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氷の宰相補佐と押しつけられた厄災の花嫁  作者: 瑞原唯子


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第8話 初めての誕生日

「やあ」

 自室を飛び出し、階段を駆け下りて応接室の扉を開けると、そこには第二王子のサイラスがソファに座っていた。なぜかその腕に大きな花束を抱えて。アイザックはその場に立ちつくしたまま眉をひそめる。

「おまえ、約束もなく急に来るのはやめろと言っただろう」

「行けるかわからない状況だったんだ」

 だから約束を取り付けられなかったと言いたいのだろうが、それなら別の日にすればよかったのだ。悪びれもせずにこやかに平然と答えたサイラスを前にして、深く溜息をついた。

「で、その花は何なんだ」

「アリアちゃんへのプレゼントさ」

「やりすぎだろう」

 妹が生きているとわかって浮かれているのかもしれないが、そんな立派な花束を理由もなく贈るのはどうかと思う。しかしサイラスは不思議そうにきょとんとして小首を傾げた。

「もしかして忘れてるのか?」

「何の話だ?」

 話が見えなくて怪訝に聞き返したアイザックに、彼は戸惑いがちに答える。

「いや、だって今日は——」


「アリアちゃん十一歳おめでとう!」

 応接室の扉が開いた途端、サイラスがそう言って満面の笑みで花束を差し出すと、アリアはその場に立ちつくしたまま目を丸くした。けれどすぐにふわりと笑って「ありがとうございます」と受け取る。

「わあ……すごくかわいくてきれい……」

「アリアちゃんをイメージして作ってもらったんだ」

「本当ですか?」

 アリアは頬を染めてはにかんだ。

 その花束は淡いアクアブルーとオフホワイトを基調にしていて、部分的に薄紫の小花があしらわれていた。美しくて、可憐で、清楚で、品がある——確かに彼女のイメージにぴったりだと思わされた。くやしいくらいに。


 そう、今日はアリアの誕生日らしいのだ。

 彼女と結婚すると決まったときに身上調査書をもらっていて、生年月日もそこに書いてあった。だが生年は確認したものの日付までは記憶していなかったし、そもそも気にしてもいなかった——。


 花束を使用人にあずけて花瓶に生けてもらうよう頼んでから、三人でお茶をする。

 以前と同じように、二人掛けのソファにアイザックとアリアが並んで座り、向かいにサイラスが座った。すぐにワゴンが運ばれてきてお茶の準備がなされるが、そのあいだにもサイラスが話を振る。

「教会では誕生日のお祝いってどうしてたの?」

「えっと、おめでとうって言ってくれるくらいです」

「そうなの?」

 彼はすこし驚いたように聞き返した。

 アイザックも同じ気持ちだったが、考えてみればアリア以外にも数人の孤児を預かっているのだから、金銭的にそれほど余裕がないとなれば、全員の誕生日までは祝っていられないのかもしれない。

「あ、でも街の方たちにはお菓子やお花をもらってました。今日いただいたみたいな立派な花束じゃなくて、一輪とかですけど」

 何となくだが、花を贈ったのは幼なじみのレオではないかと思った。

 ラッピングした一輪の花を照れながらアリアに差し出している姿が脳裏に浮かび、胸にモヤモヤしたものが広がるが、たとえそれが事実であっても自分には何も言えないことくらい承知している。

 そうこうしているうちにお茶の準備が調えられていることに気付き、アイザックがうっすらと湯気の立つ紅茶を口に運ぶと、サイラスもアリアもつられるようにティーカップに手を伸ばして口をつけた。

