~第1話~
「よーやく着いた」
少年が≪竜≫と別れて、約一日と半分。彼はとある都市に着いていた。
「流石、世界でも有数の大都市、『東京』。スケールでかいなぁ」
周囲にそびえ立つ、背の高い近代的な建物に少年は目を丸くする。
少年の名前は【天城ハル】。
ハルは、小さい頃から竜と一緒に暮らしてきた世界で唯一の人物だ。
何故普通の人間である彼が、竜などという存在に受け入れられたのか、実は彼自信もわからない。
そんな彼は伝説とまで言われている竜の国、≪竜国≫を飛び出して、現在に至っている。
(『イングリッド』の皆には止められたけど、いつまでも甘えるわけにはいかないからな)
≪イングリッド≫とは、ハルが住んでいた竜国の名前だ。
「さて、とりあえず『ミキさん』の所に行くか。道は……誰かに聞けばわかるか」
周りの建物への興味心を一旦抑え、ハルは疲れた身体に鞭打って歩き始めた。
その十五分後……。
「あ、甘かった」
ハルは道の端にぐったりと座り込んでいた。
「全員、この『雲月荘』ってのを聞いたことないって……いきなり挫折しちゃったよ」
言いながら、途中でもらった東京の地図に目を向ける。もちろん、そこにはハルの探している雲月荘という名前は、どこにも書かれていない。
「はぁ、どうするかな……」
ため息をつき、前を行き来する人々の群れに目を向けた。
頭に獣耳を生やした≪獣人≫や、どこかの制服を身に付けた少年少女が、楽しそうに友達と喋りながら歩いている。
(俺も、あんな風になるのかな……はは、全く想像できない)
竜国には教育機関という物は存在しない。そこに住む全員が助け合いながら、子供たちを育てているのだ。
だから、同じような服を着て街を練り歩く少年少女の姿は、ハルにとってかなり新鮮だった。
「……さて、行く……ん?」
立ち上がりかけた時、周囲の雑音とは違う声が耳に入った。
(何だ? ……嫌な感じだったな)
耳に意識を集中させると、よりはっきりその声が聞こえた。
「い……やめ……誰か……」
女性の物と思わしき声には、明らかな嫌悪と恐怖が含まれていた。
「……これは、無視できるような事態ではないよな」
声のする方に目を向ける。
そこは、建物と建物の間に出来た、人を寄せ付けようとしないうす暗い路地裏だった。
「……仕方ない。まずは人助けからだな」
ハルは迷うことなく、その路地裏を目指した。
*****
「やっ! 止めて下さい!」
私は、肩を触ろうとしてきた男性の手を振り払う。
場所はどこかのうす暗い路地裏。ゴミと下水の入り混じったような嫌な臭いが鼻を刺激する。
ここで、私は四人の男性に囲まれている。
「いいじゃん。少し触るぐらい」
そのうちの一人がなおも触ろうとしてきたので、私は後ろに下がった。
けれど、すぐに薄汚れた建物の壁にぶつかってしまった。
「無駄、無駄。周りは全部壁だし、逃げられないよ」
他の男性がニヤニヤ笑いながら言う。
「だから、諦めなって」
「い、いや! 誰かっ!」
私は力の限り叫ぶ。
それが、癇に障ったのだろう、
「ちっ! おとなしくしろって、言ってんだろ!」
「きゃ!」
私の頬を、しびれを切らした一人の男性が叩き、私はその衝撃で壁にぶつかってしまった。
「あ……うっ」
痛みと驚きで、涙がにじみ出た。
「あーあ、泣かせてやんの」
「でも、泣いた顔もいいねぇー」
四人は、面白おかしく笑う
「おい、もういいだろ。さっさとやっちまおうぜ」
「そうだな……それじゃあ、楽しませてもらおうとするか」
八つの手が私に迫ってくる。
--い、いや! 助けて、お兄ちゃん!--
私は涙で濡れた目を堅く閉じた。
すると、
「おい!」
そんな声が、耳に入ってきた。
「え?」
私は、それを都合のいい幻聴だと思った。
「あん?」
けれど、実際に四人の手は止まっていた。
(もしかして……お兄ちゃん?)
