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氷の宰相補佐と押しつけられた厄災の花嫁  作者: 瑞原唯子


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第23話 戻ってくるはずの日

 例年より暑い夏が終わった。

 そのころには第二王子婚約の熱気もだいぶおさまっていたものの、ゆるやかに祝福ムードはつづいている。もっとも一部では不満の声がくすぶっているようだが、いまのところは想定の範囲内におさまっている。それゆえ宰相補佐としての仕事もおおむね平常に戻っていた。


「アリアの部屋に生けておいてくれ」

 アイザックは庭で切ってきた一輪のリンドウを執事に手渡した。かしこまりました、と彼は心得たとばかりに恭しく一礼して居間を出て行く。何のためかは説明するまでもなくわかっているのだろう。

 そう、ようやくアリアが領地から戻ってくるのだ。

 それで昨年と同じく一輪の花を飾ることにしたのである。まったく同じでは芸がないので、せめて違う種類の花にしようと思っていたのだが、結局、リンドウより心惹かれるものは見つけられなかった。

 喜んでくれればいいが——。

 たとえ落胆しても、彼女はそれをアイザックに見せるような振る舞いはしない。だからこそなおさら落胆させたくないと思う。もっともアイザックなりに最善を尽くしたつもりなので、あとは祈るしかない。

 ひとり自室に戻って椅子に腰を下ろすと、未処理の書類を一瞥する。

 今日は公爵家の書類仕事をしながら待とうと考えていたが、とても手につきそうにない。実際、午前中はほとんど進まないまま終わってしまった。急ぎの案件がなかったとはいえ次期公爵として情けなく思う。

 アリアとはもう三か月ほど顔を合わせていない。

 日中は忙しくしていても、家に帰ると彼女がいないことを思い知らされた。寂寥感を覚えずにはいられなかった。そんな生活も今日で終わりだと思うと高揚し、緊張し、落ち着かない気持ちになる。昨年よりもずっと。

 それはおそらくアリアに義務を超えた感情を抱くようになったからだ。どういった類のものかはわからないが、明らかにする必要はない。彼女を家族として大切にするという決意さえあればそれでいいだろう。

 思考が一段落すると、集中できないなりにすこしでも仕事を進めようと、軽く息をついて未処理の書類に手を伸ばした。アリアが満面の笑みで帰ってくるであろうそのときを、楽しみに待ちわびながら。


 だが、アリアたちはいっこうに帰ってこなかった。

 遅くとも日が沈むまでには到着すると聞いていたのだが、いまがちょうど日没だ。茜色の空を残して太陽が見えなくなった。仕事などしていられず、門の外にまで出て様子を窺うものの帰ってくる気配はない。

 何かあったのではないか。

 まさか、事故——?

 体中がぞわりとして血の気が失せていくのを自覚する。いてもたってもいられず馬小屋に向かおうとするが、執事に行く手を阻まれた。

「おやめください。闇夜に馬を走らせるのは危険です」

 グッ、と奥歯を食いしめて空を見やる。

 いまはまだ薄暮だが、準備をするあいだにも暗くなってしまうだろう。王都の中心部ならともかく、王都の外となると灯りもないし道も整備されていない。馬は夜目がきいても人間は夜目がきかないので危険なのだ。

「旅程が予定どおりにいかないことは間々あります。旦那様方もどこかで宿をとって休まれているのでしょう。執事も侍女もついておりますので心配はいりません」

「……そうだな」

 気休めにすぎないことはわかっていた。

 それでもいまは無事を信じて待つしかないだろう。むやみに馬を走らせても良い結果になる可能性はほとんどない。こぶしを握り締め、焦燥する気持ちをどうにか押しとどめながら邸宅に戻った。


「食事の支度ができております」

 自室の執務机で祈るように両手を組み合わせて待機していると、執事が呼びにきた。本当は家族そろっての晩餐になるはずだったのにと思うと、さらに気持ちが沈む。

「悪いが、いまはとても食べる気になれない」

「それでも食べられるなら食べておいたほうがよろしいでしょう。明日に備えてしっかりと食べてしっかりと眠って体調を整えておくべきです。いざというときに動けなくては後悔することになりますから」

