークなんて効率が悪いと思います」
って不満がった。僕も心の中で大賛成。口には出せなかったけどね。でも先生は、
「これは君たちの為だし、過去の学生も満足してるんだよ」
って笑っていなしたんだ。しょうがない事だ。グループワークを通じて学ぶこともある。それは専門家も認めてる。
「グループを作るから、順番に1から6の数を言ってって」
先生に促されて、前に座る学生から1、2、3……って発言していった。自分が言った数が、そのまま自分のグループってわけ。
僕のグループ3には、どうも個性的なメンバーが揃ったみたい。
自分の考えだけを早口でまくし立てる短髪眼鏡の男子学生(さっき不満を述べたのも彼だ)。いつも隅の席に陣取ってあらゆる発言を拒否する髪を緑色に染めた黒服の女の子。年金を貰うくらいには人生の先輩な学生。宗教上の理由から頭部にスカーフを巻いた女学生。そしてアジアからの留学生(つまり僕)。
人間だということ以外、僕たちに共通点なんて一つもない。
多様性があって、目的を一緒にしているからって、僕たちを『七人の侍』に例えるのは適当じゃない。むしろ、お祭りでピエロが持ってる色とりどりの風船を想像してくれたまえ。ピエロが手を離した途端、風船はバラバラに飛び去ってしまうだろ?僕たちってそんな感じ。
それでも最低限の社交性を発揮して、
「この席空いてるよ」
「ありがと」
「ハロー」
「ハイ」
「よろしく」
なんて言ってはにかみ合った。ローデル先生から10ページくらいの記事が渡されて、それを一枚の紙に要約するのが課題。
わかってた事だけど、作業を進めるのは簡単ではなかった。
もちろん僕も足を引っ張った。グループワークをする時はいつもそうなんだけど、落ち着いて読めないんだよね。ドイツ語で書かれた専門的な記事を素早く読むのは簡単じゃない。僕が読み終える頃には、他のメンバーは既に何かを話し合っていた。
他の学生が優秀だったかというと、そういうわけでもない(決して彼らを貶すつもりはないよ)。
スカーフの学生は相槌を打ったりフェイスブックをチェックしたりを繰り返すだけ。人生の先輩は豊富な経験からくる独創的な質問を連発。無口な女の子はやっぱり最後までしゃべらなくて、勉強熱心な彼は関係ない他の理論や最近読んだ本のことまでしゃべり出した。
それでも一応は話し合いにはなるんだけど、僕は議論というのが苦手なんだな。相手が早口で話すと途端に理解が追いつかなくなるし、僕自身、口を開くだけで緊張しちゃう。じわりと汗も出てくる。外国語のせいじゃない。もともとそうなんだ。外国語で話す時、少しばかりは『外国人メンタリティ』ってやつにはなるんだけど、根っこまでは変わらない。外向的な人は外向的で、内向的な人は内向的。人間すぐには変わらない。それが僕の意見。
作業は困難を極めた。記事の内容を一枚の紙にまとめるのが課題なんだけど、字を書くのを嫌がって誰もペンをとりたがらない。もちろん僕も拒否した。
議論そのものもぐにゃぐにゃ曲がって迂回して、ようやく課題を済ませることができた。もう疲れてしまって達成感なんてない。ちょうどゼミの時間も終わりに近づいていて、ローデル先生は言ったんだ。
「よくやったね。じゃあ、来週はグループごとに研究結果を発表してもらいます」
おいおい、まだ続くのか。って思ったよ。
それから毎日、僕は自分の部屋で発表の練習をした。足を引っ張るのは申し訳ないし、恥ずかしい思いもしたくはないからね。5人のうち誰がどの部分を発表するかなんてもちろん決めてないから、最初から最後まで通して練習したんだ。
◇◇◇◇
次の週のゼミの日。
インヴァリーデン通りにある大学の建物のゼミナールームに入った瞬間、ちょっとびっくりしてしまった。
いつも30人以上の学生がすし詰め状態で、吐き出される二酸化炭素でむんむんしてる狭い教室が、今日はとっても開放的。学生は10人に満たなくて、僕のグループの学生はいなかった。一人も。
「ははっ。今日はなんだか、教室が広い気がするね」
開始時刻ぴったりに現れたローデル先生は、余裕綽々笑って見せた。
言い忘れてたけど、このゼミではいちいち出席なんて取らなくて、重要なのは期末論文をしっかり書くこと。グループワークをこなして他の学生の前で発表することは、評価の基準に入っていない。
そのせいかどうか、真実は闇の中だけど、とにかく今日に限ってゼミの参加者はとても少なかった。
その事について、誰一人不満をもらさなかった。本当さ。むしろ、残された学生同士でにこやかに笑いあった。奇妙な連帯感があった。
グループでの発表が不安でたまらなかった僕も、もうすっかり安心した。先週はピエロに繋がれた風船だった僕たちだけど、今や残ってるのは僕だけだ。隣の風船を気にせずにゆらゆらできるってのはいい。他のグループの発表を聞く余裕さえあった。
2つのグループが発表を済ませて、さて、僕の番が来た。教壇までゆっくり歩いて、少ない学生とローデル先生を見て、口を開いた。
「僕、いや、私達は "Radikaler Konstruktivismus" のテキストに取り組みました。これは……」
ゆっくりはっきり、ホワイトボードも使いながら発表を終えた。時間にして10分くらいだろう。質疑応答はちょっとドキドキしたけど、解放感と達成感はあったよ。拍手が心地よかった。やりきった感がある。
もし予定通り5人のグループで発表してたら、発表箇所の割り当てとか、質疑応答の担当とか、そんなことでもたもたしてたに違いない。特に僕の場合、他人を頼ってしまいそう。それがないってのは素晴らしい。一人って最高。
全ての発表が終わって、ローデル先生が総括をしても、まだ時間があった。それも見越してたんだろう。先生は言った。
「期末の授業評価アンケートを書いてくれないかな」
授業評価のアンケート、大事だよね。これがフィードバックになって来年度のゼミに活かされるんだって。
アンケートにあるのは、よくある質問の数々。教師は学生の質問に対してしっかりと答えていたか。授業内容は興味深いものだったか。そんなの。一つ一つに目を通して、正直な評価を下した。それで最後の質問がこれ。
『あなたは、グループワークを通して学ぶことがありましたか』
学んだこと。もちろんあったよ。僕は『かなり当てはまる』にチェックを入れた。他の学生もそうしたに違いない。
ローデル先生は来年度もグループワークをするだろう。僕たちの意見を取り入れて。
フィクションです