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二人のトウコ





 灯子(とうこ)は死を望んでいた。



 血色の良い薔薇色の頰、さくらんぼのように艶々とした唇、さらりと腰に流れる鴉濡れ羽のような髪。可憐な容姿と、裕福な家庭、周りからは羨望の眼差しで見られることが多くあった。

 灯子は、“死”という象徴から、かけ離れた世界に生きる少女だった。

 しかし、灯子の瞳の中には名前の通り“死”に対する憧れが灯され、煌々と輝いていた。その証拠に、彼女の左手首には血の滲む包帯が巻かれ、その下には誰もが予想できるであろう幾筋もの赤い線が灯子の白い肌に彫られている。夜な夜な、一人静かに鋏で肉を挟んでは、ばちりばちりと切っているのだ。

 灯子は死を望んでいる。何度死のうと試みても、灯子の意志とは切り離された何かが、そう例えばまるで神が灯子に働きかけているかのように、彼女を生かした。だとしても、灯子の死に対する強い欲望は、灯子を諦めさせなかった。

 そして先人たちが述べるように。挫けることなく挑戦するということ、努力するということは、奇跡を呼び込む。






 初夏の、ある晩のことだ。

 世界は“トウコ”の死を受け入れた。














 灯子が、塔子に出会ったのは、外では初夏の風が吹き抜ける、暑く湿っぽい植物園であった。南国の色とりどりの草花が、活き活きと自らの生命の輝きを惜しむことなく、異国の地で放っていた。地域の人々の頭の片隅に残っているのかでさえも定かでない程、人気のない植物園。唯一、印象的なのは白い壁の眩しい迷路である。

 なぜそんなところで校外学習があるのか、学校の先生でさえも、知らない。退屈そうに群れる少女の輪から、一人の少女がふっと抜けた。

 その少女──灯子は、黒い髪を靡かせながら植物園の中をくるくると周り、一番鮮やかな花の前で止まった。赤い、花であった。炎が、時を操る魔法をかけられ、その空間に制止しているような、現実から切り取られたかのような花であった。そして、その赤い花に目を奪われた灯子は、無意識のうちにセーラー服のポケットに右手を突っ込んだ。昨日の晩も血に濡らした鋏を力強く握りしめる。

 灯子は、衝動的にこの赤い花を、生命の光に満ちるこの花を、勢いよく切り落としたいという気持ちに駆られたのだ。

 周りには誰もいない。誰も灯子を止める者は、存在しなかった。

 ゆらり、と蜜に群がる虫のように、花に近づいた。鈍色に光る、鋏をすらりと取り出す。鋏の、夏にはそぐわない冷たい刃で、花のがくの部分をひたりと挟んだ。灯子は艶々としたさくらんぼのような唇から、真珠のように白く輝く歯を覗かせた。長い睫毛を震わせる。

 手に力を込めた。罪人の首を切り落とす死刑執行人のようだ。ぼとりと落ちた血のように鮮やかな赤い花を、灯子は羨ましそうに眺めた。ほぅっとため息を、一つ漏らした。


「ねぇ。あんた、どうして花を切ったの」


 鈴の音がなるような、可愛らしい声が聞こえた。耳を澄まさなければ、聞こえないほど小さな声だ。驚いた灯子は声の持ち主を探そうと、辺りを見渡した。在るのは、花、花、花。誰もいない。

 再び、声が囁いた。


「上よ。そこの階段を、登って」


 灯子は声に従って、階段を探した。どこにそんなものがあるのかわからない。天から落ちる声は、焦れったそうに灯子を導いた。

 やっとのことで、その声は満足げに響いた。

 灯子は大木の側面に深々と突き刺さった棒が上まで続いていることに気付く。

 なるほど。この棒を足場に、登れということなのだろうら、階段は見事に植物園の中に馴染み、言われなければ、わからないように作られている。

 蔓で覆われた階段とされる棒を踏み、蔦を伝い、恐怖心を少し抱えたまま登り切った。茂みに頭を突っ込んだときは、もう降りようと思ってしまったほどである。床がガラスで出来ているから、植物園がよく見える。

 ガラスの真ん中には、古いベッドがあった。ランタンを、側のミニテーブルの上に置いている。ベッドの中心ににちょこんと座っている、一人の少女が淡い光を浴びていた。読んでいたのであろう本を置いて、灯子を見ている。白いワンピースが可愛らしい、少女。花が綻ぶようににんまりと笑った。