「そういえば、わたしの誕生日って教会がひろった日になってるんですよね。だから本当の誕生日はもうすこし前かもしれないってシスターが言ってました」

「ああ……」

 経緯から考えても、生まれたのは教会に捨てられる数日前だろう。王都から南方のウィンストン教会までは、どれだけ急いでも一日では行けないはずだ。

「そのことなんだけど」

 優美な所作で音もなくティーカップを置いて、サイラスが口をはさむ。

「実はこのあいだ母から聞いてさ」

「えっ……本当の誕生日をですか?」

「そ、知りたいのなら教えるけど」

「……お願いします」

 一瞬だけ迷いを見せたものの、アリアはすぐに心を決めたらしく真剣な顔になってそう返した。サイラスはもったいつけることなく軽く頷いてから答える。

「アリアちゃんが生まれたのは水無月の四日だって」

 誕生日である今日が水無月の九日なので、五日前ということになる。

 アリアとしても想定内だったらしく、頬にかかる純白の髪をさらりと揺らして頷き、驚くこともなくただ静かに受け止めていた。

「本当の誕生日に変更したい?」

「いえ……わたしにとってはずっと今日が誕生日だったので」

「そっか」

 サイラスは微笑を浮かべて納得したように応じた。しかしアリアはふいと目を伏せ、真顔で何か考え込むような様子を見せる。

「あの、もうひとつ聞いてもいいですか?」

「僕に答えられることなら何でもどうぞ」

「……両親のことなんですけど」

 そう言って、きまり悪そうにチラリと横目を向けてきた。

 両親というのは当然ながら国王夫妻のことだ。出自を口にするなと母に言いつけられているので、よくないことだという自覚はあるのだろう。ただ、この場ではいまさらな気がしてアイザックは了承の意で頷いた。

 一方、サイラスはゆったりと座ったまま面白がるように眉を上げる。

「答えられるかは約束できないけど言ってみて」

「わたしのことをどう思っているかわかりますか?」

「ああ……」

 軽く頷くと、すこし真面目な顔になって答える。

「残念ながら父とはそういう話をしたことがない。母は君を捨てざるを得なかったことに自責の念を感じていて、ずっと無事を祈っていたらしい。元気に暮らしていると知ったときには泣き崩れたそうだよ」

 王妃から疎まれていないとわかってほっとしたのだろう。アリアは安堵の表情を見せた。

「会えるものなら会いたいと言っていた。でも親子として会うわけにはいかないんだ。公には娘と認めていないからね」

「はい」

 そのあたりの事情は最初に母から話してあったので、すでに承知しているはずだ。アリアは残念そうな素振りを見せることもなく首肯した。サイラスはふっと表情をゆるめて優しく言い添える。

「でも次期公爵の妻という立場になったんだから、いつか会う機会はあるよ」

「……はい!」

 短い瞠目のあとパッと花が咲いたような笑顔になって、彼女は元気よく返事をした。


「先日の劇場での話、聞いたぞ」

 その後、軽く近況報告のような雑談をしてからアリアが退出すると、サイラスはおもむろにそう切り出した。その顔には面白がるようなイタズラな笑みが浮かんでいる。

「おまえにしてはめずらしく権力振りかざして派手な立ちまわりをしたって?」

「…………」

 どうやら彼の耳に入るくらいには噂になっているらしい。あの現場を目撃したひとは少なくないので、そうなるのも当然といえるだろう。ただ、あのときは余裕がなくてそこまで考えが至らなかった。

「おまけにアリアちゃんの元婚約者まで現れたんだってな」

「婚約はしていない。子供どうしが戯れで言っていただけのことだ」

「でも約束はしてたんだ?」

 からかうような雰囲気でそう問い詰められて、思わず眉を寄せる。約束していたといえばそうだが認めるのは抵抗がある。サイラスはますます面白がるようにニマニマとした。

「へぇ、何にも執着しなかったおまえがねぇ」

「そういうのじゃない」

「相手は妻なんだし別にいいじゃないか」

 返す言葉が見つからなくて冷たく睨めつけるが、彼に効果はない。平然としたままソファにもたれかかって言葉を継ぐ。

「まあ心配することはないよ。一応ダットン男爵のことを調べたけど、男爵としてはそこそこ裕福で、貴族としての責務も十分に果たしているし、堅実な思考に温厚な人柄ということで人望もある。要するに身の丈にあった生き方をする真面目な貴族ってことだ。息子がアリアちゃんにぞっこんでも、公爵家や王家を敵にまわすようなことはしないだろうな」

