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パパかつ!  作者: 関守乾
1/1

第一話 「――You are my father!」

 冷たい雨のしとしと振る日に夜遅くひとり帰宅すると、玄関前に、夜目にも可愛らしい女の子がひとり、しゃがみ込んでいた。


「この家の……人……ですか?」

 時計の針はもう頂きに近い。

 はて、こんな夜更けに何であろう。

 まったく訳も分からないまま、

「そうだけど」

 と答えてみる。

 途端、少女はその品のいい、端正な顔をぱあっと綻ばせて呟く、

「……良かった、優しそうな人で」


 良くわからないが、見れば、なかなか良い仕立てのものらしい着衣は湿気を帯びて、冷たそうにしている。

 まだ暦は秋口とはいえ、夜の雨は容赦なく体温を奪うものと決まっている。

 どうもこのままにしておくのも気が引ける。

 ここの所、近所で物騒な事件が頻発しているらしく、いつまでもこうしているわけにもいかないので、

「何か自分に用か、あまり体を冷やすと良くない、ふくものでも用意しようか」

 と尋ねてみると

「その、実は、お願いがあって、参りました」

 と、一転、急に緊張した面持ちで言う。


 頼み、とは。

 どうも、その表情や声は真剣そうだし、状況も普通ではない。

 自分のようなものにできることがあるなら、力にもなりたいが……

 戸惑いがちに立ち尽くすこちらを前に、すっと一つ息を吸い、勢いをつけるようにした後、

 少女は、「それ」を口にする。


「――わたしのおとうさんになってください!」

 

