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囚執愛 ― 愛してる、だから奪った ―  作者: 婀娜
第三章 揺れる距離
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第四話 静かな侵入

 トーストの焼ける匂いが、静かな部屋に広がっていた。

テーブルの上では、翔がケチャップで描いた卵のスマイルを見せびらかしている。


「ママ見て! にっこり顔だよ!」

「ほんとだ、上手にできたね」


 その笑顔に、優香も自然と笑った。

キッチンのカウンターからその様子を見ていた凛の口元にも、かすかな微笑が浮かぶ。


「朝から元気ですね、翔くん」

「昨日いっぱい遊んだから、まだテンションが高いのよ」


 優香の声には、安心と少しの照れが混じっていた。

凛はその横顔を見つめる。

久しぶりに見た“生きている表情”だった。

(……この穏やかさを、誰にも壊させたくない)



 買い物の帰り道。

翔は新しい靴の音を響かせながら先を歩き、優香が笑いながら追いかけていた。


「翔、そんなに走ったら転ぶわよ!」

「だいじょーぶ!」


 二人のやり取りを後ろから眺めながら、凛はほんの一瞬だけ微笑む。

まるで、ずっと昔からこの並びで歩いていたように自然だった。


「なんだか、普通の家族みたいね」

優香が振り向いて言う。

「“普通”って、案外難しいものですよ」


凛の声は穏やかだったが、その奥には小さな寂しさが潜んでいた。


 一瞬、風が通り抜ける。

三人の影が歩道に並び、ゆっくりと伸びていった。



 食卓の上には、湯気の立つカレー。

翔はスプーンを握ったまま、眠気と戦っている。


「……眠そうね」


優香が笑った瞬間、翔の頭がコトンと落ちた。


「もう限界みたいですね」


 凛が立ち上がり、そっと抱き上げる。

小さな体が肩にすっぽりと収まり、自然と手が背を撫でていた。


 シーツを掛け、髪をなでると、翔の寝息が穏やかに整っていく。

その寝顔を見つめる優香の瞳に、じんわりとした熱が宿る。


「……ありがとう。翔、ここに来てから笑うことが増えたの」


凛は短く頷き、優香をまっすぐ見つめた。


「それは、優香さんが隣にいるからですよ」


 その言葉の響きが胸に残る。

言葉にできない何かが、二人のあいだに静かに満ちていた。


——ピンポーン。


突然のチャイムに、空気が一瞬で凍る。


「……宅配?」


 優香は立ち上がり、覗き穴を覗いた。

しかし、廊下には誰の姿もなかった。


 足元に、一通の白い封筒が落ちていた。

拾い上げ、封を切る。

中には一枚の紙。印字された言葉が、蛍光灯の光に浮かぶ。


《居心地はどう? “仮の家族”さん》


 下には、タワーマンションの外観写真。

高層階の一角に、赤い丸印が付けられている。


「……っ」


優香の顔から血の気が引いていく。


「……圭介? 見張ってるの……?」


凛は封筒をすぐに取り上げ、冷静に確認した。


「中に戻りましょう」


 扉を閉め、鍵を二重にかける。

リビングの明かりだけが、夜を遮っていた。


「大丈夫です。すぐに管理会社へ連絡します」


凛の声は落ち着いていたが、その瞳は冷たい光を宿している。


「……ごめんなさい、私、怖くて……」

「怖くていいんです。守られる側は、それでいい」


彼女は優香の手を包み込み、低く囁いた。


「ここでは、もう誰にも触れさせません」



 外の街は、いつも通りに光っていた。

だけど、その光は少しだけ沈んで見えた。


——幸福の灯は、静かに沈み始めていた。


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