 あれだけのことでわざわざ調べたのか——。

 ダットン男爵に疑念を抱いていたわけではないのだが、そう言われるとやはりほっとする気持ちはある。だからといって礼を言うのも違うような気がして、どう反応すればいいかわからず戸惑っていると、彼はハハッと笑った。

「この調査はこちら側の都合だから気にするな。おまえたち夫婦が上手くいかないと王家としても困るから、念のため疑念があるかどうか調査しておいたってことだ」

「ああ……」

 アイザックは目を伏せ、すっかり冷めてしまった残り少ない紅茶を口に運ぶ。さきほどまでは楽しめていたはずの程良い渋みが、時間を置きすぎたせいかやけに苦く感じられて、うっすらと眉をひそめた。


 ほどなくしてサイラスが帰ることになり、玄関まで見送った。

 去り際に「また来るよ」と言う彼に「事前に連絡しろ」と返したら、ごまかすように笑って出て行った。きっとまた連絡もなしに来るのだろうなと内心で嘆息しつつ、その足で今度は母のイザベラがいるという厨房へ向かう。

「母上」

 料理人への指示出しがちょうど一段落したようなので声をかけると、彼女は驚いて振り返った。アイザックが厨房に行くことなどほとんどないのだから無理もない。

「こんなところまで何の用かしら」

「今日はアリアの誕生日だそうです」

「あなたいまごろ何を言ってるの?」

「えっ?」

 母は怪訝そうにしながらも、いつもの調子でちゃきちゃきと矢継ぎ早に言う。

「とっくに準備してますからね。今夜はアリアの好きなごちそうを用意するつもりです。もちろんプレゼントも用意したわ。あなたまさか忘れてたんじゃないでしょうね?」

 咎めるような目を向けられ、いたたまれずそっと逃げるように視線をそらした。

「早めに教えていただきたかったです」

「呆れた」

 母は腰に手を当てて溜息をついた。

「でもそうね、あなたは昔からそういう子だったわよね。わたくしにも一度もプレゼントなんてよこさなかったもの。いい大人なんだから自分でどうすべきか考えなさい」

 そう突き放すと、料理人に一声かけてから厨房をあとにする。

 その足音が遠ざかると、残されたアイザックも無言のまま厨房をあとにする。背中に生温い目を向けられたように感じたのは、もしかしたら気のせいではなかったのかもしれない。


 プレゼントか——。

 自室に戻ると、どっかりと椅子に腰を下ろして思案をめぐらせる。

 無難なのは花だが、さきほどサイラスが花束をプレゼントしたところだ。偶然かぶるのならともかく、その場に同席していたのだから真似だと思われかねないし、実際に真似のようなものである。

 他には装飾品が一般的だろうか。だが女性のファッションに興味を持ったこともない自分には、どういうものがいいのかさっぱりわからない。そもそもいきなり店に行って買えるのかもわからない。

 あとケーキも定番といえる。ただ、晩餐はごちそうのようなのでデザートも用意しているだろうし、それがケーキである可能性は高い。そうでなくてもデザートのあとでさらにケーキはきつそうだ。

「まいったな」

 いくら考えても、これという案がいっこうに思い浮かばない。もっと早く誕生日に気付けていれば、どこかの店に相談するなり何なりできただろうが、いまとなってはもう手段も品もかぎられてくる。

 そうこうしているうちに時間がだけが過ぎていった。


「アリア、十一歳のお誕生日おめでとう」

 晩餐の時間になると、宿舎に住んでいる弟のショーンを除く家族四人が集まり、母のイザベラが代表してお祝いの言葉を贈った。つづいて父のセオドアもおめでとうと声をかける。

