~第13話~
「たっだいま~」
「ただいま」
「……はっ」
玄関の戸が開く音とその声で、ハルは目を覚ました。
「…………」
ボーっとする頭で周囲と自分の格好を見て、おぼろげながら状況を理解するハル。
(俺……風呂場で寝ちゃったんだ……早く出ないと)
完全にふやけ切った頭では、それしか考えられなかった。
浴槽から出て、フラフラとよろけながら出口を目指す。
(うぅ~、気持ち悪いし、頭痛いし、身体痛い)
手を頭に当て、青い顔をするハルは、全く気付かなかった。
『ただいま』と言った声が、千とミキのどちらのものでもなかったこと。そして、その≪誰か達≫が、帰ってすぐに風呂に入ろうとしていることに。
「遊佐~、遅いぞ~」
「お前が早いんだ」
(……ん? ミキさん達の声……じゃないよな)
出口に手をかける直前で動きを止め、様々な可能性を頭に思い浮かべる。
そして、段々と頭が冴えてきたハルは、違う意味で顔を青くした。
(もしかして……ここの、住人?)
その時、ふいにミキの言葉が蘇った。
「男はハル君だけよ♪」
(っ! やばい!)
と思った時には、遅い。
「もう先に入っちまうぞ~」
浴室のドアが開き、一人の女性がハルの目の前に現れた。
「あ……」
「ん?」
二人の男女の目が会う。それも、風呂場で。
「「…………」」
たっぷり数秒沈黙し、二人が今の状況を理解した。
そして、
「う、うわぁぁーー!!」
ハルが悲鳴をあげ、身体を反転させ、水飛沫をあげて浴槽に跳び込んだ。
「あー、お湯がもったいないぞ」
「ご、ごめんなさい……じゃ、じゃなくて! まま、前を隠して下さい!」
顔を真っ赤にしながら、ハルが叫ぶ。
女性は先程からその立派な肢体のどこも隠していない。それどころか、男に裸を見られているというのに、全く羞恥心を感じていない。
「隠せって言われても、タオルは遊佐が」
「シンキ」
「ん? おお、サンキュ」
もう一人の≪獣人≫の女性がタオルを渡し、ようやく申し訳程度に身体を隠す。
「これでいいか?」
「わわ、わかりませんよ!」
ハルは女性達に背を向けているので、もちろんわからない。
(……今気付いたけど……この反応は男女が逆じゃないのか?)
一瞬だけ冷静になったハルがそんな事を思ったが、それに気付いても何の解決にもならないので、今は現状の整理に頭を使うことにした。
「で、彼は誰なんだ?」
「さあ」
「……痴漢か?」
「ちち、違います! 俺は新しくここに住むことになった」
「あーその前に……私達も入っていいか?」
「は!?」
「何にも着てないから寒いんだよ」
「ななな」
(お、落ち着け、俺! まず、俺がここから出ればいいんだ!)
「……わ、わかりました。まず俺が出ますから」
「そうか? 温まったか?」
「じゅ、充分過ぎるほど!」
湯でダコのように顔を赤くしたハルが、目を瞑りながら浴槽を出ようとした瞬間、
「待て」
「っ!?」
一人の女性がハルの背後に回り、首に刃物を押し当てた。
「誰かわからない奴を、このまま帰すわけにはいかない」
女性が呟く。
(この声は、さっきタオルを渡した人か……全く気付かなかった)
気配も、女性が浴槽に入ったことさえわからなかった。
「答えろ。お前は誰だ?」
腕を捻る女性。ハルが少しでもおかしな動きをしたら、すぐに折れるようにしている。
ハルは落ち着いて、女性に不信感を与えないように答えようとする。
「俺は……」
そこで、気付いた。
「続けろ」
「あああの」
女性の、ミキと同じぐらいの、形のいい胸が、背中に押し当てられていることに。
「むむむ」
「む?」
「胸……が」
「胸?」
女性が自分の胸元に目を向ける。
「それがどうした?」
と言って、女性は腕に力を込めて、首に刃物を押し込んだ。
「っ!?」
それは、さらに女性の胸をハルに意識させることになった。しかも、目を瞑っているため、より形やら柔らかさを感じてしまう。
(わわわ!? お、落ち着けって俺!)
