解心
もし心の内が読めたなら、なんて誰もがしたことのある妄想からこの物語は始まった。たらればの話はするなと様々な人が口にするが、誰かが言った『人間は考える葦である』が示すようにどうしても考えてしまうものだ。それが無駄だとしても。だが私のこの妄想は無駄では無かったはずだ。こうして小説を書くことができたのだから。考えることは無駄ではないと私は言いたい。例え妄想や空想でも、形にすれば、共感されれば、興味を引けば、それは立派な作品となる。それをこの小説を読んだ方々に知ってもらえれば私はこの上なく幸せだ。
著者 如月 解心
パタンと本を閉じる。いつ読んでもひどい後書きだ。思わずはぁと溜め息が出てしまう。嘘ばかりを並べ、適当に人受けの良さそうな言葉を連ねてあるだけだ。
この小説の名は「本心」。最近テレビや雑誌で特集され、売り上げに拍車がかかっているらしい。事故に遭い、心の声が聞こえるようになった主人公が、両親、友達、教師、あらゆる人間が嘘を吐き、本音を隠し、上辺でしか人と交わらない、そんな人間の本質を知ってしまい人を恐れるようになる。
それでも真にわかり合える、何の隔たりもなく接することができる人がどこかにいるのではないかと期待し奔走する。が、最終的には人間はそういうものなのだと悟り、人と極力関わらず、誰も信用せずに孤独で生きていくという話だ。残念ながらハッピーエンドではない。
ストーリーはそこそこだが心情描写が緻密でリアルなのがこの小説最大の持ち味で非常に評価されている。そのため作者は本当に心が読めるのではないかという噂が出たほどだ。と言っても冗談混じりのもので誰も信じることはなかったが。
作者である俺はその噂にヒヤリとした。なぜなら本当に俺は心を聞くことができるからだ。
俺は物心ついたときから心の内を知ることができた。未だに読めるというべきか見えるというべきかもしくは聞こえると言うべきなのかはっきりとしていない。意識した対象の本音がすっと頭の中に流れ込んでくる感覚なのだが、とりあえず文字になって浮かび上がってくるわけではないので「心の声」と称し「聞く」ということにしている。
最初からそんな力があったからそれが心の声だと思わなかったし自分以外の人も聞こえるものだと思っていた。
疑問に思ったのは両親に「へそくりって何?」と尋ねた時だった。
両親の表情が一瞬で凍った。
当時はよくわからなかったが、俺の両親はどちらもへそくりをコツコツと貯めていたのだ。定期的にへそくりがどうのこうのと言っていたので気になって聞いたという経緯だ。そして両親ともに誰にも、無論息子である俺にもへそくりの存在はバレていないと思っていた。俺としてはこんなに喋ってるのにバレてないとどうして思えるのか不思議でならなかった。そこでひょっとして自分にしか聞こえないのでは、という考えに至ったわけだ。今思えばへそくりなんかでよかった。もしこれが不倫相手の名前だったりしたら家庭崩壊していただろう。
ちなみにそれに関しては両親ともに潔白である。俺が保証人だ。まぁ未だにへそくり貯めてたりするが。我が家は比較的平和だろう。それでも両親が隠し事をしていることはショックだった。小さい頃ほど家族に絶対の信頼を置くものだ。信頼なんて一瞬で崩れ去った。家族でさえこうなのだ。他の周囲の人間、同級生や教師も信じられない。
幼い頃はよかった。嘘は少ないし吐いたとしても罪悪感があったり小さい事だったりバレバレだったりとまぁ許容範囲だった。しかし年月を重ねていくと嘘に慣れていく。平気で嘘を吐くようになる。バレなきゃいい、今まで隠し通すことができた経験から来るそんな甘い考えを抱いて誤魔化したり見栄を張る。それと同時に人を疑うようになる。自分という身近すぎる例があるので人が嘘を吐く生物ということを知っているからだ。無論、常に嘘を吐いているというわけではないのだが。
