第一話 場所取りは新人の仕事です
朝の冥府庁は、いつも通りだった。
——少なくとも、表向きは。
ここが現世ではないという一点を除いて。
神崎イサナは書類に目を通しながら、ふと顔を上げる。
顔を上げると、視線の先では——唐津が身振り手振りで何かを説明していた。千歳がそれに頷き、猪谷が口を挟んでいる。
少し騒がしいな、と思う。
——賑やかなのは嫌いではないが、あそこのグループの喧騒は少し独特で、なかなか慣れない。
少し前までは、その輪の外にいるのが当たり前だった。今は——まあ、時々は巻き込まれる。
今日も騒いでる彼らを見て、やや警戒はしていた。
だが、話は思わぬ方向から降ってきた。
「神崎」
低い声に呼ばれ、顔を上げる。
主任の佐倉がこちらを見ていた。相変わらずの射抜くような鋭い目つきに、思わず背筋が伸びる。
「はい」
「花見をやる」
「……はい?」
一瞬、言葉の意味を取り損ねる。
「場所取りは新人の業務だ。今年はお前がやれ」
神崎はゆっくりと瞬きをした。
「……花見って、業務なんですか?」
「調査課の、いや冥府庁の各部署ごとに行われる恒例行事だ」
淡々とした答えに、断る余地はなさそうだった。
そのやり取りを耳にしたのか、通りがかりの初江課長が足を止める。
「おや、もうそんな時期か」
軽く視線を巡らせ、ふふっと笑う。
「神崎君、桜餅は絶対忘れずにね。僕は毎年あれが一番の楽しみでね」
神崎は一瞬、きょとんとする。
(買い出しも業務、なのか……?)
聞き返す間も無く、課長は佐倉に話しかける。
「去年の担当は……赤穂君たちだったかな。それとも佐倉君たちだったかい?」
佐倉が手元の書類から目を上げずに答える。
「俺が新人だったのは、もう何年も前の話です」
「そんなに経つかあ」
初江はあっさりと引く。
神崎は少し考えてから口を開いた。
「……ってことは、その年って」
わずかに間を置く。隣の席で黙って書類を作成している黒野アイリをちらっと見た。
「アイリさんも、新人として花見の手配を?」
一瞬、なぜか周りの空気が凍りついた。
アイリは何も言わない。が、書類を書く手はぴたっと止まっていた。
近くの席から壇上が野太い声で言う。
「おい、やめておけ」
前の席の稲置が振り向きもせずに鼻を鳴らす。
「あれは面倒だったな」
神崎は首を傾げる。
佐倉はそれ以上何も言わず、さっさと自分の席へと戻っていく。アイリは無言のまま立ち上がり、その場を離れた。
(えっ? 俺、何かまずいことを言った?)
その様子を見ていた初江が、静かに声をかける。
「神崎君」
「はい」
「ちょっと、いいかい」
軽く手招きして、課長室を指差す。
「ちょうどお茶でも飲もうと思ってたとこでね」
「あっ、じゃあ俺、お茶淹れてきます」
神崎は急いで給湯室に向かい、湯呑みの乗った盆を手に戻ってきた。課長室に入るなり、湯呑みを置く間も惜しむように切り出した。
「……あの、さっきの話なんですけど」
湯呑みを受け取りながら、初江は小さく笑う。
「やっぱり気になるかい」
「はい」
少しの間があった。
「場所取りで、ちょっと。それぞれ全く別の場所を取ってきたんだよね」
「別々の場所?」
初江はゆっくりと頷く。
「ただ、最初からそうしようとしたわけじゃない。佐倉君と黒野君、それぞれにとって一番いいと思う場所を確保しただけだ」
「……それをお互い共有しなかった?」
「していなかったんだよねえ。おまけにどちらも自分の確保した場所が一番だと譲らなかった。結果、課内で二手に分かれて花見をする羽目になったなあ……」
間を置いて、もう一言。
「まあ、当日までちゃんと確認していなかった僕が悪いのかもしれないけどね」
神崎は黙る。
「でもまさか、あの二人が別々に動くとは思っていなかったんだよ。まだバディ任務も試したことなかった時期だし」
初江は少しだけ肩をすくめる。
「優秀な人間ほど、個人で最適解を出せてしまうものだから仕方ないとも思うよ」
神崎は、その言葉をうまく処理できずにいた。
初江は湯呑みを手に取りながら続ける。
「だからね。今年は——君一人で大変かもしれないけど」
少しだけ柔らかく笑う。
「その辺は、安心しているよ」
「えと、それはそうかもですけど」
「まあ、分からないことは周りに聞きなさい」
「神崎君は、そういうの得意だろう」
「……はい」
神崎は少しだけ目を伏せて、小さく息をついた。
お読みいただきありがとうございます!
現世には花見の席取りサービスもあるらしいですが、冥府には残念ながら存在しません。