 ――まあ、色んなことをさておいて、とりあえず中で話を聞こうとして家の中に入れたのが、運のつきだった。



 乾燥機の中のバスタオルを手渡して、髪や服を拭くように促すと、


「……えへへ」


 形の良い唇をほころばせ、くすくすと笑いをこぼすのが聞こえた。

 何か変だったか。と聞くと

「…んっ…おとうさんの匂いがしますね」

 と、返される。

「あ、えっと、全然嫌なにおいとかじゃないです、むしろ落ち着くって言うんでしょうか……そっかぁ…これがおとうさんの匂いなんですねえ」


……一応清潔を心がけてはいるから、臭うことはないまでも、だからといっていい匂いということはないのではないか。

 何だかどうも、控えめに言って、変わった子である。


 一枚しかない座布団を彼女に譲って、台所で湯煎にした牛乳をマグカップに注ぎ、彼女に手渡す。

「――その、さっきから言ってる、おとうさんって……どういう意味なのかな」

「はい、さっきも言った通り、あなたに、わたしのおとうさんになってほしいんです。 ……駄目、でしょうか……」

「いや…いきなり、お父さんと言われても…」

 彼女の年の頃は、12…多く見積もって13.4と言ったところだろうか。

 さすがに自分はまだ、そこまでの年じゃないと思うのだが。

「……えっと……なら、パパでも、おとうさまでもいいです……よ?」

 口ごもっていると、不思議そうに首を傾げ、そんな風に付け加えられる。

「そこじゃないんだよなー」


 改めて、玄関前のおぼつかない照明ではなく、室内灯の下で彼女をもう一度眺めてみる。

 華奢な身体に付けているのは、仕立ての良いブラウスとプリーツスカウトで、首元には臙脂のリボンタイ。一見良家のお嬢さん風の出で立ちだ。

 柔らかくウェーブのかかった艶やかな髪と八の字気味の眉、その下の黒目がちの大人しそうな瞳。小作りな輪郭と、色白の肌。

 どこか、美術品のように上品な雰囲気と、あどけなさの残る中に妙な艶がある、目を見張るほど綺麗に整った容姿であると再確認。


「……あー、その」

 どうもさっきから、彼女が何が楽しいのかにこにこと嬉しそうに微笑みながら、こっちに熱心に視線を送っている。

 どうにも気まずいので、こちらから話題を振ってみることにした。

「家はどこ? もしかして……家出とか?」

「えーと…わたしの、お家、ですか?」

 少し考え込むように、幼い感じに手を口元に当ててから返される答えは。

「……あ、でもあなたがおとうさんになってくれたら、今日からここが、わたしのお家、ですよね?」

 というもので。

 そう言われてもこちらはまたしても困惑するばかりで。

 ちょっと何言ってるのかわからなくて、それは流して質問を変える。

「……それとも、電車なくなっちゃったとか、帰りのお金がなくなっちゃったとか?」


 ――「パパ」とか「おとうさん」と言う言葉には、実の(もしくは義理の)父親という以外に、何らかの対価と引き換えに金銭を授受する年長の男性という、あまりほめられたものではない意味があって。

……そういうことをしそうな男とみなされたのであろうか。

 ちょっと面白からざる話である。

 ただ、目の前の少女には、そう言ったことをするような擦れた雰囲気がない。

 どことなく浮世離れした雰囲気を纏っているし、何も知らずに悪い友達にそそのかされたとかだったら、ちょっとよろしくはないなぁと思う。

 自分はこうして最低限紳士的に接しているが、そうでない相手のところでこんな物言いをしていたらどうなるか、と。想像しただけでちょっと首筋が寒くなる。 

 妙なもので、出会っていくらも経っていないはずなのに、どうもこの子には庇護欲を煽るところがあるというか、親身になって心配したくなるというか。


 そもそも自分にしてからが、こんな夜遅くに、特に血縁者でも顔見知りでもない未成年の女の子を部屋に上げているだなんて、もうその時点でかなりグレーゾーンな事項である。

 昨日の夜も、遅くまでパトカーが走り回っていた。

 どうもここ最近、この辺りも随分物騒らしいし。

 ただ追い出すというのも、気が引ける。


 もう一つの可能性として、彼女自身が金銭だの目当ての、まあつまり、かわいい顔してとんだワルだった、というパターンも考えたが、実際彼女の痩せた四肢、薄い胸、少し力を込めただけでも折れてしまいそうな華奢な首を見ると、そういう考えも失せた。

 何かしらよからぬ考えを持っているといたとしても、容易に取り押さえ得るだろう。それこそ刃物を持っていても、である。


 さてどうする。 

 この子をどうしたものか、そもそもこの子がどういう子なのか。

 その辺のあれこれを、全部まとめて「まあいいや」と、先送りにして。

 今日のところの結論を出す。

「――一晩だけなら、ここに泊まっていく?」


 そう言った途端、彼女はぱあっと顔を輝かせ。

「はい!」

 と、声を弾ませた。


 彼女に先に風呂場に案内して、洗濯機と乾燥機の使い方を教えて、寝間着代わりに自分の服を貸し渡して。

「……一緒に入らないんですか?」

 という言葉に顔を引きつらせる。

「……入らないなあ」

「え? でも、娘は、おとうさんと一緒にお風呂に入るんですよ?」

 からかわれている――のでは、ないらしいけど。

 こんな幼い女の子に、いかがわしい感情など抱きはしない。

 しないにきまっている。

 ――が、ただの女の子、ならぬ、頭に「並はずれて可愛らしい」がつく女の子、なのである。

 さして広くもない風呂場で肌も露わな姿で肩寄せ合っていたら、ほんの少し、ほんの少しだけ、妙な気分になってしまいそうである。

「あの、遠慮しなくても、いいんですよ? おとうさんのお家のお風呂なんですし」

「……入らないからね?」

 いや、遠慮しているわけではない。

 誤解を与えないように、もう一度はっきりと断る。

「――そっかぁ、残念。じゃあそれは今度、また今度、ですね」

 含むところなんて何もなさそうに、残念そうにそんなことをいう。

「今度も何も、入らないからね?」

「でも、その時は、おとうさんのお背中、流してあげたりしたいですし」

 ……どこまで本気なんだろうか、この子は


 まあ、朝になったら、改めて話をしよう。

 今は夜のテンションとでもいうようなものに違いない。


 もちろん、彼女の入浴中に、警察に連絡をして、事情を説明して。

「身元の分からない女の子を預かっている。もう時間も遅いし、無下にもできないから一晩預かっているが、明日の朝早いうちに迎えに来てほしい」

 と、約束を取り付けた。


 一つしかないベッドを湯上りの彼女に譲り、自分はソファの上で毛布にくるまって。

「えっ? おとうさんと一緒のお布団じゃないんですか?」

 とか、

「わたしは、おとうさんと一緒がいいです……」

 とか言っているのを、聞こえない聞こえないと押し切って。

「じゃあ、おやすみ」

 と、告げて。

「――おやすみなさい、おとうさん」

 という声を聞いてから、眠りについた。

 それだけだった。

 

