第二話 冷たい朝の音
朝の食卓に、箸の触れる音だけが静かに響いていた。
もぐもぐもぐ。
翔は小さな口で黙々とご飯を食べている。
私はその姿を見て、ほんのり口角を上げた。
──安心させたい気持ちから生まれた笑みで、本当はぎこちなかった。
「ねえ、圭介……昨日、どこに行ってたの?」
勇気を振り絞って問いかける。
圭介は一瞬だけ箸を止め、冷たい視線をこちらに向けた。
「仕事だよ。余計な詮索するな」
低い声が落ち、空気が凍る。
怒っているのか、突き放しているのかもわからない。
その響きに、胸がきゅっと縮む。
まだ彼を信じたい気持ちがあるからこそ、余計に痛かった。
「ママ……?」
翔が不安げに私を見上げる。
私は慌てて笑ってみせたが、頬は引きつり、涙がにじんでいた。
食卓には、冷めきった味噌汁と、言葉を失った夫婦の距離だけが残された。
*
皿を洗いながら、頭の中で同じ問いが何度も巡る。
──翔のために、このまま耐えるべきか。
──それとも、この人から離れるべきか。
ふと視界に、結婚式の写真立てが映った。
白いドレスの私に、照れくさそうな笑顔を向ける圭介。
「いつからだろう……あの笑顔を見なくなったのは」
声にならないつぶやきが漏れる。
*
その夜、玄関のドアが開いたのは日付を越えた頃だった。
「……おかえり」
私が声をかけると、圭介は靴を乱暴に脱ぎ、視線を逸らしたままリビングを通り過ぎた。
「遅かったね。ご飯、温め直す?」
いつも通りの笑顔で問いかけた瞬間、ふっとお酒の匂いが鼻を刺す。
「いらない。外で食べてきた」
その一言で、胸の奥にひびが走る。
「……そう」
小さく答えた自分が、情けなく思えた。
圭介はテーブルの端に視線を落とし、低く呟いた。
「お前は、本当に楽でいいよな。
俺が稼いできてやっんだからちゃんと仕事しろよ」
「家政婦さん」
ポン。
その言葉に胸が締めつけられ、私は思わず身を乗り出す。
「圭介……」
震える声で縋りつき、彼の腕に触れようとした。
その瞬間。
圭介は、優香の手を振り払い
「鬱陶しいんだよ!」
バチン――。
手に鋭い痛みが走り、視界が揺れる。
「っ……」言葉にならない息が漏れた。
「俺は仕事で疲れてんだよ。
お前のそーゆう感情が鬱陶しんだよ…」
低い声が突き刺さる。
次の瞬間、寝室の扉がバタンと閉まった。
残された私は手を押さえ、震える手を握りしめる。
リビングには時計の針の音と、自分の呼吸だけが響いていた。
*
翌朝。
翔の小さな手を握りながら登園の支度をする。
「ママ、きょうもいっしょに来てくれる?」
その笑顔に、胸が痛くて仕方なかった。
──この子の前で泣いてはいけない。守らなきゃいけない。
そう思えば思うほど優香の中で絶望が広がっていくー…。