50話 地元
「ふふふふーん♪」
それは土曜の朝、鈴音は鼻歌を歌いながら外出準備をしていた。
「なんか最近ご機嫌だね鈴音」
娘である鈴音の鼻歌が珍しかったのか母である凛が鈴音に尋ねる。
すると鈴音はクルリと笑顔で凛を見て。
「当然じゃん。なんせ、お母さんと康太さんが付き合ったんだからね! うーん! これで私にも念願のお父さんが出来るのか! よきよき」
「お爺ちゃんみたいな言葉だね。けど、それは少し早いよ。私とこーちゃんは現在は恋人なんだから」
「けど、お母さん的にはこのままゴールイン、って考えているんでしょ?」
「そ、それは…………勿論」
自身の指を絡めて恥じらう三十路の母親に呆れながらも、鈴音は心の底から嬉しかった。
鈴音が幼少から焦がれていた父の存在が現実味を帯びてきただけでなく、ずっと鈴音を育てて来て自分を犠牲にしてきた母親に幸せが舞い込んできたのだから、2度、いや、沢山の嬉しさがある。
凛は、鈴音に呆れた目を向けられていると気づき、恥ずかしそうに咳払いを入れた後。
「それじゃあ凛。そろそろ準備を整えなさい。なんせ今日は――――――」
俺、古坂康太は、俺が住む街の中心地にある、人々が往来するパイプラインの1つ、電車の駅前で待ち合わせをしていた。
季節は秋に差し掛かって来ているからそろそろ半袖は時期外れかと、半袖を着て来た事に若干の後悔があったが、そろそろアイツらも来る頃だから、着替えに行っている暇はない、か。
と、心で思っていると影だな。遠くから元気に手を振るじゃじゃ馬娘がこっちに走って来ていた。
「おはようございます康太さん! 今日は天気が晴れて良かったですね!」
「おぉ、おはよう鈴音。そうだな。天気では少し危ぶまれていたが、晴れて良かったよ」
俺は今日、凛と鈴音の親子と一緒に遠出をする約束をしていた。
駅前で待ち合わせだったんだが、来たのは鈴音だけだった。
「凛は来ていないのか?」
「ああ、お母さんなら、もうすぐ……来た」
鈴音が指を差すと、遠くからでも分かるぐらいにへばっている凛がこちらに来ているのが分かった。
まだ出かける前だってのに、俺達の所に来た頃には汗だくだくで疲れ切っていた。
「おぉ……おは、よう、こー……ちゃん」
「あ、ああ、おはよう、凛。だが、挨拶をする前に息を整えろ? あと、秋だからってそんだけ汗かいてると脱水症状を起こすからな?」
凛は疲れているからか力なく頷く。もしかして、家からここまで走って来たのか?
「もうお母さん遅いよ。てか、本当に体力がないんだから」
「だ、黙りなさい若造……貴方もいつか分かるわ……。歳を取るって言うのが、どれだけ残酷か……」
凛。世の中にはな30を超えてもバリバリのアスリートが沢山いるんだぞ。
てかお前は昔から運動だけはどうしようもなかったよな。それに追い打ちをかける様にただの運動不足だろうと思ったが、言ったら拗ねそうだから黙っておこう。
俺は近くにあった自動販売機でスポーツドリンクを買って凛に渡し、凛がそれを飲んで息を整えると。
「よし、そろそろ電車も出る時間だから、お土産も買わないといけないんだし、さっさと駅に入るぞ」
「はーい!」
まだ疲れているのか凛は頷くだけだったが、鈴音から元気な返事を貰った。
「お、なんか楽しそうだな鈴音」
「それはそうですよ。なんせ今日は初めてお母さんや康太さんとでお出かけなんですから。昨日は楽しみ過ぎて3時間しか寝てないんですよ」
まだ距離は若干あるのか敬語だが、どこか馴れ馴れしい部分はある。こいつと出会った頃と同じだ。
てか、3時間しか寝てなくてそれ程の元気さって……これが若さか。
「おいおい。今日はピクニックみたいなお気楽なお出かけじゃない事は知っているのか?」
「知ってますよ。けど、こうやってお出かけは憧れてましたから」
そう言われると……俺も何も言い返せないんだよな。
何処かテンションの高い鈴音。コイツが俺の娘になるんだよな。なんか感慨深いな。
「ふぅ……やっと落ち着いて来たよ。やっぱり10代と意地を張って競うなんてのはしない方がいいね」
「ハハッ。あまり無茶はするなよ凛。お前も歳なんだからよ」
「こーちゃん。女性に歳事はNGだよ……っと、うわっ」
疲れを取る為に屈んでいた凛だが、立ち上がった頃で立ち眩みがしたのか足が覚束なくなる。
前に倒れそうになった凛を、俺は咄嗟に腕を伸ばして凛を支えた。
「おいおい大丈夫かよ凛。だからあまり無茶をするなって……」
「う、うん……ごめん」
何とか倒れずに済んだ凛だが、俺と凛の目線が合う。
目線が合う中、俺達の顔は徐々紅潮し始め、気まずくなり俺達は離れる。
凛を触った感触や香る匂いで3日前の事を思い出して俺は悶絶する。凛もそうなのか、赤い顔を手で覆っている。
そんな大の大人な俺達を見た鈴音は冷ややかな目をして。
「ねえ、2人って本当に30超えた大人なの? そこまで初々しいのは今時の学生でもいないよ?」
鈴音の一言で俺達は更に羞恥に駆られる。仕方ないだろ! 俺にとっては30年来の初恋が叶ったんだし、それに…………やっと捨てられたんだしな。
チクショウ。鈴音の『まあ、私は色々と察してあげるけどね』的なニヤニヤした顔がうぜぇえ!
