~幕間④~
「神埼先生」
「ん……風谷か」
顔を上げ、里奈の姿を認めた玲奈は手に持っていた資料を机に置いた。
場所は桜楼学園の教員室。
夕日が差し込む教員室には二人と少しの教員しかいない。
「いつ帰って来たんだ?」
「ついさっきです。他のは帰らせましたが、大丈夫でしたか?」
「ああ。もう時間が時間だしな」
腕時計に目を向けて頷く玲奈。
「そうですか。では、手っ取り早く依頼報告を」
そう言って、里奈は数枚の用紙玲奈に渡した。
「ルクセール騎士団は、重傷者五十三名・軽傷者三百余名・死者なし。重傷者もいずれも命には別状ありませんでした。私達のほうも天城が軽傷を負っただけで特にこれといった怪我はしませんでした」
「上々の結果だな……っと……これは」
報告書に書かれた<ルーラレイズ>と<リネル・ルーラレイズ>の文字を見て玲奈は手を止めた。
「<ルーラレイズ>と……リネル級も来たのか。最終的に、中々面白い依頼になったな」
「ちなみに、リネルをやったのは天城です」
「へぇ……詳しく聞きたい、が……今は時間がないから後で本人にでも聞いておこう」
机に置いていたカップの中身を口に含み、もう一度報告書に目を向ける玲奈。
「<クロプス>の数が増えたのもこいつらのせいか。迷惑な奴らだ」
「『あれ』が近いんでしょうね」
「だろうな……もうすぐ春も終わるし……あいつら、また来るんだろ」
面倒な、と呟いて玲奈は用紙を机に置いた。
「どうするんですか?」
「どうも出来ないことはお前もわかってるだろ? ただ座して待つだけだ。さて……お前ももう帰っていいぞ。学園長と騎士団の上には私から報告しておく」
「わかりました。失礼します」
頭を下げて職員室を出ようする里奈。が、ふとある事を思い立ち、振り返って口を開いた。
「天城は……『あれ』に参加させるんですか?」
「……させない。そもそも、あいつはまだ一年だ。『あれ』は二年以上が参加することも、わかってるだろ?」
「……そうですね。失礼しました」
里奈はそれ以上何かを言うでもなく、教員室を出た。
「……何だかんだ言って、あいつももう相当天城にのめり込んでるな」
玲奈の呟きが誰かの耳に入ることはなかった。
*****
天楼学園の寮は学園内にあり、殆どの生徒がそこから通っている。千のように、学園の外から通う者はかなり珍しい。
そんな寮も学園と同じくかなり豪奢で、高価な名画が所狭しと並べられる廊下や、フカフカのソファーの置かれた五十畳はある談話室、露天風呂、プール、などなど、一流のホテルと遜色ない豪華さである。
「ミリヤ!」
そんな寮の談話室に怒声が響き渡ったのは、時計が八時を差した頃だった。
外はすでに暗く、談話室には風呂上がりの女生徒が学年問わずかなりの数集まっていたが、その全員が会話を止め、その怒声を放った人物と放たれた人物に目を向けた。
「煩いぞ、ソレイユ」
名を呼ばれた天楼学園生徒会副会長のミリヤが雑誌から目を逸らすことなく言うと、その隣に立った長髪を一つの大きな三つ編みにした少女が苛立たしげに声を張り上げた。
「お前、今日桜楼の奴らと『世界機構』の依頼をやりに行ったんだってな! どうしてアタシを連れて行かなかった!」
「……連れて行ったらどうしてた?」
「あの桜楼のクソ会長をぶっ飛ばす!」
と、即答する三つ編み少女。
「だからだ。わかりきってることだろう」
こちらもやはり雑誌から目を離さずに答える。
「てめぇ」
そのミリヤの態度が三つ編み少女の堪忍袋の緒を切った。
「こっちを……向け!」
三つ編み少女がミリヤの持つ雑誌に右手を向けると、何か強力な力に引っ張られたように雑誌がミリヤの手を離れ、バサッ、と三つ編み少女の右手に収まった。
「はぁ……返せ」
ため息をつき、ソファから立ち上がったミリヤがそう言うと、
「嫌だ」
三つ編み少女は笑みを浮かべ、雑誌を上に投げ飛ばした。
雑誌は談話室の高い天井まで届き、落下する途中で電灯の一つに引っかかった。
「続きが読みたいなら、あそこまで取りに行けばいい」
「……はぁ」
ミリヤがもう一度深いため息をついた瞬間、
『っ!?』
談話室にいた、三つ編み少女とミリヤ以外、全員がその場を飛び退き、壁や二階の手すりに張り付いた。
戦闘の英才教育を受けている少女達は一瞬で察したのだ。
二人の≪化け物≫が戦闘態勢に入ったことを。
「心を落ち着かせるために読んでたんだが……どうやら、お前をボコボコにして鎮めるしかなくなったようだ」
「やれるならやってみろ……千の金魚のフンが」
ほほ笑み、構えをとる二人はもう相手を≪ぶっ飛ばす≫ことしか考えていない。何かキッカケがあれば、すぐに戦闘を始めるだろう。
「二人とも、こんな所で何をするつもりよ!?」
と、声をかけたのは、その様子を遠巻きに見ていた三年の女生徒だった。
「喧嘩なら余所でやりなさい!」
この女生徒は二人と顔見知りで、それなりに仲が良い。
それでも、
「「…………」」
女生徒の声は睨みあう二人の耳には届かなかった。
「あの、馬鹿達」
唇を噛む女生徒に、隣で身構える後輩が声を抑えて話かける。
「せ、先輩。このままじゃヤバイですよ」
「ヤバイのはわかってるわよ! 今のあの二人がここで闘ったらこの部屋……いえ、寮が一瞬で吹き飛ぶわ」
そんなことになったら、どれだけの怪我人が出るか想像も出来ない。
「で、でも……この寮は物理・魔法攻撃の耐性があるんじゃ?」
「内側からの攻撃なんて想定されてないわよ」
「…………」
サーッ、と青ざめる二年の女生徒を横目に見ながら、三年の女生徒はこの談話室にいる他の三年とアイコンタクトをとっていた。
(ここにいる三年は七人か……後輩達じゃ荷が重いし……あの二人を止めるには、あと五人は欲しいところね。)
だが、他の三年が来るのを悠長に待っているわけにはいかなかった。
(仕方ない……私達だけであの馬鹿達を止める)
他の三年を見ると、全員が同じことを考えていたらしく、それぞれゆっくりと戦闘態勢をとっていた。
『…………』
普段は女生徒が楽しく喋っている談話室に異様な空気が流れる。
やがて、三つ編み少女が投げたミリヤの雑誌が電灯から滑り落ち、睨みあう二人の間に落ちた。
直後、
「おぉーー!!」
「はぁーー!!」
三つ編み少女とミリヤは本気の拳を相手の顔面向けて放った。
『っ!』
それからコンマ一秒遅れて、周囲で機を窺っていた三年が飛び出る。
談話室が混乱に包まれるのに、あと一秒もかからないだろう。
というところで、
「[薄氷絶壁]」
落ち着いた美声が一瞬の静寂に包まれていた談話室を支配し、すぐ後に、
ガァアン!!
