第五話 二度目の偶然
保育園の門の前。
園庭から子どもたちの笑い声が聞こえてくる。
優香はバッグを抱え、翔の姿を探していた。
「ママー!」
小さな体が駆けてくる。翔の顔が笑いで弾ける。
「今日はね、ブロックで車作ったの!」
「すごいじゃない。今度ママにも見せて」
頬を撫でながら、優香も笑った。
その瞬間——背後からふと声がした。
「……中村さん?」
振り返ると、そこにいたのは石田裕翔だった。
スーツの上着を腕にかけ、少し驚いたように微笑んでいる。
「また奇遇ですね。まさかこんなところで」
「……本当に。カフェのとき以来ですね」
言葉は自然だった。
けれど、胸の奥に小さなざらつきが残った。
翔が彼を見上げる。
「ママ、この人だれ?」
「えっと……ママのお知り合いよ」
石田はしゃがみ、穏やかに笑った。
「初めまして、翔くん。こんにちは」
「こんにちは!」
無邪気な声に、石田の目尻がやわらかく下がる。
——でも、どうして彼がここに。
「お仕事でこの近くに?」
「ええ。打ち合わせが終わって、少し歩いていたら見覚えのある後ろ姿が見えて」
「お仕事の帰りだったんですね」
石田は軽く笑う。
声の調子も、言葉の選び方も穏やかだ。
それなのに、どこか測れない距離感があった。
腕時計を見て立ち上がる。
「そろそろ失礼します。……またお会いできるといいですね」
そう言って、胸ポケットから名刺を一枚差し出した。
「もし何か困ったら、なんでもいいので相談してください」
優香は名刺を受け取り、目を伏せた。
白い紙の上の文字が、なぜかひどく冷たく感じる。
「……ありがとうございます」
石田は静かに会釈し、背を向けて去っていった。
その背中が夕日に溶けていくのを見送りながら、
優香は胸の奥のざらつきに名前をつけられずにいた。
*
夜。
帰宅した凛はコートを脱ぎながら、ふと優香に視線を向けた。
「今日、誰かに会いましたか?」
「……え?」
思わず息を呑む。
「保育園で、偶然。……石田さんに」
凛の指が一瞬止まる。
「そうですか。偶然、ね」
その声は穏やかだった。
けれど、空気がほんの少しだけ冷たくなる。
「彼、何か言ってました?」
「特には。……橘さんのことを心配してました」
凛は小さく笑った。
その笑みには、どこか“底”が見えない。
「……そう。心配、ね」
それだけ言うと、寝室へと消えていった。
閉まるドアの音。
優香はリビングに立ち尽くす。
壁の時計の針が進む音だけが響く。
テーブルの上には、昼間もらった名刺。
その白が、夜の照明の下で妙に浮かんで見えた。




