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氷の宰相補佐と押しつけられた厄災の花嫁  作者: 瑞原唯子


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17/30

第16話 あれから一年

「アイザック、あなた今日が何の日かわかっているのでしょうね?」

 寒かった冬が終わり、だんだんと春めいてくるのを感じていたとある日。

 朝食の席で、母のイザベラにそんなことを問われた。

 何の日とはなんだろう。今日はいつもどおり王宮で宰相補佐の仕事をして、夕方ごろに帰宅する予定だが——特別な行事はなかったはずだし、来客の予定もない。アリアの誕生日はもうすこし先である。

 パンを持つ手を止めて暫し無言で思案をめぐらせたが、思い当たるものはなかった。忘れているだけなのだろうか。聞き返そうとした矢先、母があきれたとばかりに大仰に芝居がかった溜息をつく。

「まったく、結婚したという自覚もないのかしら」

「自覚はありますが……あ」

 思わず隣に振り向くと、アリアも同じようにハッとこちらに振り向いた。アクアマリンの瞳がぱちくりと瞬く。この表情からすると彼女もいま気付いたのだろう。

「そう、あなたたちの結婚一周年です」

 アリアと初めて会って、挙式して、結婚したのが去年のこの日だった。

 それから一年——家族としてともに暮らしてきたのだと思うと感慨深い。もともと形だけの結婚で、アイザックには打ち解けようという気すらなかった。こうして良好な関係を築けているのは彼女のおかげに他ならない。

「今晩はショーンも呼んでお祝いの宴を催します。遅れないようにしてちょうだい」

「承知しました」

 宴といっても、普段よりすこし贅沢な食事というだけだろう。

 ただ、両親の結婚記念日にはこういうことをしていないので不思議に思う。一周年だけは特別なのだろうか。あるいは結婚したことを自覚させようという母の策略かもしれない。何にせよアイザックとしては従うしかなかった。


「君も気付いてなかっただろう」

 朝食後、アリアと並んで部屋に戻るときにそう問いかける。言ったあとで責めているように聞こえたかもしれないと心配になったが、彼女は気にしていないようだった。

「忘れてました」

 そう軽く苦笑して肩をすくめる。

「普通、結婚した日ってお祝いするものなんですか?」

「普通がどうなのかはわたしにもわからない。両親が祝っていた覚えはないが、二人だけで何かしていないとも限らない。まあ、わたしたちは宴だけ享受すればいいだろう」

 正直なところ、贈り物などを用意するのは大変なのでなしにしたい。誕生日だけで精一杯である。だからといってさすがにそれを口にするのは憚られた。だが、気付かれてはいるのかもしれない。

「はい」

 くすりとやわらかく微笑みながら、彼女はそう返事をした。


「乾杯」

 結婚一周年の宴は、思ったとおり普段よりすこしだけ贅沢な晩餐だった。

 普段の夕食にはないスパークリングワインも用意されていた。もちろん未成年のアリアには飲ませられないので、彼女のだけは普通の炭酸水である。それでも皆と同じグラスで同じように乾杯できてうれしそうだった。

「礼儀作法もお勉強も弱音を吐かずによく頑張りましたね。一年前とは見違えるようです。ですが勉強すべきことはまだまだたくさんあります。これからも頑張りましょう」

「はい、よろしくお願いします!」

 母のイザベラは基本的に厳しい。女の子だからかアリアには優しく接しているものの、甘やかしてはいないはずだ。褒めているのは本当にアリアが頑張ったからだろう。

「アイザック、あなたはもっとアリアと交流を持って相互理解に努めなさい。黙っていては何も伝わりません。そしてどんなときでも相手を思いやる心を忘れてはなりません」

「承知しました」

 言われるまでもなくわかっていることではあるが、できているかは微妙だ。言葉にするのが苦手で黙ってしまいがちなところはある。顔に出ないのだから、せめて言葉だけでも尽くさなければならないというのに。

「この生ハムすごくおいしいね!」

 話が一段落したところで、前菜を食べていた弟のショーンが笑顔でそんな声を上げた。

 母はうれしそうに「そうでしょう」と応じ、領地の村で作られたことや、熟練の職人を招いて指導を仰いだこと、質が向上してきたことなどを語っていく。父もいつのまにか上機嫌で話に加わっていた。

