3話 おっちゃん戦うで!
ワシの啖呵に、巨大な狼――フォレストウルフとか言うたか――は、ピタリと動きを止めた。
グルルル……と、腹の底から響くような唸り声が、ワシの鼓膜をビリビリと震わせる。
鋭い牙の間から、粘り気のあるヨダレがだらりと垂れとる。
完全に、ワシを次の獲物としてロックオンしとる目つきや。
「なんや、その目つきは。反抗期の息子みたいやないか。お父さん、悲しいで」
ワシはわざとふてぶてしく笑い、木の枝を野球のバットみたいに構えた。
ハッタリや。営業の基本は、ハッタリとブラフ。
ナメられたら、そこで試合終了なんや。
「グオオオオォォォッ!」
ワシの挑発に乗ったんか、狼は獣の咆哮を上げて、一直線に突進してきた。
速い! 黒い弾丸や、こんなもん!
「うおっ、と!」
ワシはたこ焼きパワーで軽くなった体を、咄嗟に横へ転がした。
長年の接待ゴルフで鍛えた、腰の捻りや!
ビリッ!と嫌な音がして、スーツのジャケットの裾が、狼の爪で紙みたいに引き裂かれた。
「ああっ! これ、高かったんやぞ!」
嘆く暇もあらへん。
体勢を立て直した狼が、再びワシに襲いかかってくる。
真正面から行っても勝ち目はない……せや、小細工や! ワシの得意なやつや!
「奥の手や! 熱々たこ焼きロケット、食らえ!」
ワシは叫びながら【たこ焼き創造】を発動し、手のひらに現れた熱々のそれを、狼の顔面めがけて全力で投げつけた。
ほんまは食べもん粗末にしたらあかんねんけど、背に腹は代えられへん!
綺麗な放物線を描いたたこ焼きは、見事、狼の鼻先に命中した。
「キャンッ!?」
熱さとソースの刺激に、狼は奇妙な悲鳴を上げて怯む。
前足で顔を押さえてジタバタしとる。
今や! この隙を逃したら、ワシに明日はない!
「これでも食らえや、浪速ど根性脳天唐竹割り、じゃーっ!」
ワシはその場のノリで叫びながら、狼の懐に飛び込んだ。
そして、弱点である眉間に向かって、持てる限りの力を込めて、木の枝を振り下ろした。
ゴッ!という、鈍い音が森に響く。
狼の巨体がぐらりと揺れ、スローモーションのように、どさりと地面に倒れ伏した。
……静かになった。
ワシは肩で息をしながら、へし折れた木の枝をポイと捨てた。
「はぁ……はぁ……。接待ゴルフの最終ホールより、しんどいわ……」
言うが早いか、全身を駆け巡っていた力が、すぅっと潮が引くように消えていく。
どっと、鉛のような疲労が全身にのしかかってきた。
ワシはよろよろと、背後でへたり込んどる少女に振り返った。
「嬢ちゃん、怪我はないか? もう、大丈夫やで」
できるだけ優しい声を出したつもりやが、息が上がってしもうて、か細い声しか出ん。
少女は、怯えた目でワシをじっと見つめとる。
そらそうやろな。汗だくで髪はボサボサ、スーツは泥と狼のヨダレでボロボロ。こんなん、ただの不審者やないか。
ワシは照れ臭くなって、ガシガシと頭をかいた。
「すまんこっちゃな、こんな汗臭いおっさんが助けに来てしもて」
その言葉に、少女はふるふると首を横に振った。
おずおずと立ち上がると、ワシの方へ歩み寄ってくる。
そして、ワシの破れたスーツの袖口に顔を寄せ、くんくん、と子犬みたいに匂いを嗅ぎ始めた。
「……いいえ」
少女はうっとりとした表情で、こう呟いた。
「とても……温かくて、安心する……香り、です」
(ああ、やっぱり汗臭いんやな、このスーツ……。すまん、ほんまにすまん嬢ちゃん……! ファブリーズ持ってへんねん……!)
ワシが内心で盛大に謝罪しとると、少女は顔を上げて、はにかみながら言った。
「わたしは、リリア、です。森の……はぐれエルフ、です。最近森の魔物が狂暴化しているんです……。薬草を取りに来たらこんなことに……」
「ワシは堂島大悟。ただの通りすがりのおっちゃ……いや、営業マンや」
ワシらは、そうやって名乗り合った。
しばらく気まずい沈黙が流れた後、リリアのお腹が、きゅるるぅ~……と可愛らしく鳴った。
リリアは顔を耳まで真っ赤にして、俯いてしまう。
ワシはそれを見て、思わずニカッと笑った。
「腹が減っては話もできん。嬢ちゃん、これ食うてみぃ。大阪のソウルフードや」
ワシは再び【たこ焼き創造】を発動し、リリアに差し出した。
彼女は初めて見る茶色い球体に戸惑っていたが、一口かじった瞬間、ぱあっと目を輝かせた。
「……! おいしい、です! 外はカリッとしてて、中はトロッとしてて……!」
「そうやろ、そうやろ!」
ワシは我がことのように喜び、次のたこ焼きを差し出した。
「熱いからフーフーしたるわ。ほれ」
娘にするように、息を吹きかけて冷ましてやると、リリアはさっきよりも顔を赤くして、カチンと固まってしまった。
(よっぽど猫舌なんやな、この子……。可哀想に)
たこ焼きを食べ終わった後、ワシはリリアから、一番近い村が「アルク村」という名前であることを聞き出した。
このか弱い少女を、一人でこの危険な森に置いていくわけにはいかん。
「しゃあない。リリア、あんたが行くあてないんやったら、とりあえずワシと一緒に村まで行こか。ワシが送ったるわ。いやまあ、行くあてないんはホンマはワシのほうやねんけど……旅は道連れ世は情けってな!」
「は、はい! ありがとうございます、大悟様!」
「様はええ、様は。大さんでええで、大さんで」
照れるワシに、リリアはこくこくと何度も頷いた。
出発する前、ワシはふと気になって、倒した狼の死骸に【商人の勘】を使ってみた。
『【フォレストウルフの死骸:素材価値 銀貨10枚。毛皮と牙は高く売れるで。特記事項:首筋に『隷属の刻印』あり。誰かに操られとったみたいやで】』
「……隷属の刻印? 誰かに、操られとった…?」
ワシは眉をひそめた。
最近、森の魔物が凶暴化したというリリアの話が、頭の中で繋がる。
これは、ただの偶然やない。この森には、何か不穏な黒幕がおる。
ワシはリリアの小さな手を、ぐっと握った。
「行くで」
守るべきもんが、できてしもた。
おっさんの異世界珍道中は、どうやら、ここからが本番らしい。