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氷の宰相補佐と押しつけられた厄災の花嫁  作者: 瑞原唯子


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第25話 雪降る誕生日

 その日、目を覚ますといつもより音がないように感じた。

 この感覚には覚えがある。寝台から下りて分厚いカーテンをすこしだけ開けると、そこには思ったとおり一面の銀世界が広がっていた。そして、いまも鈍色の空からしんしんと雪が降りつづいている。

「ん……アイザック様……どうかしましたか?」

 アリアが寝台の上で目をこすりながら体を起こし、声をかけてきた。まだ覚醒しきっていないようでぼんやりとした声だ。それを微笑ましく思いながら振り向いて答える。

「雪が降っている」

「え、雪?!」

 アリアは純白の髪をなびかせながら寝台から飛び降りて、カーテンの隙間を覗く。

「わあ!」

 アクアマリンの瞳はキラキラとかがやいていた。

 思わずふっと笑うと、彼女はハッとして恥ずかしそうに頬を染めながら縮こまり、目線だけでチラリと見上げるようにこちらを窺う。

「子供みたいでしたね」

「子供だからそれでいい」

「えぇ……」

 アリアは不満そうに口をとがらせた。

 そんな彼女を見て、アイザックはほんのりと胸があたたかくなるのを感じた。とはいえ雪が降るくらいなので当然ながら室温はかなり低く、寝衣のままでは体が冷えてくる。

「すこし早いがわたしは身支度をしようと思う」

「あ、ちょっとだけ待っててくださいませんか?」

「君はもうしばらく寝てても構わないが」

「そうではなくて……えっと、待っててくださいね!」

 そう言い置き、アリアは走って寝室を出て行ったものの、すぐに戻ってきた。左手を背中側にまわして何か隠しているようだ。アイザックを見上げると、その隠していたものを緊張ぎみに両手で差し出しながら言う。

「お誕生日おめでとうございます!」

 そうだ、今日はわたしの誕生日だった——。

 差し出されたのは濃青色のリボンがかかった小さな包みだ。手に取ると、薄くてやわらかそうなものだということがわかる。

「開けても構わないか?」

「はい……あの、去年と同じものになってしまって申し訳ないんですけど、去年よりは上手にできたと思うので、もらうだけもらっていただければうれしいです」

 リボンを解いて包みを開けると、去年のプレゼントと同じような白いハンカチが出てきた。ただ、角に入っている名前の刺繍は去年よりも格段に上手い。きっとこのために練習してくれたのだろう。

「ありがとう。大切に使わせてもらう」

 そう応じると、彼女はホッとしたように笑った。

 もちろん社交辞令でなく本当に使わせてもらうつもりである。実際に去年のハンカチは毎日のように持ち歩いていた。そのせいで刺繍がほつれて、使うのをやめようかちょうど悩んでいたところだったのだ。

 去年のは保管して、これからはこちらを持ち歩くことにしよう。

 アイザックは真新しい白いハンカチに目を落としたまま、そう心に決めた。そのとき随分とやわらかく表情がゆるんでいたのだが、完全に無意識で、自分ではついぞ気付くことさえできなかった。


「馬車はしばらく無理そうだな」

 朝食のあと外に出てみると、雪はすでにアイザックの膝くらいまで積もっており、空模様からしてもまだ当分やみそうになかった。冷え込みも厳しく、いまのところ雨やみぞれに変わりそうな気配もない。

「どこまで積もるんでしょうか」

 ついてきたアリアも空を見上げながら心配を口にするが、その声にわくわくした気持ちがにじんでいるように聞こえるのは、気のせいではないだろう。ふわりと上がった白い息もこころなしかはずんでいるようだ。

「去年よりも多そうですよね」

「やむまでは雪遊びできないがな」

「別に、雪遊びは……」

 頬を赤らめ、遠慮がちに恨めしげな目を向けてくる。

 背伸びしたがる年頃なのか、最近は子供扱いされるのをやけに嫌がるのだが、それでも雪遊びしたいという気持ちは捨てきれないのだろう。そんな彼女をアイザックはひそかに微笑ましく思った。


 結局、その日は自宅にとどまって公爵家の仕事をすることにした。

 アリアは家庭教師が来ていないため自習になったようだ。雪遊びもできない状況なので致し方ない。それでも雪を見るだけで十分に楽しいと言っていたので、休憩時にはわくわくと外を眺めているのだろう。

 夕方には、母とアリアと三人で窓越しに雪景色を鑑賞しながらティータイムを過ごした。

 そのころにはアイザックの腰くらいの高さまで雪が積もっていた。玄関まわりや通路は使用人が雪かきをしていたが、庭は手つかずである。こんもりと雪に覆われていて庭かどうかも判別できないくらいだ。

 ただ、ティータイムが終わるころには雪がやんだ。

 アリアはどことなく残念そうだが、いいかげん大変なことになりかねない状況だったのでよかった。このまま降らなければ道路の雪かきも順調に進むだろうし、明日は王宮に行けるのではないかと思う。


