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二つの骸






 ばちん。





 自室で一人、灯子はいた。

 塔子と別れたあと、灯子は女生徒の集まるところへ影のように滑り込み、解散した。だれも、灯子を気にも留めることはしなかった。まるで死んでいるみたいで少し胸が弾んだ。

 家に帰ると、宿題やら食事やら、いつも通り過ごした。しかし、ふとした瞬間、蜻蛉のように儚い塔子を思い出す。虚しくなって、いつものように鋏と、水を溜めた白いバケツを用意する。鋏を左の手首に当てた。

 手首の皮膚を二つの刃が挟む。

 力を入れると、ばちん。皮膚が切れる音。

 面白いように簡単に切れる。

 氷を当てたような冷たさが走る。

 瞬間、稲妻が走るような弾けるような痛み。一拍遅れて、溢れる血液。熱を帯びた鈍痛が裂けた肉を中心にじくじくと響く。

 白いバケツの中に左手を突っ込んだ。赤色が広がって、滲んで、薄まった。


 ──今日もだめか。


 灯子は引き出しに入っていた消毒液と、ガーゼ、包帯を取り出す。切り傷は失敗するとだめだ、生きたいと身体が叫んでいるように、化膿する。汚い。


 ──早く死にたい。


 人間は蝋燭のようだ。生命の灯火が燃え、時間が経つごとに、蝋はどろりどろりと溶けていく。醜く歪む、溶ける。燃え尽きたときには、ぐちゃぐちゃでどろどろ。人間がしわくちゃの老人になるのと同じ。

 灯子には、耐えられなかった。真っ直ぐ立つ、すべすべの綺麗な蝋燭のままでいたかった。早く火を消さないと、だめ。でも、途中で折ってしまうような、美しくない終わりは許せなかった。

 灯子は包帯に包まれた、痺れる左手を投げだし、バケツの中を眺めた。息を吹きかけると、小さな皮膚の欠片、薄い赤色の水が揺れる。

 ポケットから口紅を取り出して、唇をなぞった。もう、口紅はなくなってしまいそうだ。

 植物園で出会った塔子を思い出す。切り落とす前の花のように赤い、塔子の唇を思い出す。

 はぁ、と重いため息を灯子は吐いた。

 赤い唇から、言葉を落とす。


「……はなえ、さぁん」


 しばらくの間、目蓋を閉じていた。

 窓が閉まっているから、闇が忍び込んでくることはない。今日もまた、生きのびてしまったと、思う。左手首の鈍い痛みがそれを示している。

 片付けをして、口紅を落として、親に見つかる前に。そうして灯子は眠ることにした。

 また、赤い染みが、増えた。









 灯子は二度、死体を見たことがある。

 どちらもまだ灯子が、生きることに喜びを感じる幼気な女の子だったときの話だ。もちろん、手首に赤い線は一つもない。

 まず初めに、見た死体は、灯子の叔母の死体であった。

 






 灯子の叔母、花江(はなえ)は灯子が七つのときに、死んだ。七つの灯子と、二十六歳の花江。

 父の妹である花江は、仕事がないときには灯子の家へと訪れた。仕事で家を空けることが多い父と、愛してくれているが体面を気にする母。対して、直接灯子に愛を注ぐ花江。

 年は姉としては年が離れ、母としては年が近かったが、灯子は花江を慕っていた。

 花江は美しかった。

 化粧の要らないほど、整ったかんばせ。そのなかに、際立つ赤い口紅の色が印象的であった。

 七つの灯子にとって、花江は女性としての憧れでもあった。

 猫を撫でるように、花江は灯子を慈しんだ。甘いチョコレートやキャラメルをくれた。そして、いつも、灯子の身体には触れず、艶々の髪を撫でた。


「とぉこ」


 艶めく赤い唇から落ちる、声。灯子はこの声が好きだった。トウコだよぅはなえさん、いつも思う。それでも灯子は返事をした。


「はぁい」


 花江はにっこりと微笑む。赤の紅が、光る。


「良い返事ね」


 ポケットから、口紅を取り出して蓋を外し、捻った。灯子の小さな唇に、鮮やかな赤を引いた。どんなプレゼントを贈られるより、この赤い口紅をつけてもらえる方が、灯子はなぜだか胸がどきどき高鳴るのだ。

