~第23話~
「遅い」
職員室に着いたハルに、玲奈は開口一番こう言った。
「す、すみませんでした」
大人しく頭を下げるハル。逆らうような真似は絶対にしない。
「ふん……着いてこい」
職員室を出た玲奈の後をハルは急いで追った。
「昼は食べたか?」
「あ、はい。ここの学食って美味しいですね」
「なら、その美味しい学食を戻さないように気をつけろ」
「え……それは……吐くほど厳しいことをするって意味ですか?」
「さあな」
「…………」
ハルは自分の顔が青くなるのを如実に感じることが出来た。
「そ、そう言えば、神埼先生のグループって他に何人いるんですか?」
露骨に話題を逸らすハル。それでこれから行われることが変更されるわけではないが、今の精神状況で沈黙はきつかった。
「お前だけだ」
「へぇ、俺だけ……え? 俺だけ?」
「私はグループを作るのが嫌いだからな」
「そ、そうなんですか」
(そう言えば、真里奈先生が『一人を除いて、教員は全員グループを作ってる』って言ってたな。あの一人って神埼先生だったんだ)
「それで、何故私のグループ状況を聞いた? まさか……抜けたいとでも?」
「い、いえ! 滅相もないです! 俺、どうやらここの生徒会長に気にいられたみたいで、呼び出しを受けたんですよ」
「ふむ……風谷か」
「はい。それで、もし生徒会に誘われたらどうしよう、って思いまして……どうしましょう?」
「そうだな……その件はとりあえず保留だ。私も風谷と話しておく……着いたぞ」
『教員を同伴していない生徒の入室を禁じる』と書かれた札のかけられた扉の前で、玲奈は立ち止った。
「……『第10転移室』?」
扉の上に付けられたプレートをそのまま読み上げたハルが首を傾げる。
「入るぞ」
「あ、はい」
玲奈の後に続いて入ったハルの目に飛び込んできたのは、
「……何にも無い」
机や椅子どころか、窓すらない、真っ白な部屋だった。
「天城、部屋の中央に立て」
「は、はい」
言われるままに、ハルは真っ白な部屋の中央に立つ。
ちなみに、この部屋の大きさは教室の半分ほどである。
「力を抜け」
そう言う玲奈はハルから少し離れた場所で片膝をつき、右手を床に当てている。
「…………」
玲奈がブツブツと言葉を紡ぎ始めると、真っ白だった部屋の床が輝きだした。
(あ、これって……特入試験の時の)
ハルがそう思った瞬間、床が一気に輝き、二人はその部屋から姿を消した。
*****
「っ……あ」
目を開けたハルの目に入ったのは、生い茂る草花と大きな木々だった。
(この感覚を味わうのは二回目だな)
「天城」
「あ、はい」
前回と違うのは、今回は一人ではなく、教師同伴ということだった。
「これからお前には≪魔物≫との実践経験を積んでもらう」
「は、はあ」
「そんな気の抜けた返事で大丈夫か? 下手したら、死ぬぞ?」
「死ぬ……え、死ぬんですか?」
「ああ。お前が死ぬ気でやらなければ、死ぬ」
「あ、あのですね」
事もなげに言う玲奈にハルが苦笑していると、
「っ!?」
鳥肌がたつ程の恐ろしい気配を全身で感じ取った。
「な、何だ!?」
慌てて背後を振り返るハル。
目の前に広がるのは何の変哲もない森林だが、ハル達の近くに、先程の気配を感じさせた何かが確実にいる。
「『第10転移室』は、ここ≪混沌の森≫に繋がっている。どういうわけか、この森には子供でも倒せるものから、桜楼の教員が苦戦するものまで、様々な魔物共存している」
そんな中でも、玲奈は平然と話を続けている。
「昔、私は気まぐれでグループを作ってみたことがある。一・二年のみならず、三年の希望者まで殺到したから、この森で腕試しをさせてみたんだが……その日を境に私の元に来る奴はいなくなった」
「…………」
周囲の探索に全ての神経を集中させているハルの頭に、何故か玲奈の声はすんなりと入った。
「心底失望したね。エリートだとか言われてる奴らもこんなもんか、と」
玲奈は、自分以上の天才が現れるのを心のどこかで期待していたのだ。
「それ以来、私はグループは絶対に作らないと自分の心に誓った」
無駄な希望を持つのを止めたのだろう。
「だが、お前は私にその誓いを破らせた……期待しているぞ」
最後の言葉は、玲奈が滅多に使うことのない激励の言葉だった。
そして、玲奈の話が終わるのを待っていたかのように、一体の巨大な魔物が二人の前に現れた。
「<レイグレス>か。やはり、お前は運が悪いな」
太い二本足で二足歩行し、大きな口と身体に反比例して、両腕は割合小さい。しかし、<レイグレス>の最大の身体的特徴は、身体を覆うゴツゴツした皮膚と、長い尻尾だろう。
「…………」
しかし、ハルはそんな特徴など意にも介していない。今まで一緒に暮らしてきた竜のほうが何十倍も巨大だからだ。
<レイグレス>は確かに人からみたら巨大だが、竜にとってはその辺の岩と大差ない。
なので、ハルが<レイグレス>にこんなにも戦々恐々しているのには、他の理由がある。
(……この殺気)
<レイグレス>の殺気は確実に二人に向いている。<レイグレス>がハル達のことを、≪抵抗する食糧≫と思っているのだから当然である。
(これが、本当の殺気……)
ハルは今まで、死と隣り合わせの闘い、というものをしたことがなかった。
竜国にいた時に魔物と闘ったことなどなかったし、仮に魔物と遭遇したとしても竜が我先にとハルを護ろうとするので、危険なんてものとは皆無。東京に来てからは、一人で色々な者と闘ってきたが、お互いに相手を殺そうとは、もちろん思っていなかった。
自分を≪必殺≫しようと思っている相手と出会わなかったのだ。
(……凄い、な)
ハルは思わずほほ笑んだ。
恐い、けど、ハルはこの状況を待ち望んでいたのだ。
(ようやく……スタートラインに立てたか)
憧れていたミキ達と並び立つためのスタートラインである。
「覚悟は出来たか?」
「覚悟は……正直、出来てないかもしれませんけど、神埼先生の期待には応えてみますよ」
「ふん。その言葉、忘れないぞ」
そう言って、玲奈はその場から消えた。
邪魔にならない場所で、この闘いを見学するつもりなのだろう。
(助けは無い、と考えなきゃな)
元々、ハルは助けを求める気はなかったが。
『グゥ……』
<レイグレス>は消えた玲奈の探知を早々に諦め、ハルだけに意識を集中させた。
それによって、ハルに更なるプレッシャーがのしかかった。
(これが、命の重みか……面白い)
ハルはより一層笑みを深めた。
「やってやるよ!」
こうして、ハルの最初の≪死闘≫が始まった。