「アイザック、二十七歳の誕生日おめでとう」

 夕食を前にして、母のイザベラにお祝いの言葉をかけられた。

 今年はアリアが先に祝ってくれたので、今日が誕生日であることはもうすでに思い出していた。姿勢よく座ったままありがとうございますと一礼すると、母はふっと表情をやわらかくしてつづける。

「本日の夕食はすべてアリアが考えて手配したのよ。あなたのためにね」

「手料理というわけではないですけど……」

 アリアが隣から申し訳なさそうに言い添えるが、考えるのも、手配するのも、わからないことばかりできっと大変だっただろう。それをアイザックのために頑張ってくれたのだ。

「いや、考えてくれただけでも十分すぎるくらいだ」

「わたしなりにお祝いの気持ちをこめたつもりです」

「楽しみにしている」

 その言葉が、彼女にプレッシャーを与えてしまったのかもしれない。笑顔で応じていたものの、表情にも所作にもどことなくぎこちなさがあり、すくなからず緊張しているであろうことが見てとれた。


 メニューはコース料理で、なおかつアイザックの好みが反映されたものになっていた。

 食の好みについてはあまり話した記憶がないのだが、見ていて気付いたのだろうか。もしかしたら母や料理人に聞いたのかもしれない。いずれにせよアリアがお祝いしたいと頑張ってくれたことは十分に伝わったし、素直にうれしかった。


「アップルクランブルでございます」

 最後にふんわりと甘い香りの漂うデザートが運ばれてきた。

 ただ、それは見たこともなければ聞いたこともないものだった。当然ながらアイザックの好物というわけではない。隣のアリアを窺うと、彼女はひどく緊張したような顔をしてゆっくりと切り出した。

「アップルクランブルはわたしの故郷でよく食べられているデザートで、これだけわたし自ら作らせていただきました。ぜひアイザック様に食べていただきたいなと思って……りんごなのでそんなに甘ったるくはないですし……見た目は地味ですけど……」

 途中からだんだん自信なさげに声がしぼんでいく。

「いただこう」

 アリアが手ずから作ってくれたものだ。早く食べてみたい。

 すぐに使用人が浅い円形の容器から一人分ずつ取り分けていく。どうやら一口大に切ったりんごを敷き詰めた上に、そぼろ状の何かをたっぷりとのせて焼いたものらしい。取り分けたそれに別で用意していたクリーム色のソースをかけて出される。

 アイザックはさっそくスプーンですくって食べた。

 りんごのさっぱりした甘さとシャキシャキした食感をいかした素朴なデザートで、上にかかっているそぼろ状のものはサクサクしてクッキーに似ており、バターの風味がりんごとよく合っている。

「うまい。りんごの良さがいかされている」

「ええ、カスタードソースもおいしいわ」

 アイザックの言葉に母のイザベラも同調した。父のセオドアは何も言わないが、頷きながら手を止めることなく食べている。かなり気に入ったようだ。

「よかったです」

 アリアは両手を胸に当てて安堵の息をつき、表情をゆるませた。

 そういえば以前にスコーンを作ったこともあったなと思い出す。あのときは料理人や母に教わりながらだったらしいが、今回は母も知らないデザートのようなので、きっとひとりで作ったのだろう。

「君は料理もできたんだな」

「あ、いえ、これは混ぜて焼くだけの簡単なものなので、料理というほどのものではないんですけど……ときどき教会のみんなで作ってました」

 アリアは思いを馳せるように目を細め、言葉を継ぐ。

「ケーキやマカロンみたいなおしゃれなデザートでなくても、わたしにとっては大好きなごちそうだったんです。だから、アイザック様にもぜひ食べていただきたいなって……自己満足ですけど」

「いや……」

 アリアの過去はほとんど書類上でしか知らない。それゆえこうして当時の思い出を共有してくれたことは心からうれしかった。だが同時に、そんな平穏な暮らしを奪ってしまったのだと思うと申し訳なさを感じる。

「あらあら、あなた感激して泣きそうね」

「……泣いてません」

「そういうことにしておきましょう」

 うつむき加減のまま無言で考え込んでいただけで、本当に泣いてなどいない。なのに泣いたかのようにされてしまってバツが悪い。元凶の母を睨むが、彼女は素知らぬ顔でデザートを口に運んでいる。

 隣に目を向けると、アリアがニコニコとしてこちらを見ていた。

「……泣いてないからな」

「わかっています」

 本当にわかっているのかどうか——胡乱げなまなざしを送るが、クスクスと楽しそうに笑っている彼女を見ると毒気を抜かれてしまう。つられるようにアイザックもふっとかすかに口元をゆるめた。

 アリアの故郷か——。

 いつか一緒に訪れてみるのもいいかもしれない。彼女が育ったところ見て、お世話になったひとたちに会い、思い出の場所をめぐる。あらためてアップルクランブルを味わいながら、ふとそんな未来を思い描いた。


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