2話 おっちゃんのスキルや!
スーツについた泥をパンパンと払いながら、ワシは改めて自分の置かれた状況を確認した。
見渡す限り、木、木、木。
それも、見たこともない紫色の葉っぱを生やした、気色の悪い木ぃばっかりや。
足元では、ワシの頭ほどもある巨大なカタツムリが、のそのそと道を横切っとる。
「……なんやあのカタツムリ。エスカルゴにしたら、いったい何人前やねん」
ほんまに、ファンタジーの世界に来てしもたんやな。
ウィ○ードリィやったら、一歩目で毒沼踏んでパーティーが半壊するパターンやで、これ。
ワシは一つため息をついて、ポケットの中身を全部、地面に広げてみた。
くたびれたハンカチ。
小銭入れ。チャラチャラと掌に出してみたら、千三百六十八円。
「……しょっぱいにも程があるでホンマ。ま、どっちみちこっちじゃ円は使えんやろけどな。円だけに使えんてな! ガッハッハ! はぁ……」
そして、スマホ。
電源ボタンを押すと、ロック画面に設定した家族の写真がぼんやりと光った。
満面の笑みでピースしとる、大学生の娘――カレン。その横で、ちょっと呆れた顔で笑う嫁はん――ナギサ。
こいつらの顔見たら、なんや、胸の奥がキュッとなるわ。
「……アカンアカン。親父がメソメソしてどないすんねん。あいつに笑われるわ」
スマホをそっと懐にしまい、ワシは気持ちを切り替えた。
その時やった。
ぐぅぅぅぅぅ~~……。
腹の虫が、盛大に鳴きよった。
そらそうや。難波でたこ焼き食いっぱぐれたまま、なんも口にしとらんのやから。
「腹が減っては戦はできぬ、や。腹が減ったら、ええ言い訳も思いつかんからな」
ワシはふと、あの女神はんが最後に言うとった言葉を思い出した。
「そや、『たこ焼き』がどうとか言うとったな……。まさかな」
半信半疑で、ワシは強く心の中で念じてみた。
たこ焼き、いでよ! と。
ポフンッ!
気の抜けた音と共に、ワシの右の掌の上に、そいつは現れた。
湯気を立てる、完璧なフォルムのたこ焼きが一個。
こってこてのソースにマヨネーズ、青のりとかつお節まで、フル装備や。
「うおっ、ほんまに出てきよった!?」
驚きもそこそこに、ワシはそれを口に放り込んだ。
「……んまっ! なんやこれ、うまっ! 大将のとこの味、完全再現やないか!」
外はカリッ、中はトロトロ。ダシの風味が口いっぱいに広がる。
ワシが感動に打ち震えとると、体に異変が起きた。
「……ん? なんやこれ、力がみなぎる……!」
体の芯から、カッと熱いもが湧き上がってくる。
ここ数年、ワシを悩ませとった腰のヘルニアの痛みが、すぅっと消えていく気さえする。
「これが……【たこ焼き創造(浪速スペシャル)】の力か……! たこ焼きは、もはや完全栄養食を超えた万能薬やったんか!」
ワシは大阪の方角に向かって、心の中で深くこうべを垂れた。大将、あんたは偉大や。
いや、どっちが大阪かは知らんけどな。
ほな、もう一個のスキルはどうやろか。
たしか、【商人の勘】とかいうスキルやったかいな。
ワシは足元に生えとる、見るからに毒々しい青いキノコに意識を集中してみた。
『【猛毒ダケ:食用不可。幻覚作用アリ。売値:銅貨1枚(アホにしか売れん)】』
「うわ、あぶな! そして口悪っ!」
誰やねん今の! ワシの脳内で勝手に喋んな!
