~第16話~
「ふぅ」
自分の教室の前で息を吐くハル。ここが≪1-D≫であることは再三確認した。
廊下にはハル以外に誰の姿もないが、教室の中から生徒達の声が聞こえるので、まだ先生は来ていないようだった。
(……よし)
意を決してドアを開けると、その音で数人がハルに目を向けた。
後ろのドアだったので初めから先生とは思われなかったらしく、あまり注目はされなかった。教室がざわついているのも、それを助けたのだろう。
(……? 何だ?)
ハルは首を傾げた。
自分が注目されなかったことにではなく、教室のざわつきかたが少しおかしかったのだ。皆が同じことを話しているみたいで、全員の視線がとある方向に向いていた。
(その視線が……段々と、こっちに)
と、ハルが思っていると、
「あ、天城さん!」
目の前に、見知った顔が現れた。
「蓮華さん」
桜楼の女子制服に身を包んだ楠木蓮華だ。
「天城さんも、こ、このクラスなんですか?」
「うん。蓮華さんも?」
「は、はい! わ、私、天城さんと一緒のクラスになれて、す、凄い嬉しいです!」
顔を真っ赤にし、一世一代の告白か、と思うほど身体を強張らせて言う蓮華。
「俺も知ってる人いないって思ってたから、蓮華さんが一緒で嬉しいよ」
それに対して、ハルは逆に緊張から解き放たれた笑顔で言った。
「は、はい。ありがとう、ございます」
蓮華は顔を赤くし、照れくささを隠すために俯いた。
(う、嬉しいって言われちゃった……え、えへへ)
「……私の存在を忘れるなんて……本物だねぇ」
「え……あ! ご、ごめん、絵梨ちゃん!」
その声で我に返った蓮華はすぐに振り返った。
「いいよ、別に……私達の仲なんてそんなもんだよね……」
「ご、ごめん~」
蓮華は泣きそうな顔で、ツインテールの≪獣人≫の少女に抱きついた。
「? あ、あの?」
「ん?」
困惑しているハルと、蓮華を抱きとめている獣人少女の目が合う。
「ん~……あは♪」
獣人少女は、弾けんばかりの笑顔をハルに見せた。
パッチリとした目に、長くてツヤのある髪をツインテールにし、その横に可愛らしい≪獣耳≫が生えているこの少女の笑みは、全ての男を骨抜きにする程可愛らしいものだった。
「? えっと、天城ハルっていいます」
ハルはその笑みに若干の戸惑いを見せながらも、手を差し伸べて握手を求めた。
「あ、うん……よろしく、ね♪」
ハルの握手に応えながら、獣人少女もう一度は最上級の笑顔をハルに見せた。
その笑顔を間近で見せられたハルは、
「う、うん、よろしく」
やはり戸惑いながら同じように笑顔を返したのだった。
「むぅ……私のとびっきりの営業スマイルが効かないとは……流石、蓮華の心を奪っただけあるわね」
少女はブツブツと呟き、ハルに≪自然な笑顔≫を向けた。
「私は【堂島絵梨】。試すようなことしてごめんね」
「? 別に、何もされてないと思うけど」
「そう言うと思った。まぁ、あんまり気にしないで」
「はあ……あの、蓮華さんと堂島さんって」
「あ、あの!」
「どん……な?」
関係なんですか、と続けようとしたハルの言葉を遮って、一人の男子生徒が絵梨に声をかけた。
「あ、あなたは、も、もしかして……あの、『エリ』さんですか?」
その男子生徒はかなり緊張しながら、絵梨にそんな事を尋ねた。
しかも、教室にいる殆どの生徒が、固唾を飲んでこちらを見守っていた。
「うん。多分、あなたの言う『エリ』で合ってると思う」
そして、絵梨が男子生徒の言葉を肯定した瞬間、おぉー、と教室の中が一気に沸き立った。
「お、俺、あなたの大ファンなんです! あ、握手して下さい!」
「ぼ、僕もです! サインして下さい!」
「わ、私も! 一緒に写真撮ってください!」
