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氷の宰相補佐と押しつけられた厄災の花嫁  作者: 瑞原唯子


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第6話 二人の初観劇

「さすがわたくしの見立てだけあってよく似合ってるわね。とってもきれいよ」

 支度を終えたアリアの全身を上から下まで眺めて、母のイザベラは至極満足げに頷いた。

 濃青色を基調としたドレスには銀糸で繊細な装飾が施されており、清楚ながらも華やかな印象だ。濃青色のトークハットも純白のショートボブによく映えている。胸元には極細のチェーンを通したプラチナの結婚指輪が輝いていた。

「ほら、あなたもこっちに来なさい」

 促されるまま、アイザックも少女の隣に並ぶ。

 身にまとっているものはアリアのドレスと同じ濃青色で、外套には肩から胸元にかけて華やかな銀の装飾がついており、二人並ぶと調和がとれてしっくりくる感じだ。プラチナの結婚指輪はいつものように左手の薬指に嵌めている。

 こちらも母が見立てた。各々に似合うかどうかもさることながら、並んだときの見映えを意識していたのだろう。一歩二歩と下がって全体を眺めると、上機嫌で「素敵だわ」「お似合いよ」と声をはずませる。

「アイザック、あなたは何か言うことないの?」

「何かというと?」

 尋ね返すと、母はあきれたと言わんばかりに溜息をついた。

「妻が着飾っているのですよ」

 つまり夫婦仲をよくするために妻を褒めろということなのだろう。納得したものの、あらためて言うとなるといささかというかだいぶ気恥ずかしい。

「……いつもとは違った雰囲気だが似合っている。きれいだ」

「ありがとうございます」

 とってつけたような賛辞ではあるものの、嘘は言っていない。それが伝わったのかどうかはわからないが、彼女はやわらかな色白の肌をほんのりと薄紅色に染めて、ふわりと愛らしく微笑んだ。


 今日、二人が盛装したのは観劇のためである。

 アリアがこの一か月の教育でそれなりにマナーを身につけたので、そろそろ観劇にでも連れていってみてはどうかと母に提案され、あまり気が進まないながらも必要なことだと判断して了承したのだ。

 アリアもいずれは社交の場に出ることを求められるのだから、ずっと真綿に包んでおくわけにはいかない。まず第一歩として観劇というのは悪くない選択だろう。それでも衆目を集めることは間違いなく——。

「自信を持って、何があっても堂々としていなさい」

 出かける間際、母はまっすぐにアリアを見つめてそう告げた。

 一瞬、アリアは虚を突かれたようにきょとんとしたが、すぐに真剣な顔になり、緊張をにじませながらも「はい」と力強く頷いた。


「わぁ、立派な建物!」

 劇場が近づくと、アリアは馬車の窓から仰ぎ見ながら感嘆の声を上げた。

 その劇場はまるで王宮のような風格と威厳を感じさせる重厚な外観で、建築物としての価値も高い。観劇の予定はなくても外観だけ見に来るひとが後を絶たないと聞く。これだけの建物が誰でも間近で見られるところはそうそうないだろう。

「到着しました」

 アイザックが先に降り、アリアに手を差し伸べて馬車から降りるのを手伝う。

 周囲にはまばらにしか人がいなかったが、それでも何人かは『厄災の姫』に気付いたのか視線を向けてきた。それを察知したアリアの表情が一瞬でこわばる。

「大丈夫だ」

「はい」

 アイザックが差し出した腕にそっと手を添え、彼女は淡く微笑む。

 まだいささか緊張が窺えるものの落ち着いたようだ。自信を持って、堂々と——母から送られた言葉を支えにして、そうあろうと気持ちを立て直したのかもしれない。


 もっと早く来るべきだったか——。

 劇場に入ると、思ったより多くの観客で賑わっていた。席にはつかず、ロビーやラウンジなどそこかしこで話をしている。昼公演なので社交の色は薄いが、見知った人たちと開演まで会話を楽しんでいるのだろう。

 そうなると、当然、アイザックとアリアに好奇の目が向けられる。

 その数だけでなく遠慮のなさも劇場前の比ではなかった。内緒話もされているが、あからさますぎてもはや内緒かどうかもわからない。厄災の姫、王妃、といった言葉があちらこちらから漏れ聞こえてくる。

