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氷の宰相補佐と押しつけられた厄災の花嫁  作者: 瑞原唯子


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第10話 思いがけない別離

 ショーンの一時帰宅から半月が過ぎた。

 ここしばらくは雨の降りしきる日々がつづいていたが、今日はひさしぶりに天気が良い。空は高く、雲は白く、カラリとした初夏らしい蒼穹が広がっている。その下でアイザックたちはささやかなティータイムを過ごしていた。


「アリアの新しいドレスはどうかしら?」

 母のイザベラが得意げな顔をしてティーカップを置き、そう尋ねてきた。

 陽光の降りそそぐ庭園に目を向けると、透明感のある純白のショートボブをさらりときらめかせながら、咲き始めの黄色いひまわりを背伸びして見上げるアリアがいた。身にまとったドレスは浅葱色と白色を基調にした爽やかで軽やかなものだ。

「似合っていると思います」

「そうでしょう。わたくしの案をもとに仕立ててもらったものですからね。似合わないわけがないわ。かわいらしさがありつつも甘すぎず、涼しげで、自然の風景にも馴染むようにと考えて作ったのよ」

 確かにこの庭園にもよく馴染んでいた。水辺や森にも合うだろう。まだ庭園に佇んでいるアリアを眺めたままそんな妄想に耽っていると、母がふと何かを思い出したように両手を合わせて振り向いた。

「そうそう、あなたは今年も領地へ帰らないのよね?」

「こちらに残ります」

 シーズンオフの三か月、両親は王都から離れてシェフィールド公爵領で過ごすが、アイザックはいつも王都に残っている。そのほうが有意義に過ごせると考えてのことだ。用事がないかぎりは行かないと数年前に宣言しておいたので、念のための確認だろう。母はいつものようにわかりましたと頷く。

「でもアリアは連れていきますからね」

「えっ?」

 思わず聞き返すと、じとりと呆れたような目を向けられた。

「未来の公爵夫人なのですから当然でしょう。向こうの方々にも挨拶しておかなければなりませんし、シェフィールド公爵領も見せておかなければなりません」

「……まだ早くありませんか」

「何を言っているのです。本来、ご隠居様には嫁ぐまえにご挨拶するものですからね。むしろ遅いくらいです。領地に慣れ親しんでもらうためにも早く行くべきでしょう」

 通常であれば正論だが、アリアはまだ十一歳になったばかりの子供なのだ。急いで公爵家夫人としての立場を押しつけなくてもと思う。ただ、高齢の祖父母に会わせておくのはいいかもしれない——。

「自然も多いので、アリアものびのびと過ごせるはずです」

 母が駄目押しのように付言する。

 シェフィールド公爵領は広大であるがゆえに自然も多い。公爵家の敷地にも林や湖があったりする。確かに子供が過ごすにはいい環境なのかもしれない。アイザックも子供のころは弟とともに遊んだ記憶がある。

 なるほど、それで自然の風景に馴染むドレスだったのか。

 いまさらながら得心して再びアリアを見やった。その視線に気付いたのか彼女はこちらに振り向いてにこりと笑い、小走りで戻ってくる。母は空になっていた彼女のティーカップに紅茶をついだ。

「あのひまわりは気に入ったかしら」

「はい、小さめですごくかわいいですね」

「咲いたら花瓶に飾るのもおすすめよ」

「わあ、満開になるのが楽しみです!」

「残念ながら満開まではいられないわね」

「あっ……そうでした」

 領地に行くことはすでにアリアに話してあったようだ。彼女は見るからにしゅんとして席についた。その様子を見て母はふふっとやわらかく笑う。

「でも向こうにも同じひまわりがあるはずよ」

「それじゃあ満開の花が見られるんですか?」

「ええ、おそらくね」

 領地のほうにはここよりずっと広いひまわり畑がある。

 母があえてそれを言わないのは驚かせたいからだろう。どこか思わせぶりににっこりと笑みを浮かべていたが、ふと思い出したように「そうそう」とつぶやいて言葉を継ぐ。

「アイザックはやはりこちらに残るそうよ」

「そうなんですね……」

 残念そうなアリアの声に、一瞬、気持ちが揺らぐが、さっきのいまで答えを翻すのはあまりに格好がつかない。

「王都にいたほうが何かと都合がよくてな」

「宰相補佐のお仕事ですか?」

「ああ……それだけではないのだが」

「大変なんですね」

 気遣うようなまなざしに、何となくいたたまれなくなり曖昧に目をそらす。宰相補佐の仕事があるというのも嘘ではないが、王都に残るほどではない。視界の端で母が呆れたように嘆息していたのは、気のせいではないだろう。


 数日後の夜。

 自室で書類仕事をしていたものの思うように進まず、終わると夜半を越えていた。精神的な疲労を感じてぐったりとしながらも、アリアを起こさないようそっと寝室に入り、寝台に上がる。そのとき寝ているとばかり思っていた隣の彼女がもぞりと動き、アクアマリンの瞳を向けてきた。

「すまない、起こしてしまったか」

「いえ、ずっと眠れなくて起きていたので」

「そうか……」

 明朝、アリアは両親とともに領地へ発つことになっている。早く寝たほうがいいが、そういうときほど眠れないというのはよくあることだ。アイザックにも経験があるので気持ちはわかるつもりである。

「もうすこし近づいてもいいですか?」

「ああ、構わないが……」

 すでに触れるか触れないかくらいの距離にいたが、彼女はもぞもぞと体を丸めるようにして頭をすり寄せてきた。大人になるまで待ってと言ったあのときと同じように。薄い布越しにぬくもりが伝わってくる。

「あしたから三か月、お別れですね……さびしいです……」

 あたたかい吐息とともに訥々と落とされる言葉。その本当に寂しそうな声音を聞くと、アイザックまで寂しくなってしまいそうだった。

「三か月なんてあっというまだ」

 そう告げたのは、自分に言い聞かせるためでもあったかもしれない。

 こくりと頷いた小さな頭に手をのせる。そのままさらりとした純白の髪をゆっくりと撫でていると、ほどなくしてすうすうと安らかな寝息が聞こえてきた。


「いってきます」

 翌朝、アリアはめずらしくぼんやりと眠そうにしていたが、身支度をしたり朝食をとったりするうちにだんだん目が覚めてきたようだ。出かけるときにはすっかりいつもと変わらない様子になり、玄関前でアイザックと向かい合って挨拶する。

「元気でな」

「アイザック様も」

「ああ」

 別れの言葉をかわすと、アリアは名残惜しそうにしながら両親と馬車に乗り込んだ。

 二台の馬車はゆっくりと走り出し、次第に軽快なリズムを刻みながら遠ざかっていく。その姿が視界から消え、その音が完全に聞こえなくなるまで、アイザックはただじっと立ちつくしたまま見送った。


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