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氷の宰相補佐と押しつけられた厄災の花嫁  作者: 瑞原唯子


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第27話 あれから二年

 ショーンは宿舎に戻ったが、それからもアイザックはときどき会いにいっていた。

 仕事のあと一緒にお茶を飲んだり、昼休みに一緒に食事をしたり、宿舎に様子を見に行ったりと、いままでにないくらい交流している。自分から押しかけているわけではなく、彼に望まれてのことだ。

 これまではシフト制のうえ勤務地も定まっていなかったので、会おうとしてもなかなか難しかったが、いまは騎士団本部で平日昼間のみの勤務になっているため、時間を合わせやすいというのもある。

「兄さんが来てくれるから骨折した甲斐があった」

 ときどきショーンは笑いながらそんな冗談を口にするが、本音も混じっているのだろう。何にせよ前向きでいてくれるのならよかったと思う。


 そして、かすかに春の陽気が感じられるようになってきたころ——。

 二回目の結婚記念日がやってきた。

 つまりアリアと出会ってちょうど二年ということだ。あのときから彼女はずいぶんと成長したように思う。背がぐんと伸びたし、純白の髪も結えるくらいに長くなった。子供から少女に変わってきたと言えるだろう。

「今日は楽しみですね」

 寝台で朝の挨拶を交わしたあと、アリアはわくわくした様子でそう声をはずませると、軽やかに寝台から飛び降りてカーテンを開けた。その向こうには、薄い筋状の雲がかかった穏やかな青空が広がっていた。

「天気も悪くなさそうだな」

「おでかけ日和ですね」

 今日はアリアの希望で観劇に出かけることになっている。

 昨年の結婚記念日は二人とも忘れていて何もできなかったので、今年は一月前から話し合って決めたのだ。アイザックとしてはまた心無いことを言われるのではと心配だったが、彼女に押し切られてしまった。

 アイザック様がわたしを信じてくださっているから、わたしは平気です——。

 そこまで言われてしまうとやめたほうがいいとは言いづらいし、その信頼に報いなければという気にもなる。懸念が消えたわけではないが、できうるかぎり彼女に寄り添って彼女を守ろうと決意を新たにした。

 しかし、その後、ショーンの負傷で『厄災の姫』の噂が再燃してしまった。

 観劇に行くのであれば、念のため彼女にも話しておいたほうがいいのだろうか。だができれば傷つけるようなことは言いたくない。幾度となく迷いながら、結局、話す決心がつかないまま当日を迎えてしまった——。


「素敵ね、とてもよく似合っているわ」

 アリアを華やかにドレスアップして母はご満悦だった。

 いつもより格段に大人びて見える姿にアイザックも息をのむ。アイスブルーのドレスは精緻なレースが施されたもので、胸元にはプラチナの指輪が、髪にはアイザックが誕生日に贈った小花の髪飾りがかがやいている。

「アイザック様はどう思いますか?」

「ああ、母の言うとおりよく似合っている」

「よかった」

 朴念仁と揶揄されるアイザックなので気の利いたことは言えなかったが、それでもアリアは安堵したようで、ほっと小さく息をついてそう言うと照れたように笑みを浮かべた。

「さ、思いっきり見せびらかしてらっしゃい」

 そう母に発破をかけられ、アイザックとアリアは馬車で劇場に向かう。

 見せびらかす、か——。

 アイザックとしては、むしろ他人の目にさらさないよう配慮するつもりでいた。そのほうがアリアのためになると思っていた。だが、厄災のイメージから乖離したこの美しい姿を見せつけたほうが、もしかしたら噂の沈静化には効果があるのかもしれない。

