~第12話~
「ただいまー♪」
「ただいま」
「た、ただいま」
ミキ、千、ハルがそれぞれ雲月荘に入る。
「……ハル、大丈夫?」
「は、はい。なんとか」
口ではそう言うが、今にも転びそうに廊下を歩くハル。
表面的な怪我は殆ど治ったが、内面的な、氣の応用の反動は流石に治らなかった。
(こ、こんなに身体がだるくて痛くなるなんて……明日、もっと酷くなりそうだ)
「肩、貸す?」
「い、いえ。雲月荘の中では大丈夫です」
「そう」
ここまで何度か千とミキに肩を貸してもらったハル。家の中でまで、二人の手を煩わせることは出来なかった。
身体を引きずりながら居間に入ったハルが、ゆっくりと腰を降ろす。
「ふぅ」
「あぁ~~!!」
「!? な、何!?」
が、その叫び声を聞いて、すぐに跳び上がった。
「……? 何?」
部屋に戻っていた千も、その声を聞きつけて居間に入ってきた。
「台所から、ミキさんの叫び声が」
ハルがそこまで言うと、居間と台所を隔てる襖が開て、苦笑気味のミキが顔を覗かせた。
「ミキさん? どうかしたんですか?」
「……食材が全く無い」
「食材……ああ」
千が納得して頷く。
「昨日、使いすぎた」
「昨日? ……あ、もしかして、俺の歓迎会で?」
「……うん」
ばつの悪い顔をするミキ。ハルも同じような顔になっていた。
「……ごめんなさい」
「は、ハル君は悪くないのよ! 私が張り切りすぎちゃっただけだから!」
「でも……俺、買ってきますよ」
「その身体で?」
「うっ」
千の言葉で身体の痛みを思い出し、ハルは膝から崩れ落ちてしまった。
「……私が行く」
千が、仕方ない、といった感じで居間を出ようとする。
「あ、私も行くわ、千ちゃん」
ミキも慌ててその後を追った。
「あの……俺はどうすれば?」
「ハル君はお風呂にでも入ってて。すぐに帰ってくるから」
「行ってきます」
「行って……らっしゃい」
千とミキが慌ただしく居間を飛び出し、一人座りこむハル。
(な、情けない)
そうは思っても、ここから近くの店まで身体がもつとは思えなかった。
(それに、お店の場所も知らないし……はぁ、本格的に情けない)
しばらくその場で俯いていたハルが、ゆっくりと慎重に腰を上げる。
「いつまでも沈んでるわけにはいかないし……ここは、お言葉に甘えて風呂に入るか」
そう言って、ハルは重い足取りで自分の部屋に向かったのだった。
*****
「昨日も思ったけど……広いな」
板張りの風呂場は、軽く十人程入りそうなほど大きい。
しかし、雲月荘は元々どこかの学園の女子寮だったので、大浴場のここは大きくて当たり前なのだ。
「けど……一人で入るのはちょっと寂しいよな」
かと言って、ミキや千と入るのは論外だ。
「……ミキさん達が帰る前に終わらせちゃおう」
傷口が染みるのを、涙目で我慢しながら身体を洗い、十分に清潔にしてから、大きな浴槽に身を浸した。
「あぁ~。滅茶苦茶染みて痛いけど、生き返る~」
タオルを頭の上に載せ、ハルは浴槽の中で身体を投げ出した。それでも、やはり浴槽には十分なスペースが余っている。
「しかし、今日は疲れた」
ようやく人心地ついて、改めて疲れを実感していた。
「けど、学んだことも多かったな」
右腕を上げ、氣を収束させてみる。
そうすると、自分の右腕に力が溢れていくのを、文字通り、肌で感じることが出来た。
「…………」
試しに、ハルはその拳を、水面に叩き付けた。
パァン!
甲高い音が風呂場に響き、浴槽の湯が弾け飛ぶ。
(……軽くやっただけで、これか)
浴槽に溜まっていた四分の一ほどの湯が、壁や天井に叩きつけられていた。
(使い方を間違えないようにしないと)
この力は、人を簡単殺すことも出来る。
(力に溺れないように……竜国にいた時によく言い聞かせられてたな……力に固執して『魔に堕ちるな』って)
この世界には、古来から≪魔物≫が存在している。
知性をもつもものいれば、持たないものもいる。そのどちらにも共通しているのが、人間と、自然と、世界を脅かしていることだ。
そして、一~二世紀前まで、≪獣人≫や≪竜族≫やその他の、人間以外の種族は、魔物の亜種だと思われていた。それが元になって、戦争に発展したこともある。
今ではそれが全くのデタラメだと解明出来て、事態も沈静化してきたが、その問題で根強い遺恨を残している地域もある。
そして、それに代わって今一番の問題になっているのが、人間や獣人などの、≪魔物化≫である。この現象は、俗に、≪魔堕ち≫と言われている。
詳しい原因はわかっていないが、心に負のエネルギーを抱え込んだ時や、大きな力を手に入れた時に、≪堕ちる≫と言われている。
ごく稀に例外が発生するが、堕ちた者は二度と元に戻らず、破壊の限りを尽くし、誰かに≪殺され≫なければ、止まることはない。
そして、個々の力だけで国を滅ぼせる竜族だからこそ、力に魅せられることは、≪堕ちる≫ことを意味していた。
(魔堕ちか……)
目を閉じたハルが、苦い顔をする。
ハルは一度だけ魔堕ちの瞬間を見たことがある。
竜国にいたころ、自分の力を世界に誇示したい、と思った一匹の竜が堕ちたのだ。
(あんなのは……二度とゴメンだ)
堕ちた竜は理性を完全に無くし、周囲を無作為に破壊し始めた。
苦渋の決断の末、他の竜がその竜を殺し、最強の力を持った≪魔竜≫が世に放たれることはなくなった。
魔堕ちの厄介な所は、堕ちた者が≪莫大な力≫を持つ事と、魔堕ちが≪連鎖≫することだ。
魔堕ちした者が現れれば人が死に、殺された者の親友が魔堕ちし、またその親友が魔堕ちしたりと、魔堕ちを繰り返す可能性が高い。
一人が魔堕ちしたことから、一国が滅びた事もある。
(……気をつけないとな……あれ)
そこで、ハルは自分の意識が遠ざかろうとしている事に気付いた。先程の一撃で、全ての体力を使ってしまったのだ。
(やば……風呂場で寝るのは……流石に……マズ……イ)
しかし、疲れきっていたハルに、眠気は物凄い勢いで迫ってくる。
(あっ、あ~……おや……すみ……なさい)
最後には抵抗することも諦め、ハルはその場で寝てしまったのだった。