二十五年目の返事
雪深い山間の町。
冷たい吐息を打ち消すように、俺は缶コーヒーを口に含む。
二十年ぶりの故郷は、すっかり様変わりしていた。
新たに敷設された新幹線に伴い、改修され綺麗で広い駅舎。高い天井に広大なスペース。だが、人はまばらだ。
――帰省時期でも、こんなものか。
静かな改札に、ゲート通過を示す音だけが寂しく響く。改札を出て正面。無駄に大きな町内地図を前に、俺は暫し考える。
――さて、北口と南口、どっちだ?
成人式で一度帰省したときは、まだ新幹線はなく駅舎も古いままだった。改めて北か南かを問われると、記憶は定かではない。
――まあ、狭い町だ。どうとでもなる。
感を頼りに、出口へと向かう。
出口を抜けたそこには、懐かしい建物のシルエットがあった。
だが、高校生までを過ごした駅前は、閑散としていた。
――変わったな。
学生時代、良く利用した三階建ての本屋は、今や居酒屋チェーン店になっている。
高校帰りに肉まんを買っていた個人商店はシャッターを下ろしているし、食事処を併設していたパン屋は、よくあるコンビニになっていた。
ここは生まれ育った故郷。
だが、久方振りに帰省した俺には、知らない町に思えた。
老朽化か少子化か――母校はない。既に小学校も中学校も校舎は無いし、高校はあるが名前を変えている。
実家も賃貸に引っ越している。自分の知るものがないここは、まるで敵地のような感覚さえした。
――今更、同窓会か。
この町の残った連中は、頻繁にしているらしい。
俺は一人、都会へと出た。
四十歳という節目もあり、こうして町まで来ては見たものの……。
――気が進まないな。
虐められていた。
今どきの苛烈なほどのものではない。ただ無視される程度のもの。それでも、思い出すたびに足首に重りが巻きつく。
ふぅ、と一息つき、俺は町中をブラブラと当てもなく歩く。
冬休みも終わり間近。それでも人は少ない。隣町に――といっても車での話だが、ショッピングモールが出来たせいだろう、商店街は寂れていた。
自分の、決して楽しいとは言えない思い出。それすらも跡形もないこの町に、俺は何を期待しているのだろう?
いい知れぬ焦燥感を覚え、俺は踵を返す。
もう既に同窓会は始まっている時間だ。だが、二十歳の同窓会の時に、”あの子”は来なかった。
彼女が来なかった理由を、俺は今も知らない。
何度も引っ越しを繰り返すうち、自分の幼い歴史を物語るものは、あの子からの手紙だけだ。捨てられず、今もどこか部屋の中で眠っている。
――何年、引きずってるんだ、俺は。
俺ももうオジサンと呼ばれる年齢だ。恋も愛も、一通りは経験したはずだった。誰にも連絡を入れない夜が、いつの間にか当たり前になっていた。
何かを断ち切るように、俺は足早に駅へと向かった。
田舎には不釣り合いな最新式の券売機で、帰りの切符を買う。発車時刻は一時間に一本。本当に新幹線と呼べるのだろうか。
「〇〇っち?」
ふと、中学校時代の懐かしい呼ばれ方に、俺は反射的に声のした方を見た。
声の主は、同い年くらいの女性だった。
その一歩後ろに、遅れて若い女性と、赤子が見えた。
「……この歳で、そのあだ名呼びはないんじゃないか?」
「でも、他の呼び方で呼んだことなんて、ないわ」
中学卒業振りに見る彼女は、面影を僅かに残していた。
「久しぶりね」
「……あ、あぁ……」
歯切れ悪く返事する俺に、赤子を抱いた若い女性が会釈をする。
「私の、娘と孫よ」
「そうか……どうも」
言われてみれば、確かに似ている。
「帰るの?」
俺の手元の切符を見て、彼女は怪訝そうに尋ねた。
「ああ……ただなあ、これ。新幹線意味あるか? 在来線乗り継ぎの方が、速く帰れる気がする」
俺のボヤキに笑いながら、彼女は二人分の切符を買う。
「乗り継ぎが大変な人もいるのよ」
孫を見る彼女の視線は、俺の知らないものだった。
「……君も、もう帰るのか?」
娘に切符を渡しながら、「ええ」彼女は短く答えた。
「お母さん、私、お土産見てくるわ」
意味有りげなウィンクをして、娘さんは駅舎併設の土産物屋へと消えていった。
「同窓会には、行かないのか?」
「顔だけ出したわ。”誰かさん”がいなかったら、もう帰るの」
「そうか……」
懐かしい距離感に、俺は戸惑っていた。
「次の発車まで、五十分くらいね。ねえ、呑まない?」
「ああ、そうだな……」
俺は今、どんな顔をしているのだろう。
* * *
かつて、この町最大の娯楽とも言えた、駅前の三階建本屋。
居酒屋になっていても、その名残が見えた。広いフロアに広い階段。外装はすっかり変わってしまったが、紛れもなくあの本屋だ。
「私は、生を。〇〇っちは?」
「カルーアミルクで」
始めの一杯の注文を終え、俺はメニューを眺める。どこでも変わらないのは、チェーン店の強みだ。