 そっと隣のアリアを見下ろすと、気丈にも前を向いているものの顔はこわばっていた。

 否定的なことばかりでなく、かわいいなどといった好意的なことも言われているのだが、そこまで冷静には聞けていないのかもしれない。一斉に注目されれば余裕がなくなってしまうのも致し方ないだろう。

「おお、あれが厄災の姫か」

 早くホール内に入ってしまおうと思ったところで、ひときわ無遠慮な声が届いた。アイザックの腕に手を添えていたアリアがビクリとして、凍りついたように動きを止める。

「本当に王妃殿下に生き写しですな」

「これで厄災とはもったいない」

「娶った公爵家は大丈夫なのでしょうか」

「いや国でさえも滅びかねないぞ」

 はははと品なく笑うのはダービー侯爵だ。アイザックは一度挨拶したくらいでほとんど関わりがないが、事業が成功して急速に力をつけているという話は小耳に挟んでいる。

「行こう」

 そっと促すが、彼女は蒼白な顔をして立ちつくしたまま動こうとしなかった。というより動ける状態ではなかったのだろう。それを目にして、アイザックはじわじわと頭に血が上っていくのを感じた。

 カツン——彼らからアリアを背に隠すようにしながら足を踏み出す。

「妻は厄災などではありません」

 絶対零度のまなざしで鋭く見下ろしながら声を張ると、ソファに座っていた二人はギョッとしたように表情を凍りつかせた。間髪を入れず怒りをはらんだ強い声音で通告する。

「これ以上、こころない愚かな侮辱をつづけるのであれば、シェフィールド公爵家として正式に抗議させていただく。そのつもりで」

 二人の返事を待たず、アイザックは外套を翻して背を向けた。

「大丈夫か」

 後ろにいたアリアはびっくりしたような顔をしていたが、その顔色は悪くない。問いかけにも落ち着いてこくりと頷いたため、あらためて彼女をエスコートしながら歩を進める。さきほどまでの喧噪が嘘のようにあたりは静かになっていた。


「アリア!」

 息の詰まるような気まずい静寂を打ち破ったのは、若い男性の声だった。

 反射的に振り向くと、アリアよりもすこし年上と思われる少年が駆けてくるのが見えた。訝しむようにうっすらと眉をひそめたアイザックの隣で、アリアが瞠目する。

「え、レオ?!」

「おまえいきなりいなくなるなよ!」

「ご……ごめん」

「せめて挨拶くらいはしていけよ!」

「うん……」

 話から察するに、おそらく故郷にいたときの知人だろう。

 アリアは事前に話もなく王都に連れていかれたので、挨拶する暇もなかったと思うが、たとえ事情を知らなかったとしてもこの態度はない。アイザックが割って入るように大きく一歩踏み出すと、少年はビクリとした。

「レオ!」

 遠くから男性が血相を変えて駆けてきたかと思うと、少年の頭をガッシリと鷲掴みにして無理やり下げさせ、同時に彼自身も頭を下げる。

「シェフィールド卿、奥方、愚息が大変失礼いたしました」

「いや……」

 そこまでの勢いで謝罪されるとかえって決まりが悪いし、そもそもアリアとの関係がわからないので対応に困る。隣に視線を向けると、彼女はそれだけで察したのか男性を示しながら紹介を始めた。

「こちらはダットン男爵です。ウィンストン教会にいたときによくしていただきました」

「ダットン男爵を賜っておりますマイロ・コールマンと申します。王都には所用で来たのですが、せっかくなのでついでに観劇しようということになりまして。まさかアリアちゃん、あ、いえ、奥方に会えるとは思いもしませんでした」

 挨拶を見るかぎり、いささか落ち着きに欠けるものの真面目そうなひとではある。アリアの言うことが本当なら人柄もいいのだろう。しかしながら息子のほうはだいぶ無作法で無遠慮なようだ。

「劇場に入ったらおまえが来てるって噂になってたんだ」

 ついさきほど父親に謝罪させられたことなど忘れてしまったかのように、入口のほうを親指で示しながらアリアに話しかける。

「だからって劇場内を走りまわるのは良くないよ」

「そのおかげでこうしておまえと会えたんだぜ?」

「まあ、そうだけど……」

 アリアもスペンサー家ではありえない砕けた態度で返す。敬語のない自然な話し方も、口をとがらせる幼い仕草も、同年代で親しい間柄だからこそ出てくるのだろう。モヤモヤしつつも何も言わずに二人の会話を聞いていると——。