 大人に一歩近づけたような気がするからなのか。花江から口紅を塗られたからなのか。灯子のこの秘めやかな蜜のような気持ちを、花江も知らない。誰も、知らない。




「はなえさぁん」


 灯子は甘えた声をだす。花江のさらさらとした、黒い髪を触った。肩に届かない長さ、精一杯小さな手を伸ばした。花のような甘い匂いが降ってくる。

 花江は優しい声を返す。


「なぁに」 


 くすくすと笑いながら、首をこちらに傾けてくれる。


「きれい」


 灯子の言葉に花江は目を細める。


「昔はもっと、きれいだったの」


「もっと?」


「もっとよ。年を取ることは醜さへ近づくことなの」 


 みにくさ、灯子が呟く。ほら見て、と花江は二の腕を灯子に見せた。


「ここは特に、女の醜さが溜まるところよ。醜悪な汚い欲望も、疲労も、全部液体となって身体中に溜まるの」


 灯子のそれとは違う柔らかさ、冷たさをもつお肉がとぷりと揺れた。


「ん~?」


 灯子は、難しい花江の言葉に首を傾げた。花江は笑い、灯子を撫でる。


「貴女は蕾よ、あと十年経つ前に花が咲くわ」


 十五くらいかしら、と花江は囁いた。


「それを過ぎれば、枯れるだけよ。私はもうすぐ、枯れちゃう」


「そんなことないよ、はなえさん、きれいよ」 


「もう、灯子ったら。でも私はわかるの。毎日お花のお世話をしているんですもの」


 照れたように花江は笑った。顔の前でこしょこしょと指を動かして、くすぐるように、動かす。でも触らない。ふにゃ、と灯子は笑った。

 すると、扉を叩く音がした。 


「花江さん。今日は、ご飯どうするの」


 灯子の母は、夕飯時になると扉をノックして、話しかける。


「大丈夫です。瑠璃さん、いつもありがとうございます」


 花江はいつも丁重に断った。

 灯子が赤色の口紅をつけていること、花江が灯子と二人きりでいることを母は良く思っていなかった。

 笑みを仮面のようにつけている。灯子も花江も知っていた。花江が帰ったあと、灯子は口紅を落とす。本当はずぅっと赤い唇のままでいたいのだが。

 水で念入りに洗っても中々取れないこの赤は、得体の知れない高揚感となり、灯子の心にぽつりと染みをつけるかのように、残った。




「おいで、灯子」


 洗面所から戻ってくると、母はいつも灯子のベッドに腰掛けていた。そして、花江の上書きをするかのように灯子に触れた。

 灯子は母の膝に頭を乗せた。花江より、ふっくらとしたすべすべの手のひらが頭を撫でる。髪が指に絡まっていく。母はこのときだけは、灯子だけのものであった。


「花江さんと、何のお話をしたの」


「……きれいになりたいはなし」


「灯子は十分綺麗よ。だから口紅なんていらないの。あんまり叔母と、花江さんとばかり遊ばないで外に出なさい」


「……おかあさんも、きれいなほうがすき?」


「えぇ、すきよ。でもね、次から子どもらしく、外で友達と遊びなさいね。引きこもりと思われてもいけないからね」


 母は灯子に話しかけている。灯子への愛から、母が言うのはわかっている。灯子は母のことは嫌いではなかった。

 しかし、いつも灯子は考える。花江のことを考える。肩の辺りで揃えた黒い髪、すらりとした体躯、花の香り、赤い唇。美しい花江。

 巻いた栗色の髪、荒れていない手、化粧品の匂い、グロスの光る色のない唇。飾った母とは正反対のようだった。


「灯子」


 母が、灯子を抱きしめた。耳元に感じる母の頰の熱。丸みを帯びた背中に手を回しながら、灯子は化粧品と母の匂いを感じた。

 

