~第35話~
「っ、ぶは! はぁ、はぁ……」
五月と闘っていた場所から出来る限り離れた建物の屋上で、ようやく息を吐くハル。筋肉の緊張が緩み
、肩と腹から血が流れ出る。
「とりあえず……治療しとくか」
ハルは服を破り、慣れた手つきで傷口を縛り始めた。
(はぁ……何なんだよ)
縛りながら、自分のおかしな心境にため息を吐く。
(あんなに腕が重く感じたのは初めてだ)
まるで、自分の腕ではないかのようだった。
(人を斬るのが……あれほど難しいとは、な)
とりあえずの応急処置を終え、ハルは雲一つない空を見上げた。
(覚悟、か……)
ゆっくりと目を閉じるが、心のざわつきは収まらない。
(こんなにも……重い)
そのまま目を堅く瞑って苦い顔をしていると、
ズドォン!!
と、大きな爆発音が響き渡り、周囲一帯が大きく揺れた。
(これは……さっきの先輩のじゃないよな……って事は)
自分が関わっていない戦闘には、里奈が関係している可能性大である。
(今の俺があの人の前に出るのは自殺行為な気もするけど……)
だが、それが最終目標なのだから行かないわけにはいかなかった。
ハルは何とか立ち上がり、今も断続的に響く爆発音の方へと移動を始めた。
*****
「ぜぇ、ぜぇ……この、クソがぁ」
「よし! よーやくボスが弱ってきた」
肩で息をする三年のスキンヘッドの男と、携帯ゲーム機を片手にガッツポーズしている里奈。
「……??」
壮絶な闘いが繰り広げられていると思っていたハルはその光景に首を傾げた。
二人の周囲はどこもかしこもズタズタに壊れており、何人もの生徒が倒れていて殺伐としているが、どうも里奈だけがその光景から浮いている。
(何で……ゲームやってんだ?)
それが最大の謎だった。
「ぜあぁーー!!」
里奈に迫った男が拳を振り下ろす。
(速い!)
と、ハルは思ったのだが、
「回復、回復~♪」
里奈は画面から目を離すことなく、それを避けた。
「こ、のぉ!」
避けた里奈に、横殴りの殴打を繰り出す男。
「甘い、甘い」
ゲームの話か男のことかわからないが、そんなことを言って男の攻撃を身を屈めて避ける里奈。
(……圧倒的だ)
まさしく、圧倒的である。男が一なら、里奈は百。ハルから見ても、二人はそれぐらいの力の差がある。
(それでも……あの男の先輩は俺より遥かに実力が上だ)
その男が攻撃を繰り出す速さ、タイミング、強さ、どれをとっても、ハルは敵わない。
(生徒会長はそんな弱い俺との勝負を望んでいる)
それを名誉に思うべきか、滑稽に思うべきか、今のハルでは判断することが出来なかった。
「よーし、勝ったぁ!」
里奈がヒラリヒラリと男の攻撃を避けながら、空高く手を突き出した。
「さて……ん?」
と、そこで、百メートル近く離れたハルと目が合う。
「…………」
里奈は一瞬だけほほ笑んで、ゲーム機を上着のポケットしまった。
(……そんなに俺と闘うのが待ち遠しかったんですか……)
思わず堅く手を握るハル。
里奈は何も言わなかったが、その鋭い目はこう言っていた
『ようやく来たか』
と。
「さて、そろそろお前の相手も飽きてきたし……終わらせるぞ」
「っ!?」
里奈が男に目を向けた一瞬後、彼女は男の懐深くまで接近していた。
「い、何時の間、にっ!?」
男が何か反応をみせる前に、里奈は右拳を男の鳩尾へと放った。
「ぐっ、が、あぁ……」
男は鳩尾をおさえ、その場に倒れ込んだ。
一撃、一瞬の出来事。
(拳の軌道すら見えなかった)
特入試験の時の玲奈と同程度の速さ、ということだ。
「…………」
里奈は倒れ込んだ男に目を向けることもせず、じっとハルを見つめている。
(……腹を括るか)
ハルは一度建物と建物の間の路地に入り、目を閉じて魔力剣を精製した。
「……重いな」
その魔力剣は今まで精製したものと何ら変わりないはずなのに、何十倍も重く感じた。
(生徒会長と闘う覚悟は決めたけど……人を斬る覚悟はまだ、か……)
それは、これから剣を携えて闘おうとしているハルが抱えるには、大きすぎる欠点だ。だが、その覚悟が決まるのを悠長に待ってはいられない。
(剣を使わなければいい話だけど……こんな所で俺の負けず嫌いが発揮されるとは、ね)
剣を使うのが辛い、とは思うが、だからと言って使わないのは何か違う。そんな矛盾した気持ちが、ハルの中にあった。
「だから……やるしかない」
そう口に出し、ハルは路地から出る。
里奈はその場から一歩も動いていなかった。
(優しい人、って考えていいのかな)
ゆっくりと、ハルは里奈のいる場所まで近付いた。
「なんだ……もうボロボロじゃないか」
「苦労したんですよ」
苦笑しながらそう言い、二人の距離が二十メートル程度になった所でハルは歩みを止めた。
「一ついいですか?」
「ん?」
「この三年の先輩は何でこのイベントに参加したんですか?」
ハルはうつ伏せに倒れている三年の男を見ながら尋ねた。三年にもなってグループもクソもないだろう。
「大方、前に私にやられた腹いせだろう」
興味なさそうに答える里奈。
「覚えてるんですか?」
「いや、全く」
「…………」
即答だった。
「……綱紀粛正のためにも必要だったんだ」
思い出したように言う里奈だが、もちろん全く覚えていない。
「生徒会長なんてやってると、色々と恨みをかうんだよ。今回みたいに何かと理由をつけて襲ってくるなんてざらにある……まぁ、それが面白いんだけどな」
そう言って、里奈は口の端を上げてほほ笑んだ。
「そうですか……でも、俺はこの人より弱いですよ? そんな奴を相手にして、会長は面白いんですか?」
「ああ。もちろん」
こちらも、即答だった。
「お前は確かにこいつらより弱い。だが、あの神埼玲奈すら認めた、底の見えない才能を持つお前との闘いが……つまらないわけないだろう」
空気が一気に張りつめる。
「……光栄です」
ハルの額から汗が垂れ、里奈は更に笑みを深めて、言った。
「足掻いてみせろ、天城ハル」