という音が響いた。
「「っ!?」」
驚愕する三つ編み少女とミリヤが殴ったものは、部屋の中央、二人の間に一瞬にして現れた薄い氷の壁だった。
その氷の壁は向こう側が透けて見えるほど薄いにも関わらず、どこにもヒビ一つ入っていない。
「あ……っ! そこまでだ! ミリヤ、ソレイユ!」
飛び出た三年達も思わず動きを止めていたが、すぐに駆けだして三つ編み少女とミリヤの両人を抑え込んだ。
「い、痛い! 痛い! そんな腕を捻るな!」
「離せ、お前達!」
数人の三年生に背後から抑えられては、いくら二人でも抜けだすことは難しかった。
「全く……助かったよ、会長」
三年の一人がそう声をかけたのは、入り口付近の床に二つある愛刀の一つを突き刺した少女、天楼学園の生徒会長御柳千だった
「二人……落ち着いた?」
千が首を傾げながらミリヤと三つ編み少女に尋ねると、
「ああ。千の顔を見たらかなり落ち着いたよ」、
「……ふん。もう興が冷めた」
どちらも素直に頷いた。
「ん」
二人の態度に満足した千が刀を床から抜くと、氷の壁も粉々に砕け散った。
「もう、離していいよ」
「……大丈夫か?」
「大丈夫」
少し躊躇する三年達だったが、千の前で騒ぎを起こすことはないだろう、と思い二人の拘束を解く。
「それで……何で喧嘩してたの?」
千が腕をさする二人に問いかけると、三つ編み少女がミリヤを睨みながら口を開いた。
「こいつが今日の依頼にアタシを連れて行かなかったからだ」
「だから、お前を連れて行ったらややこしくなるだろうが。特に、今日は」
「アタシに一言もなし、ってのも許せない」
「いや、だから」
と、二人は言い争いを始めた。
「……あ」
それを聞いていた千がポツリと呟く。
「ソレイユ……寂しかったの?」
「なっ!? ば、馬鹿なこと言うな! そんな訳ないだろう!」
顔を真っ赤にして否定する三つ編み少女。
その動揺ぶりにミリヤがニヤニヤと笑みを浮かべる。
「何だ、だったら素直にそう言えばよかったじゃないか」
「ち、違うって言ってんだろうがぁー!!」
叫ぶ三つ編みの少女。
先程までの緊張が嘘のようなやり取りを繰り広げる二人に、周囲の少女達が苦笑する。
場がグダグタになったところで千が口を開いた。
「ソレイユも一緒に連れて行けばよかった」
「いやいや。それはそれで面倒なことになるから……そもそも、何でお前ここにいるんだ? 帰ったんじゃないのか?」
「今日のこと怒られてた」
「……やっぱり会議を無断で休んだのか」
はぁ、とため息をつくミリヤ。
そこで、ちょっと待て、と二人の会話に三つ編み少女が口を挟んだ。
「もしかして、千も行ったのか?」
「うん」
「……そんなに、ヤバイ依頼だったか?」
「まぁ、結果的にはそこそこだったけど、それほどヤバくはなかったぞ」
「それなのに……千が?」
「ん……ああ、そういう事か」
ぽん、とミリヤが手を打った。
「こいつが今回の依頼に行った理由はごく個人的なものだぞ。お前が考えてるようなものじゃない」
「個人的?」
「そう。天城ハルと一緒に依頼を受けたい、っていうかなり個人的な理由だ」
「天城……ハル?」
聞き慣れない名前に三つ編み少女が首を傾げていると、
「あなた達ー、もう談話室閉めるわよー」
と、エプロン姿の若い寮母が入ってきた。
「っと、もうそんな時間か……まぁ、悪かったなソレイユ。次の依頼はお前も誘うから、機嫌戻せ」
「ん……ああ」
「じゃ、また明日な」
「またね」
三つ編み少女は談話室を出る千とミリヤの背を見つめながら、もう一度呟いた。
「天城ハル……か」
ここまで物語に付き合っていただき、本当にありがとうございます。
作者の文章力どこまで出来るかわかりませんが、これからは語彙を増やして同じような展開が続かないように努力しますので、今後もこの物語を読んでもらえたらとても嬉しいです。
それでは、次回の更新まで失礼します。