男としての反応が表に出る前に、ハルの混乱は極致に達した。
(あ……やばい……また、意識が)
浴室の温度やら、沸騰寸前の頭やら、混乱やら、痛みがぶり返し、ハルの意識が再度遠のく。
(どうか……殺されませんように)
最後にそう願い、ハルは気絶した。
*****
「ん? おい……」
女性が頭を垂らしたハルに声をかけるが、返事はない。
「あ~あ、もしかして殺っちゃったか?」
「いや……気絶しただけだ」
拍子抜けした女性が≪クナイ≫をしまう。
「そんなに遊佐が恐かったのか?」
「いや、私に恐怖していた様子はなかった。逆に、途中までは私が感心するほど冷静だった」
「じゃあ、何で……?」
女性が首を傾げる。
「さあ」
獣人の女性も首を傾げた。
「ただいま~」
「ただいま」
「お、ミキと千が帰って来た。あいつらに聞くか」
「そうだな」
二人は適当にハルを担ぎあげ、風呂場を出た。
その後、雲月荘にミキの悲鳴が響き渡った事は、言うまでもない。
*****
「ん……あ」
ゆっくりと目を開くハル。この感覚を味わったのは、今日で三度目だった。
(俺、気絶してばっかり)
情けなくなり、ハルは心中でため息をついた。
「起きたか?」
「え? あ……あなたは」
仰向けで寝かされたハルの顔を覗き込んだのは、先程風呂場で会った獣人の女性だった。
「気分は?」
「あ、大丈夫、です」
「そうか」
「あの……ここは?」
「君の部屋だ。すまないが、勝手に入らせてもらった」
「それは、構いませんけど……もしかして、ずっと診ててくれたんですか?」
「君が倒れたのは、私達のせいだからな。当然のことをしたまでだ」
こんな事を言っているが、彼女がハルの倒れた原因を理解したのは、千とミキに散々説明されてからだった。
女性はハルの額のタオルを持って立ち上がった。
「調子が戻ったら、下に来てくれ。そろそろ、夕食が出来てる頃だ」
「あ、もう大分回復しましたから、俺も一緒に行きます」
「無理しなくてもいいぞ」
「いえ、大丈夫です……それと、すみませんでした」
立ち上がったハルが深く頭を下げる。
「? 何故君が謝る?」
「……色々、見ちゃいましたから。あっ、見たと言っても、ハッキリ見た訳ではないですよ!」
アタフタと言い訳じみた事を言うハルの顔は赤い。
「その……すみませんでした」
ハルはもう一度深く頭を下げた。
「ふむ……まぁ、別に気にしなくていいぞ。私もあいつも気にしてないからな」
「そう言って貰えると、ありがたいです」
あんまり気にし無さ過ぎるのもどうなんだ、とハルは思ったが、余計な事だったので黙っていた。
(ん……そう言えば、俺服着てる……)
その意味をじっくりと考え、ハルは赤面して俯き、
(……後で、もう一度謝ろう)
心の中でそう誓ったのだった。
*****
「んじゃ、まずは自己紹介からしとくか」
夕飯の時間、ハルの正面に座る女性がそう言った。
「私は【シンキ・ローレリング】。シンキでいいぞ。よろしくな」
明朗快活な笑顔を作るシンキ。最初に風呂場でハルと会った女性だ。
ちなみに、所々が外にハネた長い髪のシンキは、雲月荘で一番大きな胸をしている。なので、ミキからは若干非難がましい目で見られることがある。
「【暮月遊佐】だ。よろしく」
ハルを看病していた女性。ハルの気絶を後押しした女性でもある。
遊佐は首元で長い髪を結び、獣人なので頭に獣耳を生やしており、千ほどではないが、口数の少ないクールな女性である。ミキと同じで、一点が目立っているわけではないが、モデルのような体型をしている。
二人は東京の治安を護る≪蒼の騎士団≫に所属しており、最強のダブルエースとして君臨している。彼女達に命令出来るのは、騎士団の総司令か、王族ぐらいだ。
更に二人はその容姿と強さから、全ての団員の羨望の的になっており、アプローチが後を絶たない。しかし、二人があまりにもなびかないので、もしかしたら、二人の関係は親友以上なのではないかと噂されたこともある。
もちろん、そんな事はないのだが。
「天城ハルです。女性だけだった所に男が住む事になって、不快な思いをするかもしれませんけど、よろしくお願いします」
「実際、さっきもそうだったしな」
「うっ……ごめんなさい」
顔を引き攣らせたハルが深く頭を下げる。
「あはは。ウソウソ。私達は全く気にしてないから。な、遊佐」
「ああ」
シンキに話を振られた遊佐が頷く。
「と言うより、あなた達が気をつけなさいよ」
シンキと遊佐を睨むミキ。
先程の風呂場での話を聞いてから、機嫌が悪い。
「何で、きちんと確かめもせずに入っちゃうのよ」
「いやー、疲れてたからな」
全く悪びれる様子のないシンキ。
この態度が更にミキの機嫌を悪くしていた。
「はぁ……ハル君に変なの見せないでよ」
「変なのとは何だ。騎士団の中では、私のはダントツの人気らしいぞ」
言いながら、シンキは豊満な胸を持ちあげる。
「…………」
笑顔のまま凍りくミキ。
(お、思い出してしまった)
ハルは顔を真っ赤にして俯いた。おぼろげながら、風呂場での光景が蘇ってきたのだ。
「……ハル、顔真っ赤」
「そ、そうですかね」
「見たの?」
「み、見てないと言えば見てませんし、見たと言えば」
「…………」
「……見ました」
「そう」
千はハルから目を逸らし、お茶を一口飲んでから、呟いた。
「変態」
「ご、誤解ですよ! 千さん!」
ハルは涙目で弁解を始めた。
その後も、騒がしい夕食が続き、色々あったが全員が快く自分を受け入れてくれたことに、ハルは心の底から安堵していたのだった。