 花江に抱きしめられたら、どんな匂いがするだろうか。


 きっと、花の甘い香りが満ちて、くらくらしてしまうだろう。










「はなえさぁーん?」


 ベルを鳴らした。扉を叩いた。灯子は呼んだ。返事はない。

 灯子は困った。紙袋に入った飲み物とゼリーに視線を落とす。花江が熱を出し、家に来られないと電話があったからだ。父がお中元かなにかでいただいたゼリーをいくつか放り込んできた。熱でうなされた時、花江が持ってきたゼリーや冷たい手を思い出す。どうにかして届けたかった。父と母は、灯子が風邪を移されることを心配したのだろう。良い顔をしなかったが、灯子はこっそりと家を抜け出してきた。

 出来るだけ使うことを避けたかったが、父の書斎から持ち出した合い鍵を鍵穴に差し込んで、回した。

 広い玄関に足を踏み入れる。奥から花のような匂いが漂ってくる。

 母が言うに、花江の住むマンションは花江一人で住むには難しいとのことであった。幼い灯子には理解し難かった。

 玄関で靴を揃えて、灯子は廊下へ進んだ。走ってきて汗ばんだ足裏が、ひやりとした床でぺたりと音を立てた。冬には早かったが、花江に見せたくて着てきたニットのワンピースが蒸れて、暑かった。


「はなえ、さぁん」


 何度か来たといっても、花江の家は他人の家のような存在である。灯子は不安になっていた。奥に行けば行くほど濃密になる花の香りに、足が震えた。

 リビングルームの扉を開いた。品の良い家具が、前に訪れたときと同じように、置いてあった。そのなかで、一際目立つワインレッドのソファーが、灯子に背を向けて鎮座している。

 灯子は妙に咽が渇いていた。花江を探す前に、お茶を飲もうと水筒を取り出す。ソファーに腰掛け、小さなさくらんぼのような唇を水筒のコップの端に当てた時である。


 ことん。


 小さな音が響いた。花江の寝室からである。やっぱり眠っていたのね、と灯子は思い、お茶を飲み干した。水筒のコップを元に戻すと、紙袋を持って向かった。寝室の扉を開けると、花の匂いが小さな灯子の全身をゆるゆると包んだ。カーテンの閉められた部屋には大人二人が余裕をもって寝られるような大きなベッドがある。その真ん中に、花江は眠っていた。

 近づくと、微かな汗の匂いと花の匂いが充満している。灯子の足になにか、触れた。花江の口紅であった。蓋を開けてみると、使いかけのものである。灯子はそれを拾い上げ、呼んだ。


「はなえ……さぁん」


 部屋を満たす花の空気に、息が苦しくなる。灯子の声は掠れた。ベッドの近くのミニテーブルには、所狭しと物が置かれている。コップからは水が滴り、灯子が熱を出すときによく飲むような薬の粉もこぼれていた。ミニテーブルの下に紙袋を置いた。

 

「……きれい」


 花江は熱に浮かされ、頰は林檎のように赤く染まっていた。艶のある黒い髪も、睫毛もしっとりと露に濡れているようである。額には髪が貼り付いていた。

 灯子はベッドに腰掛け、花江に手を伸ばした。灯子の温かい手で触れても、花江の頰は熱かった。


「はなえ、さぁん」


 再び、呼んだ。ぬぅっと手が伸びて灯子を掴んだ。そのまま、布団の中に引き込まれる。布団の中は暗かった。


「とぉこ」


 花江の熱い息が、額に、目蓋に、頰に、耳に、あたる。灯子のすべすべの肌に、花江の湿った肌が吸い付いた。濡れた花の匂いが、灯子を満たした。


「とぉこ。とぉこ。とぉこ」



 響く花江の声。甘ったるい匂い。

 いつもは頭を撫でる冷たい手が、火のように熱い塊となって灯子の身体をきつく、抱き締めた。

 あぁ、これだ。これなのだ。灯子が求めていたものは。灯子は目蓋を閉じた。花江に包まれながら、花江の肌の匂いを、熱と、花の香りと共に、吸った。


「はなえさぁん」


 そして、灯子はとろけるように、名を呼ぶ。弾かれるように、灯子は布団から押し出された。まだ花の香りにあてられて、くらくらする。

 花江の方を向く。すると、今まで見たことのない、心が張り裂けそうな表情の花江がいた。髪の隙間から覗く瞳を涙がこぼれているのである。頰を濡らし、口を戦慄かせている。


「灯、子」


 言った花江は唇をきっ、と噛むと布団から這い出してきた。汗に湿った肌が扉から射し込む光に仄かに輝く。瞳から怯えを含んだ影が消え去り、暖かな木漏れ日のような光りが滲んだ。

