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クリスマス番外編 暦を重ねて

クリスマス直前ということで、作中時間で去年のクリスマスのエピソードをお兄様視点でお送りします。

通常の更新は夕方に行います。

 エドワードが帰宅する頃には夜空から雪が舞い降りていた。

 馬車から降りて屋敷に入るまでのわずかな間に肩に留まった雪の欠片は、室内の暖かさで瞬く間に溶けた。

 重く冷たいコートを脱ぎながら、早く妹に会ってやりたいと思う。冬の夜は暗くて寒くて長いから。寂しがってはいないだろうか。また熱を出したりしていないだろうか。早くあの無邪気な笑顔を見て、安心したかった。


「エドワード様。お嬢様が――」

「また具合が?」


 だから、ジェシカ――主に妹の面倒を見ている中年の召使――が難しい顔で切り出したとき、エドワードの心臓は嫌な予感に沈んだ。しかし、ジェシカは首を振った。


「いいえ。元気過ぎるくらいでいらっしゃいます」


 彼女の思わせぶりな言葉の意味は、妹の部屋に入ると明らかになった。


「……おかえりなさい、お兄様」


 いつもと違って、彼が帰ったというのに抱きついてこない。それに、ちらちらとジェシカの方を伺う姿を見て、エドワードは妹が珍しく何か悪さをしたらしいと知った。


「ただいま、リリー。おかえりのキスはしてくれないの?」


 軽く腰を屈めて催促すると、妹はジェシカの顔色を気にしながらも彼に歩み寄った。そして背伸びをして頬に軽く口づける。


「お兄様、ほっぺが冷たいわ。外はとても寒かったのね」

「ああ、雪が降っていたよ。朝には積もっているだろうね」

「……ふうん」


 お返しのキスを額に落としながら答えると、妹は眉をひそめた。彼にとってはそれも可愛らしい仕草ではあったが。普通の子供なら雪と聞けば喜ぶだろうが、この子にとっては体調を崩しやすくなる嫌なものに過ぎないのだ。


「風邪をひかないように気をつけてね。こっちへ来て、暖まって!」

「そうなったら看病してくれる、リリー?」

「ええ、もちろん。いつもと逆ね」


 くすくすと笑いながら小さな手で彼をストーブのそばへ導く妹は、叱られる不安を忘れているようだった。それほど気にかけてもらっているというのは、彼を非常に喜ばせたが、まだ顔に出す訳にはいかなかった。親代わりとしては、何をしでかしたのか聞かなければならない。


「今日はジェシカを困らせたりしなかった?」

「ええと……」


 穏やかにではあったが有無を言わせない口調で尋ねると、妹の夜のように黒い瞳が宙を泳いだ。ジェシカがいるから誤魔化すこともできないのだが、そもそもこの子は嘘をつくことができるような子ではない。


「お兄様、あのね」

「うん」

「リリーね……」

「うん」


 それでも彼の顔色をうかがって妹は言いよどむ。意味もなく指先を絡ませて。口を開こうとしてはまた俯いて。いじらしい様子に、絶対に怒ったりしないから、と抱きしめたくなる衝動と戦う。ともすると彼はこの子を際限なく甘やかしてしまいそうになってしまう。


 見かねたのだろう、妹に代わってジェシカが口を挟んだ。


「アドヴェント・カレンダーですよ。一日ひとつずつという約束なのに、三日も先まで開けてしまって」


 召使が示した先には、先日エドワードが妹に贈った仕掛けの暦があった。

 星の輝く森の夜を描いた箱に、一から二十八までの数字が振られた小窓があしらわれている。降誕祭までの日にちを数えるためのもので、小窓の中にはそれぞれ狐や栗鼠(リス)などの動物や、雪の結晶、木の実などを象った菓子が入っている。

