~第3話~
「えーっと。改めて、これから雲月荘に住ませてもらう、天城ハルです。東京に来たのは初めてなので、色々と迷惑をかけるかもしれませんけど、よろしくお願いします」
そう言って、ハルが深く頭を下げると、ミキが盛大に、千が控えめに拍手した。
現在、ミキの提案によって開かれた、≪ハル君歓迎会≫の真っ最中。大きなテーブルには、ミキと千が作った豪勢なおかずが載せられている。
「ハル、ここに住むんだ」
「すみません、千さんに言うの忘れてましたね。……やっぱり、迷惑でしたか?」
「別に。私は、ハルだったら構わない。……いただきます」
そう言って、千は箸を動かし始めた。本当に構わないと思っているのだろう。
「千ちゃんはマイペースねぇ。……そう言えば、二人ってもう名前で呼び合ってるのね」
「あ、はい」
「ふーん……」
ミキは視線を一瞬だけ千に向け、すぐにハルに向き直った。
「さ、ハル君もジャンジャン食べてね♪」
「はい。いただきます。……ん、美味い。相変わらず料理美上手ですね、ミキさん」
「ありがと♪」
ミキは嬉しそうに微笑んだ。
「あ、それ作ったのは千ちゃんよ」
「そうなんですか? ……わぁ、凄い美味い」
千の作ったおかずを食べたハルの口内に、濃厚な味が広がった。
「ありがとう」
照れて頬を赤くする、様子なんて全くなく、千はそのまま淡々と食事を続けている。
「千ちゃんは私の弟子一号なのよ」
「へぇ」
「……無理やり覚えさせられた」
「……無理やり?」
ハルが首を傾げながらミキを見ると、ミキは気まずそうに頬をかいた。
「他の住人が壊滅的に料理下手だから、千ちゃんに覚えてもらうしかなかったのよ」
「他の住人……そう言えば、ここって何人住んでるんですか?」
「ハル君を入れて、五人よ」
「じゃあ、あと二人いるんですね」
「そ♪ で、その内の一人は獣人よ。物珍しい目で見ないようにね」
「見ませんよ」
(……ミキさん、自分が竜だって事忘れてるんじゃないのか?)
彼女のほうが、獣人の何千倍も珍しい存在だ。
「ちなみに、男性は?」
「ハル君一人よ」
「……マジですか?」
「マジ♪ だからって、変なことしたら駄目よ。私にだったらいいけど」
「ミキさんにも、千さんにも、他の人にも、絶っ対しません」
「……そんなきっぱり言われると、傷つく」
「え。……ご、ごめんなさい」
困ったように頭を下げるハルは、今のが千なりの冗談だと気付いていない。
(ハル君も千ちゃんも天然なのよね~)
苦笑するミキは、同時に驚いていた。
(それにしても、千ちゃんが自分から冗談言うなんて)
料理を作ってる時から、千の様子は普段と少し違っていた。いつもより楽しそうに料理をしていたのだ。
(さっきは、いずれわかる、って言ったけど……これは、私が思ってるより早くその時がくるかしら)
≪その時≫に、千はどんな反応を見せるのか、ミキはそれを見るのが楽しみで仕方なかった。
「その二人は?」
自分の冗談が通じなかったことの羞恥をおくびにも出さず、千がミキに尋ねる。
「仕事が忙しいから今日は帰れない、って電話があったわ。だから、ハル君との挨拶は持ち越しね」
「相変わらず、忙しそう」
「そうね。最近は頻繁に事件が起きてるからとくに」
「その二人は何の仕事を?」
「『騎士団』よ。しかも、二人とも滅茶苦茶偉いのよ」
「へぇ。騎士団ってことは、あのでっかい建物に?」
ハルは、東京の中央にそびえ立つ建物を頭に思い浮かべた。
「そう。『王塔』ね」
この都市を治めている≪王族≫が住む高層建造物、≪王塔≫。他のどの建物よりも群を抜いて高いそれは、先端が雲に突き刺さるほどだ。
そして、東京を内と外の脅威から守る≪蒼の騎士団≫の本拠地も、王塔になっている。
「明日になれば帰って来るでしょうし、その時にハル君に紹介するわね」
「はい。……明日と言えば、桜楼の特別入試も明日なんですよね」
「そうなんだ……じゃあ、応援に行く」
「来てくれるんですか?」
千の予想外の言葉に、ハルは少し驚く。
「あ、私も行くからね」
「ミキさんも?」
「私はハル君の保護者なんだから、もちろん行くわよ。それに、友達に会えるかもしれないし」
「友達、ですか?」
「そ。桜楼で先生やってるのよ。……今日、連絡してみようかしら」
「はあ……」
(ミキさんの友達か……なーんか、嫌な予感がする)
後に、この時の予感が見事に当たることになるのだが、今のハルにそんなことがわかるはずもなかった。
その後、会話が尽きることのないまま時間は過ぎていき、明日は早いし、と言うミキの言葉で、歓迎会はお開きとなった。
*****
「ここがハル君の部屋よ」
雲月荘の二階は住人の部屋になっており、片側に五室、廊下を挟んでもう五室の、計十室ある。
