4話 大ちゃんと呼ばんといて
リリアに案内されて森を抜けたワシらの目の前に、ようやく人の営みが見えてきた。
粗末な木の柵で囲まれた、小さな村。
畑仕事に精を出す村人たちの姿は、のどかやけど、どことなく活気がなかって、村全体がどんよりとしとるように見えた。
「あれが、アルク村です」
「おお、あれか! 助かったわ。もう足が棒のようや」
ワシらが村の入り口に近づくと、案の定、木の槍を持った若い自警団の男が、血相を変えて飛び出してきた。
「き、貴様ら、何者だ! この村に近づくな! 怪しい男だ……見たこともない服装……」
「待て待て、落ち着かんかい若いの。見ての通り、ワシはただの通りすがりのおっちゃんや」
ワシのボロボロのスーツ姿が、どう見ても怪しいのは自覚しとる。
リリアが慌ててワシの前に出て、庇ってくれた。
「この方は、私の命の恩人です! 森で魔物に襲われていたところを、助けてくださいました」
リリアの言葉に、自警団の男は半信半疑ながらも槍を下ろし、ワシらを村長の家へと案内してくれた。
村長の家は、村で一番立派とは言うても、日本の古民家みたいなもんやった。
囲炉裏の前に座っとった白髭の村長は、ワシの姿を上から下まで値踏みするように眺めて、鋭い声で言うた。
「お主、どこから来たんじゃ?」
「大阪や!」
ワシは胸を張って答えた。故郷に誇りを、や。
「オオサカァ……?」
村長は、聞いたこともない、という顔で本気で首を傾げた。
「聞いたこともない……。未開の村か…?」
「まあ、そんなとこや。って、誰が未開の村やねん! 商都や商都!」
ワシは適当に話を合わせ、この村の空気を和らげるため、とっておきの外交カードを切ることにした。
「まあ、腹が減っては何の話もできん。お近づきの印や。皆にも振る舞うさかい、ちょっと場所を貸してくれんか」
ワシが【たこ焼き創造】で、次々とたこ焼きを生み出していくと、最初は「なんじゃ、その黒い玉は…」と遠巻きに見とった村人たちも、香ばしいソースの匂いに釣られて、一人、また一人と集まってきた。
一人の少年が、おそるおそるたこ焼きを口にして、目を輝かせた。
「父ちゃん、これ、美味いぞ!」
その一言を皮切りに、たこ焼きはあっという間に村の人気者になった。
特に村の女性陣は、ワシにやけに熱い視線を送ってくる。
「まあ、なんて気前のいいお方なんでしょう…」
「このソースの複雑な味…まるで人生の機微を表しているようだわ…」
(いや、ソースはオタフクソースが最強なだけやで……)
ワシは、自分のスキルがとんでもない効果を発揮しとるとは露知らず、のんきにそう思っていた。
村人たちと打ち解け、酒のようなものを酌み交わすうちに、ワシはこの村の深刻な事情を知ることになった。
最近、森の魔物が急に凶暴化し、畑を荒らし、外で遊んでいた子供まで怪我をさせられたのだという。
一人の母親が、足に包帯を巻かれた我が子を抱きしめ、涙ながらに語る。
それを見た瞬間、ワシの中の何かが、カチンと音を立てた。
「……それは、えらいこっちゃ。放ってはおけへんな」
ワシの言葉に、村長は驚いた顔をした。
ワシはリリアの方を向いた。
「リリア、何か分かるか?」
「はい。魔力探知なら……。私……これしか取り柄がないので」
リリアはそう言うと、静かに目を閉じて、精神を集中させた。
やがて、目を開けた彼女は、確信に満ちた声で言うた。
「森の奥にある洞窟から、どす黒い、ヘドロのような邪悪な魔力を感じます。おそらく、悪魔の仕業かと……」
ワシはリリアの頭をわしわしと撫でた。
「ようやった。ほな、ちょっくら、その悪魔の根性、叩き直しに行ったるわ」
洞窟の最深部では、翼を生やした小柄な悪魔が、ゲヒャヒャと下品な笑い声をあげていた。
「新たなオモチャか! 貴様の心も絶望で満たしてやろう!」
悪魔が指を鳴らすと、ワシの脳裏に、契約を取れずに上司に罵倒される幻覚が浮かんだ。
「やかましいわ! 無能なのは百も承知や! 嫁はんに毎日言われとるわ!」
ワシは強烈なツッコミで、精神攻撃をかき消した。
「な、なぜ効かぬのだ!?」
「それよりお前、そのピッチピチのレザーパンツ、どこで買うたんや? サイズ合ってへんぞ!」
動揺する悪魔に、ワシはたこ焼きパワー全開で突っ込んだ。
悪魔が放つ炎の玉を華麗に避け、爪で切り裂かれた傷を、リリアがすかさず回復魔法で癒してくれる。
「リリア、回復頼むで!」
「はい、大悟様!」
完璧な連携プレイや!