 ――そのはずだった。


 朝になって夢から覚めてみれば、枕元には、女の子がちょこんと行儀よく正座していて、横に顔を向けると、彼女と目があった。


「……あ」

「えへへ、おはようございます、おとうさん」

「…あー、おはよう」

「もしかして、目を覚ますの、待ってた?」

「はい♪ 」 

 にっこり笑って、彼女は答える。

「おとうさんの寝顔、かわいかったです」


 妙に気恥かしくて、目を反らしながら、寝乱れた髪を掻いた。

 見れば、か細く小さな白い体は、昨夜見たのとはまた違う着衣を纏っていて。

「……その格好は?」

 丈の短い、袖が余り気味の、白いワンピース。

 ではない。

 ……自分のワイシャツだ、これ。


「……これ……昨日は雨でお洋服が濡れちゃったので、おとうさんが貸してくれたんです」

「……ああ、うん、そうだね、服が乾くまでってことで貸したんだっけ」

 成人男性用のワイシャツは、彼女の体には随分大きくて。

 小柄な現着用者とのサイズ差を、殊更に感じさせた。

 撫で肩のシルエットに沿ってすぼまった襟元から覗く鎖骨と、裾から伸びたか細い肢と、丸い膝が、目を引き付ける。

「……あ、あはは、ちゃんと下にはつけてますよ? 下着は替えを鞄の中にいれていたので…はい」

 ……まあ? 貸したのだから? どんな風に扱おうと? 構わないのだけど?