ハルに宛がわれたのは、五部屋ずつ並んでいる中の丁度真ん中の部屋だった。
「トイレは各部屋についてるけど、お風呂は共同よ。適当に、誰も入ってない時に入ってね」
「そんなアバウトで本当にいいですか?」
「……大丈夫よ」
(……大丈夫じゃなさそうだなぁ)
目を逸らすミキの態度に、一抹の不安を隠しきれないハルだった。
「今日は私と千ちゃんが先に入るから、出たら呼ぶわね」
「はい」
「……一緒に入る?」
「は、入るわけないでしょう」
「真面目ねぇ、ハル君は」
「ミキさん……」
「冗談よ、冗談♪」
ミキは心底楽しそうに笑いながら、その場を後にした。
(変わらないよな、あの人も)
ハルは苦笑しながらドアを閉める。
(……思ってたより広いな)
家具も何もないハルにとって、部屋は少し広すぎた。
(まぁ、広い分にはいいか)
「っと……ふぅ」
荷物を置き、壁に背中を預け、天井を仰ぐ。
(今日だけで……色々あったなぁ)
一日目から波乱万丈だな、と苦笑する。
(で、色んな人に会った……蓮華さんに、健吾さんに、千さん……ミキさんにも会えた)
今日会った人を頭に思い浮かべたハルは、静かに目を閉じた。
(……疲れたなぁ。……二人が、出るまで……少し、だけ)
ハルはそのまま、静かに寝息を立て始めた。
*****
「どうしよう……」
私、楠木蓮華はとても困っていた。
「うーん」
ベッドの上に並べた洋服を前に、頭を悩ませる。
明日の天城さんの応援に、どれを着て行けばいいのかわからないのだ。
「これは……」
一着のワンピースを自分に重ねて、鏡の前に立って見る。
「……わ、わからない」
けれど、普段からファッションにあまり気を使っていない私は、これが似合っているのかもわからない。
ちなみに、ここに並んでいる殆ど全ての洋服はお母さんが買ってきてくれた物だ。だから、余計にわからない。
「うぅ、こんな事なら雑誌でも買っておけばよかったよ」
このままでは、無駄に洋服をぐちゃぐちゃにしただけになってしまいそうだ。
「…………」
そこで、ふと思い至った。
何で、私はこんなに必死になっているのか……今日初めて会った男の子のために。
「……わからない……」
呟き、枕を抱く。
本当にわからない。
何故、知らないうちにあの人の事を考えてしまうのか。そして、私の胸が高鳴る理由も。
その全てが初めてのことだから、わからない。
「……絵梨ちゃんに相談しようかな」
原点に帰った私は親友の顔を思い浮かべ、携帯を開いた。
彼女の番号をすぐに見つけ、少し迷ってから、ボタンを押した。
今日は仕事休みって言ってたし、多分大丈夫だと思うけど……。
『……もしもし? 蓮華?』
数回コールが鳴った後、絵梨ちゃんが出てくれた。
「うん。今、大丈夫?」
『大丈夫だけど……どうしたの?』
「実は……相談があって」
『相談? いいよ、何でも言って』
「……明日、桜楼の特入試験を見に行くんだけど」
『特入を? 何でまた』
「え、っと。色々あって」
『ふーん。それで?』
「それで……どんな服を着ていけばいいかわからなくて」
『どんな、って……普通のでいいんじゃないの?』
「うん。でも……それじゃあ、不安で」
『不安?』
「うん……男の人にどんな風に思われるのかわからないから」
『ぶふぅ!!』
「ど、どうしたの、絵梨ちゃん?」
『ゲホッ! ゲホッ! い、いや。飲んでた牛乳吹いちゃっただけ。ゲホッ!』
「だ、大丈夫?」
『大丈夫、大丈夫。蓮華がいつの間にか、冗談を言うのが上手くなってることに驚いただけだから』
「じょ、冗談じゃないよぉ」
『……本気?』
「う、うん」
『……私としては、蓮華がそういうのに興味を持つのは感心しないんだけど』
「? そういうの?」
『大胆な服着て、男の人を誑かそうとしてるんでしょ?』
「た、誑かっ! ち、違!」
『確かに、蓮華ほど可愛ければ簡単にいくと思うけど、親友としては見過ごせないよ』
「だ、だから! 違うって!」
私はその後、今日起きたことを話、今の心境を絵梨ちゃんに吐露した。
そして、十分後……
『……今すぐ蓮華の家に行く』
「え?」
『あんたを私が最高に可愛く仕立ててあげる! その天城って人が、あんたに夢中になるように!』
「え? え?」
『まさか、蓮華が……今から行くから、待ってて!』
「え、絵梨ちゃ……切れちゃった」
ツーツー、と携帯から虚しい音が聞こえてくる。
「……結果オーライ、なのかな?」
絵梨ちゃんは、私が羨むほど可愛い。≪アイドル≫として仕事をいくつもこなしているから、当たり前かもしれないけど。だからこそ、絵梨ちゃんに安心して任せられる。
「……明日、楽しみだな」
私は、知らず知らずの内に、頬を緩めていたのだった。