動きを止めた男性達の間から声の方を覗くと、
「あ……」
思い描いていた人物とは違う、私と同い年ぐらいの男の子と目が合ったのだった。
*****
「い、いや! 誰か!」
そんな声が路地裏の奥から聞こえたのと殆ど同時に、何かを打ったような乾いた音が、ハルの耳に入ってきた。
「っ!?」
ハルはすかさず奥へと駆けた。
一つ角を曲がった先には、四人の男、そして、男達に囲まれながら震えている誰かがいた。
「ちっ! おい!」
舌打ちをして、ハルがすぐに声をかけると、今にも誰かに触れそうだった男達の手が止まった。
「あん?」
男達は不機嫌そうに振り向く。ハルはそんな男達には目も向けず、その先の誰かを見た。
その誰かは、一人の少女だった。
「あ……」
少女は呆然とした面持ちで、ハルのことを見ている。その左手は赤くなった頬に当てられ、目には涙も浮かんでいた。
「…………」
それを見ただけで、ハルがキレるのには十分だった。
「おい、坊主。邪魔すんじゃねぇ、ぞぉっ!」
男の一人が、壁に蹴り飛ばされた。蹴り飛ばしたのは、もちろんハルだ。
ハルは自分の荷物を落としたのと同時に距離を詰め、一番近くにいた男を蹴り飛ばしたのだ。
「ぐ……が」
蹴飛ばされた男は白目を剥いて動かなくなった。
「な……何だ! てめぇ!」
一瞬後に、一人の男は狼狽し、他の二人はハルに向かって動き出していた。この事態に、冷静に対応出来るあたり、この二人はそれなりの場数をふんでいるのだろう。
「っらぁ!」
「死ね!」
一人は空中に飛び上がって≪魔法攻撃≫。もう一人はナイフで正面から切りつけようとしている。
「…………」
ハルはすぐさま空中の男の背後に回った。
「なっ!? 速っ、がぁ!」
背中を蹴られた男は地面に叩きつけられ、そのまま動かなくなる。
「俺は」
「う、嘘だろ!?」
地上の男は急いでハルにナイフを向けた。
「あんた達みたいな」
空中で右の拳にありったけの力を込めるハル。
「ぐ……く、くそがぁーー!!」
「最低な奴らが、大っ嫌いなんだよっ!」
「っ!? がっ! はっ」
振り下ろされたハルの拳は男の胸元を直撃し、地面へと叩きつけた。
「…………」
ハルは立ち上がり、最後に残った男を睨みつける。
「ひっ! ……く、来るな!」
「きゃ!」
男は指輪型の≪武収器≫からナイフを出現させ、少女の首に突き付けた。
≪武収器≫とは、あらゆる武器を一つだけ収納でき、自由に出現させる≪魔具≫である。
「っ」
ハルは踏み出そうとした足を止めた。
「よ、よし。そ、そのままここから離れろ!」
「…………」
「は、早くしろ! ほ、本気だぞ!」
男がナイフを持つ手に力を込めると、少女の首から血が流れた。
「……離れろ」
「な、何」
「その人から、離れろ」
「ふ、ふざけんな! 命令してるのは俺だ!」
男が声を荒げると、ハルは一度目を瞑り、開いて、呟いた。
「……三」
「ひっ………」
睨まれた男の身体が一瞬震える。
「……二」
「や、止めろ……その目で俺を…に、…睨むな」
男は全身を異常なまでに震わせている。カチカチと、男の歯が当たる音が辺りに響いた。
「……一」
「や、やめて……やめて」
涙と鼻水を垂らし懇願する男。
もう彼には、ハルの目しか見えていない。
「……ぜ」
「や、止めろぉーー!」
男は絶叫してナイフを落とし、後ろに倒れ込んだ。
「……え? ……あれ?」
捕まっていた少女は、何が何だかわからずに混乱している。
「立てる?」
「え……あ、はい」
ハルに手を差し伸べられた少女は、その手を取って立ち上がる。
「あの、この人に何が……?」
少女は振り返って、泡を吹いて倒れている男に目を向けた。
「かなり怖がってたから、恐怖心を煽っただけ。そんなことより、怪我はない? 頬は大丈夫?」
男の一人にぶたれた少女の頬は、少し赤くなっていた。
「あ、はい。まだ、ヒリヒリしますけど、大丈夫です」
「そう、良かった」
ほっと息をつくハル。
「あ、あの……あなたは」
「おいっ! お前!」
「!? な、何? ……あの人は……?」
突然の怒声に驚いたハルが振り返った先には、ハルよりも幾つか年上に見える、短髪の青年がいた。
「お前……俺の……俺の」
青年は俯き、身体を震わせている。
「……お兄ちゃん」
「え?」
隣の少女の呟きに反応しようとした瞬間、
「俺の妹に、何してんだぁー!」
地面を陥没させるほどの爆発的な脚力で、青年がハルに迫った。
ほとんど一瞬で互いの距離がゼロになる。
「っ!?」
青年の拳がハルの顔面を襲い、路地裏に大きな衝撃波が走った。
「!? ほぉ……」
青年は目を見開いて驚いた。
「いっ……たぁ」
自分の拳がハルの両掌に防がれていたからだ。
「俺の本気の一撃を真正面から受け止めるとは……中々やるじゃねーか」
「それは……どうも」
青年が後ろに跳んで距離をとると、ハルは手をぶんぶんと振り、熱くなった掌を冷ます。
(め、滅茶苦茶痛い。人間技じゃないだろ)
青年が放った拳の重さに驚愕するハル。その顔からは冷や汗が垂れている。
「お前が俺の妹に手をだしてなきゃ、名前でも聞くところだが……残念だ」
そう言って、青年は臨戦態勢をとった。
「え、いや、あの……」
ハルが困り顔で隣の少女を見ると、
「…………」
少女は黙ったまま俯き、身体を震わせていた。
「待ってろよ、蓮華。俺がすぐに助けてやるからな」
青年は、妹が怖がっているから震えているのだと思い込んでいる。
だから、
「お、お兄ちゃんの、馬鹿ぁ~!!」
「……へ?」
顔を真っ赤にした妹に怒られるとは、思いもしなかっただろう。