今まで遠巻きに見守っていた生徒も、全員絵梨に詰め寄った。
「はぁ。一応予想はしてたけど……こんな事するのは今日だけだからね」
当の絵梨は、手慣れた様子でそんな彼等を相手にしている。
「な、何?」
人の波に弾かれたハルが呆然としていると、心配そうに顔を曇らせた蓮華がハルの隣に立った。
「だ、大丈夫ですか、天城さん?」
「あ、うん……これの説明をしてもらえると助かるんだけど……」
「えっと……絵梨ちゃんは『アイドル』なんですよ」
「アイドル?」
「はい。主に歌手として活動してるんですけど……『エリ』って名前聞いた事ありませんでした?」
「いや……そういうのは詳しくないので」
「へぇ、やっぱりあの『エリ』だったんだな」
「え、あ……ふ、冬樹さん!?」
ハル達の会話に入ったのは、特入試験でハルと一戦交えたポニーテールの少女、冬樹五月だった。
「三日ぶりだな、天城。やっぱりお前も合格してたんだな」
「は、はい。冬樹さんもこのクラスなんですね」
五月が合格していたのは知っていたが、同じクラスになるとは思わなかったハルはかなり驚いている。
「ああ。これからよろしくな。そっちの人も」
「は、はい。く、楠木蓮華です」
「冬樹五月だ。よろしく」
蓮華と五月はそのまま話を始めた。
(……雰囲気が全然違う)
蓮華と話している五月の表情は柔らかく、どこからどう見ても普通の女生徒だった。
(闘ってる時はあんなにピリピリしてたのに)
「ん? どうした、天城」
「あ、いえ。ちょっと雰囲気が違うな、って」
「そうか? ……ああ。お前とは、闘いの時にしか会ってないからな。普段の私は、かなりお喋りなほうなんだ」
「へ、へぇ」
(あれか……闘いの時にスイッチを切り替えるタイプか……そっちの方がより集中出来るとかで)
竜の中にもそういうタイプはいたので、珍しくはない。
普段はとても温厚な者が、闘いでは残虐になる、など、ある意味二重人格のようなものであった。
「それにしても、あの『エリ』と同じクラスとはな」
「冬樹さんは堂島さんのことを?」
「ああ。私は東京に来て一ヶ月ほどになるが、街でもテレビでも、彼女のことを見ない日はなかったからな」
「そ、そんなに有名なんですか?」
ハルは東京に来て三日になるが、筋肉痛やらでまだ東京散策は出来ていないので、知らないのも無理はないかもしれない。
ちなみに、雲月荘にテレビはない。ミキ曰く、あってもなくても変わらないから、要望があれば買うし、なければ買わないらしい。今のところ、要望はない。
「『エリ』を知らないって事は、天城は彼女の歌を聞いたことがないのか」
「多分、ないですね」
何かの音楽が耳に入ったことはあるが、それが≪エリ≫の歌であるかどうか、ハルにはわからない。
「一度聞いてみるといい。彼女、かなり上手いぞ。何と言うか……惹き込まれるものがある」
「惹き込まれる?」
「ああ。彼女の歌は他のものとは一味違う……一種の芸術作品とでも言うべきかな」
「芸術……」
ハルは、今も笑顔のままクラスメートの要望に応えている絵梨に目を向けた。
(本当に……凄いんだな)
非力なたった一人の≪人≫が、力や魔法を使わずに人々を魅了する。
これもまた、竜国では見られないことだ。
「おらー、席に着けー。新入生共」
そんな中、教室に乱暴な言葉遣いの女性教員が入ってきた。
「あっ。じゃあ、またね、天城さん、冬樹さん」
真面目な蓮華はすぐに自分の席に向かった。
「『エリ』の歌、聞きたくなったら私がCD貸してやるぞ」
そんな事を言い残し、五月も席に戻った。
(しかし……冬樹さん、本当に全然違うな)
今のハルにとってはアイドルと一緒のクラスになったことより、そっちのほうが驚きだった。