~第10話~
「あ、あの。し、東雲さん、少し落ち着いたほうが」
「いーえ! これが落ち着けるもんですか! 玲奈ったら、ハル君にこんな事をして……絶対に許さない……ふふ……どうしてくれよう」
「うぅ……恐いよ、お兄ちゃん」
「あ、ああ。俺も、こんなビビったのは、里奈がマジギレした時以来だ」
(……何だ……?)
意識がハッキリとしないハルの耳に、覚えのある声が聞こえてくる。
(……俺、何してたんだっけ……)
目を開けることさえ、気だるい。だが、ハルは必死に記憶を手繰り寄せた。
(……東京に来て……不良から女の子を助けて……ミキさんに会って……桜楼の試験を……あ、桜楼の試験だ)
ようやく思い出し、今度は現状を確認する。
(地面がふかふか……ベッドに寝かされてるのか……節々が痛い……派手にやられたからな)
玲奈にやられた場面を思い返し、よく生きてたな、と心中で苦笑する。
「天城さん、起きませんね」
(この声は……蓮華さんか? 来てくれたんだ)
「大丈夫よ、蓮華ちゃん。あの医術者さんの腕は確かだったから、もうすぐ目を覚ますわよ」
(ミキさんもいるのか……これは、二人にいつまでも心配かけるわけにはいかないな)
徐々に気だるさも薄れてきたので、ハルはゆっくりと目を開けた。
まず目に入ったのは、真っ白な天井と眩い光を放つ電灯だった。
「……眩し」
「お、気付いたみたいだぞ」
「え、あ……よかった」
蓮華は心底安堵したように息を吐いた。
「ハルく~ん!」
光よりも速く、ミキはハルに抱きついた。
「いった! 痛いですよ、ミキさん!」
「痛いのは生きてる証拠だよ~!」
「それはそうですけど……あー! ちょっと離れて下さい!」
ミキを引きはがしながらハルが身体を起こすと、目を点にする楠木兄妹と目が会った。
「えっ、と……見苦しい物を見せてすみません」
「え、いや、そんな事はないけど……」
「今までと全然違うから……ちょっとな」
ハルが起きるまでのミキは、クールで少し恐いお姉さんだったのだが、今は、
「ハルく~ん♪」
ハルに寄り添って甘える、ダメダメなお姉さんになっていた。
(ギャップが……)
(物凄い二面性だ……)
「あ、あはは……そ、そうだ! 二人とも見に来てくれてたんですね」
分が悪いと思ったハルが、話題を変える。
「あ、うん。……昨日、約束したから」
頬を赤くする蓮華。モジモジと手を空中にさ迷わせている。
「あれ……蓮華さん、昨日と少し雰囲気が違いますね」
「え!? そ、そうかな?」
「はい……なんだか、凄く女の子っぽいと言うか……」
表現すべき言葉が見つからないハルが、蓮華をじーっと見つめる。
「……うぅ」
蓮華が顔を真っ赤にして俯くと、ハルが手を打った。
「あっ、服が違うんだ。今日のは、何か可愛いですね」
「か、可愛い!? うっ、う~」
蓮華はよろけながら近くの椅子に座り込んでしまった。
闘いの後で若干ハイな気分のハルは、今のようなことを恥ずかしがりもせずに、平気で言ってしまう。
「れ、蓮華さん? 大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です……ただ、す、少し落ち着かせて下さい」
「は、はあ」
ハルは全く気付いていないが、俯いた蓮華の顔はこれでもかと言うほど真っ赤になっている。
絵梨に頼んだ甲斐があったというものだが、本当にそんなことを言われるとは思っていなかった。
「健吾さんも、ありがとうございます」
「気にするな。面白いものが見れたから、来てよかったと思ってるぐらいだ」
「面白い物、ですか?」
「ああ」
(主にお前のことだが)