 絵本のような絵柄も、中身の菓子も、妹は大変気に入ったようで、彼も微笑ましく思ったのだった。


「なんだ、そんなこと」


 エドワードは気が抜けて笑った。悪戯といってもごく他愛のないものだった。薬を飲むのを嫌がった訳でも、危険なことをした訳でもない。

 主人の反応が気に入らなかったのか、ジェシカは目をつり上げて訴えた。


「十一歳だというのにお菓子が我慢できないなんて。それに、お嬢様はわざわざ封を戻していたのですよ。いたずらをして隠そうとしていたのです」


 食品が入っているからには、小窓には一つ一つ封がしてある。雑に破ったなら、すぐにそうと分かってしまう。だが、妹が開けてしまったという三日分は、一目では他と区別がつかない程度に綺麗に開封されていた。

 よほど時間を掛けて丁寧に封を剥がし、菓子を抜き取った後はまた丁寧に貼り直したのだろう。

 その光景を想像して、彼の笑みは一層深まった。


「器用だね、リリー・メイ。君が工作をしているところを見てみたかった」


 妹を叱らない彼を生ぬるいと思ったのだろう、視界の端でジェシカが顔を顰めるのが見えた。だが彼は知っている。妹は賢くて素直な子だ。悪いことをしたと自覚があるのに褒められたら、頭ごなしのお説教よりもいたたまれなく感じるはずだ。


「お兄様、ごめんなさい……。可愛かったから、どうしても全部見たくなっちゃったの」


 案の定、妹は目を潤ませて彼を見上げてきた。エドワードはあえて少し厳しい声を出す。抱き締めて慰めるには、まだ早い。


「でも、一日ひとつずつという約束だったからね。約束を破ったのはいけないことだったね?」

「うん……」

「もうしない?」

「ええ、絶対!」


 そこでやっと彼は妹を抱き上げて、頬にまた口づけた。


「良い子だ、リリー。君は私の自慢の妹だよ。

 私はこれから食事だが、話し相手になってくれるかな? 中央大通りの(モミ)の木の飾りがとても見事だったんだ。君が思い描けるように話してあげるよ」

「お兄様、怒っていないの?」


 彼の腕の中、いつもよりも高いところで真っ直ぐに目線を合わせると、妹は不安げに首を傾げた。


「全然。それは、お菓子を食べてしまったのはいけないことだけど。こんなに可愛いリリーに、ずっと怒ったままなんてできない」


 額と額をつけてささやくと、妹は初めて安心したように彼の首に腕を回した。




 翌日はやはり雪が積もっていた。除雪しなければ馬車を出すのもままならないという訳で、コートの襟をきっちり立て、防水のブーツを履いた使用人たちが白い息を吐きながら屋敷や商会や取引先を行き来し、エドワードは午前中を屋敷で過ごすことになった。

 屋敷でしなければいけない仕事もないから、勉強を見てあげる、と言ったら妹はとても喜んだ。


「お兄様と一緒にいられるなら雪も良いものね」


 そう言って彼に抱きついた妹の輝くばかりの笑顔は、何よりも彼の心を温めた。


 しかし、いざ勉強を始めてみると妹はどうも上の空だった。


「リリー? 聞いてる?」

「え、ええ。ごめんなさい、お兄様」


 詩の本を指先で叩いて注意を促すと、妹は慌ててエドワードに向き直った。彼女が気を散らせた先は見なくてもよく分かっている。念のためにと子供の手が届かない本棚の上段に置いた、あのアドヴェント・カレンダーだ。


「やっぱり気になる? リリーが食べてしまったのは、今日と明日と、明後日の分。次に開けられるのは、その次だよ」

「ええ……」


 しゅんとした顔もまた微笑ましい。菓子を欲しがって落ち着かないなど、年齢以上に幼い行動ではあるけれど。でも、彼は妹ができるだけ長く子供のままでいて欲しいと密かな後ろめたさと共に願っていた。


「悪いのはリリーなんだけど」


 ペンを握り直しながら、妹はしょんぼりと眉を下げてつぶやいた。


「今日、お兄様がいてくださるのだったら、一緒に開ければ良かったなあ、って思って」

「また明々後日(しあさって)にね。今度こそ私が帰るまで待っていてくれよ?」


 何食わぬ顔で講義を再開しながら、エドワードは内心で目を瞠っていた。本当に、この子供はささいな言葉で彼を喜ばせてくれる。




 病弱な妹がいるからと常に真っ直ぐに帰宅する彼を、気の毒だと言う者もいる。付き合いが悪いと嘲る者もいるし、妹と言いつつ愛人を囲っているなどと邪推する者さえいる。だが、彼らは皆分かっていない。