「何だか、お布団の中で、おとうさんにぎゅってしてもらってるみたいで、……あったかくて、うれしくて、つい、そのまま寝ちゃいました」

 ああ、まったく、この子は、いつまでたってもこんな風なのだから。

 友達の前とかでもこんな感じなのだろうかと、心配になってしまう。


「……えっと、朝ごはん、できてます」

「作ってくれたのかい? ……何だか悪いね」

 申し訳なく感じるこちらに、彼女はにっこりと微笑みかける。

「気にすることないですよ、わたし達は、おとうさんと娘、――親子おやこ、なんですから」

「え? ……いや」

 ――何か。

 何かが、おかしい。さっきから状況に違和感がある。

 一瞬、そんな感覚に捉われる。

「……おとうさん(・・・・・)?」

 不思議そうに首を傾げながら、彼女が顔を覗き込んでいた。

「――ああ、いや。何でもない」

 うん、…そう、娘だったな。

 この子が生まれた日のことも、夜泣きする彼女を夜っぴてあやした日々も、間違いなく覚えている。

 昨日も、その前も、何度も繰り返したおはようも、おやすみも。

 そう、名前は、この子の名前は…


「ぼんやりして、どうしたんですか、おとうさん? 早くこっちに来て、こころ(・・・)の作った朝ごはんを食べてください」

「――ああ、今いくよ、こころ」

 そう答えて、席に向かう。

 ああ、いけないな、娘の名前がすぐに出てこないなんて。

 耄碌するにはまだ早いだろうに。


 二人で台所に向かうと、こころは改めて、ワイシャツの上から、エプロンを羽織る。

 甲斐甲斐しくお椀に白米をよそり、手ずから作ったらしいおかずたちを卓に並べる姿を微笑ましく思いながら眺めていた。

「何か手伝おうか?」

「大丈夫です、もう後は並べるだけですから、おとうさんは待っててくださいね?」

 まったく、自分に育てられて、よくこんないい子に育ってくれたものだ。


 何もしないまま朝食のお膳立てをすべてこころに整えてもらい、改めて卓につき、2人そろって「いただきます」の挨拶をして、それから娘の手料理達に取り掛かる。

「…どう…ですか? わたしのごはんと卵焼きと、お味噌汁」

 ご飯を一箸、卵焼きを一口、それから味噌汁を一すすり。

「……あ、うまい、すっかり上手になったね」

 どれも、台所ありあわせの材料で、子供が作ったということが信じられないくらい、良くできた料理ばかりだった。特に、火加減、水加減が絶妙なのだろう。ただの白米が、初めて食べる高級食材のように甘みと香りが最大限に引き出されている。

「よかった! おとうさんに喜んでもらいたくて、練習したんですよ!」

 嬉しそうにそういうと、こころは顎を引いて、頭をこちらに寄せた。

「うんうん、娘が料理上手でうれしいぞ」

 柔らかい髪に手を差し入れ、23度撫でる。

 そうすると、こころは気持ちよさそうに目を細めた。

 ……褒めてあげるときは、こうやって、頭を撫でてあげる。

 まだまだ、こういうところは幼さが抜けなくて、妙な嬉しさもあるのだった。

 ――うん、いつも通り。だよな。


 おとうさんは座っててくださいというのをまあまあと宥め、二人並んで洗い物を片付けてから、一服。

 こころにはホットミルク、自分の分のお茶を注ぎ、改めて卓に座り、座布団をこころに譲る。 

 何だか、こうしてこころといるだけで、日ごろの疲れが消えてゆくようだ。

「今日は御仕事お休みだから、一日中、一緒にいられますね!」

 まだ熱いミルクをふうふうと吹いて冷ましながら、隣に座ったこころがすり寄ってくる。

「そうだね、こころは何か、したいこととかある?」

 忙しさにかまけて、寂しい思いをさせてしまっているみたいだし、今日はこころの好きな事に一日付き合ってあげるのも悪くない。

「こころは、おとうさんと一緒だったら、何でもいいです!」

 返ってくる答えはまたしてもそんなもので。

 嬉しいながらも、いつまで、こんな風に言ってくれるのかなあ。と思う。

「おとうさんと一緒にご本を読んで、おとうさんとテレビを見て、おとうさんとお散歩して、おとうさんとお買いものに行って…、あ、あと、その前に、おとうさんに髪も結んでもらいたいです!」

「うんうん」

 楽しげに語るこころに相槌を打ちながら、ぼんやりと、何もない宙を眺め、

「……あれ……どうしたんですか、おとうさん? 聞いてますか?」

 首を傾げて尋ねる彼女に、申し訳なく思いながら、

「……ああ、それでさ、こころ」

 テレビの電源を、オフにして。

「はい、何ですか?」

「ひとつ、聞いてもいいかな」

「はい、おとうさんになら、何でも答えます……よ?」

 そうして、さっきから強まる一方の違和感を、


「――こころちゃんは、何者?」


 その問いを、口にした。

「えっ……?」

 瞬き一つの間に、目の前のこころ――こころちゃんの顔が、さっと青ざめる。

「え、それ、どういう、意味、ですか」

 擦れる声で問い返す彼女に、重ねて告げる。

「こころちゃんは、どこの誰で、どこから来たのかなって」

「――なっ、何、なに言ってるんですか、わたしは……わたしはおとうさんの娘ですよっ!」

「そうじゃ、ないよね」

「どうして、どうしてそんなこというんですか? なにか、おとうさんを嫌な気持ちにさせるようなこと、しちゃいましたか?」

「こころちゃん」

「やだ、やだ、こころちゃんなんて、言わないでください、こころって呼んでください」

「……呼び捨てにはちょっとできないよ、自分の子供でもないしさ」

「おとうさんは、わたしのおとうさんですっ! おとうさんは、ずっとずっと、わたしを育ててくれてっ……わたしのことを、見てくれてっ、わたしが泣いてたら、すぐに飛んできてくれてっ…昔からずっと、なかよしでっ…!」

