死因:フェミニスト(1)
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血のような夕焼けを背に男が歩いていた。
シミと汚れが斑模様になっているシャツに、丈の合わない、だぼだぼのスラックス。靴下は履いておらず、靴も右足が白いスニーカーで左足は女物のサンダルだった。
男の両手には、食品を詰められるだけ詰め込んだスーパーの袋が二つ。
赤い半額シールが貼られた総菜、トレイからこぼれた混ぜご飯、賞味期限の切れたパックジュースなど。食べられそうなものは片っ端から拾い集めたのであろう。
身なりこそ浮浪者そのものであるが、男は端正な顔をしていた。
西洋人らしく、スカイブルーの瞳と燃えるような長い赤毛を持ち、肌も白い。金のチェーンと宝石をちりばめた縁なし眼鏡がよく似合っていた。
「……なぜこの私がゴミを漁って食料を得なければならないのか」
男は自分自身に問い聞かせるように呟いた。
帰る場所も無く、生きながらえる方法を模索した一週間。
たどり着いた廃墟ホテルで雨風を凌ぎながら、廃棄品を漁る日々。いつまでこんなことをしなければならないのか、と男は途方に暮れていた。
とぼとぼ歩いていると、仮住まいが見えてくる。
入口は封鎖されているが、一階窓ガラスが割られており、易々と屋内に入ることができる。
散らばるガラスや剥がれたベニヤ板、空き瓶、缶などをよけて、階段を上り三階へ。男は三○三号室の前で立ち止まり、食料を置いた。
ドアノブに手をかけ、ゆっくりまわして押し開ける。
「え?」
部屋の中に美女がいた。
あまりの美しさに――いや、好みの合致に一目惚れしてしまったのではないか、と男は思った。だが、目の前に広がる光景は異様だった。
作業着姿の美女の手には小型のチェンソー。美女が紐を引っ張る度に、ギュインギュイン、と鈍い音が部屋に木霊して、油のにおいが漂ってくる。
「こんばんは」
美女が微笑みながら挨拶した。ぱっと、周りに薔薇が咲いたようだった。深紅の薔薇より濃く、葡萄のように渋い紫色が似合う。
男ははっとして、勢いよく扉を閉めた。
息を吸って吐いて。男は考える。
「いや、これは、疲れているんだな……」
私は永劫に続くかもしれない日々を嘆くあまり、幻想を見ているのだろう、と。
美女がチェンソー片手に微笑んでいるなんてありえない。気を取り直して、男は寝床としている三○三号室の扉を開けた。しかし、
「はっ」
男の息が詰まった。
ギチギチギチッ! と嫌な音。
それは、男の腹部にチェンソーが突き刺さり、肋に食い込んだ音であった。
「ううぁああああああああああああっっ――!!」
痛い痛い、痛い痛い痛い、熱い熱い熱い!
身体に起こったことを認識したとたん、痛覚が脳に信号をひっきりなしに送ってきた。回る歯が身体の内部に押し進められ、男の口から断末魔と血が吐き出される。
鮮血が勢いよく飛び散って、美女の顔や作業着にべったりと付着した。美女は笑みを崩さす、寧ろ上機嫌のままチェンソーで作業する手を止めなかった。
「貴方、とってもいい顔してるわ」
男は目を回しながら、肉片となって崩れ落ちる。
薄れゆく意識の中で、男は思った。
彼女の唇はとても良い形をしている、と。
厚すぎず薄すぎず。上唇より下唇のほうが、ぷっくらとしていて、ヴィンテージワインのような紫紅がよく似合っている。唇からこぼれ落ちる赤い雫を舐め取りたいと思う。
濃く、太くしっかりとした眉。猫目の綺麗な二重。長い睫もいい。
彼女がしゃがみ込み、虚ろな私にむかって小さく手を振っている。
ああ、あああ、あああ……。
彼女の視線が、私に。私だけに注がれている。
すぅ、と栗色の瞳が細められ、背筋が震える。感覚など、とうに馬鹿になっていたはずなのにどうしてか反応する。そして真っ赤に染まった殺人武器が喉元に。
「ふふふ、さようなら。ミスター〝愚か者〟」
――私の名前を?
遠い遠い記憶を呼び覚ます、懐かしい言葉。この身体はもう終わっている、既に死んでいるはずなのに歓喜して震える――君は何者なんだ?
ガ、ガガガガガガガガガッ!
瞬間、最も鈍い音と共に、男の首が落ちた。