 灯子は困惑した。


「あなた、だれ?」


「自分の名前を名乗りなさいよ。失礼なやつね」


 呼んだのはあなたでしょう、と思った灯子だが口に出さなかった。


「トウコよ。明かりを灯す子供って書いて、灯子」


 少女は、潤んだ瞳を大きく見開き、思わず微笑んだ。


「驚いた。同じ名前なのね。あたしもトウコ。塔の上の子供で、塔子よ」


 灯子も塔子同様驚いたが、まずこの不思議な空間を知りたかった。


「ここは、なぁに?」


 ベッドと、ミニテーブルだけある、狭い空間。

 塔子は、くすりと笑った。手を招いて、灯子をベッドに乗せる。大きく軋んだ。埃が舞った。影が揺れた。

 塔子と灯子は、このランタンの仄暗い明かりで照らされる部屋をゆっくり見た。埃は溜まっているが、上品な作りであった。


「どっかの資産家が、ここの管理人である愛人と寝るために作った部屋だったそうよ」


 戸惑う灯子に、塔子は言う。


「今は、あたしのお城。あたしだけのお城」


「良いお城ね」


「羨ましいならあげるわ。その代わりにあんたのその健康そうな身体、ちょうだいよ。でもまぁ、出来ないでしょうけど」


 塔子は、灯子の黒い髪に触れた。そのまま薄い手のひらで灯子の左手を自分の方へと引き寄せる。包帯が、見える。包帯を留めていたピンを外し、傷を露わにさせた。古い切り傷からまだ乾いていない生々しい傷までが、埃っぽく湿っぽい空気に晒された。


「だって、自分で死ぬことも出来ない弱虫だものね」


 灯子はきっと下唇を噛んだ。

 初対面のくせになんと失礼な少女なのだ、と。灯子は思わずむきになった。


「いいわ。あげるわよ、こんな身体。死にたいのに、死ねないもん私」


「じゃあ、交換しましょ。あたしは生きたいの」





 

 灯子と塔子の赤い秘密は、始まった。






 まずはお互いを知りましょ。塔子は言った。






 

 儚い塔子。青い血管が透けて見える白い肌に、色のない薄い唇、蔦のように肌に張り付く黒い髪。触れれば壊れてしまいそうな硝子細工のような少女であった。

 塔子は、“死”と切っても切り離せられぬ運命を背負わされた世界で生きる少女だった。

 しかし、心に熱く迸るような、生命への貪欲な感情が渦巻いていることに灯子は気付いていた。

 全てが正反対であるということも。

 灯子は、さくらんぼのように艶めく唇を細く長い指で触れた。羨ましそうに、塔子を、見る。

 塔子も、灯子を見ていた。ふ、と塔子の唇が三日月の形に歪む。


「誰か来た。静かにね」


 人差し指を床へ向けた。灯子は船から身を乗り出して水面を覗くように、床を見た。ガラス越しに灯子の学校の女の子らがきゃらきゃらと高い声を投げ合いながらやって来た。何人かは上を見ているのに、こちらには気付いてない模様。黒いセーラー服のスカートをひらひらとさせている。

 そうか、マジックミラーなのね、と少し楽しくなった。

 

「皆、あんたと同じ服ね」


「えぇ。同じ中学の子らよ。今日は校外学習なの」


「こんな辺鄙なところに? 変わっている学校ね。受験は?」


「中高一貫校だから、ない」


 ふーん、と塔子はつまらなそうにベッドに身を投げ出した。灯子はそんな様子の塔子を気に掛けることなく、下を見ていた。灯子が切り落とした、赤い、花を、見ていた。切り落としたのに、殺したのに、なんで、あんなに美しく赤々と燃えているのか、輝いているのかと失望した。同時に羨ましくも思う。

 そのうちに、ぐしゃりと一人の女の子が赤い花を踏んだ。赤い花びらが血飛沫のように、地面に張り付いていた。

 灯子は、塔子は、言う。



「あぁ美しい」

「あぁ可哀想」


 いつの間にか、塔子が頬杖をついて灯子の隣で横になっていた。

 灯子は塔子の瞳を見つめる。

 そっと塔子は手を伸ばし、灯子の背中に散らばる黒い髪を梳いた。やせっぽっちなだけの塔子と違い健康的な身体を持つ灯子を羨ましく思うと同時に、手に入れたいと思った。


「どうして花を、切ったの」


 塔子はたずねる。白魚のような指で灯子は唇を弄った。そして、こたえた。


「綺麗、だったから」


 塔子は、自分の細い髪を手で梳いた。嫌悪を交えた声で静かに、言う。


「死んだら、腐るだけよ。汚い」


 灯子は呆れたようにため息を吐いた。


「死んでこそ、美しい。綺麗なまま、時間から解放されるわ。時に捕らわれたままだと、いつかしわくちゃ、美しくない」


「へぇ、あっそぉ。じゃあ、あんた……」


 塔子の華奢な細い両手が、灯子の白い首に伸びる。思わずころりと転がった灯子の腹に馬乗りにかると勢い良く締め付けた。きゅう、と灯子の喉の奥から音が洩れる。

 灯子は自分の声が掠れ、肺から空気がなくなり、身体中が燃えるように熱くなるのを感じた。燃えるようだ。あぁ死ねるかもしれない、そう思った時だった。

 先に力尽きたのは塔子であった。塔子の心臓が、彼女の動きについて行けなくなったからである。ふぅっ、と首へかかっていた力が緩み、新鮮な空気が灯子の身体中を駆け巡った。