 その表情はいまにも崩れ落ちてしまいそうで、どうにも気がとがめるのだけど、

「……ああ、そういう「設定」だよね。判ってる。うん、それはちゃんと頭に入ってるよ」

 それは、言っておかなければならない。

「……まあ、どうしても言いたくなければ別にいいんだけど、……そろそろ、お巡りさん、来ちゃうしさ。…昨日、こころちゃんがお風呂に入ってる間に、連絡しておいたんだ。――訳も判んないままお別れじゃ、悲しいし」

 彼女は、こころちゃんは。

 昨日の夜、自分の家の玄関にうずくまっていた、昨日知り合った女の子。

 娘を自称しているだけの、身元の分からない女の子だ。

「――今は、こころちゃんが生まれた日のことも、こころちゃんのおしめをかえたのも、こころちゃんがはじめて立ったときのことも、こころちゃんが最初におとうさんって呼んでくれた時のことも、小学校の入学式も、父の日のプレゼントも、全部覚えてるのに、それはほんとじゃないんだよね」

 ちがいます、ちがいます、と、震えながらうわ言の様に繰り返すこころを見ている。

 こうして彼女を見るだけで、色々な思い出が脳裏に蘇る。

「……ああ、おっきくなったら、おとうさんのお嫁さんになるっていってくれたよね」

 頭の中で、記憶が全力で叫んでいる。

 目の前の女の子は、自分の愛娘なのだと。

 愛して、信じて、守ってやらなければならない、己の命にも等しい存在なのだと。

「でもそれは、全部、全部、つくりものなんだよ」 

 手を伸ばし、手のひらを彼女の頭の上に置いて、23度撫でる。

 ついさっきにも、そうしたように。

「ほんとは、こころちゃんとは、昨日の夜に初めて会ったんだって、そっちが本当なんだって、ちゃんとわかってるんだよ」


 彼女の辛そうな顔を見ているだけで、胸が痛む。

 今すぐにでも彼女を抱きしめて、「君は何も悪くない」と言ってあげたい。

 でも、それは駄目だ。

「逆だったら、良かったのに」

 そうしたまま、ぽつりとつぶやいた。

「…悪い奴に操られて、ついさっきまで、こころちゃんのことがわからなくなってたんだって、そういう事なら、よかったのに」

 でも、その逆だ。

「そうじゃなくて、ぼくに何かしたのは、きみなんだ」

 そこまで言って、言葉を切った。

 しばらくの間、こころちゃんも、ぼくも、何も喋らなかった。


 それでも、ずっとそうしているわけにもいかなくて。

 この場合は、こころちゃんが、先に口を開いた。  

「……わたしがおとうさんにしたのは、いけないこと、だったんですね」

「まあ、あんまり、してほしくはないかな。 頭の中に、ほんとのことじゃない記憶埋め込まれるとかさ」

「……そっかぁ」

 何かを噛みしめるように、そういってから、

「……やっぱり、おとうさんはやさしいなあ」

 感慨深げに、こころちゃんは続けてそう口にした 

「やさしかったら、こんな風にきみに悲しそうな顔させたりしてないと思う」

「ううん、わたしがしらないこと、ちゃんと教えてくれました。……いけないことは、ちゃんと、いけないって言ってくれました」

 そこまで言って、ついさっきまでぼくの娘を自称していた女の子は、

「――変なことして、ごめんなさい」

 神妙な顔で、頭を深々と下げた。

「こっちこそ、ごめんね、おとうさんになってあげられなくてさ」

「――ううん。わたしひとりで舞い上がっちゃって、馬鹿みたい。……わたしにもおとうさんができるのかなって……勘違いしちゃってました」


「――ほんとうに、ほんとうに、馬鹿みたい」

 寂しそうに、繰り返しそう言う姿を、他にどうすることもできず、見つめていた。

 まだ、こころちゃんの服の乾燥が終わっていなくて、(流石に男物のワイシャツ一枚の姿で外に出すのは忍びなくて)