 彼と一緒にいること。たったそれだけのことに、これだけ喜び悲しんでくれる者は他にはいない。


 兄と、兄が愛した女性が召された後、顧みられなかった遺児――リリー・メイは、痩せて咳き込んで見るのも哀れな有様だった。混血だから、黒髪黒目だからと幼い子供を放置した父に、勝手に逝った兄夫婦(りょうしん)に、彼は心底憤り、この子のことを必ず幸せにしようと誓った。その心は忘れていないし、今も変わってはいない。


 けれど、痩せこけた子供はいつしか成長し、いまだに寝込むことはよくあるけれど可愛らしい少女になった。そして、年々母親に似てくる。彼のことを視界には入れてもエドワードという人間だとはついに認識してくれなかった美しい人に。更には、あの人が決して見せてくれなかった心からの笑顔を見せて愛していると言ってくれる。


 惜しみなく寄せられる無垢な愛情と信頼に救われているのは、今となっては彼の方だ。エドワードはずっとリリー・メイの面倒を見ているつもりだったが、時々彼の方こそこの子の存在がなくては生きていけないのではないかと思うことがある。それほどに、純真な妹の存在は彼の日々の大部分を占めている。


 真剣な顔で韻と向き合う妹を眺めながら、エドワードは何かこの子を喜ばせる土産を買ってあげよう、と考えを巡らせていた。




 その日も夕方から夜にかけて雪になった。それも、前日よりも重く激しい雪で、べったりとした大ぶりの雪片がエドワードの黒いコートの肩に白く貼り付いた。


「お兄様、おかえりなさい!」


 今日は怒られるようなことなどしていないのだろう、妹が満面の笑顔で出迎えてくれた。その明るさが、何よりも彼の心を照らし温めてくれる。


「ただいま、リリー。少し離れなさい。コートが濡れているから冷えてしまう」


 それに、外では感冒が流行っている。冷たく湿ったコートに触れて、身体を壊してしまうのを恐れて、エドワードはまとわりついてくる妹をそっと抑えた。小柄な妹の体重はごく軽くて、全力で飛びついてきても彼が動じることはなかった。


「リリーはもう食事を済ませた?」

「ええ。最近お兄様の帰りが遅いから一人きりなのよ。つまらないわ」


 コートを脱いで改めて挨拶のキスを交わすと、妹は抗議するように唇を尖らせた。

 帰りを待ちわびてくれる存在がいるのを嬉しく思う反面、罪悪感が胸を刺す。この時期は商会の仕事が忙しい。降誕祭に、あるいは新年の夜会に向けて衣装や小物を新調したり贈り物にしたりしようという客が多いのだ。


「いつもすまないね。降誕祭の日には、必ず早く帰るから」

「三週間も先じゃない」


 なおも不満げな妹の頭を、艶やかで真っ直ぐな黒髪を、彼はそっと撫でた。


「そんなことは言わないで。食事が終わったらお土産があるから。きっとリリーの気に入ると思う」

「本当? ありがとう、お兄様!」


 お土産、の一言に妹の顔は輝いた。そして、彼女の笑顔は彼の疲れも外の寒さも吹き飛ばしてしまうのだ。




 食事の後、エドワードは勉強と称して妹を自室に呼んだ。ジェシカは彼が妹を甘やかし過ぎるのを好ましく思っていない。それに、よくキスをしたり抱き締めたりするのも。使用人と雇用主という立場の違いゆえにあからさまに苦言を呈することはないが、態度の端々に不満と――危惧を感じることがある。

 妹を慈しみ可愛がっているだけの彼からしたら、下世話な想像と言わざるを得ないのだが。

 それはともかく――


「どう、リリー? 気に入った?」

「わあ……!」


 机上に広げた小物の数々に、妹は子供特有の澄んだ声で歓声を上げた。


 降誕祭の樅の木に吊るす飾り物。薄く削った木で御使いや燭台や星を象って、金銀や赤、緑など鮮やかに彩色してある。

 色も形も様々な小瓶。年頃の女の子なら化粧水や香水を入れるのだろうが、無邪気な妹のためには蜂蜜と果汁を混ぜたものを少しずつ入れてもらった。

 一角獣や百合の花、唐草模様などの意匠を刻んだ小さな印章(スタンプ)。妹には手紙を出す相手などいないが、こういう可愛らしく手の込んだ品は眺めているだけでも楽しいだろう。