「兄さんもそれに関わってたの?」

「ああ、すこしだけな」

 ショーンがいると、会話の中心はいつもだいたい彼になる。人好きのする華やかな笑顔でまわりに満遍なく話題を振り、また受け答えも上手いので、相手に気持ちよく話をさせることができるのだ。

 ただ、あいかわらずアリアには話しかけようとしない。

 軽く挨拶はしているので無視しているとまでは言えないが、それでもあからさまである。もっとも彼女はあらかじめ覚悟していたようで、気にする素振りを見せることなく微笑を浮かべていた。


「兄さん、ワイン持ってきたから一緒に飲もうよ」

 宴のあと、ショーンが無遠慮に自室に押しかけてきてそうせがむので、仕方なく仕事を後まわしにしてつきあうことにした。

 向かい合わせでソファに座り、彼の持ってきた白ワインをグラスにそそいで乾杯する。アイザックは一口だけ飲み、ショーンは一気に半分ほど飲んだ。グラス片手にニコニコとしていて見るからにうれしそうだ。

「会うのも久しぶりだね。本当はもっと会いたいけど家には帰りづらくてさ」

 王宮では何度かすれ違っているが、家に帰ってきたのはこの一年で二度目だろうか。それ以前は最低でも月に一度は帰ってきていたので、理由は明らかである。

「アリアと親しくなれば帰りやすくなるだろう」

「意地悪だなぁ」

 アイザックとしては決して意地悪で言っているわけではなく、そうしてほしいと願ってのことだが、ショーンは子供のように思いっきり不満顔で口をとがらせる。

「僕はまだあの子が厄災かもしれないって疑念を拭えてないんだ」

「少なくともわたしにとっては厄災などではない。大切な家族のひとりだ」

「……ねえ、僕にだけは本音で話してくれないかな?」

「まぎれもない本音だ」

 そう切り返すと、彼はあらためてむうっと恨めしげに口をとがらせ、グラスに半分ほど残っていた白ワインを飲み干して息をついた。

「兄さんは優しいから絆されちゃったんだね」

 残念そうに言い、ボトルに手を伸ばして空のグラスに白ワインをそそぐ。

「それか自己防衛で無意識にそう思い込んでいるのかも。厄災と暮らしてるなんて日々意識してたら心を病みそうだし、大切な妻だと思い込むことで心の平穏を保ってるんだ。どうあっても離縁できないわけだしね……」

 もう酔いがまわってきたのか、手元のグラスに目を落として妄想じみたことを話し始める。アイザックは内心げんなりしながらも黙って聞いていたが——。

「彼女が生きてるかぎりは」

 ぼそっと付言されたその言葉に耳を疑った。

 さすがに殺したいとまでは思っていないだろうが、死を望んでいるかのような発言だけでも十分に衝撃的で、とても看過できるものではない。

「滅多なことを言うな」

 口から出たのは地を這うような声だった。

 ショーンはビクリとして驚きと惑いをにじませながら顔を上げた。そしてアイザックの凍てつくような鋭い視線を目の当たりにすると、一瞬で血の気がひいて蒼白になる。

「もしアリアに何かしたら、おまえといえど許さない。いいな」

 その念押しに、彼はこわばった顔のまま無言で頷いた。

 それを見てアイザックは我にかえり、ゆっくりと息をついてから白ワインを口に運ぶ。どうやら自分はかなり頭に血がのぼっていたらしい。だが、ショーンにわからせるにはちょうどよかったのかもしれない。

「ごめん……軽率なことを言って」

「わかってくれればいい」

 それでもあからさまにしょんぼりと意気消沈するショーンを見ていると、かわいそうになってくる。それどころか脅しすぎたかもしれないと罪悪感まで湧き上がってしまう。

「……今度、時間が合うときに二人で食事にでも行こう」

「本当?!」

 結局、何だかんだショーンには甘いのだ。

 けれど険悪になったり不仲になったりするよりはいいだろう。こうやって彼と交流を持ちながら、緩やかに説得していけばいい。アリアは厄災などではないといつの日か認めてもらえるように——。

「約束だよ」

 そう声をはずませつつグラスを掲げるショーンに応じて、アイザックもグラスを掲げる。淡い黄金色の水面が揺れてきらりと宝石のように光った。


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