 執事の言うことはもっともである。

 確かに体が本調子でなければ探しに行くことも難しくなる。馬に乗るにも体力がいるのだ。食べたくないなどと甘えたことを言っている場合ではない。組み合わせていた手にグッと力をこめる。

「わかった」

 そう応じると、執務机に両手をついて立ち上がった。


 食事をすませたあと、明日に備えて早めに寝台に上がったものの、不安を抱えているせいかどうしても寝付けなかった。結局、一睡もできなかったのに、まったくと言っていいほど眠気は感じていない。

「お気をつけて。くれぐれも無理はなさいませんよう」

「わかっている」

 夜明け前から起き出して準備を始め、日の出とともに出発する。

 アイザックだけでなく若い従者も一緒だ。行くなら供をつけるよう執事に頼まれたというのもあるが、状況によっては人手が必要になるので、確かに一人くらいはいてくれたほうがいいだろうと判断した。

「次の街まではほぼ一本道ですね」

「ああ……速度を上げるが、事故の痕跡を見逃すな」

「承知しました」

 王都を出ると、あたりに注意を払いながらも馬の速度を上げる。

 何かしらの痕跡があればどちらかは気付くだろうと思いつつ、それでも一瞬たりとも気を抜くことなく神経をとがらせる。しかしながら遠目に次の街が見えるころになっても、何の手がかりも得られなかった。

 くっ——。

 何台かの馬車とすれ違ったがスペンサー家のものではなかったし、事故の痕跡も見つけられなかった。絶対とまでは言い切れないが見逃しているとは考えられないので、もっと向こうにいるのではないかと思う。

 街に着いたら、ひととおり宿などをまわって情報収集したほうがいいだろう。二手に分かれて従者にこの街道を見張らせておけばすれ違うこともない。

 そんな算段をつけていると、薄煙の向こうからこちらに走ってくる馬車に気付いた。目をこらすが残念ながらスペンサー家の馬車ではない。落胆しつつも、すぐに意識を前に向けて他の手がかりを探そうとしていたが——。

「アイザック様!!!」

 ふいに背後から名前を呼ばれた気がした。それもアリアの声で。

 思わず馬を止めながら振り返ると、いましがたすれ違った馬車も速度をゆるめて止まりかけていた。そして止まりきらないうちに扉を開いて身を乗り出したのは、まぎれもなく妻のアリアだった。

「アリア!!!」

 彼女は不安定な姿勢のまま大きく手を振っていた。

 アイザックは従者とともに方向転換してそちらに馬を走らせる。アリアはほっとしたように表情をゆるめ、アイザックが到着するとそこからぴょんと飛び降りた。

「探しに来てくださったんですね」

「ああ……」

 アイザックも馬から下りてまじまじと彼女を観察するが、どこも怪我はしてなさそうでひとまず安堵する。馬車の中を覗き込むと父と母とアリア付きの侍女がいた。

「ご無事で何よりです」

「心配をかけたようですまなかった。途中で馬車が故障してな。街で一泊して、別の馬車を借りて帰るところだったのだ。ハリスとモニカは馬車とともに街に残してきた」

 ハリスは父の執事で、モニカは母の侍女だ。

 四人乗りの馬車しか借りられなかったのでやむなくということだろう。二人とも経験豊富で頼りになるので、そう心配はいらないはずだ。

「何か手伝えることはありますか」

「修理はもう頼んであるし、おまえにやってもらうようなことはないが……そうだな、ジョンにはハリスたちと合流してもらおうか。荷物を積むのにも人手があったほうがいいだろう」