このマセガキの脳天にチョップ入れてやろうか。
「それじゃあ、見ててこっちが恥ずかしい初々しいお二人さん。時間も惜しいから早く行こう」
「お前が先導するな鈴音。たくよ……生意気なコイツが娘だと、今後は気苦労は絶えないだろうな」
「むっ。それって酷くないですか? 怒りました。絶対にいつか、私の事を自慢の娘だって言わせてあげますから!」
「はいはい。そんな未来が来ればいいですね~」
俺にあしらわれ悔しそうに地団駄を踏む鈴音を無視して、駅に入った俺は行先の切符を買う。
「よし、じゃあ行くぞ。俺と凛の実家に」
俺と凛の実家は、現在住んでいる街から電車で1時間、バスで1時間程離れた場所にある。
電車に乗っている時の鈴音ははしゃいでいたが、バスの中ではやっぱり3時間睡眠が堪えたのか、俺の肩に寄り添い爆睡。そして凛も、どこか疲れた様子で俺の肩に頭を乗せて寝てやがる。
左右から親子に肩を占領された俺を同乗していたご年配の方に
「微笑ましい家族ね」
と笑われて気恥ずかしかった。
1時間の恥ずかしさと体勢の固定を耐え、目的地である俺と凛の地元に辿り着く。
着いた事で俺は凛と鈴音を起こすが、鈴音はバッと目を覚ましたが、凛は中々起きなかった。
俺が軽く脳天にチョップを入れると、眠たげに覚醒して、欠伸をする凛を手を繋いで引っ張り下車する。
俺と凛の地元の大地に足を付けた凛は、感嘆深く街を見渡し。
「おぉお! ここが、お母さんと康太さんの地元!…………つまんなそうな場所だね」
感想が失礼極まりないな。
「つまんなそうな場所って、確かに今住んでいる場所と比べて店や人口は少ないが、これでも俺達にとっては思い出が詰まった場所なんだぞ」
言っておくが、俺達の地元は決してド田舎ってわけではない。
普通に小売店もあるし、生活に必要な物はこの街で揃う。娯楽施設は少ないが無いわけではない。
「……ここでお母さんたちが育ったんだね。そして……ここに」
鈴音はボソボソと何か言っているが、それよりも俺は隣の寝惚けている凛の頬をぺちぺち叩く。
「おい。そろそろいい加減に目を覚ませ。お前、昨日は眠ってないのか?」
「うぅ……ノーコメントで」
いやそこは答えろよ。
はぁ……朝に強いコイツがここまで眠たいなんて珍しいな。
だが、このままだと色々支障に来すからか、凛は自身の目を強く擦り、バチンと頬も叩く。
「よし。これで完璧!……って、うわ! 懐かしい! 16年ぶりだけど、全然変わってないね!」
かなり遅く凛は久々の地元の景色に感嘆する。
俺は去年帰っているが、凛は16年ぶりに地元に帰郷。
色々懐かしむ事もあるだろうな。
今日の目的は凛の実家に行くことだが、その道中で。
「あれ……ここに駄菓子屋があったはずだけど、別の店になってる……」
俺達がまだ学生の頃にあった昔ながらの駄菓子屋があったのだが、現在は綺麗な雑貨店になっている。
「あぁ、駄菓子屋の店主の婆ちゃんが数年前に亡くなって潰れたんだよ。その後、誰かが買い取って雑貨店を開いたんだろうな」
「そう……なんだ。昔は良くこーちゃんと一緒に買いに来てたんだけど、残念だな……。その他にも、街の雰囲気は変わってないのに、色々と店が無くなってたりするんだね……。私の中でこの街の景色はあの時から止まっている。だけど、こうやって変わった街を見ると……時は進んでいるんだって、実感するよ」
去年も帰って来たはずの俺も建物の様変わりに驚いている。
なら、16年ぶりに帰郷した凛は相当驚いているんだろう。