「ありがとうございます」

 アリアは幸せそうにはにかんだ。

 この日の献立は、母の言っていたとおりアリアの好きなものばかりだった。それゆえコースとしての体はなしていないが、アリアが喜ぶことを優先したのだろう。何せまだ十一歳の子供なのだから。

「わあ!」

 デザートが運ばれてくると、アリアは目をキラキラとかがやかせて感嘆の声を上げた。十一本のろうそくが立てられたイチゴたっぷりの贅沢なホールケーキだ。

「さあさあ、火を吹き消してちょうだい」

「はい」

 アリアは一生懸命に吹いたが一本だけ残してしまい、もういちど吹いて消しきった。

 一度に消しきれなかったことで恥ずかしそうにしていたが、ケーキが切り分けられるとそちらに夢中になった。幸せそうに食べる彼女を見ながら、アイザックも口に運ぶ。甘いものはそう得意でないが、彼女の誕生日祝いなのだから食べないという選択はない。

「これはわたしたちからよ」

 皆がケーキを食べ終えて一息つくと、母が使用人を呼んで誕生日プレゼントを持ってこさせた。薄水色のリボンで飾られた二つの包みがアリアに渡される。どちらも彼女の手に載るような大きさだ。

「開けてもいいですか?」

「ええ」

 母からは手ずから刺繍を施したというハンカチ、父からは万年筆だった。どちらも実用的なもので、アリアの現状をわかっているからこその選択だろう。アリアはいたく感激しているようだった。

「ありがとうございます。大切にします」

「別に大切にしなくていいから使ってちょうだいね」

「はい」

 結局、何も用意できなかったアイザックはひとり蚊帳の外だった。ただただ肩身が狭く、無言のまま存在感を消して時が過ぎるのを待つしかない。母は何も言わなかったが、そのことでかえって追い詰められているように感じてしまった。


 このままで今日を終えるわけにはいかない——。

 晩餐のあとしばらく自室で書類仕事をこなしていたが、アリアの就寝時間にあわせて寝支度を調えると寝室に入った。彼女はちょうど寝台に上がったところのようで、こちらに気付いてふわりと微笑む。

 しかしアイザックは寝台の前で立ちつくしてしまった。今日一日の出来事が脳裏を駆けめぐり、自分の不甲斐なさをあらためて突きつけられて気持ちが沈むが、それでもゆっくりと呼吸して顔を上げる。

「すまない」

「えっ?」

 彼女はきょとんとして、アクアマリンのような瞳をぱちくりとさせる。

「サイラスに聞くまで君の誕生日だということを忘れていた。それでプレゼントも用意できなかった。君がわたしたちの家族になって初めての誕生日だというのに、本当に申し訳なく思っている」

 許されたいというより、傷つけたくないという気持ちのほうが大きかった。プレゼントを用意しなかったことに他意はないと、ただ忘れていただけだと、そのことだけは明確に伝えておきたかったのだ。

「いえ、普段から十分良くしてもらってますから」

 彼女はすこし驚いたようにふるふると首を振り、恐縮したように言う。

 その様子からすると、もともとあまり期待していなかったのかもしれない。それはそれで寂しいと思ってしまうのは贅沢だろうか——。

「来年は忘れずに用意する」

「楽しみにしてますね」

 笑顔のアリアを見て、ようやくアイザックも寝台に上がることにした。

 いつものように彼女と並んで横になったそのとき、一番大事なことを言い忘れていたことに気付く。いまさらであっても言わないわけにはいかない。気まずさを感じながら、白い天井を無意味に見つめたまま静かに口を開く。

「遅くなったが……アリア、十一歳の誕生日おめでとう」

「はい」

 クスクスと笑う気配がする。

 アイザックは気恥ずかしさを覚えるとともに、どこか安堵もしていた。


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