 ジョンはアイザックが連れてきた若い従者だ。

 役に立てることがうれしいのか「承知しました!」と元気よく返事をすると、ハリスたちの居場所を聞き、挨拶もそこそこにひとり慌ただしく街のほうへと馬を走らせていった。

「まったく、あの子はいつもバタバタしてるわねぇ」

 母が溜息まじりに言う。

 実際いつもこんな感じで、家でも落ち着きなさいとたびたび注意されていた。ただ、真面目で熱心なのでアイザックとしては好ましく思っている。

「アイザック」

 ふいに母に呼ばれて振り向くと、彼女はすました顔でこちらに横目を流して言葉を継ぐ。

「あなたアリアを乗せて帰ってあげてちょうだい。この馬車だと四人でもけっこう窮屈なのよ。アリアをそちらに乗せてくれると助かるわ」

「……まあ、構いませんが」

 馬車の中を見るかぎりそこまで窮屈だとは思えない。細身の女性三人と男性一人なのでわりと余裕はありそうに見える。怪訝に思いながらも、悪意があってのことではないだろうと了承の返事をした。

「急がないでゆっくりと帰ってきなさい」

「わかりました」

 馬車は扉を閉めて走り出し、アリアとともに深々と頭を下げて見送った。

 アイザックはようやくほっとして小さく息をついたが、隣のアリアに目を向けると、どこかきまりが悪そうに上目遣いでこちらを窺っていた。

「すみません、お母さまがあんなことを言い出したのは、多分わたしのせいです」

「君の?」

 聞き返すと、彼女はこくりと神妙に頷く。

「早くアイザックさまと会ってお話ししたいと話していたので、気をつかってくれたんだと思います。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「いや……」

 なるほど、窮屈などと言い出したのはそういう理由だったのか。

 この言い方ならアリアが遠慮して断ることはできそうにない。母のおせっかいな企みは成功したと言えるだろう。アイザックは内心で嘆息しつつも、アリアを乗せること自体はすこしも迷惑だとは思わなかった。


「わあ、けっこう高いですね」

 二人乗りの準備をしてからアリアを前に乗せて、アイザックも後ろに乗る。彼女は馬に乗るのが初めてなのだろう。その高さに驚いていたものの、怖がっているというより楽しんでいるように見えた。

「動くぞ」

「はい」

 慣れない彼女のために、行きよりも速度を落としてのんびりと馬を走らせる。

 空は薄青色に晴れわたり、かすかに頬を撫でる風もさわやかで心地良い。まるで遠乗りに出かけているかのようだ。前を向いているアリアの表情は見えないが、うきうきと心をはずませていることは何となく伝わってくる。

「もうすこし速くても大丈夫ですよ?」

「いや……ゆっくり行こう」

 このペースでも昼までには着けるはずなので、急ぐ必要はない。それに——この穏やかな時間を楽しみたいと思ってしまった。

「髪、伸びたな」

 間近でさらさらと揺れる純白の髪を見下ろしながらつぶやくと、彼女はきょとんとして振り返り、それから肩よりも長くなった自分の髪を確認するように見下ろす。

「そうですか?」

「背も伸びたな」

「えぇ?」

 どうやら彼女は冗談だとでも思ったようで、クスクスと笑い出した。

 だが本当のことだ。昨年も言いはしなかったが同じことを思った記憶がある。毎日見ていると気付かなくても、三か月ぶりに目にすることで気付けることもあるのだ。それだけ三か月は長い。

「君が無事でよかった」

「ご心配をおかけしました」

「……来年は一緒に行こう」

「え、本当ですか?」

 彼女は驚いたように振り返る。そのまなざしには隠しきれない期待が見てとれた。たったそれだけのことで心が躍るのを自覚しながら、静かに頷く。

「次期領主として領地を見ておくことも必要だからな。もっとも仕事の状況次第なので必ず行けるとは限らないが、なるべく行けるように調整するつもりだ」

 母のあきれたような顔が目に浮かぶが、次期領主として領地の視察が大事なのは本当なので、実際にしっかりと視察してくれば文句はないだろう。

「楽しみにしてますね」

「ああ」

 アリアはうれしそうに目を細めて微笑むと、前に向きなおる。

 その存在を触れるか触れないかのところに感じながら、アイザックは来年のオフシーズンに思いを馳せて、いつしかほんのかすかに表情をゆるませていた。


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