~第24話~
「ふん……まずは、合格か」
ハルがいる場所から遠く離れた崖の上で、玲奈は適当に座りながら呟いた。
(あいつとミキの話を聞いた限り、天城はこういう状況は初めてのはずだ)
実際、魔物と目を合わせた時のハルは、完全に≪蛇に睨まれた蛙≫状態だった。
(あのプレッシャーで心が折れてもおかしくはないが……そんなタマではないか)
もう一度、遥か遠くのハル達に目を向ける。
ハルの緊張は解けており、今は闘う気満々であった。
(完全に乗り越えたか……だが)
「<レイグレス>は心構えが出来ただけで勝てるほど甘い相手ではないぞ……今のお前では、な」
恐らく、<レイグレス>に勝てる桜楼の二年はいない。三年でも一部の者だけが勝てるだけであろう。
少なくとも、新入生が相手にするような魔物ではなかった。
*****
(で、こいつとの闘い方をどうするか、だよな……)
現状は、睨みあい。お互いに隙を窺っている。
(隙だらけ、と言えばそうだけど……あの岩みたいな皮膚は半端な攻撃じゃ傷一つ付けられないよな)
覚えたての氣の応用を使って攻撃しても、明確なダメージを与えられるかわからない。
(となると……やっぱり魔力の応用だよな)
こちらはつい先日覚えたばかりだが、高密度の魔力を圧縮させた魔力剣を精製すれば氣の応用よりかは武器になる。
(問題は……集中する時間を与えてくれるかどうか)
魔力剣を精製している間、ハルは完全に無防備になる。幾らなんでも、魔物の目の前でそれをする勇気はない。
「どうするか」
つい、声に出してしまう。
この時のハルはとある可能性を見過ごしてをしていた。視覚の情報と固定観念にとらわれて、その可能性を思い浮かべていなかったのだ。
この巨大で、岩のような皮膚を持つ<レイグレス>が、実は≪物凄く素早い≫という可能性を。
「っ!? ぐ、はっ!」
一瞬、本当に一瞬で、ハルは吹き飛ばされてしまった。
(は、はやっ!)
両者の距離は軽く十メートルはあった。その距離を<レイグレス>は一瞬で縮め、ハルに体当たりをかましたのだ。
「く、っと!」
ハルは木の幹を掴み、どこまでも飛ばされてしまいそうだった自身の身体を強引に止めた。
そのまま巨木の枝に着地し、両腕を軽く動かす。腕はプルプルと震えていたが、やがてそれも治まった。
(体当たりはなんとか腕をクロスさせて防いだけど……あの魔物、やってくれる)
お互いの距離は三十メートルほど開けた。
そして、両者は相手を視界に捉えている。
こうなってしまっては、牽制や相手のすきを窺うなんてことは無意味に等しい。
『グオォォーー!!』
雄叫びをあげて、<レイグレス>はハルに向けて突進を始めた。
スピードは先程の体当たりより若干遅め。威力を重視して、全身に力を籠めているのだろう。
「…………」
その動きに注意を向けていたハルの頭にとある推測が浮かんだ。
(あいつの皮膚、本当に堅いのか?)
自分の速さを隠すためのハリボテなのではないか、という考えだ。
(事実、俺はあいつの皮膚が岩みたいだから動きは遅いだろう、って思ってたわけだし……やってみる価値はある)
そう結論づけて、ハルは両脚に氣を溜めた。
(狙いは、額!)
足場にしていた巨木の枝が粉々に砕け散るほどの勢いで、ハルは<レイグレス>目掛けて跳んだ。
そのスピードは、最初の<レイグレス>の体当たりより速い。
『グ、グガォ!』
<レイグレス>が気付いた時には、ハルの右の膝蹴りは見事に額のど真ん中に直撃していた。
ズガンッ!!
という音が響く。
<レイグレス>のスピードと、ハルのスピードが合わさったその蹴りの威力は、想像を絶するものだった。
ハルは勢いのままに<レイグレス>の背後まで飛ばされ、<レイグレス>もあまりの勢いに大きな顔を上空に向けた。
そして、結果は、
「いっ、てぇ!!」
ハルの右膝が負傷しただけに終わった。
(め、滅茶苦茶痛い! あの皮膚、どんだけ堅いんだよ!)
<レイグレス>の額は全くの無傷だった。
皮膚がハリボテ、などという考えは、結局安易なものだったのだ。
(くそっ! だったら、打つ手が、っ!?)
空中で考えを巡らせていたハルに黒い影が落ちる。
「尻尾か!」
ハルは<レイグレス>の尻尾に器用に吹き飛ばされてしまった。
「ぐっ、あぁー! ぐあっ!」
何本もの木々をなぎ倒し、地面に叩き付けらるハル。
「はぁ、はぁ。いくら直前で防御出来てても、これじゃあ身体がもたない」
すでに満身創痍に近かったハルは、
(……あ)
と、突然閃いた。
(あそこなら……)
『ガァーー!!』
「っ!?」
何時の間にかハルとの距離を縮めた<レイグレス>は、そのまま尻尾を思いっきり上から叩きつけた。
地面がへこみ、亀裂が走る。
『グガァ』
<レイグレス>はこれで終わったと思ったのだろう、尻尾をゆっくりと動かした。
しかし、
「ふぅ」
獲物であるハルは凹んだ地面の真横で息を吐いていた。見るからに、余裕綽々である。
『グッ! グオォーー!!』
イラついた<レイグレス>はヤケクソ気味に何度も尻尾を地面に叩きつけた。
「[桜舞]」
ハルは、それらを華麗に避ける。
「今、お前の弱点をようやく見つけた」
そう呟き、ハルは<レイグレス>の尻尾攻撃を避け続けた。
『グゥー! ガァーー!』
やがて、痺れを切らせた<レイグレス>が尻尾を地面と平行に、横に振った。
「よっ」
ハルはそれを軽くジャンプしただけで避け、そのまま脚に氣を溜めた。
「っ! はぁ!」
そして、≪空歩速≫で空気の層を蹴り、<レイグレス>の顔面に向けて跳んだ。
「痛いだろうけど、悪いな!」
そう言って、拳を突き出した先は、<レイグレス>の右目だった。
『グッ、グガァーー!!』
ハルの拳が、<レイグレス>の右目に突き刺さり、<レイグレス>は甲高い雄叫びをあげた。
「くっ」
その雄叫びと右手の感触に顔をしかめたハルは、空中で何回転かして地面に着地した。
「はぁ、はぁ……魔物の血も赤いのか」
右手には、人と似通った赤い液体が付着していた。
ハルがより顔をしかめていると、
「……あ」
その赤い液体はやがて塵になり、あっという間に空中に飛び散った。
「何で……?」
『グゥー、グゥー』
荒い息の<レイグレス>がハルを片目で睨みつけている。
その右目からは、大量の赤い液体が流れている。だが、その液体も地面に落ちて数秒経ったあとには、塵になっていた。
「……お前達は、俺達と同じ存在なのか? それとも、違うのか?」
『グガァーー!!』
もちろん、そんな問いに答えるわけはなく、<レイグレス>は憎々しげにハルを睨むばかりだった。
「……愚問だったな」
ハルは一度だけ首を横に振り、構え直した。
『グ、アァーー!!』
「お互いの命を懸けたやり取りにそんな事は関係ない、か」
ハルは一度だけほほ笑み、次の瞬間にはあらゆる雑念を捨て去った。