 いずれも街に並んだ降誕祭の屋台で買ったものだ。この季節ならではの光景を妹に見せることは出来ない。医者は適度な運動を勧めるが、気温の些細な変化でさえ体調を崩すこの子供を、寒い中人混みに連れ出す気にはなれない。だから、街の浮き立った雰囲気だけでも感じさせてやりたかった。


「どれも素敵! お兄様、リリーのために選んでくれたの?」

「もちろん。リリーの喜ぶ顔が見たかったからね」

「とても嬉しい! 何てお礼を言ったら良いのかしら」


 感謝のキスを頬で受けると、エドワードは妹の耳元にささやいた。


「小さいけれどお菓子もあるんだ。ジェシカには内緒で食べてしまおう」

「良いの?」

「一緒に開けたかった、って言ってくれたから。好きなのを選んで食べよう」

「お兄様とリリーの秘密ね」


 妹は嬉しそうに笑って、また彼を喜ばせた。


 これも屋台で見繕った、一口で頬張れる大きさの小さな焼き菓子を並べると、妹は迷いなくその中の一つを摘んだ。


「これにするわ」

「それは……」


 止める間もなく、彼女はそれを口へ放り込み――軽く顔を顰めた。


「少し、苦いわ」

「そうだろうね」


 彼はため息を吐いた。よりにもよって、彼が自分自身のために、と思っていた糖酒(ラム)をきかせたものを選ぶとは。仕方なく、彼は胡桃(くるみ)入りのトフィーを妹の口に押し込んだ。

 甘ったるく香ばしいトフィーで口直しした妹は、顰め面から一転して上機嫌でつぶやいた。


「苦いからびっくりしちゃった。苦いのは、恋の味なのよね?」

「……ああ、そうだよ。恋は苦いんだ」


 嘘をつくことに息苦しさを感じながら、エドワードは妹の頭を撫でた。


「寝る前にちゃんと歯を磨くんだよ」

「はあい、お兄様」


 妹は聞き分けよくうなずくと、顔を軽く上向けて目を閉じた。おやすみのキスとハグを待っているのだ。

 彼は苦笑しつつ妹の頬に口付け、その背中に腕を回した。




 恋は苦い味がするもの、などと。


 嘘を教えたのは、恋ゆえに身を滅ぼした人たちを見てきたからだ。兄のアルバートと、その妻の翡蝶(フェイディエ)と。兄は愛する人に顧みられなかったのを受け入れられず、翡蝶は愛する人と引き離されたのに耐えられなかった。


 だが、もう一つ誰に言うことも、彼自身でさえ完全に認めることのできない理由がある。


 恋は素晴らしいもの、甘いものだと教えて、リリー・メイが恋をしたいと願ったらどうしよう。無邪気な笑顔と無垢な愛情、全幅の信頼。それが彼以外に向けられるのを、彼は受け入れられるだろうか。耐えられるだろうか。

 だが、そんなことは彼が思っているはずのないことだ。それでは彼がこの子を妹としてではなく異性として愛しているようではないか。それは違う。彼は兄夫婦が遺した可哀想な子供を、責任をもって育てなければならない。それだけだ。

 その証拠に、これだけ近づいても彼の胸にあるのは子供を慈しむ思いだけだ。


 一方で彼の中の悪魔がささやく。痩せた哀れな幼児は可愛らしい少女に成長した。いずれ美しいレディになるのではないか? その時お前はどうするつもりだ?


 その問いかけに彼は耳を塞ぎ、妹を抱き締める腕に力を込める。


 いずれ終わりが来るのは分かっている。だがそれは今ではない。

アドヴェント・カレンダーについては4話でちらっと触れていましたのでよろしければご確認ください。

クリスマス市が立つのはドイツの風景ですが、租界では色々な国の文化が混ざっているということにしました。

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