「本当は俺と結婚するはずだったのにな」

 拗ねたように、恨めしそうに、少年はそんなことを言い出した。

 驚きのあまりアイザックは頭の中がまっしろになる。気付けばマイロが顔面蒼白で息子の頭を下げさせて「申し訳ありません」「予定はありませんでした」などと言っていたが、アリアはただ困ったような笑みを浮かべるだけだった。

「では、わたしたちはこの辺で失礼させていただきます」

「ああ……」

 ひととおりの謝罪を終えるとマイロは気まずげに一礼し、息子を半ば引きずるようにしながら立ち去っていく。当の息子は口をとがらせて反抗的な態度をとっていたが、アリアから遠ざかってしまったことに気付くと、あわてて大きく手を振りながら叫んだ。

「離婚したら俺んとこ来いよ!」

 それを最後に、少年の姿が視界から消えて見えなくなった。


 予約したのは中央ボックス席である。

 本来は王族用の席だが、予定さえなければ高位貴族も使用できることになっている。舞台が見やすいのはもちろんのこと、他の観客から見えにくい構造になっているのでゆったりと落ち着けるのだ。

 まだ開演まで時間があるが、アリアのためにはおとなしく席にいるほうがいいだろう。仕切られたボックス席に入ると、豪奢な装飾が施された椅子にアリアを座らせ、対になっている隣の椅子にアイザックも腰を下ろす。

「すまなかった」

 ぽつりと言葉を落とすと、アリアは驚いたようにきょとんとして振り向いた。その様子からすると、どうして謝ったのかはわかっていないのだろう。アイザックは視線を落として静かに言葉を継ぐ。

「多少は覚悟していたが、あれほど愚かしいことを言う連中がいるとは思わなかった。そのせいで君にはつらい思いをさせてしまった。わたしが言い返したことで、なおさら好奇の目にさらされるはめになったのかもしれない」

「いえっ、庇ってくれてうれしかったです!」

 アリアはふるふると首を振って力強く断言したかと思うと、すっと表情を引き締める。

「わたし負けません。お母さまからも強くなりなさいって言われてますし……いまはまだ無理ですけど、そのうちちゃんと公爵家のお役に立てるよう頑張ります。そしていつか厄災の姫なんかじゃないって証明してみせます」

「……無理はするな」

 アイザックが思うよりもずっと彼女はたくましいのかもしれない。もちろんショックを受けていたことはあきらかだし、つらい思いもしただろう。それでも心が折れないだけのしなやかな強さを持っているのだ。

 もしかしたら母はこうなることを見越していたのではないか。アリアに厳しい現実を見せつけることで覚悟を促そうと——想像でしかないが、母なら十分やりかねないとアイザックは内心でひそかに嘆息した。

「……あの、レオの言っていたことなんですけど」

 沈黙が落ちると、アリアがおずおずと遠慮がちにそう切り出した。あまり聞きたくなかった名前にアイザックの胸はざわめく。

「婚約とかじゃなくて……大人になったら結婚しようってレオに言われて、いいよって答えただけなんです。レオとは兄妹みたいな感じで仲良くしてましたし、男爵夫妻とも家族になれたらうれしいなって」

 いいよ、って言ったのか——。

 それをとやかく言う資格がないことくらいわかっている。結婚前のことだし、その結婚にしても彼女の意思をまるきり無視したものだった。とやかく言われるべきなのはむしろこちらのほうだろう。

「あ、いまはもうレオと結婚とか思ってませんので!」

「ああ……」

 捨てられた厄災の姫だと気付かれさえしなければ、彼女には別の未来があった。

 そのことをいまあらためて突きつけられたように感じた。何とはなしに視線を落とすと、薬指にかがやく真新しいプラチナの指輪が目に入り、誰にも気付かれないようゆっくりとその手を握り込む。

「この結婚は王命だ。わたしや君がどう思おうと離婚はできない……一生な」

「……はい」

 それきり沈黙が落ちた。

 言わなくてもいいことを言ってしまったような気はするが、いまさらどう取り繕えばいいかわからない。アリアも複雑そうな顔をしながらも口を開こうとはしない。そのまま終演まで二人が言葉を交わすことはなかった。


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