 「消音」にしたテレビをぼんやり眺めていた。

 こころちゃんは、部屋の隅で、膝を抱えてしゃがんでいた。


 ……さて、お巡りさん、来ないなあ。

 朝一番で来てくれるって、約束したはずなんだけど。

 お巡りさんが来たところで、この状況をどう説明したもんか。

 単に事実を説明するというだけなら、もう、昨日の夜済ませてはいるのだけど。


 とりあえず、何とはなしに、勤め先に連絡してみた。

「どうされたんですか? 今日のスケジュールは休みになってますよ。せっかくの休みなんですから、娘さんを大事にしてあげてくださいね」

 と言われた。


 実家の母親にも連絡してみた。

「たまには二人でこっちに来て、こころちゃんの顔を見せて頂戴」

 とのことだった。


 そんなことをして、時間を潰しているうちに、洗濯機が乾燥の終了をアラームで告げた。

 無言のままこころちゃんが脱衣場に移動する。

 がさごそと衣擦れの音がするから、昨日の夜来ていた服に着替えているのだろう。

「それじゃあ、いろいろお世話になりました」

 しばらくして姿を見せたこころちゃんは、すっかり、昨日初めて見たときの姿に戻っていた。

「……さようなら」

 そのまま、玄関から出ていこうとする、肩を落とした彼女の背中に、

 「よし」と、心の中で勢いをつけてから、

「待って、こころちゃん」

 と、彼女を呼び止めた。

 振り切られてしまうかもと思ったけど、それで、ぴたりと彼女は静止した。

「あらためて聞くんだけど。…答えるのがつらかったら、頷くか、首を振るだけでもいいよ」

 おずおずと、こころちゃんは振り返る。

「……こころちゃんは、普通の人間じゃない、それはいいね?」

 こくんと、こころちゃんが頷いた。

「これから、行くところはあるの?」

 今度は、ふるふると、首を横に振った。

「また別のところで、おとうさんを探すの?」

 これは、一度首を横に振ってから、

「わかりません」

 と答えた。

「――いいか、こころちゃん」

 そんな彼女に、滞りながらも、声をかける。

「きみが父親にしようとしてたのは、ほんとにつまらない男だ」

 己の本当の人生、来し方行く末を、まだ頭の中に残っている、こころちゃんと過ごしたこの十年を秤にかけて、

「自分で言うのも何だけど、つまらない男にちょうどいい、つまらない人生を送ってたよ」

 本当の記憶の方には、偽物の記憶に勝るものは、何ひとつないなと思いながら、

「きっとどうせこの先もつまらないことしか起こらないだろうと思ってた」

 漠然と思っていることを、言葉にしてゆく。

「ずっと、そんなものに他人を付きあわせようって気にはならなかったんだ」

 今でも、彼女を育てた十年の記憶は偽物なのだとわかっている。

 そうでない、現実の十数年の記憶も、依然として変わりなく頭の中にある。

「だけど、いや、だから、かな。突然、かわいいひとり娘ができて、……嬉しいって思う気持ちも、なくはなかったんだ」

 ――昔読んだ漫画であった気がする。

 タイムマシンで、歴史を守ったり、死ななくてもいい人を助ける主人公が、移動先での行動を円滑にするために、未来の科学で作られた道具で、現地の人を即席の父親にする。

 結局、その行動の中で、本来の使命を果たすために「仮の父親」は見捨てなければならないことになるのだけど。道具の効果が残っていて、どうしても湧き上がる心情から、助けるために引き返す、という筋なのだっけ。 


 今回のケースとそれは、大幅に異なるとわかっている。

 多分、これは、間違った選択肢だ。

 今からしようとしているのは、正しくない行動だ。

 そう判っているはずなのに、この心情は、作られた記憶によるものだと、判っているはずなのに。


「だから、君がまだ、おとうさんになってくれる人を探すつもりなら……」


 ――胸の中に飛び込んできた、小さな体を、全身で受け止めながら。

 泣きじゃくる彼女の涙をシャツに吸わせながら。

 突然現れた、娘を自称する不審者を、自分の娘として育てようと、親子として暮らそうと――その日に、決めた。


 結局のところ、ぼくは、そういう奴なのだろう。


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