気を取り直して、道の脇でキラリと光る石ころに試してみる。
『【魔光石のかけら:魔力の光を宿す石。照明や触媒として利用価値アリ。売値:銀貨5枚(街のギルドか道具屋に持っていきなはれ)】』
ワシの目が、カシャーン!と音を立てて¥マークに変わった。
「銀貨5枚!? 銅貨が十円玉くらいやとしたら、銀貨は百円玉くらいか? ほな五百円やんけ! ええ小遣い稼ぎやないか!」
自分勝手な為替レートで計算して、ワシはほくそ笑んだ。
ふむ。スキルは分かった。ほな、そもそもワシの能力値、いわゆるステータスはどないなっとんねん。
最近の若者は、なんや言うたらすぐこれやな。
「『ステータス・オープン』!」
知ったかぶりで詠唱すると、目の前にシュイン!と半透明のウィンドウが現れた。
そこに並んどったのは、【堂島大悟 Lv.1】の文字と……。
HP:35/35
MP:12/12
筋力:F
耐久:E
敏捷:F
魔力:G
「ひっく! なんやこの数値は! ワシの血糖値より高い項目、ないんとちゃうか!?」
あまりのひ弱さに愕然としながら、ワシは「スキル」の項目に目を移した。
そこには、【たこ焼き創造(浪速スペシャル)】と【商人の勘】と、くっきり大きな文字で書かれとる。
「ふむ、やっぱりこの二つか」
ワシが納得した、その時やった。
ウィンドウの隅っこ、まるで広告か利用規約のリンクみたいに、ちーーーーーーっさな文字があることに気づいた。
『パッシブスキル』
「……ん? なんやこれ。ちっさすぎて読めるかい!」
ワシは顔をしかめた。
最近の若いモンが作るもんは、これやからアカン。年寄りへの配慮が足らんのじゃ。
「まあええわ。どーせ大したことないやろ」
ワシはそう結論づけて、ステータス画面を閉じた。
その小さな文字の向こうに、ワシの運命を根底から引っかき回す元凶が隠されているとは、この時のワシ――堂島大悟は知る由もなかった。
なにせ、老眼やからな。
「まあ、ワシは肉体労働派やない、頭脳派やからな。ステータスなんぞ飾りや」
ワシはそう強がり、拾った魔光石をスーツの内ポケットにしまい込んだ。
「よし決めた! まずは人里探して、この魔光石を換金や! 軍資金ゼロで魔王退治なんか、竹槍でB29落とすようなもんやからな!」
【商人の勘】を働かせると、なんとなく「こっちの方から、ええ儲け話の匂いがしよるわ…!」と感じる方角があった。
ワシは自信満々に、その方角へ向かって歩き始めた。
どれくらい歩いただろうか。
森の少し開けた場所に出た時、不意に甲高い声が聞こえた。
「キャアアアアッ!」
「なんや!?」
声のした方へ駆けつけると、そこには信じられん光景が広がっとった。
馬ほどもある巨大な黒い狼が、一人の少女に襲いかかろうとしとる。
少女はボロボロの服を着て、髪は薄汚れとる。だが、その瞳は恐怖に屈することなく、必死に狼を睨みつけとった。
その耳は、スッと長く尖っとる。エルフ、ちゅうやつか。
アカン。関わったら面倒なことになる。世の常や。
一瞬、そう考えたワシの脳裏に、娘の顔がよぎった。
「……アカンな。ここで逃げたら、死んだオフクロに顔向けできん」
ワシは覚悟を決めた。
とっさに【たこ焼き創造】を発動し、出てきたたこ焼きを三つ、一気に頬張る。
うおおおお! 力が漲る!
狼に【商人の勘】を向けた。
『【フォレストウルフ:獰猛。硬い毛皮が自慢。弱点:眉間(そこ殴られたらイチコロやで)】』
また、あの口の悪い解説か。
ワシはそのへんに落ちていた手頃な太さの木の枝を拾い、武器として構える。
そして、震える少女を背にかばい、巨大な狼の前に立ちはだかった。
「こら、そこのわんわん。レディーに対して無作法なことしたらアカンで」
ワシはニヤリと笑って、こう言うた。
「ワシが、お前の遊び相手になったるわ!」