とは、言葉に出さない。
「? ……そう言えば、ここって?」
辺りを見渡したハルの目に映ったのは、白い壁と床、いくつも並べられたベッドにそれらを分けるカーテンだった。
「桜楼学園の保健室よ」
答えたのは、ほんの少し冷静さを取り戻したミキだった。
「桜楼……ここって桜楼の中だったんですね」
「ええ。ハル君が倒れてから、軽く数時間は経ってるのよ」
「そうですか……あれ」
そこで、ハルは気付いた。あと一人足りない事に。
「千さんは?」
「千ちゃんなら桜楼の生徒会長さんと話してるわよ」
「え? なんで千さんが……?」
「あの二人、そこそこ仲いいからな」
ハルの疑問に健吾が答える。
「そうなんですか?」
「ああ。なんせ、桜楼学園と『天楼学園』の生徒会長同士だからな」
「天楼学園の……生徒会……ええ!?」
*****
「久しぶりだな、千」
「久しぶり……里奈」
桜楼学園の屋上に、二人の少女の姿があった。
一人は、桜楼学園の生徒会長、風谷里奈。
もう一人は、桜楼と同じ五学園の一つ≪天楼学園≫の生徒会長、御柳千。
二人は互いの実力を認めあったライバルであり、親友でもあった。
「しかし、観覧席でお前を見た時は、正直目を疑ったぞ」
「……ハルの応援」
「ハル……天城ハル、ね」
里奈は二人が名前で呼び合う仲ということに驚いたが、顔には出さなかった。
「あいつ、何者なんだ?」
「わからない」
「? 知り合いなんだろ?」
「うん……昨日、知り合った」
「き、昨日? 昨日知り合っただけで、応援に?」
「…………」
頷く千。
「……まさか」
これには、流石に里奈も驚きを隠しきれなかった。
里奈の知る限り、千はとてもドライな人物だった。何があってもローテンション。滅多なことでは、感情を面に出さない。
そんな千が、たったの一日で、男にここまで気を許している。
(……どんな心境の変化があったんだ?)
里奈がそう思っても、仕方がない。
「……里奈」
「ん? 何だ?」
「ハルは、合格?」
「それは……まだわからない」
(十中八九、合格だろうけど)
「そう……もし、合格してたら、ハルをよろしくね」
「あ、ああ」
苦笑気味の里奈。あまりにも、自分の知っている千と違いすぎた。
(蓮華にしろ、千にしろ……天城と関わったやつが全員変わっている)
それが良い傾向なのか、悪い傾向なのか、今の里奈では判断がつかなかった。
「そろそろ、ハルが起きる頃だから……行く」
そう告げ、千は屋上の出口へと歩き始めた。
「……千!」
「?」
そんな千の背中を見ていた里奈の心にある疑問が浮かんだ。
「天城が桜楼に合格したとしたら『お前と天城が闘う時』がおそらく来る……そうしたら、お前はどうする?」
この時、千が見当違いの答えを口に出したら、里奈は千の評価を改めようと思っていた。高慢な考え方だが、里奈にとって千は最高のライバルでなくてはいけなかった。
しかし、千は里奈の問いに≪ほほ笑んで≫答えた。
「楽しみ」
一言そう言って、千は屋上を後にした。
一人残った里奈は、
「……はは」
楽しそうな、本当に楽しそうな笑みを覗かせた。
(あいつは変わってない)
千の笑みは、優しさを含む、しかし同時に、背筋を凍らせるような、そんな笑みだった。
(あんな笑い顔を見たのは、久しぶりだな)
千は変わっていない。今も、自分が最高に楽しめる≪闘い≫を求めている。
(本当に、天城との闘いを楽しみにしてるんだな……)
その時、里奈の心にある感情が生まれた。
千の笑みが自分に向けられなかったことに対しての、嫉妬だ。
(ふふ……面白い)
だが、里奈はそんな嫉妬の念さえ、楽しんでいた。