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壊れた春に芽吹く、しずかな愛  作者: 婀娜
第三章 揺れる距離
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第二話 揺朝

「わぁ! 空が近い! 雲が見えるよ!」


翔は窓辺に駆け寄り、両手をガラスに広げて外をのぞき込んだ。


高層階から見下ろす街は、まだ朝靄に包まれていて、ビル群の間を縫うように川が光っている。


「もう!翔、走らないの」


優香は小走りに追いかけ、苦笑しながら肩に手を添えた。


「ほんとに……昨日からお世話になりっぱなしで、ごめんね」


「謝らないで。私も賑やかな朝は久しぶりだから」


凛がテーブルにカップを置き、目元を和ませる。


その言葉に、優香の胸の奥で緊張がほどけるのを感じた。



朝食は、凛が手際よく作ったオムレツとサラダ。


バターの香りがふわりと広がり、翔は夢中でフォークを動かした。


「おいしい! これ、毎日食べたい!」


「そっか、じゃあ特別メニューにしようか」


凛は軽く笑い、皿を回す。


その自然な仕草に、優香はふっと目を細めた。


食卓の上で一瞬、二人の手が触れ合う。


優香は慌てて引っ込め、頬を赤く染める。


「ごめん……」


「謝ることじゃない」


凛は声を和らげるが、その瞳の奥には昨夜の記憶が残っていた。


——寝室へと支えながら導いたとき、触れてしまいそうになった柔らかな唇。


一呼吸の間、視線が交錯した。


だが凛は静かに話題を変える。


「今日は買い物に出ましょう。翔くんの服や日用品、揃えなきゃ」


「うん……ありがとう」


優香は小さく笑い、気持ちを整えるように紅茶を口にした。



昼下がり。駅前のショッピングモールは賑わい、人波のざわめきに音楽が重なっていた。


「見て! 恐竜のシャツ!」


翔が子ども服売り場のラックにぶら下がるようにして声を上げる。


「サイズは……116かな。ほら、試着してみよ」


凛はタグを確かめ、翔を鏡の前に立たせて肩幅を合わせる。動きが妙に慣れていて、優香は笑った。

「凛ちゃん、なんか子ども扱い上手すぎ」


「数字合わせより簡単よ」


軽い冗談に、優香の笑みが深まった。


試着室から元気に飛び出す翔。


「どう? 似合う?」


優香が拍手をすると、翔は誇らしげにポーズを決めた。


「保育園用はこのシンプルな方にして、公園ではこっちの恐竜柄を」


凛が並べると、翔は迷わず恐竜を指さした。


「公園行ったら絶対泥だらけにするね」


優香が苦笑する横で、凛は「それが子どもだから」と柔らかく答えた。



靴売り場。足型測定器に乗った翔がくすぐったそうに笑う。


「20.0センチ……成長早いな」


凛が呟き、メモを取るふりをする。


「そんなに大きいんだ……」


「走るのが好きな足してる」


彼女は片方に運動靴、片方に上履きを並べ、翔に試させた。


「どっちもほしい!」


翔は目を輝かせ、二人の笑いを誘った。



雑貨屋では、タオルや歯ブラシ、寝具を選んだ。


色で迷う優香に、凛が落ち着いたベージュを手に取る。


「長く使えるし、目にも優しい」


「……最近ずっと疲れてたのかも」


思わず零れた本音に、凛は静かに頷いた。


「だからこそ、休める場所を作らないと」


タオルの柔らかさよりも、その言葉の方が優香の胸に沁みた。



帰りの電車。翔は新しいリュックを抱えたまま眠りに落ちた。


優香はその寝顔を見つめながら、そっと呟く。


「なんだか……家族みたい」


言ってから顔を赤らめ、慌てて視線を逸らす。


だが凛は少し驚いた後、ふわりと微笑んだ。


「そうですね、今日は、私もそう思った」


電車の窓に映る二人の横顔。


揺れる車内の静けさは、どこか心地よく続いていた。



夜。マンションに戻ると、翔はベッドに倒れ込むように眠った。


荷物を整理しながら、優香は歯ブラシスタンドに新しい三本を並べた。


「……ほんとに、家族みたいだ」


思わず零れた言葉に、胸の奥が熱くなる。


リビングの奥から、凛が静かに声をかけた。


「お茶にする? それとも、昨日みたいにワインにする?」


「……少しだけ、ワインを」


グラスが触れ合い、カランと涼しい音を立てた。


その夜景の向こうにある未来はまだ形を持たない。


けれど、三人で過ごす暮らしの輪郭は、少しずつ確かに描かれ始めていた。


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