「……もう少し、だったのに」


 灯子は廃墟のアパートから飛び降りたときに感じたモノと同じような、死の濃厚な気配がしたというのに、と残念がった。

 痺れる手足を投げ出した灯子はだらりと零れた涎と鼻水を、強張った左手の甲で、拭った。



 やっぱり生きていると、汚い。



 ため息を吐いた。

 そして、灯子の横で息も絶え絶えに時折荒い呼吸を繰り返す塔子を見た。顔が真っ赤で、肩が震えていた。灯子はゆっくり身体を起こすと、塔子の背に触れた。やさしく撫でた。ベッドの上を這いながら、塔子がじろりと睨む。


「……鞄、薬」


 掠れる声で、ベッドの端に手を伸ばした。震えていた。

 灯子は、ベッドから身を乗り出して、鞄を取った。年季の入った、黒い革の感触がした。鞄の中を掻き回して、薬と思わしき瓶とペットボトルの水を出して渡した。

 塔子は細い喉を反らして、黒い髪を背中に散らしながら、口に含んだ薬を水で押し流した。ペットボトルを受け取り、灯子は蓋を閉めた。塔子が灯子の膝に頭を預けた。

 まだ微かに震える塔子を、灯子は撫でた。膝に猫が乗っているみたいだった。黒くて、温かい、猫。

 無意識のうちに塔子の髪を梳いた。たまに指に引っかかるが、細くてさらさらとした綺麗な髪であった。塔子が、こちらを見ている。睨んでいる。


「どうかしたの」


「汚い」 


 気づいた灯子は左の手の甲の涎と鼻水を、シーツで拭った。微笑を溢した。


「でしょう?」


 そう言って灯子は、右手に変えた。それを確認すると塔子は目を閉じた。どこか満足気であった。

 二人とも黙っていると、下の音がよく聞こえた。植物園で、少女たちの声が重なり、響いているのだ。

 塔子は凪のように静かだった。


「ねえ、大丈夫なの?」


 塔子は答えない。









「とぉこ」









 灯子は呼んだ。











「はぁい」











 塔子は返した。

 そして灯子はポケットの、鋏でない方を取り出した。スティック状の、何か。アネモネのように鮮やかな赤色の口紅だった。

 持ち手を捻って、芯を出す。塔子の色のない唇に、赤を引いた。

 閉じていた目蓋と長い睫毛をを持ち上げて、塔子は灯子を見た。桃色の舌で、唇を舐めた。


「苦い」


 それでおしまいだった。灯子は闇に映える紅い唇に目を奪われた。

 おもむろに、塔子は起き上がると鞄の中に手を突っ込んだ。櫛を取り出して、乱れた髪を整える。蜜のように甘い、花のような香りと死の香りが漂う。再び、羨ましいというような気持ちが湧いた。

 塔子が、衣服を整えながら言った。


「次は?」


「え」


「いつ会うの」


「……知らない」


「明後日」


 塔子は、脱ぎ散らしていた靴下と靴を履いている。灯子は戸惑っている。

 すると塔子は、灯子の首をしめたときの力を忘れたかのようによろめいた。ガラスの床に足を着ける。ひやりと冷たい。灯子は駆け寄り、塔子の肩を支えた。


「階段、一緒に降りるね」


 灯子は指定の革靴を履く。乱れた髪もセーラー服も、気にしなかった。

 塔子の細い肩に触れた。塔子は、にこりと微笑んだ。塔子のか細い身体に比べると、ふっくらとした丸みのある白い頰が見えた。

 唇の端から、口紅の赤が滲んでいる。艶めかしい美しさがあった。

 灯子は思う。やっぱり、下手だ。花江(はなえ)のようには中々上手くいかないようだ。

 扉を開いて階段を降りていく。

 誰も灯子と塔子には気づかない。葉っぱや花々に紛れているのだろうか。

 気づかない。鈴の音を鳴らすように笑う女生徒も。誰も。

 透明になったようだ。はたまた空気か、風か。

 また、花と死の匂いがする。

 突然、灯子の身体は軽くなった。塔子が離れたのだ。


「また、明後日に」


 塔子が笑う。塔子の後ろから夕日が射し込む。白いワンピースが橙色に染められた。

 塔子の輪郭が、夕日の金色の光にぼやけ、とろけた。

 赤色の唇だけが、闇夜に赤い花が咲いたかのように、輝く。

 灯子は目を奪われた。

 美しい。そう思った。

 生きたい塔子と、死にたい私。

 美しい塔子と、汚い私。

 塔子。美しい塔子。殺してあげたい。

 





 


 






 そうでしょう?はなえさん。 

 

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