「確かにこの街は変わっただろうけど、この街は俺達にとって思い出深い街だってのには変わらない。そうだろ?」
時が進む事で形ある物は変わりつつある。
人も、建物も、この世に完全な不変はない。だが、そこには思い出を残している。
人の心に残る思い出だけはどんなに時が経とうと良くも悪くも変わる物ではないからな。
「そう……だね。うん! ありがとね、こーちゃん」
下手な励ましに感謝をくれてどうも。
それじゃあ、そろそろ凛の実家に行くか……と息込んだが、
「ねえお母さん。ここまで来てなに怖がってるの? そんな亀さんみたいにトロトロだと、日が暮れちゃうよ」
又しても凛の所為で足止めを喰らう。
いざ凛の実家に向かおうとした時、凛は尻込みして足踏みを遅くしていた。
「し、仕方ないでしょ……お母さんに会うのも16年ぶりなんだから……。今更どんな顔で会えばいいのか……」
凛の気持ちも分からなくはない。
凛の家は所謂喧嘩別れみたいな物で殆ど絶縁状態。
16年間音信不通だった娘が帰省するのだから、娘の凛は気が気でないだろう。
「お母さんが一度実家に帰らないっと言ったんじゃん。だから康太さんが付き添いで来てくれたのに。私も早くお祖母ちゃんに会いたいんだけど」
今回の実家帰省を立案したのは凛だった。
凛は前に一度実家に帰らないと言っていたが、仕事の関係上中々帰れなかった。
だが仕事も落ち着き始め、気持ち的に余裕が出来たのか凛は実家に帰る事を提案。
だが、凛と鈴音だけで帰って、凛の母親と諍いがあっては駄目だと、俺が付き添いで行くことになったのだが、当の本人がこれでは情けないな……。
「はぁ……やっぱりここは一旦落ち着かせないとな。すまねえが鈴音。近くの自販機で何か飲み物を買って来てくれ。お金は俺が出すから」
「分かりました。チョイスは適当でいいですよね?」
適当でいいぞ、と返すと鈴音は俺から小銭を貰い自販機へと走って行く。
鈴音が居なくなって2人キリになると、凛は自嘲する様に落胆する。
「娘になんか情けない姿を見せて最悪だな、私……。自分で決めた癖に、いざ目の前になると怖がって、脚が全然前に出せなくなるなんて……」
「まあ、喧嘩しての絶縁だからな。そう簡単に心を切り返せる事でもないだろ。だが、お袋さんとの仲直り以外にも、親父さんの墓参りも目的の1つだからな。このまま何もせずに帰れば、天国の親父さんは悲しむぞ」
「分かってるよ。いつまでも怖がってちゃ……駄目だよね」
凛も覚悟はしてきただろうが、覚悟と恐怖は別物だからな。
16年ぶりの母親との再会を望んでないわけじゃないが、何を言われるのは凛はそれが不安なのだろう。最悪、門前払いをされても不思議ではないからな。
軽く会話した所で凛の緊張は多少解せたようだが、後は飲み物を口にして心を落ち着かせるだけだ。
それにしても、買い出しに行った鈴音は遅いな……って、鈴音はここの住人じゃないから、もしかしたら迷ったのか?と思った矢先、
「凛!? 凛なの!? 貴方、今まで何処にいたの!」
と女性の声が聞こえる……この声って。しかも今、凛って。
俺と凛はその声が聞こえた方へと急いで向かう。角を曲がり目を向けた先には、
「え、ええ? えっと! すみません、誰ですか!? 私、貴方の事全然知らないんですが!?」
自販機で買ったであろう飲み物を抱えて困っている鈴音。
そんな鈴音の腕を掴む女性、その女性を凛は見て力なく呟く、
「おかあ……さん……」
鈴音を掴む女性……そう、その人こそが、凛の生みの親である田邊夏樹さんだった。