俺は口から出た言葉を信じない。流れ込んでくる言葉のみ信じる。
俺はこの能力に依存している。別に無くたって生きていけるだろう。実際俺以外には備わっていないのだから。しかし俺にはこの能力の無い生活など考えられない。心の声が聞こえないことが怖くてたまらなくなるだろう。口から出た言葉を聞くことすら拒否したくなるだろう。現代人が携帯無しでの生活が考えられないように、その味をしめてしまったのならもうやめられない。
例をあげよう。俺はジャンケンで負けたことない。複数対戦も然りだ。全員の心の声を一度に聞くとごっちゃごちゃになる。聖徳太子ではないので俺には聞き分けられない。ならどうするか。簡単だ。一人に照準を合わせればいい。その一人に勝つ手をひたすら出し続ければ絶対に負けることはない。昔は給食のデザート合戦で伝説になりかけてしまったことがある。それ以来バレないためになるべくジャンケンはしないようにしている。委員決めのとき競争率の激しいところには行かないとかな。
そんな異常な俺なのだが、今、かつて無いほど動揺している。なぜかというと
「あの、大丈夫ですか?」
動揺が顔に出ているのだろう。目の前の女子が心配している。この女子がその原因だ。
先程俺は通り行く人たちの心の声を聞きながら歩いていた。なんてことはない。習慣とも言えるし癖とも言える。あるいは趣味かもしれない。ちょっと意識するだけで声は流れてくるから疲れたりもしないし。まぁ大勢のを一気に聞くとうるさいと感じるのだが。
「これマジすごいんだよ!」
(語れる仲間増やすぜ!)
「へーそうなのか。確かにおもしろそうだな」
(こいつちょっとガツガツした感じでウザいんだよなぁ)
今日も自分に異常がないことを確認した。すると
「きゃっ」
「あ」
とある女子とぶつかってしまったのだ。ショートカットで直毛で身長は俺より少し小さいくらい。幸いどちらも転ぶことはなかった。
そういえばこの前も女子とぶつかったことがあったな。その女子は
「ごめんなさい、ぼーっとしてて」
なんて礼儀正しく頭を下げていたが
(どこ見て歩いてんの。てかこんなやつこの学校にいたっけ?うわっ根暗そう)
正直傷ついた。見た目はいいんだが性格は悪かった。
この力がなければ知らなくてすんだのに、と考える人間もいるだろうが、俺の場合はこいつが性格悪いということを知れてよかった、と考える。
なんてことを思い出しながらこの人の心の声を聞こうとしたのだが
「ごめんなさい、ちょっと余所見してて」
それだけだった。口から発せられた声だけが聞こえて心の声が聞こえなかったのだ。
心の声を聞く条件は今のところはっきりしているのは対象の顔を視界に入れていること。それは確実に成されている。
普通の声と心の声が同じということはよくある。だがそもそも聞こえないということは今まで無かった。
そして現在に至る。心が聞こえなくなったのかそれとも彼女が特別なのか。確認のためにもう一度意識してみる。
やはり聞こえなかったのだか一つわかったことがある。彼女の心は
「綺麗だ」
「え?」
これも初めてのことだ。心の綺麗さを計ることなんてできたことはなかった。だがはっきりと頭の中ですっと思い浮かんだ。
「えっと、あの」
やや赤らめた顔でこちらを遠慮気味?に見てくる。うれしいようにも見えるし恥ずかしいようにも見える。いや困惑か?やはり心の声が聞こえないのは不便だ。
「すまん、気にしないでくれ。ただの独り言だ」
「ぶつかってすまん」と付け足してその場を去る。さて彼女は何者なのだろうか。不思議と恐怖はなかった。彼女の心が綺麗だとわかったからだろうか。
季節は春。桜は既に散ったが、出会いの季節なんて言葉を自分が使うことになるとは思っていなかった。
いつも思うけど、あらすじって難しい。ネタバレを含まず作品を紹介するっていうのがね