「普通、逆じゃない? 相変わらず甘いの好きなのね」
「いいだろ、別に。何を頼もうが、自由。そういう時代だ」
彼女が俺の好みを覚えていた事に、どこか喜んでいる自分がいた。
悟られまいと俺は、彼女の視線を避け、ひたすら見慣れたメニューを見る。
暫くして互いの飲み物が届き、互いに酒の摘みを注文した。
「じゃ、乾杯しよ」
「何に?」
「そうねえ……」
俺の言葉に、彼女は少し考える。
「二人だけの同窓会に」
笑顔を投げる彼女のグラスに、俺はグラスを重ねた。
豪快に生ビールを煽る彼女は、続け様に二杯目を注文した。
「そっちも相変わらず、男前だな」
あの頃の彼女はどこか、女の子というよりは、男勝りだった。俺を虐めていた女子グループからは距離を取り、俺に親しくしてくれた、女子の一人。
「女手一つだったからね」
「母は強しか。全くもって、女性は強いな」
俺の母も、離婚して一人で育ててくれた。一人暮らしで思う――母の偉大さは尊敬の念しかない。
「〇〇っちは?」
「淋しい独り身さ。独身貴族なら格好もつくんだろうが……庶民のままさ」
ストローでグラスをかき回し、俺は甘い酒を口に含む。
「ふぅん……」
それから俺と彼女は店内の喧騒をよそに、肩を並べ、当たり障りのない範囲で現状などを語り合った。
楽しいが……自分の知らない彼女がどこか、遠い存在に思えた。
「ところで――手紙の返事はまだかしら?」
――う。
俺は箸を止める。
「いきなり、核心を突いてくるな」
「まさか……まだ読んでない、なんて事はないよね」
中学卒業後、間もなく郵送されてきた、彼女からの手紙。
「惜しいな。すぐには読めなかった。読んだのは……高校を卒業する頃だ」
「はぁ? 全く……弱虫」
彼女の中での俺のイメージは、それなのか。
「それで?」
からかうような、挑むような視線。
「大体、分かるだろう?」
俺が中学の頃、卒業時にクラスメイトに一筆記したカードを渡す習慣が流行っていた。
彼女に渡したそれに――俺は”何か”を書いて、そして、消して別の言葉を書いた。
「〇〇っち、隠し事は良くないよ?」
「お互い大人なんだ、察してくれ」
郵送された彼女の手紙には、『最初に何を書いたの?』とか書かれていた。あの文面も、俺が最初に記した”何か”が分かったような気配があった。
「……覚えてないな」
俺は視線を外し、そう呟いた。
「全く……私の最高のトスを無駄にするなんて」
彼女はバレーのトスの仕草をする。中学時代、彼女はバレー部だった。
「病弱な俺に、運動神経を要求するなよ」
幼少時、俺は病弱だった。体育の授業は小学中学と、ほぼ受けていない。
「今は?」
「お陰様で健康だ。諦めずに育ててくれた母に、ただただ感謝だよ」
「そうじゃなくて」
はぐらす俺を、彼女は逃さない。
今は――最高のトスに、アタックを決められるのか。
「あの頃……」
俺は依然、彼女から視線を外したまま、手元のグラスを見ている。カランと音を立て、氷が浮かぶ。
「……トスに合わせることが出来たら、得点出来たかな?」
「余裕よ」
どこか淋しそうに言い切る彼女に、つかえていた俺の気持ちは軽くなった。
「惜しいことをしたな。豊満ボディを逃すとは……」
「なにそれ? 身体目当てだったってこと?」
見れば彼女は、見事な膨れっ面をしていた。
「いや……事あるごとに『豊満』言ってたのは、君だろう?」
「そうだったからしら?」
とぼける彼女の視線は、どこか遠くを見ているようだった。
「思春期の中学男子だったんだ。そりゃあ、身体に興味は津々さ」
「ムッツリだったか~」
俺と彼女は、思わず笑った。
「懐かしいな……」
「そうね」
どこかで狂った歯車を、お互いが理解していたのだろう。
それでも、今は、この空間を大切にしたかった。
* * *
東京行きの新幹線のホームに、人はまばらだ。
――採算、取れているのか?
自販機で買った缶コーヒーは、都会で買うものより熱く感じた。
「連絡先、交換する?」
彼女は折りたたみ式の携帯電話を取り出す。
「遠慮しておくよ」
俺は即答した。
昔の自分に、区切りをつけれた。それだけで満足だ。
「そう」
俺の答えを予め分かっていたのだろう、彼女は携帯電話をバッグにしまい、切符を確認する。
「私は8号車。〇〇っちは?」
「2号車だ」
俺と彼女は視線を交わし、笑みをこぼす。
「元気でね」
「そっちもな」
短い言葉で別れを済ませ、俺は停車場所まで歩く。
開けた缶コーヒーの音が、広い新幹線ホームに響いた。
「ね? お母さん、あの人は、元カレ?」
「違うわよ。言うなら、そうね……”元カレになりそびれた人”かしら」
そんな楽しげな親子の会話が、背中越しに聞こえてきた。
――丸聞こえだよ、△△ちゃん。
俺は缶コーヒーを飲む。
いつもより、苦く感じた。
2026/01/23 本文投稿。