ワシはついに悪魔の懐に飛び込むと、渾身の一撃を叩き込んだ。
「地獄の沙汰もカネ次第や言うけどな、お前の行き先は無間地獄や! 往生せいや!」
悪魔は断末魔の叫びと共に、塵となって消えていった。
村に戻ったワシらは、英雄として迎えられた。
盛大な宴の後、ワシは村人たちに別れを告げた。
「ほな、ワシはもう行くわ!」
「どこへ行かれるのですか、大悟殿!」
村長の問いに、ワシは照れ臭そうに頭をかいた。
「いやあ、なんや、世界を救わんといかんみたいでな。知らんけど」
その言葉を聞いた村長は、ハッと目を見開き、その場にひれ伏した。
「まさか、あなた様は……村の言い伝えにある、異郷の衣をまといし『伝説の勇者様』だったとは……!」
「いや、人違いやろ……」
ワシはリリアを村に預けようとしたが、リリアは涙目で首を横に振った。
「私もお供させてください! 回復魔法なら使えます!」
そして、自分の過去を打ち明けてくれた。
純血のエルフではなく、肌の色が少し浅黒いことから、里で「汚れた血」と差別され、追い出されたのだ、と。
ワシは、俯くリリアの頭を、今度は優しく、わしわしと撫でた。
「アホか! 肌の色がなんや! 血がなんや! お前の魂は、誰よりも綺麗やないか!」
ワシの一喝に、リリアは堰を切ったように泣きじゃくった。
ワシは空を見上げて、ため息をついた。
「……しゃあないなぁ。足手まといになったら、いつでも置いていくからな」
「はい!」
リリアは涙の跡が残る顔で、最高の笑顔を見せた。
「ありがとうございます、勇者様!」
「勇者様はよせや。大さんでええ言うたやろ」
「じゃあ、心を込めて……大ちゃん!」
だ、いちゃん?
「だ、だ、大ちゃんやとぉ!?」
52歳、堂島大悟。
異世界に来て、人生で一番、顔を真っ赤にするのだった。
◇◆◇
その頃、遥か上空の天界。
雲の上に浮かぶ神殿の一室で、一人の女神が、退屈そうに頬杖をついていた。
「はぁ……。今日のノルマもきっついなぁ。なんで私ばっかり、こんな面倒な案件を押し付けられるのかしら」
女神アテナは、目の前にある巨大な水晶玉――異世界の様子を映し出すモニタリング用の神具――に映る光景を、気だるげに眺めていた。
水晶に映っているのは、彼女が担当する案件……堂島大悟の一行だ。
「ん? なになに、あの昭和頑固オヤジ、なんかあのエルフの子といい雰囲気になってるじゃない」
ちょうど、リリアが「大ちゃん!」と呼び、大悟が真っ赤になっている場面だった。
アテナは、不思議そうに首を傾げる。
「……あれ? なんで? あのコ、あんなおっさんのどこがいいわけ? ただの汗臭いおじさんじゃない。もしかして、ああいうのがタイプ? ……異世界の文化、わけわかんないんだけど」
アテナはしばらく考え込んでいたが、ふと何かを思い出したように、指をパチンと鳴らした。
水晶玉の横に、大悟のステータス画面がホログラムのように浮かび上がる。
「ちょっと確認っと……。スキルは、【たこ焼き創造】と【商人の勘】……うん、これは覚えてるわ。あの時、適当に付けたやつよね」
彼女は画面を指先でスワイプし、隅っこにある、あの小さな文字――『パッシブスキル』のタブに目を留めた。
「そういえば、ここにも何か付けたような……」
アテナが軽い気持ちでそのタブをタップすると、隠されていたスキル名が表示された。
【天然ジゴロ】
「…………」
一瞬の沈黙。
そして、アテナはポンッ!と手を打った。
「あーーーーーっ! そうだ! これだわ!」
彼女は全てを思い出した。
転生者の人気スキルランキングの1位が、この【天然ジゴロ】だったのだ。
『理由とかよく分かんないけど、なんかすごい人気!』というレビューを見て、「じゃあ、これでいっか」と、深く考えずに付けてしまったのだった。
「すっかり忘れてたわ……」
アテナは、水晶玉の中で真っ赤になってうろたえる中年男性の姿を改めて見て、クスクスと笑い出した。
「ま、いっか。なんか面白くなってきたし。仕事サボって観察する、いい口実にもなるしね」
彼女は優雅に紅茶を一口すすると、悪戯っぽく微笑んだ。
「せいぜい頑張んなさいよ、大ちゃん?」