「どうかしましたか?」

 視線に気付いた隣のアリアが、不思議そうにアクアマリンの瞳をぱちくりとさせる。

 いや、とアイザックは曖昧な返事でうやむやにすると、馬車の揺れにまぎれるようにそっと顔をそむけて、薄青色の空に目を向けた。


 前回より早めなのに、劇場にはもうそこそこ観客が来ているようだった。

 アリアをエスコートしながらロビーに入ると、周囲にざわめきが広がり、あちらこちらから無遠慮な視線を向けられる。アイザックの腕にかけた手にすこし力が入るが、それでも彼女は凜と前を向いていた。

「大丈夫か?」

「平気です」

 あからさまに緊張していた以前と違い、いまは自然な表情を見せていて気持ちにもゆとりがありそうだ。アイザックは彼女と目を合わせたまま小さく頷いてみせると、今度は周囲に意識を向ける。

 厄災の姫、王妃——思ったとおりそんな言葉がちらほらと聞こえてくる。

 ただ意外と忌避感はなく、どちらかというと興味本位のほうが強く感じられる。ショーンの負傷により噂が再燃したと聞いて警戒していたが、騎士団以外ではそれほど広まっていないのかもしれない。

「わたしってそんなに王妃様に似てるんですか?」

 アリアがこそっと小声で聞いてくる。

 どうやら周囲のひそひそ声も耳に届いているらしい。以前はそれどころではない様子だったので、いまはそれだけ落ち着いているということだろう。

「ああ……妃殿下が若いころに生き写しというくらい似ている。わたしもそのころの姿は肖像画でしか見ていないが。いまでも親子だと一目で納得するくらいには似ている」

「いつかお目にかかりたいです」

 アリアはくすっと笑う。

 その余裕がいっそう彼女をかがやかせているのだろう。ますますまわりの視線を惹きつけていく。それは、もしかしたら王家の血によるものでもあるのかもしれない。何となくではあるがそう思った。


 当初は早々にホール内の席に向かうつもりだったが、アリアがそれほど他人の目を気にしていないようなので、ラウンジでお茶を飲みながら時間をつぶすことにした。じっとホール内で待つよりは退屈しないだろう。

 奥まったところにある席に向かい合って座り、ゆっくりと紅茶を飲む。

 これまで声をかけてくるひとはいなかったが、聞き耳を立てられている気配は感じる。アリアも気付いているのだろう。この紅茶がどうだとか今日の演目はこうだとか、聞かれても差し障りのないことしか話さない。

 年のわりにしっかりしている——。

 もしかしたらお茶会に参加して学んだこともあるのだろうか。美しく可憐に微笑む彼女を見て、アイザックはうれしいような寂しいような複雑な気持ちになり、かすかに胸がざわめくのを感じた。

「アイザック」

 ふいに名前を呼ばれて振り向くと、そこには場に合わせて盛装した元同級生のレイモンドがいた。いつも片側で緩く束ねている艶やかな黒髪は下ろされており、普段とはいささか雰囲気が違って見える。

 まさかレイモンドが来ているとは——。

 あまりの運のなさにひどく苦々しい気持ちがせり上がる。よりによってアリアが来ている今日でなくてもいいのに。思いきり眉をひそめたい衝動に駆られるものの、おくびにも出さずに返事をする。

「君も観劇に来たのか」

「ああ、最近はまってるんだ」

「ひとりなのか?」

「今日はね」

 彼は軽く肩をすくめる。彼ならこういう場にはきちんと女性を同伴してくると思っていたので、ひとりで来ているのは意外だったが、今日はたまたま都合のつく相手がいなかったということのようだ。

「君も座ってくれ」

 空いていたアイザックとアリアのあいだのソファを示すと、彼は素直に腰掛け、通りかかった給仕にスパークリングワインを頼んだ。

 本当はアリアと同席などさせたくなかったが、立たせておくと無駄に目立ってしまうので致し方ない。彼女も急なことで困惑しているかもしれないが、表面上はにこやかに笑みをたたえて挨拶する。

「お久しぶりです、レイモンド様」

「今日はまた一段とお美しいですね」

「ありがとうございます」

 三度目ということで免疫がついていたからか、あるいは身体的な接触がなかったからか、今回はそれほど動揺していないようだ。軽く頭を下げると、首から提げていたプラチナの指輪が揺れてキラリと輝く。