 優しく、か弱い子猫に触れるように、灯子を抱きしめた。温かい、花江の身体。湿った花の匂いに、また灯子は溺れた。

 花江は背中に回していた手を灯子の頭に乗せ、撫でた。


「灯子、熱が移るからそろそろ帰りなさい」


「うん」


「さよなら、とぉこ」


  

 花が、香った。












 それから、数日経った頃である。

 灯子は、意味もわからずに黒いワンピースに身を包んでいた。喪服である。当然、周りの大人も黒い衣服を身に纏い、鬱々とした空気がそこら中から漂っていた。そして、灯子は気づいていた。鬱々とした中に大人の間で様々な言葉が、どろりどろりとした粘着質なものとなり染み出ていることに。

 遺影の中の花江は、この空間にいる全ての人に、どんな人にでも柔らかな微笑みを向けている。もちろん、小さな灯子にも。

 母は私の肩を撫で、私を慰めた。父は静かに泣いていた。灯子は初めて、父が泣いているのを見て母にすがりついた。

 母は言った。十以上離れている妹が天国に行ってしまったから仕方ないの、と。

 どうしてはなえさんは死んでしまったの。この問いに答えてくれる人はいなかった。

 いや、いたのだが


 じさつですってよ。

 くすりらしいね。

 おにいさん、かわいそうね。

 そうね。そうね。あぁ、はなえさん。

 かわいそうだけど、あぁ。


 灯子に聞こえないよう、母が耳を塞いだ。

 それでも隙間を縫って、音は、声は、灯子の耳へ忍び込む。

 そのうち順番が回り、灯子は棺の側に行くことができた。口紅と同じ色の花を、持っている。母と父に支えてもらいながら、灯子は棺を覗いた。花江はそこにいた。薄い化粧をしている。口紅はごく薄いものである。あの日の、汗に、涙に濡れた花江と重なって、花の匂いを思い出し、灯子はさくらんぼのような唇を三日月の形に歪ませた。それから、やはり花江の唇の色に違和感を抱き、口紅を取り出して、色鮮やかな赤を引いた。

 母は止めたが、父はよりいっそう涙を流した。

 灯子は、花江に似た微笑みを浮かべると、口紅を握り締めた。あの日、ポケットに入れたまま、持って帰ってしまった、花江の口紅。返す人は、もういない。

 再び灯子は、棺を見た。たくさんの花々に囲まれて目を閉じる、花江を見た。





「はなえさぁん。きれいよ。すごく、きれい」













 花江が亡くなって、灯子が一度目の死体を見て四年。灯子が十一の時の話だ。この頃もまだ、灯子の左手首は白くてすべすべである。

 季節は冬。とても寒い日の晩のことであった。灯子の祖母が死んだ。祖母にとって、とても幸せな死であったと、周りの誰もが思った。最期は親類に看取られ、穏やかな表情を残し、息絶えた。

 息を引き取る間際、一番幼かった灯子を、祖母はかさかさでしわしわの手で撫でた。灯子は人形のような微笑を浮かべる。灯子は優しい祖母が好きであった。


 おばあちゃま、きぶんはどう?


