第三話 地雷は一つじゃないらしい
唐津の話は、どんどん大きくなっていった。もう課内行事の枠を、軽く超えている。
席に戻るのを口実に給湯室を出ようとしたが、唐津は話しながらそのままついてきた。
(課内中の視線が痛い……)
「おっ。いいじゃねえか、それ」
席の横を通りかかったとき、前のめりに食いついてきたのは猪谷だった。
「なあ、ついでに花火もしようぜ。打ち上げまではいかなくていいから、手持ちのやつ。派手なのをパーっと」
唐津がぱっと顔を上げる。
「いいね、それ」
「いや、待ってください。さすがにそれは——」
神崎は止めかけたが、唐津はさらに乗っかる。
「あとさ、カラオケもいいね。ステージ作ってさ、順番に回す感じで」
「ステージ……?」
「簡易でいいからさ。ちょっとした段差作るだけでも雰囲気出るし。マイクなくてもノリでいけるでしょ」
(それ、誰が管理するんだ)
神崎がちらりと千歳を見ると、彼女は何か言いかけて、そのまま穏やかに頷いていた。
「地域の夏祭りみたいですね」
(誰か止めてくれ)
「こういうのはさ、多少盛り上げていかないと印象に残らないから」
神崎は一度、目を閉じた。
(方向性が完全に変わってきてる)
そのとき。
「やめとけ」
短く、だがはっきりとした声だった。
神崎が目を開けると、猪谷の隣の席で山鹿がこちらをまっすぐに見ていた。
猪谷は少し不満そうに隣を見る。
「なんでだよ。楽しそうでいいじゃん」
「騒がしくするのは揉める元だ。他部課も周りにいる。うちだけ派手にやるのはやめた方がいい」
「けどよ」
「去年のこと、わかってるだろ」
山鹿の視線が、まっすぐ猪谷に向く。
「——猪谷」
「いやでも山鹿くん。今回はちゃんとさ——」
唐津が口を挟みかけた。
「やらない方がいい」
山鹿はもう一度静かに言って、仕事に戻る。
課内がすっと静まった。さっきまでの空気が、嘘みたいに引いていく。
唐津は苦笑いしながら軽く片手を上げ、自分の席へ向かった。猪谷は軽く肩をすくめるだけだった。
(……まだ俺の知らない過去があるのか)
その後、神崎はしばらく仕事が手につかなかった。
退勤して寮に戻ると、同室の春日押人が既にベッドに寝転がっていた。テレビもつけっぱなしで、いつもの光景だった。
「よっ、おかえりー」
「ただいま」
上着を脱ぎながら、神崎は何気なく口を開く。
「なあ、押人。花見の場所取りって守衛課でもやる?」
春日が顔だけ向ける。
「あー、聞いてる聞いてる。どこの部署もさ、新人がやらされんじゃね」
少し笑って、起き上がりながら軽く伸びをする。
「今日先輩に言われたわ」
「何て?」
「“調査課の近くには場所取るなよ”って」
「……なんでだよ」
「いや、聞いた話だけどさ」
春日は少し声を落とす。
「お前んとこの猪谷って先輩、場所取りでうちの先輩と揉めたらしくて」
「……ああ」
調査任務に出るたび生傷を作って戻ってくる猪谷のことだ。喧嘩っ早いことは他部課に知られていてもおかしくない。
「揉めたで済む話じゃないだろ、それ」
「最初は口論だったらしいんだけど、そのうち手出したのなんだのって」
「うわ」
あまりに想像がつく。
「最後、監察課まで来てさ」
少し間を置き、押人は続けた。
「大目玉」
(いやいや、聞いてないんだけど)
思わず頭を抱える。
「守衛も調査課も、課長同士で頭下げてやっと収まったって」
監察課の課長とは犬猿の仲と噂の初江課長が、そこまでしたとは。よほどの事態だったのだろう。
「だから言われたんだよ。“調査課の近くはやめとけ”って」
「……」
「まあ、巻き込まれたくないよな普通」
「……だな」
神崎は、そばにあったビーズクッションに沈み込んだ。
(これは、普通じゃ終わらないな)
お読みいただきありがとうございます!
桜の妖に眠らされそうになってた年(「吉野の里の桜閑話」)に比べたら、とても平和な話だと思いつつ。
ちなみに、時系列としてはあれより前の話にあたります。