 その一瞬、レイモンドの顔からすっと表情が抜け落ちたように見えた。すぐさま笑みを浮かべなおしたので、お辞儀をしていたアリアは気付いていないだろうが、断じて見間違いなどではなかった。

 やはり、彼の好きなひとはアリアではないか——。

 そんな疑念を抱きながらレイモンドの横顔をじっと観察していると、給仕がスパークリングワインを運んできた。彼はそれをアイザックのほうへ軽く掲げてから一口飲み、やわらかな手つきでそっと置く。

「また君と飲みに行きたいな」

「ああ、そうだな……」

「最近、仕事は忙しいのか?」

「そこそこな」

 友人として飲みたいだけなのか、アリアのことを探るためなのか——アイザックはどうしてもいろいろと邪推してしまい、素直に応じることが躊躇われて言葉を濁した。

「レイモンド様はご学友だったんですよね?」

 アリアも会話に入ってきた。

 妻らしくあろうとしての行動というよりは、興味本位のようだ。見るからにわくわくとした表情をしており、好奇心を隠せていない。

「ええ、六歳のころから同じ学校に通っていました」

「子供のころのアイザック様ってどんな感じでしたか?」

「いまとあまり変わりませんよ」

 そう答えて微笑むと、レイモンドは思いを馳せるように遠くを見やる。

「あまり表情は変わらず、口数も少なく、特定のひと以外とは深く関わろうとしない。けれど必要なことはしっかりと完璧にこなす。近寄りがたかったけど格好良かったよ。顔もきれいだから女子には遠巻きに憧れられていたな」

「ふふっ、何となく想像がつきます」

 悪く言われるよりはいいが、だいぶ話が盛られているような気がして居心地が悪い。すくなくともアイザックには憧れられた覚えなどなかった。だからといってわざわざここで否定するのもどうかと思うので、グッと口を引きむすぶ。

 一方、アリアはニコニコと両手を合わせて質問を重ねる。

「面白いエピソードがあったら聞きたいです」

「そうですね……」

 何を言うつもりだ——?

 すぐには思い出せないが、子供のころなら誰しも恥ずかしい出来事の一つや二つある。おかしなことを暴露されたらと思うと気が気でない。じっと視線を送っていると、彼はチラリと振り向いて思わせぶりにふっと笑みを浮かべた。

「アイザックに怒られそうなので内緒にしておきます」

 肩をすくめた彼に、アリアはくすくすと笑いながら「残念です」と応じる。聞きたかったのは本当だろうが、だからといって無理に聞き出そうという気はないようで、ひとまずアイザックは安堵した。

 ただレイモンドとアリアが打ち解けたように話しているのを見ると、やはり面白くない。アリアの心をさらっていくのではないかと不安になってしまう。それでも表情を変えることなく紅茶を口に運んだ。

「そういえば、以前、ご招待したうちのお茶会はいかがでしたか?」

 レイモンドが思い出したようにアリアに問いかける。

 数か月前、彼の母であるベルファスト公爵夫人が主催したお茶会のことだろう。いまのところアリアが唯一招待されたものだ。彼女はふわっとやわらかく顔をほころばせながら丁寧に答えを紡ぐ。

「お紅茶もお菓子もおいしくて、みなさんもお優しくて、とても楽しいひとときを過ごせました。ベルファスト公爵夫人には大変よくしていただき、感謝しております」

「楽しんでいただけたのならよかった」

 レイモンドはかすかに色めいた笑みを浮かべた。

「庭園はご覧になりましたか?」

「はい、窓越しに拝見しただけですが、とても素敵でした」

「中を歩いてみると、また違った景色が見えて楽しいですよ」

「わあ、想像するだけで心が躍りそうです」

 社交辞令でなく本当に興味を持っているであろうことは、その無邪気な反応から一目瞭然である。実際にチャーチル邸の庭園はとても素晴らしく立派なので、心惹かれる気持ちはわからなくもない。

