第五話 優しさの檻
朝の光が白く差し込み、リビングを満たしていた。
テーブルの上には、凛が焼いたパンと温かいスープ。
香りは穏やかなのに、空気には昨夜の影がまだ残っていた。
「昨夜、眠れましたか?」
キッチンから凛が静かに声をかける。
優香はスプーンを止め、少し考えてから頷いた。
「うん……でも、夢見が悪くて」
「当然です。怖い思いをしたんですから」
凛はそう言って微笑む。
けれど、その笑顔の奥には、わずかな鋭さが潜んでいた。
*
午前十時。
凛は防犯カメラの設置業者を呼び、玄関とリビングの窓に小型カメラを取り付けていた。
「これで、もう安心です」
そう言って、彼女はタブレットを操作し、映像を確認する。
優香は戸惑いながら尋ねた。
「……ここまでしなくても、いいんじゃ……?」
「いいえ。備えすぎることなんてありません」
凛の声は優しかったが、断固としていた。
翔が寝室から顔を出す。
「ママ、遊ぼー」
「あとでね。今ちょっと大事な話してるから」
優香がそう言うと、翔は不満そうに頬を膨らませ、戻っていった。
その小さな背中を見ながら、胸の奥が少し痛んだ。
(守られているのに……息が詰まる)
*
昼下がり。
三人でスーパーへ行こうとした時、凛がふと口を開いた。
「今日は私が行きます。優香さんは家にいてください」
「え……? でも、翔の服も見たいし」
「外に出るのはまだ危険です。何かあってからでは遅い」
その言葉に、優香は何も言い返せなかった。
“守ってくれている”はずの言葉が、なぜか胸を締めつけた。
リビングのソファで翔と並んでテレビを見ながら、
優香は窓の外をぼんやりと眺める。
青空の下で、誰かの笑い声が響いていた。
(……私、外に出たいだけなのに)
*
夜。
凛が買い物袋を抱えて戻ってくる。
「ほら、翔くんの好きなゼリーも買ってきました」
「わーい!」と翔が笑う。
その無邪気な声が、少しだけ救いになった。
「助かるわ、ありがとう」
「いいんです。私がいれば、あなたは何もしなくていい」
凛の言葉に、優香は一瞬だけ笑みを返した。
だが、その言葉が胸の奥で静かに響く。
“何もしなくていい”
——それは優しさか、それとも檻の鍵か。
翔を寝かせた後、
凛はカーテンを閉め、窓の鍵を確かめ、玄関のロックをもう一度押した。
カチリという音が、夜に吸い込まれていく。
「これで安心です」
微笑む凛の声に、優香は静かに頷いた。
だがその瞳には、かすかな怯えが映っていた。
外の世界を閉め出したその部屋で、
三人の生活は確かに“安全”になっていく。
けれど同時に——
その安全の中で、自由はゆっくりと息を止め始めていた。
——守られるほど、心は狭くなっていく。