 とても幸せだよぅ。悔いはないよ、ありがとうねぇ、灯子。





 死んだ祖母は、花江と同様、棺の中で花に囲まれていた。死化粧をしている。周りの大人が言う。ハンカチを目頭に当てながら、黒い服の大人たちはこそこそこそと言葉を散らしている。


 いままでありがとう。

 しあわせそうなひょうじょうよ。

 ねむっているようね。

 これからもみまもってくださるといいわねぇ。

 よかったわ。よかったわ。きれいなしにがおよ。










 きれいじゃないわ。

 灯子は思った。祖母のことは好きだった。好きではあったのだ。しかし灯子にとって、祖母は、長く生きた祖母は、きれいではなかった。

黒いワンピースの裾を無意識のうちに、灯子は強く握り締めていた。

 花江を思い出した。凜として美しい、花江。

 それを、こんなしわくちゃで醜さを溜めたモノを綺麗だなんて、どうかしている。

 家に着く頃には静かな怒りが灯子の全身を浸した。頭から、つま先まで。




 そして、その夜のことだ。

 夜空にはクラゲのような月が浮かんでいる。父の部屋も母の部屋も電気は消えていた。二人ともぐっすり眠っている。

 灯子は明日の学校と塾の準備をするために、ランドセルの中に教科書を詰めた。手を滑らし、紙が灯子の指をなぞる。冷たい痛み。一拍遅れて、血の玉がぷくりとできた。あぁやってしまった、と灯子はその血の玉を眺めていた。血の赤を見て、花江の言葉を思い出した。赤い唇から、こぼれる言葉を。




 ──貴女は蕾よ、あと十年経つ前に花が咲くわ






 そうだ、そうだった。

 弾けるように灯子は引き出しから鋏を取り出した。左手首の薄い皮膚を冷たい二枚の刃でつまんだ。ぞわりと背筋が粟立つような感覚。

 ばちんと鋭い音を立てて、鋏が肉を切り裂いた。瞬間、冷たいような火傷するかのような痛みが、灯子の脳天まで駆け上った。どぷり、と熱い血が手首を、指を伝って、シーツの上に落ちた。蛍光灯の明かりで、艶々と表面が光り、すぐに染みこんだ。鈍痛が切ったところから、全身に染み渡っていくようにじくじくと広がった。

 ベッドに身体を投げだし、血液が溢れる左手を抱くように横になった。

 よかった、これで、きれいなまま。

 灯子は深い安堵感を覚えながら、眠った。 

 














 朝が来た。死にたがりになった灯子にも、やはり朝は平等にやってきた。

 灯子は白い天井の部屋で目が覚めた。一瞬、天国かと思ったが、側に父と母がいること、側に花江がいないことがそうでないことをはっきりとさせた。

 そうか、死ぬことは出来なかったのね、と独り言ちた。

 父と母が安心した顔で灯子を見ている。明け方、ベッドに眠る、血まみれの灯子を発見した母が病院嫌いの父を押し切り、自らが通う病院に無理を言ってつれてきたのであろう。待合室の腰掛けで待っている間、灯子が普通に目を覚ましたことに、父と母は驚いていた。

 

「どうしてそんなことをしたの」


 左手首は手当てされ、今は白い包帯が巻かれている。傷が浅かったのでよかったと、医師に言われて灯子はひどく悲しんでいた。家に帰っても、まだ落ち込んでいる灯子はソファーの隅の方で丸くなっていた。そんなとき、母は灯子に訊ねたのだ。


「わたしも、いっしょに、しぬの」


 包帯を弄くりながら、灯子は言う。その言葉に、母は灯子を抱きしめた。背中をさする。


「おばあちゃまのこと、大好きだったものねぇ。大丈夫よ、空からあなたを見守っているから」







  






 灯子は眠る前に、包帯を外してみた。丁寧に貼られた大きな絆創膏には赤茶けた血が滲んでいる。絆創膏の端に爪を引っかけ、剥がそうとした。皮膚が引っ張られて、鈍い痛みがやってくる。しかし我慢できない程ではなかったので、一気に剥がした。


 ああ、一度で死なないといけないものなのね。と灯子は思った。

 瘡蓋になりかけている赤黒い歪な線が、とても醜く感じたのだ。

 花江のように、綺麗に死なないと、いけない。

 はやく、はやく。満開になる前に、十六になる前に命を絶たなければ。

 

 なぜなら、花江が空から見ているのだ。

 醜い姿、朽ちていく姿を見られては、いけない。







 さぁ、どんな方法なら綺麗に死ねるかしら?

 


 

 

 

 

 



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