「いつか機会があればご案内しましょうか」

「ぜひお願いします」

 その機会は、そう遠くない未来に訪れるのではないかと思う。いまよりすこし成長したアリアとレイモンドが並んで庭園を歩くのを想像してしまい、眉が寄りそうになるのを必死に堪えていると——。

「そろそろわたしはおいとましましょう」

 レイモンドがさらりと切り出した。

 まるで心を読んだかのようなタイミングにドキリとしたが、その一瞬、意味ありげなまなざしを向けられてさらにドキリとした。しかし彼はすぐに何事もなかったかのようにアリアへ向きなおる。

「楽しい時間をありがとうございました」

「こちらこそご一緒できてうれしかったです」

「また機会があればご一緒しましょう」

 そう言って席を立つと、艶やかな長い黒髪をさらりと揺らしながら一礼する。そして奥底まで見透かすかのようにまっすぐアリアの瞳を見つめ、わずかに目を細めて言う。

「あんなことがあったばかりなのに、強いお人だ」

「えっ……?」

 きょとんとして目をぱちくりとさせたアリアには何も答えず、つづいてしなやかな身のこなしでアイザックに向きなおり慇懃に一礼すると、その場をあとにする。戸惑ったままのアリアをそこに残して——。

「あの、レイモンド様がおっしゃったことって……」

「わたしたちもそろそろ行こう」

 アイザックが立ち上がると、アリアは物言いたげな顔をしつつも素直に従った。


 アリアをエスコートしながら静かなホール内に入り、中央ボックス席に座る。

 まわりが広くとられているうえ仕切りもあるので、周囲の目も、会話の声も、ここならそれほど気にする必要がない。アイザックは隣に目を向け、視線を落として考え込んでいるアリアに声をかける。

「さきほどレイモンドが言っていたことだが」

「はい……」

 話す決心がつかないまま観劇に来てしまったが、こうなってはもう話さないわけにはいかない。下手に隠したほうがアリアを悩ませることになる。グッと腹の底に力をこめて覚悟を決めると、再び口を開く。

「おそらくショーンが負傷した件を指している」

 それを聞いて、アリアは怪訝な顔をしたあとハッと息をのんだ。

「あのときも言ったが、ショーン自身は決して君のせいだとは思っていない。自分が未熟だったからだと断言していた。だが、一部で『厄災の姫』のせいだと噂するものがいるらしい」

「そう、ですか……わたしのせいだと……」

 消え入るように言いながら、彼女はだんだんと顔色をなくしていった。アイザックは慌てて声を上げる。

「違う、起こった不幸な出来事を都合よく責任転嫁しているだけだ。何の因果関係もないし、厄災をもたらす存在などありはしない。だから『厄災の姫』などまやかしの産物でしかないし、君は『厄災の姫』ではない」

 まっすぐに目を見ながらそう告げると、アリアはこくりと頷いた。

 だが表情は晴れない。ショーンの負傷がアリアのせいだと思われていたことは事実で、しかも違うと証明することがほぼ不可能となれば、すぐに気持ちを切り替えられなくても仕方がないだろう。

 あんなことをアリアのまえで言ったレイモンドが恨めしい。彼女が噂の再燃について知らないとは思わなかったのだろうし、つらい境遇のなかで笑顔を見せる彼女に感心してのことだとは思うが——。

「アリア」

 名前を呼ぶと、彼女は不安そうに揺れる瞳をこちらに向けた。

「何があってもわたしが君を守る」

「……はい」

 ようやくすこし表情がゆるんだ。

 すべての憂いを払拭するのは難しいかもしれないが、悪意からは絶対に守る。そしてどんなときも味方でいる——彼女のアクアマリンの瞳をじっと見つめながら、あらためて心の中でそう誓った。


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